第百二十二話 お断りします
ジュンは石板の鍵を開けた後、強制的に扉の前に転移させられていた。
中の状況は全く分からないが、ジュンは倉庫から剣を取り出した。
魔法が使えないと聞いていたからだろうか、確かめるように剣に魔力を流す。
「やはり、魔法はもう使えないか」
ジュンは剣を振り下ろす事で戦闘態勢に入ったのか、口元に力を入れて前を向き扉の中に入った。
ジュンは振り向いて唯一の明かりが入る、後ろの扉が消えるのを見た。
扉が消えると、周りはほのかに明るくなり、真っ暗だった辺りの様子がゆっくりと見えてくる。
大きなドーム型の部屋には何もない。
ただ、正面に風の妖精の霊であるアネモスが立っている。
「待っていた。妖力の玉は腕輪の中で、成長したようだな。その腕輪で私たちを消し去るのだ」
そこまで言うと、アネモスは崩れるように床に膝をついた。
「じか……んが、な……い。私……たちは……悪……霊に……。たのむ……」
アネモスはみるみるうちに大きくなり、顔こそはアネモスの面影を残していたが、その腕は翼になり、体は鳥になった。
「アネモス?!」
唖然としているジュンの耳に届いたのは、耳をつんざくような砲声だった。
アネモスがその翼を大きく羽ばたかせた瞬間。
ジュンは大きく飛びのいた。床には数々の傷。
「腕輪を使えだって? それはお断りします!」
ジュンはアネモスの攻撃を避けながら、左目で光を探していた。
彼らは一様に体のどこかに、燃えるような光を宿している。
どんな姿になろうとも、霊の本来の姿は変わらないと、ジュンは彼らに出会って知ったようである。
ジュンは翼で幾度も転がされた。
そして、そこに降りかかるのは、複数のウィンドカッター。
とっさに顔をかばう腕は、ミスリルの小手が守ったが、シルキーの自慢の服が、耐えきれずに裂けて、血がにじむ。
アネモスはジュンの前で空中に飛び立った。
ジュンは翼を広げる事で、無防備になったその胸にある光をめがけて、力を込めて剣を投げつけた。
「浄化!」
アネモスはドサリと床に落ちた。
「なぜ……」
「アネモス、君たちの魂を消したりしない。行くべき場所に行くんだよ」
「ジュン……」
その先の言葉は、ジュンの耳には届かなかった。
アネモスは、小さな無数の光になって消えて行った。
「コールに光の浄化の剣を、作ってもらって良かった。それにしても、傷ってこんなに痛かったっけ?」
ジュンは倉庫から、ポーションを取り出すと傷に掛けた。
ジュンは部屋の中央に立つと、辺りを見回して首をかしげた。
「ここで待っていればいいのかなぁ? そんな訳ないよね。僕は侵入者なんだから。魔法が使えないと、穴の一つも開けられそうにない」
部屋の壁や床を一回りしたが、何の手がかりも見つけられなかったジュンは、ふと思い出したかのように、腕輪に触れた。
それから、ゆっくりと確かめるように、部屋を歩き回って足を止めた。
「ここだ。ここで音が大きくなる。ゲーの家と同じかなぁ」
ジュンは壁を力一杯押した。
壁がゴトゴトと音を立てて動いた。
入ると入り口が消えるのは仕様のようで、ジュンはため息をついた。
「悪意のある入り口だよね。それにしてもこれは?」
床から天井まで、壁を伝ってツタの種類だろうか、葉が茂っている。
ジュンはここにいるであろう妖精の霊を探していたが、目視できる場所ではその姿を捕らえる事ができなかったようで、歩き始めた。
「歩きにくい……」
足に絡みつくツタを外そうとして、ジュンは顔色を変えた。
次々にジュンを目がけて、ツタが伸びてくるのである。
ジュンは剣でツタを払いながら、ようやく部屋の中央付近に見えてきた、大きな影を目指した。
「あれは……」
その影の正体は、一輪の大きな青い花。
そして地面と花の間から、次々と伸びてくるツタ。
異物を捕獲するかのように、そのツタはジュンに襲いかかる。
ジュンは逃げながらも、徐々に花との距離を縮めていった。
「よしっ!」
雌しべも雄しべもない、青い宝石のようなその花の中心に、ジュンは剣を突き立てた。
その瞬間、部屋中の緑のツタが、動きを止めた。
剣を抜いた青い花の傷から吹き出す霧が、全ての景色を消して行く。
部屋から緑色が消えたとき、ジュンはガクリと膝をついた。
「体に力が入らない……」
ジュンは剣で体を支えるように立ち上がった。
「ヒュドーラ……。これが狙い? 体力を奪われても、僕は負る訳にはいかないんだ。そこだ!」
ジュンは片目がない半透明な大蛇の、顎の下からその頭上に向けて、剣を突き上げた。
「浄化だよ、ヒュドーラ。ゆっくりお休み」
「ごめんなさい……。あとはお願い……」
「うん。安心して良いよ」
水の妖精の霊であるヒュドーラは、消えた。
ジュンは倉庫からミゲルのポーションをだして飲み干した。
「ううっ。まずい。それにしても焦った、あの花が彼女の目だったなんて、もう一度あの花と戦っていたら、危なかったよ」
ジュンは立ち上がると、腕輪を頼りに真っすぐに壁の前まで進み、大きく息を吸い込んで、その手に力を込めた。
その空間は部屋と呼べる物ではなかった。
ゴツゴツとした黒い岩と溶岩の池。
息を吸い込むのもつらいと思われる高温の空気。
そしてその黒と赤の空間の主は、炎をまとった巨人だった。
「ブレイス?」
「ウデワ……ツカエ……ハヤク!」
「使えません、あなたには!」
「ダメ……ダ……ニゲ……」
ジュンはブレイスに斬りかかった。しかし、打ち付けた剣は届く事なくはじき返されたのである。
ところどころに炎が走る結界の中で、ブレイスはまるで溶岩のようなトカゲになり、その背中には、黒い小さな翼があった。
トカゲは大きく口を開くと、火炎放射器のように炎を吐きだした。
ジュンは辛うじて逃げる事ができた。皮膚がさらされている顔を守る事ができたのは、シルキーの作ってくれた装備のお陰だった。
装備がなければ、瞬時に全身に炎を浴びて焼け死んでいただろう。
だが、火傷を負わないまでも、炎の熱さは感じていたようで、ジュンは顔をゆがめながら、岩にその身を隠した。
「光の場所は心臓か……。どうやって近付いたら良い?」
ジュンは手近にあった石を投げながら、トカゲの注意をそらしていた。
トカゲの攻撃は炎を持続的に放射する事と、粘りのある溶岩を対象物に向かって飛ばすだけのようである。
しかし、その燃えているような体の全てが凶器ではある。
確かに、炎や溶岩は全てを焼き、溶かす事はできない。
だが、魔法を使用せずに、人の身で近付く事は難しい。
ジュンは倉庫にある、使わない短剣や槍を、トカゲに投げつけながら、石を投げ岩陰と岩陰をしばらく移動するしかなかった。
そうしながら、攻撃が止まる間合いを確かめると、ジュンはマントのフードを外し、水でぬらした布を顔に巻き付けて、再びフードを被った。
それから、トカゲの体が横を向くように石を連続で投げてから、短剣をトカゲの頭に投げつけて走りだした。
狙いを付けたのは前足の付け根。
失敗は許されない、たった一度の攻撃。
トカゲは攻撃をした後、武器が命中すると一瞬攻撃が止まるのである。
ジュンはトカゲの体に剣を刺し、力の限り奥へと差し込んだ。
トカゲの体は高熱を放ち、魔法の掛かっていない顔に巻いた布の表面はすぐに燃え落ちる。
その際の水蒸気と熱に耐えきれなくなって、ジュンは飛びのいた。
「お疲れさま、ブレイス。浄化したよ」
「ジュン……。気を付けろ……。狙いはふた……」
小さな光の粒は、その先の言葉を伝えきれずに消えた。
ジュンは生臭いポーションを、何度も顔に塗り付けた。
チリチリとした痛みが、ようやく消えた顔を水で流してから、ジュンは乾ききった喉を果実水で潤した。
(狙いは二つなんだろうね? 欲張りだよね)
ジュンは次の入り口を開けた。
出迎えたのは、ゲーの訓練所で戦ったゴレームだった。
次々と床から湧いてくるゴレームを倒しながら前に進むジュン。
だが、訓練所のゴレームと違うのは、強くなる度に、体も大きくなる事だった。
「切りがない!」
ここには薬の風呂もなければ、ゲーの薬もないのである。
辛うじて訓練所のように、体に負荷が掛からないだけ楽ではあったが、それでも数の多さと大きさは、精神的にも肉体的にもそう長く耐えられるものではない。
ジュンは戦いながら、ゲーを探していた。
受け損なった剣は防具のお陰で体を切る事はなかったが、その衝撃は吸収される事なく、体がしびれるほどの痛みが伴う。
ジュンはそれでも剣を振り、ゲーの姿を探しながら、歩き回った。
ある場所までくると、ゴレームが動きを止めて、床にその姿を沈めた。
そして現れたのは大きなゴレームが二体。
その後ろに、四角いパーツを組み合わせた、なんとも旧式なロボット型のゴレームが立っていた。
まずは二体のゴレームがのそりと動いた。
剣を構えたジュンは首をかしげた。今まで戦ってきたゴレームたちの、土のお面を被った殺人鬼のような殺気がないのである。
ジュンは一体のゴレームを見て、驚いたようにその目を見開いた。
そのゴレームの体に彫られていたのは、イザーダ語だったのである。
‘ジュンよ。攻撃などはしないので休むが良い。どうせ時間がたてば私は役に立たないものとして消される。文字のないゴレームの中にあるのは薬だ。私が友に送る最後の薬は、スプリガンの幻影から守る物。信じられるなら役に立つだろう’
ジュンはゆっくりと構えていた剣で、二体のゴレームを倒した。
中には薬瓶が入っていた。
「ありがとうございます。僕からのお返しです」
ジュンはゴレームの大きな肩に剣を置いた。
「縛られていたあなたに、天に向かう翼を贈ります。浄化!」
ジュンは剣を真横に振り抜いた。
「アリガトウ……」
ジュンはゲーの光を見送ると、床に座り込んだ。
(くたくただよ。ここで襲われたらお終いなのに、几帳面に部屋割りするって、どうなの? ゲームじゃないんだから、全員で襲えばいいのにね)
ジュンは無表情でポーションを飲み始めた。
「さて、スプリガン。約束を果たしにきたよ」
ジュンはためらう事もなく、ゲーの薬を飲み干して壁を押した。




