第百二十四話 帰らなくては
イザーダ軍は二日間、ただ待機をするしかなかった。
ジュンが消えた、地割れの向こうに行こうにも、竜王の結界が誰をも寄せ付けなかったのである。
特務隊は地割れの一番近くで、待機していた。
王子たちとパーカーもまた、部屋の奥にある回廊の上から、地割れの向こうを見ていた。
「二日だぞ? ジュンはどこにいるんだよ! 倒れていたらどうするんだ?!」
レオがイライラとしながらそう言った。
「ジュンが負けていないから、こうして話をしていられるんじゃないか。レオはうるさいよ。心配しているのは全員同じ。分からないのもね」
「リックの言う通りだよ。私たちはただ、何が起こるか分からない先の事を想定して備えるしかない」
そう言うダンの表情には、いつもの穏やかさはなかった。
「主はおそらく、戦っているんだと思います。俺にも拠点にも連絡がありません。手があいたなら、心配をさせまいと連絡をする人です」
パーカーは、地割れの向こうを見つめたままそう言った。
ヘルネー国の騎士団長であるロルフは、静かに口を開いた。
「長年訓練を積んだ我々ですら、魔物を一頭仕留めるのにも数人で掛かります。兵士たちは二時間の訓練ですら、休息が必要なのです。それをたったお一人で、二日間も戦えるものでしょうか? ポーションや回復の魔法は自分に使用すれば、見返りが必要なのです。それを知っている兵士たちは、おそばでお支えする事もできず、悔しがっております」
二日間、張り詰めていた緊張の糸が、その時、ついに切れた。
グラグラと大地が揺れ、遺跡内が崩れ始めた。
魔術師たちが、懸命に張った結界に守られながら、全員が遺跡からの撤退を余儀なくされたのである。
小規模な火山の影響で、数度の地震が歴史に残っている国はあるが、イザーダ全土を揺るがす地震は初めてで、各国はその対応に追われた。
至る所で起きる火災は、魔物の被害から守るために使われていた、汚泥煉瓦が延焼を防いだ。
イザーダ軍は拠点の村から動かなかった。
なぜなら、その場所こそが大きな災いの、最前線だからである。
闇の森が遺跡と共に沈み、近くの河川が決壊したのだろうか、どこからか水が流れ込んだ。
ジュンが消えた場所が、どうなったのかは誰にも分からず、イザーダ軍は、ただ敵の出現に備えるしかなかった。
次にイザーダ軍が目にしたのは、闇の森があった場所の向こう側にある、小高い丘が爆音とともに消える様子だった。
闇の森の両横に配備されていた隊から、それぞれ報告が本部に届いた。
爆発時に丘を包むように、結界が張られているのを、兵士たちが目視できたようで、その丘の高い場所に、竜王の姿が確認されたのである。
それに伴い、遺跡の地下三階にいた軍が、結界が見える場所まで移動した。
「これ以上、前は進めないか……。ちくしょう、皆で戦えれば」
レオの言葉に、リックは言った。
「ジュンの足を引っ張りたいと、本気で言ってるの?」
レオは首を振る。
「分かっている。俺たちがどうこうできる相手じゃない。だけど、ジュンが負けでもしたら、俺たちは戦うんだろ? それなら、ジュンのそばで傷の一つでも付けてやりたい。この人数だ、ジュンを休ませる事だってできんだろ?」
ダンは対岸にある、折れた樹木や岩の多い土砂を見て言った。
「竜の結界があって良かったね。あの丘だった物は、結界があったからあの場所にあるが、なければ私たちの所へきたのだろう。どれだけの犠牲が出たことだろうね。レオ、ジュンは戦う私たちのそばで休めるだろうか? 竜王が守っているのは、あの場所ではなく、私たちを含む、イザーダの世界なんじゃないのかい?」
リックは背後の兵士たちを見てから、前を見据えた。
「ジュンと竜王かぁ……。最強だよね。守られる事に慣れている私だって、歯がゆいのはレオと同じだよ。ジュンにもしもの事があったら、私は兵士たちの前に立ち、ジュンに救われたこの命を懸けで戦うよ。指揮官は兄上だからね」
本部から様子を見にきていた、コンバル国の第二王子であるギャレットが、笑顔で近付いてきた。
「私たち兄弟は、確かにジュンに命を救われている。しかしここで、もう一つ借りができたようだ。やんちゃな弟を王子の顔にしてくれたようだね」
「兄上! ひどいです!」
抗議をするリックに、皆はひとときの笑みを浮かべた。
それから二日、ジュンが扉に入って五日目の事だった。
「あれを見ろ!」
「何だ、あれは!」
「雲だ!」
兵士たちが対岸の空を見上げて、口々に驚きの声を上げた。
雲一つない青空に、突然現れた真っ黒な雲。
それがみるみる分厚さを増して広がっているのである。
それは一瞬の出来事だった。
竜王の結界の上から、その強固な結界を突き破り、ごう音と共に地面に立った巨大な柱。
それが雷であると、すぐに理解できる者はいなかった。
その雷が残したのは誰もがしばらく、まばたきを繰り返す程の残像。
兵士たちの小さなざわめきの中で、チェイスの声が響いた。
「ジューン!! 無事か?! ジュン!」
その時だった。
兵士が叫んだ。
「何かが飛んでくるぞ!!」
黒い雲が消えていく隙間から、日の光が差していた。
その光の中を通り抜け、二つの点が竜王の横に並んだのである。
それは純白の竜とグリフォン。
王子たちも、あんぐりと口を開いたままだった。
竜王の存在にすら、驚いていた兵士たちに至っては、それどころではない。
白い竜などは聞いた事すらなかったようで、おまけに最強の魔物と語り継がれる、グリフォンまでもが登場したのである。
腰を抜かしたり、口を閉じることを忘れたり、しまいには地面にひれ伏し拝む者まで現れる始末。
しかし、それをとがめる立場の上官も、ほうけたままだった。
最初に動いたのは、グリフォンだった。
グリフォンは羽を広げて、竜巻を起こし、岩や土砂を巻き上げる。
そこに現れたのは、地面にできた穴だった。グリフォンはその穴に首を入れると
白い布を引きずりだした。
それが何かを、全ての者が知っていた。
誰もがただ見守る中、動いたのは白竜だった。
白竜はその白い布を鼻先で転がすと、ペロリと舐めたのである。
「「「食われるぞ!」」」
誰もが武器に手をかけようとした時である。
「シロ! 主は無事か?! 生きているのか?!」
叫んだのはパーカーだった。
「竜王と白竜。グリフォンまでもがジュン様と親しいのか?」
「知るかよ。ただ、嫌なやつの面は、舐めたくはねえよな」
「絵本だって、ここまで現実離れしちゃあいない」
「確かにな……」
兵士たちは、初めて目にするシロを見ながら、そう言っていたが、やがてその表情は優しい笑顔に変わっていった。
なぜならシロと呼ばれた竜は、飛んでいる時の優雅さは欠片もなく、不器用にノソノソと歩いて、対岸の端までくると、おもむろに片足を上げて、丸を作って見せたのである。
「生きている! 勝ったんだ!」
振り向いたパーカーの涙。
うなずく者たちもまた、涙を拭おうともしなかった。
勝利を喜び合う兵士たちの声が、そこから広まっていった。
喜びに沸く対岸では、竜王とグリフォンとシロがジュンを見ていた。
『よくやりおったな。この小さな体で』
グリフォンの言葉に竜王はうなずく。
『ジュンは特別な人間だからな。よくぞ守り抜いたものよ』
しきりにジュンを舐めているシロ。
『ジュン、起きてよ。パーカーが心配している』
そこにジュンの思考が漏れ聞こえた。
『帰らなくては。クレアが泣くから』
『どうやら、ジュンの戦いは終わってはいないようだ』
竜王は面白そうに言った。
『ボクが連れて帰る! くわえて行ってもいいかな?』
シロの問いに答えたのはグリフォンだった。
『待っておれ』
グリフォンは自分の翼の羽を一枚抜くと、防御の魔法を掛けて、ジュンのローブにつけた。
『これがこいつを守る。短時間で消えるが、到着したら取ってやれ。仲間が触れられぬからな』
『うん。ありがとう』
シロがジュンをくわえて、拠点を目指して飛び立った。
『ここはどうするのだ? 少しならすか?』
竜王は首を振った。
『人間に任せよう。あの場所は臭くてたまらなかった。無くなって良かった』
『同感だ』
グリフォンと竜王は飛び立った。
二頭が立ち去った後。
対岸では収拾が付かない状態になっていた。
「ジュン殿は、白竜と共に神の元に行かれたのに違いない」
「馬鹿野郎! 行かれてたまるか! ジュン様とお会いできなくなるんだぞ?」
「そうだ、我がヘルネー国には‘見守る会’があるのだぞ!」
「世界中で色々とご活躍されているからなぁ。テンダル国でも作ろう。互いに情報交換をしようじゃないか」
「コンバル国を忘れるな。ジュン様の逸話なら、世界一多いからな」
イザーダ軍は、終結後は解散する事が約束されていた。
しかし、長い緊張を共に過ごした兵士たちには、国境を越えた友情が芽生えていたようである。
ジュンが無事にギルド島に帰還して、ミゲルやジェンナの手厚い看護の元、回復は時間の問題だと聞かされ、村は最後の大宴会になった。
アルトロアの吟遊詩人たちが、早速、新作を披露しては兵士たちの喝采を浴びていた。
「おい、パーカー。記録はとってあるんだろうな」
レオはすっかり仲良くなった、パーカーにからかうような笑顔を向けた。
「はい。ここに一番居たかったのは、主でしょうからね」
パーカーの返事に、リックは上機嫌である。
「うんうん。すごく嫌がりそうだよねぇ。クレア嬢との情報は誰が流したの? ねぇパーカー、後でそれを見たジュンの様子を聞かせてよ」
パーカーは困った顔で笑う。
「お会いできる機会があればですね。それにしても、クレア様の情報はどなたが流したんでしょうか」
ダンは小さく笑って言った。
「アブラーモ王しかいないでしょう? イザーダ軍に吟遊詩人あがりの兵を入れたんですよ。負ける事なんてきっと、少しも考えていらっしゃらない。あの方らしいですね」
それぞれが、笑顔でうなずいた。
イザーダ軍最後の宴会は、開放感の中で、誰もが笑顔だった。
そしてそれは、別れを惜しむ者たちにより、明け方まで続いたのである。




