第百十二話 訓練の目的
「このままでは、あなたは命を落とします」
ジュンは黙ってゲーを見つめてから、小さく息を吐いた。
「できれば、落としたくはないのですが。拾う方法はあるのでしょうか?」
「あの方は魔法を無効化する、魔法が得意です。バーダンの魔法師たちはその魔法で苦戦しました。ですから、魔法は使えないと思って良いでしょう」
ゲーの言葉にジュンは言った。
「戦う時は、補助魔法を掛けてからですね?」
ゲーは首を振ってから、ジュンを見つめた。
「全て、解除されるでしょう。ですからこのままでは、戦士ですらないあなたの勝利は難しいのですよ」
ジュンは、落ち着いた様子で聞いた。
「訓練する時間は、どの位取れるでしょうか?」
「人の体力や筋力が、簡単にどうにかなるのなら、城で軍隊を養う必要はなくなりますよ。方法はあるのですが……。かなりの苦痛が伴いますので、人の身で耐えられるかどうかが、分からないのです」
暗い表情でゲーはうつむく。
「あるのなら、是非教えてください。耐えられなければ、この世界と共に最期を向かえなければならない。だったら、可能性が少なくても、そちらに掛けるしかありません」
ジュンの言葉に、顔を上げたゲー。
「そう、あなたはそういう方でしたね……。私にお手伝いをさせてください」
「はい。お願いいたします」
ゲーは壁まで行くと、先程とは別の場所で扉を開いた。
「では、付いてきてください」
ジュンは長いら旋状の階段を、ランプを片手に降りていくゲーの後を、黙って付いて行った。
階段を下りた先にあったのは、土ではなく金属の分厚い扉だった。
「どうぞ中へ。この中では魔法は使えません。ここでゴレームと戦っていただきます。ここにあるゴレームは致命傷を受けると、土にかえり復活します」
ジュンは少々困った顔でゲーを見た。
「戦いは永遠に続くのですか? 僕が致命傷を負って土にかえるのは、避けたいですよ。人間ですから、復活は多分できないと思います」
ゲーは小さく笑うと言った。
「この部屋は、五戦士たちの訓練用として、あの方が作ってくださったものです。永遠ではありませんよ。強さの段階ごとに、区切りがあります」
「良かった」
胸をなで下ろすジュンに、ゲーは言う。
「ここでは、傷を負えば痛いですし、死にもします。戦闘不能状態になると、隣の部屋に強制的に転移させられます。もちろん、傷もなく生きています」
(仮想空間では体は鍛えられない。対人戦の経験を積む事すら無理でしょ? 今はゲーさんを信じるしかない……)
「これを飲んでください。体の強化を早めます。訓練の部屋は扉を閉めると同時に、この世界とは別の空間になります。慣れるまで体はつらいでしょうが、頑張ってみてください」
「はい」
ジュンは受け取った物を飲み干した。
(ミゲル様のポーションより、はるかに良い。おいしくはないけれどね)
「これ以外に方法はないのですが、肉体や精神に負担が掛かり過ぎると思ったら、いつでも言ってください。私はこの部屋におります」
心配そうに見るゲーに、ジュンは口角を上げて見せた。
ジュンが隣の部屋に入ると、ゲーが言った。
「戦闘を開始する時だけ、このボタンを押してください。ゴレームが起き上がります。緑のゴレームを倒すと、この扉が開きます」
「緑のゴレームは、何体目に出るのでしょう?」
「訓練する方によって違うのです。私たちは体力が限界にきた時に現れるので、殺し屋と呼んでいましたけどね」
笑顔で話すゲーに、ジュンも笑みを浮かべた。
「怖そうな名前のゴレームですね」
「私たちは人型のゴレームと戦った事はないのですよ。昔の私たちの敵は魔物でしたからね。決まって緑色のは大きかったのです。人型のゴレームですから、強いかもしれませんね」
ジュンはゴレームの方を見て言った。
「頑張ってみますよ」
ゲーが扉を閉めてしばらくすると、ジュンは幾度も深呼吸を繰り返した。
(息が苦しくて、体が徐々に重くなっていくみたい。でも、この少し冷たい空気に混ざっている、かすかな匂いには記憶がある……。天界でラミロの訓練を受けた時と似ている。ノーア神が作ったのは、仮想空間じゃなく、似非天界なの? だとしたら、鍛える事ができる!)
ジュンはボタンを押して、剣をかまえた。
ゴレームは立ち上がり、剣をかまえると、ゆっくりと距離を詰めだした。
「いやいや、ゴレームが剣の間合いを取るとか、あり得ないでしょ?」
真っ平らで顔がないので、表情が読めない分、ゴレームは不気味な相手ではある。
先に動いたのはゴレームだった。
剣と剣が激しくぶつかる音。
剣をこする鈍い音をたてたが、ジュンが押し放し、体勢が崩れたゴレームを斬り倒した。
ゴレームは土になり、床に吸い込まれるや否や、次のゴレームが現れた。
剣を合わせてジュンは目を見開く。
「強くなってる!」
どうやら、倒すたびにゴレームは強くなる仕組みのようで、五体ほど倒した辺りから、ジュンの表情は険しくなっていった。
そして、八体目を倒した時にはゼエゼエと肩で息をするようになった。
九体目は緑のゴレーム。
緑色の土ではない。それにはコケのようなものが生えていたのである。
緑色のそれは、見た目ほど穏やかなゴレームではないようで、ジュンは傷を負いながら、辛うじてそのゴレームを土にかえした。
ジュンは重い足取りで、開いた扉に向かった。
「お疲れさまでした。あの部屋でいきなり動けるとは、思いませんでしたよ」
「斬られると結構、痛かったですよ。あれ?」
ジュンの血が流れ落ちていた傷は、どこにもなかった。
ゲーが穏やかな笑みを浮かべて、うなずいた。
ゲーは隣の部屋にあるつい立ての後ろに、ジュンを連れて行く。
「このお風呂に入ってください。私が迎えにくるまで、出てはいけませんよ」
ゲーが去った後で、ジュンは眉間にしわを寄せて言った。
「これってきっと何か意味があるんだよね。洗い泥の風呂?」
ゲーに言われなければ、土の穴にあるドロドロの黒い液体に、入ろうとは誰も思わない。ましてや、嗅いだことのない臭いまでしているのである。
ジュンは倉庫から湯衣をだすと、着替えて泥に体を沈めた。
土の穴自体の陶器のような肌触りを確かめて、ジュンは体を預けた。
「冷たい。洗い泥より荒くて臭いけれど、思っていたより気持ちが良いかも」
高ぶった気持ちも体も落ち着いた頃、ゲーが顔を出した。
「上がってください。そこに奇麗な水がありますので、体を洗ってくださいね」
ジュンは体の泥を洗い落とすと、服を時の魔法で洗ってから身につけて、つい立ての向こうにいるゲーの元に向かった。
「体がうそのように軽くなっていますけど、あの泥のお風呂は何ですか?」
「あれは泥ではありませんよ。薬です。あのままでは次の戦いはできませんからね。ああ、これを飲んでください」
ジュンは渡された物を飲み干した。
「最初に飲んだ物と違いますね。少し甘いせいか飲みやすいです」
ジュンの言葉にゲーはうなずく。
「材料が少し違うのです。あれより強い物ですよ。嬉しい誤算でした。あなたは私の想像以上に剣が使えたので、薬を変えました」
ジュンは照れたように笑うと、ゲーに尋ねた。
「そう言えば、次のゴレームは緑色のゴレームより強いのでしょうか?」
「同じくらいの強さですね。負けていたら少し前に戻って、弱いのからですが」
「負けるのは嫌ですが、勝っても単純に喜べないですよね」
肩を落とすジュンにゲーは楽しそうに笑った。
幾度も傷付き、戦闘不能になりながら、ジュンはその訓練をひたすら続けた。
そしてようやく、ジュンは訓練の終了を告げられた。
「後は、自分で訓練を続けて、筋肉を落とさない事と勘を鈍らせないようにしてください。あなたは一人で戦う事になるでしょうからね」
「はい……」
ジュンは寂しげに返事をした。
「魔法は使えませんが、武器に住んでいる物は使えます。あなたは、スプリガンから雷を譲られていたのですね」
ゲーの言葉にジュンはうなずいた。
「はい。スプリガンに武器の材料をもらいました」
ゲーは少し視線を落として言った。
「そうでしたか。スプリガンは早くから、覚悟を決めていたのですね」
「知り合いの竜に言われました。その時は迷うなと」
ジュンのつらそうな言葉にゲーは言う。
「その通りですよ。あなたは、私たち五戦士を倒す事になりますからね」
ジュンはとうとううつむいてしまった。
「そ、それは……」
ゲーはまるで幼子を諭すように言った。
「私たちは、あの方を守るために命を落として霊となったのです。あの方を倒しにきたあなたを悪霊となって阻止するでしょう。その時は迷ってはなりませんよ」
その言葉にジュンは、弾かれたように顔を上げた。
「悪霊?!」
「そうです。あの方の影響を受けますからね。私たちは自我を保てないでしょう」
優しく伝えるゲーに、ジュンは泣きそうな顔で声をだす。
「どうしても、五戦士の皆さんとの戦いは、避けられないのでしょうか?」
ゲーはジュンを優しく見つめる。
「そのような顔をしないでください。私たちを助けると思って、解放してください」
「……はい」
ジュンは奥歯をかみ締めて、涙をなんとか堪えた。




