第百九話 井戸の魔法師
「ワト、切りがない!」
ジュンは、剣で魔物に止めを刺してワトを見る。
「よしっ!」
ワトも魔物を仕留めて、ジュンを見た。
「この辺りは、未知領域の境目が適当っすからね」
ジュンとワトは、ヘルネー国に来ていた。
セレーナに教えてもらった、井戸の大魔法師が消えた未知領域に入ったのだが、魔物が多くてなかなか思うように進めないでいる。
シルキーの言っていたように、世界樹の腕輪に気持ちを集中させると、キーンという音がする。その音が強くなる方向に歩いていたのだが、どうやら最良の策とは言えないようである。
「ワト、テントに入ろう」
「了解っす」
ジュンの左目には魔物の反応が多すぎて、戦闘を回避して進むのは、どうやら不可能のようである。
テントに入って二人はようやく肩の力を抜いた。
二人は手を洗って、早めの昼食にするようだ。
ミネストローネスープとホットドッグは、朝から用意してあった物だったようで、二人はすぐに食べ始めた。
「ヘルネーの森は深いっすから、途中からほぼ未知領域だったっすね」
「そうだよね。未知領域の入り口であんなに湧かれたら、動けないよ」
ワトは二本目のホットドッグにトマトとオニオンのソースをかけながら言った。
「ワトが嫌でなければ、少し上を歩こうか。木々に潜む魔物なら、なんとか避けて通れると思う。それより上だと、空の魔物の標的になるでしょ」
「それがいいっすね。取りあえず、群れに囲まれては動けないっす。闇雲に走ると引っ掛けるっすから。それにしても、老婆がここを歩いたっすかねぇ?」
「ソロでは無理だと思うよ。転移したんだろうね。だから見失ったんだよ」
ジュンはホットドッグにチーズをのせ、小さな火魔法で焼き目をつけて、ワトに渡した。
ワトはそのホットドッグをおいしそうに食べ終わると言った。
「うまかったっす。そうだ、魔物の量が多すぎるっすから、拠点にそのまま送りませんか? 解体は皆もできるっすよ。自分たちの食料っすから」
「そうだね。それ以外にそれぞれ使いたい部位もあるだろうしね」
ジュンとワトは食後に、たくさんの魔物を拠点に送り、ゆっくりと休んだ。
休憩を終える頃には気持ちも落ち着いたようで、結果的には良いタイミングで休息を取ったと言えるだろう。
腕輪の音を聴きながら、空中に道を作るジュンと、辺りを警戒しながら歩くワトの息は合う。
「主。前にある黒い木の実を取りたいっす」
「これ? 良いけどおいしいの?」
「パングの実っす。皮が固くて魔物は食わないっすけど、中は保証するっす。ナイフも使えないので、ナタで上を割るっすよ」
その実はソフトボールより少し大きな形で、緑色から黒色に変わる頃が食べ頃なのだとワトが言った。
ヘルネーの森の奥でまれに見つかるようで、高価で売買されるらしい。
ジュンは風魔法で上部を飛ばしてから、中を見てワトに尋ねた。
「これ食べられるの?」
中にはドロドロとした重湯状の液体があり、左右に揺らすとプルプルと動くのである。
ワトは小さく笑うと言った。
「開けたっすか? スプーンで食うっすよ」
ジュンはスプーンですくって、その匂いを嗅いで口に入れた。
「あっ。おいしい!」
(鼻孔に広がる白桃のような香りと、濃厚なフルーツの甘みなのにすっきりとした後味。これはまるで柔らかいゼリーだよ。冷やしたらおいしいだろうなぁ)
ジュンはもう一つを切り、スプーンを入れてワトに手渡した。
「交代しよう。ゆっくり食べて」
ジュンは道を広げながら、ワトが行けなかった、木の裏の実まで収穫した。
「この実を見つけたら寄り道しようね、ワト」
「そうっすね。見つからないから、希少なんすけどね」
ワトはそう言うと優しい笑顔を浮かべた。
魔物のいる木を避けて、二人は時折飛んで来る魔物と戦いながら、順調に歩みを進めていたが、ジュンがそこで立ち止まった。
「どうしたっすか?」
「ここの音が一番強いんだけど、この先はどこにも行けない」
「下っすかねぇ。ここから地面の高さが変わるっすけど」
ジュンは足場を下げていき、止めてから言った。
「洞窟だね」
「どこにっすか?」
辺りを見回して、ワトが首をかしげる。
「え? ここにあるでしょ?」
「ないっすよ?」
ワトはジュンが指を指す場所に触れたが、その土の壁に違和感などは感じられないようで、困惑を隠しきれない顔で前を見ていた。
ジュンはしばらく考えていたが、思い出したようにワトの肩に手を置いた。
「見えた?」
「見えたっす。テントと同じく認証っすか?」
ジュンは再び考え込んでから、言った。
「多分、世界樹の腕輪のお陰だと思うよ。外せないから確かめようがないけど」
「外せないっすか?」
「うん。風呂に入る時に外そうと、何度か試みたけど無理だった」
二人はその洞窟に足を踏み入れた。
土で囲まれたその場所は入り口も窓もないのに、昼間のように明るい。
「ダンジョンすかね」
「人が入る事ができない仕掛けがあるのにかい? そう言えば、水竜の所もこんな感じで明るかったよ」
二人が歩く場所が次第に急勾配になり、壁も地面も土から石に変化していった。
「滑るっすね」
「下り坂だから、気を付けないとね」
ようやくトンネル状の坂道が終わった所で、二人は目を細めた。
「まぶしいっす」
「金ぴかの床だね。これも地底湖なの? 水竜と水の妖精は同じ浄化をするんだろうか?」
「オレ、こんなに光らない浄化なら知ってるっすよ」
「あるの?」
ワトはうなずいた。
「下水処理場で使っている闇魔法っすよ。浄化のムシと言われているっす」
「光魔法ではないんだね。へぇ、本で読んだだけで使った事がない」
「光魔法の浄化は光で消すっす。闇の浄化はムシが食うっすよ。使い途が違うっす。こんなに派手じゃないっすから、ムシの種類が違うのかも知れないっす」
そう言いながら、ワトはジュンを見てため息をついた。
ジュンが指差す足元が、キラキラと光りだしたのである。
「ワト、色の違いはきっと、魔力の違いだよ。これは本に載っていなかった」
「実験できる者がいないっすからね……」
ジュンは光る水面に視線を移した。
「この先は舟だね。先が見えないから、不安はあるけれど」
「行くしかないっすよ。魔物もここまでいないっすから、この湖も大丈夫かも知れないっす」
その時、光る水面が静かに波を立て、二人の足元に打ち寄せた。
「主! 何かが来るっす!」
「うん」
ジュンとワトは剣を抜き、身構えた。
『あれぇ。ジュン?』
「え? 水竜?」
「水竜っすか?!」
「ほら、前に僕をさらった子だよ」
水の中から姿を現して、水竜は言った。
『爺ちゃんの浄化に、違う浄化が混ざったって言うから、見に来たのよ』
「犯人は僕だよ、ごめんね。紹介するね。僕の仲間のワイアット。ワト、彼女はシロのいとこだよ」
竜は雌雄の区別が分かりにくいので、ジュンはあえて彼女とワトに紹介をしたようである。
「初めまして、ワイアットっす。オレは魔力が低いので、会話はできないっすが、よろしくっす」
「僕が彼に伝えるから、話をしても大丈夫だよ」
『そうなの? それより、なぜこんな所にいるの?』
「うん。水の妖精を探していたら、ここに着いたんだ、これから舟でこの先に行こうかと思っていたんだよ」
『海よ』
「え?」
『だから海よ。私は海から来たんだもの。舟で行ったら行き止まりよ? ジュンたちは潜れるの?』
ジュンの通訳を聴いて、ワトは慌てて言った。
「いやいやいや。人では無理っすよ」
「でも腕輪は、まっすぐ行きたいみたいなんだ」
ワトは水竜を見て尋ねた。
「この先は海だけっすか? 島とかはないっすか?」
『あるわよ』
「ひょっとして、人には見えない島?」
アネモスの庭を思い出したのか、ジュンは水竜に言った。
『どうかしら? 私は人ではないから分からないわ』
ワトは小さく息を吐いた。
「一度戻って、上から外海に行くしかないっすよ。未知領域横断っすね」
二人の様子を見ていた水竜が言う。
『行きたいのなら、この前のおわびに連れて行ってあげるわよ』
「本当?! あ、でも二人は無理だろう?」
『少し狭くても良いのなら、私には問題はないわよ』
ジュンは嬉しそうに、ワトに話を伝える。
「ワト、連れて行ってもらおう」
「ありがたいっす。水竜さん、よろしくお願いするっす」
ワトは水竜に笑顔を向けた。
水竜は二人を透明な膜で覆うと、水の中に引き入れた。
「うわぁ。これが陸球っすね。映像を見た時、羨ましいと思っていたっす。夢のようっすね。きれいっす」
子供のようにはしゃぐワトに、ジュンは小さく笑う。
「ワトは余裕だね。僕は初めての時は怖かったよ」
『悪かったと思っているわよ』
水竜の言葉を、ワトに言ってジュンは笑った。
「水竜さん。今度シロと拠点に遊びに来てほしいっす。皆喜ぶっすよ」
ワトの言葉に水竜が、嬉しそうに声を弾ませた。
『ジュン。本当に行ってもいいの?』
「もちろん良いよ。ただし、あの入り江だけだよ。人間を信用するのは、危険だからね」
『シロみたいに仲良くなったら、名前を付けてもらえる? 嬉しそうに自慢されたのよ。羨ましかったのよ』
「皆で考えるよ。楽しみにしていてね」
『ええ。嬉しいわ』
水の中にすっかり魅せられていたワトが、声をあげた。
「おぉお! 水面だ! きれいっすね。え? あれ朝日っすよ」
「洞窟の中がずっと明るかったからね。そう言えば、昼から随分とたっているね」
『もう着くわよ』
水竜の言葉に、ジュンは進行方向に目をやる。
「え? ワト、着くらしいよ」
「島っすか?」
水竜には見えているのだろう、不思議そうに尋ねる。
『見えないの?』
「うん」
ジュンはそう答えると、足元を見て驚いたように言った。
「あ、地面だ。ここだよワト、腕輪の音が変わった。水竜、ありがとう」
「ありがとうっす。助かったっす」
『いいのよ。じゃあまたね』
水竜は水面を縫うように泳ぎ、消えて行った。
「ワト、一度テントに入って休もう」
「そうっすね」
はやる気持ちを抑えて、ジュンはテントを取り出した。
ジュンは空腹や睡眠不足でも、高魔力者なので体調に影響はない。しかし、ワトには大きな負担になる。
二人はゆっくりと、休養を取る事にしたようである。




