第百十六話 前ギルド総長の脅迫
その日、拠点の執務室には重たい空気が漂っていた。
「あれでは、来年になってもダンジョンには行けないわよ。考える気のない者が何人集まろうと良い知恵は浮かばないって、知っている人すらいないみたいよ」
セレーナは、はがゆさを隠しきれずに悪態をつく。
「マドニア国とヘルネー国の呼びかけで、他の五カ国の軍も参加したんですがねぇ。基本的に単独でしか動かない軍が、七カ国ですぜぇ。全く協調する気がないですねぇ。入り口の村で、いかに自国軍が良い場所を取るかでにらみ合い。後は自国の薬師が動きやすいように魔導師たちが魔法を使う。ダンジョンに行くという目的のために動いているとは、到底思えませんがねぇ」
マシューがあきれたように報告をした。
「全く。ギルドが口を出すのもどうかと思ったが、イザーダの危機が迫っている事や、闇の森が一番怪しい事を、王たちは伝えていないのだろうねぇ。確かに兵士の口から情報が漏れたら、それはうわさ話では済まないからねぇ。混乱は避けられないだろうしねぇ」
報告を聞くために立ち寄ったジェンナが、不快そうに大きなため息をついた。
「ジェンナ、会議を開くのじゃ。ダンジョンが災いの場所ならばどうするのかのぉ。儂はジュンの保護者だからのぉ。そこにジュンはやれぬのぉ」
ミゲルの言葉にジェンナは困った表情を浮かべる。
「ミゲル様、もう少し時間が必要でしょう。彼らにとっては、初めての経験」
その時だった。
テーブルが大きな音をたて、上のお茶がこぼれた。
そして、全員の視線がミゲルに集中した。
「もう少しの時間とは誰の時計の話じゃ! 足手まといじゃ。災いが起こってからでは遅いのじゃ。そのように自国のためにしか動けぬ軍ならば、世界のために団結ができない軍ならば、帰国させるのじゃ。ジェンナ、ギルドを動かすと王たちに伝えよ。その意味が分からぬ国など、イザーダには要らぬ!」
イザーダには要らないと言ったミゲルは、退職したとはいえ、最強の魔術師である事は、世界中の誰もが知っている事なのである。
誰もが動けなかった。
その状況でいつもと同じように動いていたのは、コラードだけだった。彼は、テーブルの上を奇麗に整え、新しいお茶を配っていた。
「久しぶりに総長の顔を見せてもらいましたねぇ、ひい爺様。これは前総長がお怒りだの一言で済む話になったねぇ」
ジェンナは嬉しそうにミゲルを見た。
「ミゲル様って怖い総長だったんですか? 国王って面倒そうだから、ジェンナ様、楽ができて良かったですね?」
ジュンとジェンナは顔を見合わせて笑った。
「いや、二人の笑顔が理解できないっす」
ワトの言葉にメンバー全員がうなずいた。
緊急で開かれた王族会議で、ジェンナの怒りも爆発したようで、各国の軍に帰国命令が出された。
改めて、ジェンナの提案により、各国の軍隊に特務隊が率いるイザーダ軍の募集が掛けられた。
その募集要項は、私利私欲、自国の利益を優先する者は、厳罰に処すると大きく書かれていた。
しかし、イザーダを守ろうと考える兵士は想像以上に多く、各国の軍は頭を痛めることになった。
ジュンはミゲルとパーカーと三人で、闇の森の入り口にある村に来ていた。
「どうじゃ?」
「ミゲル様……。ここです。腕輪がひどく反応しています」
パーカーは横で、コラードに連絡を入れた。
「主がここだと断言した。ジェンナ様に連絡を」
「ダンジョンの入り口に行けると良いのですが、ここからだと見えませんね」
ミゲルはジュンの肩に手を置いた。
「慌てるな。まずは準備をしてからじゃ。戦闘中は途中で帰る事もできんからのぉ」
ジュンはうなずいた。
「分かっています。でも、心がはやります」
「それにしても、以前より随分と森が茂っていますね。あれでは前には進めないだろうなぁ」
パーカーの言葉を聞いて、ジュンは森の入り口に向かった。
入り口は人が二人も並ぶと狭いほどだった。
ジュンはその森を見て息を飲んだ。
「これを森と言うのでしょうか……」
暗闇にも見える瘴気の中で、蛍光色の鮮やかな草木。
草木の色彩の固定観念を諦めなければ、おそらく長居はできないと思われるその中で、ジュンはつぶやく。
「緋色や紫の草木って、薬だけなの? 染料にもなりそうだよね?」
「薬は命がけで作る者がいるが、染料はおらんからのぉ」
ジュンとミゲルの言葉を聞いて、パーカーは頭を抱えた。
「二人とも、ふざけていないで、ダンジョンに行く方法を考えてくださいよ」
「え? 一人なら簡単に行けるでしょ? ミゲル様とならより確実かな」
「そうじゃのぉ。ただ、軍を動かすのは大変じゃのぉ。光の魔術師は医療に従事している者がほとんどなのでのぉ」
ジュンは足元の土を手に取り、左目を使った。
「ミゲル様、見ていてくださいね」
ジュンが指差す木の根元が、光を放ち始めた途端、木の色が下から上へ炭のように変化して行った。
「ほう。闇魔法かのぉ」
ミゲルは面白そうに、光の行方を見ている。
「はい。瘴気は土にも含まれていますね。光魔法の浄化は一瞬ですが、闇はムシが浄化するから、一度でも効果は持続しますよね。第一、ダンジョンまでの道を作るなら、どの魔導師だって結界は張れるでしょう?」
「なるほど。すぐに再生する森の全てを消そうとするから、先に進めないのだな」
パーカーの言葉に、ジュンは小さくため息をつく。
「目的が闇の森を消す事なら、それでも良いんだけどね。僕はダンジョンが目的だからね。過去に失敗をした方法を、今更繰り返されても困るよ」
ジュンの言葉を聞いてミゲルがニヤリと笑った。
「セレーナの言う通りじゃのぉ。さて、イザーダ軍が賢い事を願おうかのぉ」
ジュンはミゲルを横目で見た。
「ミゲル様、アンドリュー様を巻き込みましたよね? チェイス副隊長が補佐は不自然ですよ」
ギルドの特務隊が作るイザーダ軍の総指揮官が、アンドリューに決まったのである。副官はチェイスが務める事になった。
「アンドリューはギルド長としては有名人だからのぉ。なによりモーリスの家名がある。チェイスはできる男じゃ。だが、特務隊以外にそれを知る者がおらんのでのぉ。アンドリューを利用するのじゃよ。二人の同意はとってあるのじゃ」
パーカーは不思議そうに尋ねた。
「ベルホルト様もいらっしゃいますよね?」
アンドリューは特務隊隊長の秘書である。チェイスを補佐に付けるのなら、隊長であるベルホルトが適任だと思うのは当然である。彼もまた、モーリスの名を持つ者なのだから。
「ん……。向き不向きがあるからのぉ。あれには特務隊隊長の席を温める任務があるからのぉ」
面倒そうに言うミゲルに、パーカーはあきれた顔をする。
「ひどい……」
「雛はもうじき育つのですね。ケームリアン、懐かしいですね」
ジュンはそう言って小さく笑った。
「本人の希望じゃ。次が決まったら、妻と息子の所に行くようじゃ。あれにはそれが向いておるじゃろうのぉ」
ジュンは静かにうなずいた。
「主。団長が防具の試着をして欲しいと言っている」
パーカーがコラードからの通信を伝えた。
「うん。戻るよ」
三人は拠点へ転移した。
出迎えたコラードと共に執務室で防具を試着する事になったジュン。
「え? なんで全員そろっているのかなぁ……」
「防具が気になりますからねぇ。主を守る物ですから」
マシューの言葉に、作ったトレバーが不快そうな目を向けた。
「ワシはヘマなどせん」
「分かっているっすよ。オレたち蜘蛛は付いて行けないっすからね。勇姿はここで見せてもらいたいっすよ」
ワトはトレバーをなだめるように告げた。
「そうか、どこかに紛れ込んだら? 戦わない部署ってないの?」
ジュンの言葉に食い付いたのはマシューだった。
「だとしたら、今度こそ自分ですねぇ。戦えるメイドですぜぇ」
そこにパーカーが口を挟む。
「魔法が使えないんだ。毒持ちの魔物の巣窟だ。薬師の俺以外はいらないだろ」
「武器や防具のメンテナンスはワシだ」
「戦えるメイドが許されるのなら、ウチの方が戦力になるわ」
トレバーとセレーナも負けてはいない。
「オレっすね。主が使いやすいのが一番っす」
ワトまで加わった。
「これ以上騒ぐと部屋から追い出しますよ?」
コラードが優しい声で、殺気を放った。
「鎖かたびらが、なんでこんなに軽いの? 僕が持っているのとは全然違う」
驚くジュンにトレバーは小さく笑う。
「主のは鉄だから重い。ミゲル様がミスリルをくれた。強くて軽い。小手もミスリルで作った」
「着心地が良いよ。トレバー、ミゲル様ありがとうございます」
上機嫌のジュンにシルキーが言った。
「そのチェインメイルや小手の下に、この服を着ると良いわ。防具の重さを軽減して体温の調節もするわ。私が糸から織り上げたのよ。その辺の鎧には負けないわ。ローブもよ」
「すごく動きやすいけど、ローブも着るの? フードは顔だけ横を向くと視界が遮られるから、いつも戦闘時は被らないよ」
ジュンの言葉に、シルキーは知っているとばかりに言った。
「首を守る布があるでしょ? それでフードも邪魔にはならないわ」
「白いローブって汚れそうね」
セレーナはジュンのローブを見てつぶやいた。
「白いこの糸で織った布は制約が掛かるわ。呪いを受けない代わりに、呪いを掛ける事ができない神の色。あの方はいつも白いローブだったわ。地上に降りてからは、白いローブを一度も身に付けなかったのよ。悪霊となった彼らから、ジュン様をきっと守ってくださるわ」
セレーナは初めて聞いたのだろう。驚いて言った。
「そうなの?! 絶対白ね。主が呪いを掛ける事はないと思うもの」
ジュンはあきれたように告げる。
「呪いって、そんな面倒な事はしないよ」
(人を呪わば穴二つ……。相手と自分の墓穴を掘るんだよ? 面倒だよね。第一土葬は禁止だからね)
「主なら瞬殺できる」
トレバーにワトが言った。
「確かに、そうっすよね」
パーカーは感心したように腕を組む。
「確かに、瞬殺ができるのなら呪いは面倒だな」
「どうして殺すのが前提なの?!」
ジュンは説得を諦めたのか、肩を落として、ため息をついた。




