第百十三話 心配するよね
ジュンはゲーの陣が発動した、ヘルネーの森に戻されたが、その顔は寂しさを隠せてはいない。
転移は場所と場所の空間を切り取る事で発動する。
ゲーに自分の居場所を明かさないために、誰であってもこのような手段を使うのだと、説明を受けて戻されたのである。
ジュンは拠点のコラードに、帰ると連絡を入れてから辺りを見回して、大の字で地面に寝転んだ。
「参ったなぁ。ジュン・モーリスの人生に心が追い付けない……。生きたいと願ったあの日。この世界の役にたちたいと思ったあの日。あの日の僕は知らなかったんだこの日を。命をかけて戦うとか、怖すぎるよ。あんな優しい妖精を殺すなんて、できる訳ないだろう。背負った荷物が大きすぎて、僕はもぅ潰れそうだよ……」
ジュンは起き上がって、服の汚れを払った。
「よし! 泣き言はちゃんと言った。僕は弱虫のままでいい。これからもずっと。心だけは変わらずに僕でありたいから」
一人でぶつぶつと話す事で、ようやく本来の表情を取り戻したジュン。
どうやら拠点に戻る前に、精神状態を立て直したかったようである。
転移室の前では、いつものようにコラードがジュンを出迎えた。
「お帰りなさいませ、ジュン様。お疲れさまです」
ジュンはコラードに笑顔を向けた。
「ただ今戻りました、コラード。問題はなかった?」
「はい。特務隊の仕事は、報告書ができております。ジュン様、十日間もどのようにされていたのでしょうか?」
「え? 十日! ……そう、二日ほどだと思っていたよ」
驚いたように言うジュンに、コラードの眉がかすかに動いた。
「ジュン様。最後にお食事をされたのは、いつでございましょう?」
「えぇと……ワトと食べた弁当かな? 特別な飲み物を飲んでいたから、多分、栄養は足りているよ。疲労も取ってもらっていたから疲れてもいないよ。早速で悪いけど、ミゲル様とシルキー、コラードとマシュー、それとワトかな。僕の報告だから、任務中なら無理はしなくても良い。時間の都合がつく人だけで良いからね」
「かしこまりました」
そう言いながら、コラードは素早くジュンの全身を見た。
「僕、薬のお風呂に何度も入れられて、臭いんだよ。お風呂に入ってくる」
コラードは口元にだけ笑みを浮かべて言った。
「はい。用意はできております」
ジュンは久しぶりの自室でくつろぎもせずに、風呂場に向かった。
湯の温度を少し高めて、幾度も全身を洗っているところを見ると、あの薬の風呂の臭いは、よほど苦手だったようである。
風呂上がりの果実水を飲みながら、ジュンはいつものように、ライティングデスクで、クレアからの手紙に目を通した。
「僕が僕でいられる、唯一の時間かもしれないね。さて、どうしたものか……」
ジュンは穏やかな顔で、返事を書き始めた。
手紙を読めなかった理由など、書ける訳もなく、返事が遅れた言い訳すらもできないが、それでも、謝罪の言葉を並べて返事を書いて送った。
「婚約……。クレアを守るためにはどうするべきだろう」
ジュンはため息をついて、執務室に向かった。
「元気そうだねぇ。押しかけてきたよ。二度手間になるからねぇ」
執務室に入った途端に、ジェンナの声がした。
「ジェンナ様? あっ、ただ今戻りました。後ほど、ジェンナ様のご都合の良い時間に伺うつもりでした」
ジェンナは小さく息を吐いて言った。
「妖力の玉はそろったんだろう? この私には最優先事項に思われるがねぇ」
シルキーを横に座らせて、菓子を食べていたミゲルが言った。
「心配で日に二度も連絡しておったと、素直に申せばかわいいのじゃがのぉ。モニターの映像が突然途絶えたからのぉ、儂も心配じゃった。無事なようでなによりじゃのぉ」
「そうっすよ! 突然拉致されたっすよ。あの後、団長に連絡を入れて、マシューに来てもらって、二人で二日野営してたっす。別れてから十三日間も、飯を食っていないと聞かされたっす……。オレ……」
今にも泣き出しそうなワトの肩に手を置いて、マシューが苦く笑う。
「ワトは主が食べる事がお好きだって、知っていますからねぇ。おつらかったのではないかと心配しているんですぜぇ。大丈夫だとメンバー全員は信じておりました。改めてお帰りなさい、主」
ジュンはワトとマシューの顔を見て、少し困った顔で笑った。
「うん。無事に戻ったよ。心配をかけてごめんね。ところで、突然映像が切れたのは、どこから?」
お茶のお替わりをいれ終えたコラードが、ジュンを見て答えた。
「三日目。命を落とすとゲー様に言われて、人の身でその苦痛に耐えられるかどうか分からないと言われた訓練に向かわれるところで、映像がとぎれたのでございます。心配いたしました」
ジュンは、額にいつも付けている皮ひもの石を外して、しばらく見つめた。
「そうかぁ。なるほど潰されている。魔法が使えない場所だったんだよ。魔法が強制的に排除される場所と言った方がいいかな。そんなところで切れたら、心配するよね。徹底的に打ちのめされた、無様な僕を見せてあげられなかったのは、少し残念だよ。笑える位にやられたんだ」
「ほぉ。見えない十日に何があったのかのぉ」
ミゲルの言葉にジェンナがうなずく。
「興味があるねぇ。五戦士の思惑も気になるからねぇ」
ジュンはノーアがまだ、神だった頃の訓練用の部屋で行った訓練の話をした。無論、その訓練場は神界で経験してきたなどと言えはしなかったが。
話が進むうちに、皆の顔は険しくまり、五戦士が悪霊となり、ジュンの敵となる話まで行くと、顔色をなくした。
「分かってはいたがのぉ。やはりそうなるのぉ……」
ミゲルの暗い顔を見て、シルキーは悲しそうにジュンに言った。
「私も願うわ。自分の意思が狂気に変わり、大切な物を壊すなら、そうなる前に消して欲しいと願うわ。それを託せる人が現れるのを、彼らは長い年月の間、待っていたんだわ。ジュン様、五戦士を許してあげて欲しいの」
ジュンは小さく息を吐いた。
「彼らには感謝をしているよ。僕にできるかどうかは分からないけれど、その機会を与えてもらったからね。彼らの願いを聞く事ができて、良かったと思っている。少なくとも彼らの期待には、誠意を持って応えたい」
「しかしこれは、ここだけの話にはできないねぇ。その災いが、どこの国で、周りにどの程度の被害を及ぼすか、想像すらつかないからねぇ。各国で、それなりの準備が必要だろうねぇ。災いの時期が分からないからね。ジュンがもし負けでもしたら、その元神と戦うのは、各国の兵士になるだろうからね。自国のためではなくイザーダ世界のために戦うなどと、誰も思ってもいないだろうからねぇ」
ジェンナの言葉にミゲルが言った。
「無闇に民を怯えさせてはならん。混乱が生み出す物は悲劇じゃ。王族会議は心して望め。頭のおかしな貴族が必ず騒ぎだすからのぉ。それは、一国の迷惑ではなく世界を揺るがす。特務隊は忙しくなるので、手加減はできんからのぉ」
ジェンナが視線だけをミゲルに移した。
「何か嫌な予感がするねぇ。貴族をどうするおつもりですか」
「貴族は民のためにある事を心と体に教えんとのぉ。少しでも怪しい素振りや、疑わしい素振りを見せた者は軽くて、爵位剝奪。後は世界反逆罪じゃのぉ」
ミゲルがにやりと笑う。
「特務隊の証拠に反論はできないと、今や王家や貴族で知らぬ者がいないほど、浸透しているからねぇ。抑制のためにも、会議で言わせてもらいますよ。膿をだす絶好の機会だと喜ぶ王がいそうだがねぇ」
面白そうな顔をして、ジェンナはそう告げた。
急いで帰ると言うジェンナを転移室で見送り、ジュンたちは居間に向かった。
「「「主。お帰りなさい!」」」
居間には拠点のメンバーが全員集まっていた。誰もが心配していたようで、どの顔にも安どの笑顔がある。
「皆。心配を掛けたようでごめんね。無事に戻りました」
「ルークが食事の用意をいたしました。少しでも召し上がってください」
コラードに言われて、ジュンはうなずいた。
「うん、いただくよ。食べる事を忘れてしまいそうだからね」
ジュンはテーブルの前で、言葉を失った。
「すみません。驚きますよね? 皆が主と同じ物を食べると言って、聞かないものですから」
ルークの困った顔を見て、ジュンは吹き出した。
「だからこの量なんだね。さぁ、皆で食べよう!」
二つのキッチンテーブルには、雑炊の大鍋と煮込みうどんの大鍋があり、トッピングの材料が鍋を囲んでいた。
「皆、本当にいいの? 足りる?」
ルークは小さく笑った。
「大丈夫ですよ。肉巻きおにぎりを、夜食用に用意しています。ワトがおいしかったと言うので作ったのですが、大人気で個数制限しているんですよ」
ジュンは小声で言った。
「分かるよ。あれ作るの面倒だよね」
食後のお茶も、メンバーがそろっているので賑やかだった。
ジュンにはそれが嬉しいようで、一人ひとりに声を掛けて歩いた。
「ねぇ、トレバー。武器に魔法属性を付ける時は、どうするの?」
「付ける事はできない。ダンジョンのお宝から偶然でる。ワシは主の剣で属性が付く瞬間を初めて見た」
「え? そうなの?!」
トレバーはうなずいた。
「スミスのおやじさんですら、初めてだったんだ。だけどスミスのおやじさんが言っていた。モーリス家には後付けの剣があるらしい」
「モーリス家って……」
そこでミゲルが口を開いた。
「カイ様が火魔法を付けた剣があるのぉ」
「どこに? どこにですか?」
子供のように目を輝かすジュンに、ミゲルは小さく笑った。
「分からんのじゃ。子孫の誰も受け継いでおらん。カイ様しか使えん代物だったようだがのぉ」
「なんだ残念。あっ、そうだ。ミゲル様に頼みがあったんです。パーカーとこの薬を調べて欲しいんです」
「薬なら俺の出番だ。その黒い水薬か?」
パーカーがジュンの席まできて、のぞき込んだ。
「それは、ジュンの言っておった風呂の薬か?!」
ミゲルはどうやら、執務室から気になっていたようである。
「はい。冷たかったですから、風呂とは言わないかもしれません。とにかく、足腰立たないくらいの疲れでも、出たり入ったりを繰り返すと、体が軽くなるんです。土の妖精に頼んで、少し頂いてきました」
「でかした!」
ジュンの言葉に間髪入れずに、ミゲルが言った。
「成分は教えてくれなかったのか?」
パーカーの問いに、ジュンは小さく息を吐いた。
「薬は作る過程を楽しむ物です。とか言われたよ」
ミゲルは満足そうにうなずいた。
「会ってみたいのぉ。そうじゃ、それが薬師の最後のぜい沢じゃのぉ」
(成分の三分の二は分かっているんだけれどね。残りが六種だと教えるべきだろうか? ミゲル様とパーカーが楽しそうだから、秘密にしておこうかな)




