第百七話 雨を待って
グリフォンが山頂を吹き飛ばした場所で、竜王が石を地面に置いてたたいた。
高魔力の会話はテントの中と外ではできないが、たたく音は聞こえる。
「主……。でるっすか? グリフォンはいないっすよね?」
「竜王がいるんだから、大丈夫だと思う。とりあえず連れてきてもらった、お礼を言いたいから僕はでるよ。ワトはテントにいる?」
「行くっすよ。主を一人にはできないっす」
二人はテントの外にでた。
『ジュン、紹介する。儂の友人だ』
竜王の友人で、シロが苦手としている相手は、グリフォンだったようだ。
人間にとっては広い場所も、竜とグリフォンが共にいるといささか狭い。
ジュンは二頭を見上げて、挨拶をしなければならなかった。
「初めまして、ジュンと申します。隣にいるのはワイアットと申します。彼は会話ができませんが、よろしくお願いいたします」
「ワイアットです。お目に掛かれて光栄です」
グリフォンは前足までが銀色のワシで後ろは金色の獅子である。
顔がワシのせいなのか、機嫌が悪いのか見分けるのは難しいが眼光は鋭い。
ジュンとワトの、挨拶をしている姿を見下ろす鋭い視線に、二人は少々居心地が悪いようである。
二人を見据えたまま、グリフォンは告げる。
『妖精が住む森を探しておると聞いた。あの森はいつ現れるか分からん。この場所で待つと良いだろう』
「そのために場所を作ってくださったのですね? ありがとうございます」
ジュンはグリフォンに笑顔を向けた。
『竜王が人とかかわるのは不快だ。だが、あれがなついていると聞いたからな』
グリフォンの言葉に、竜王は少し首をかしげた。
『こいつは見ての通り、乱暴で強引だが、頼れるやつだ。ここは上位の魔物が多いからな。紹介しておこうと思ったのだ』
グリフォンは気まずそうに、横を向いて言った。
『人間が手をださなければ、あいつらは人間などを相手にする理由がない。うまい訳でもないからな。ここは俺の守りがある。安心して寝て良い』
ジュンはグリフォンを見て小さく笑って礼を言った。
「立派な結界まで張っていただき、ありがとうございます」
『礼を言われるほどの事はしておらん』
グリフォンはそう言うと、空に向かって飛んで行った。
『照れたな……。あれの守りを突破できる者は、そうはいない。風の妖精の霊はここにいるようだから、儂は戻るとしよう』
ジュンとワトは竜王に礼を告げると、竜王は帰って行った。
「すごい結界だよ。雨にも風にもあたらないね」
結界が見えているジュンは辺りを見回し、ただ感心しているが、ワトは疲れた顔のままため息をついた。
「もう、声もでないっす。山の断面に立っているとかありえないっす」
「だよね。でもお陰で風の谷がよく見えるよ」
ジュンたちが立っている場所は、グリフォンが作ったばかりで、草の一本も生えてはいない。
ジュンは先程から、その場所の端を歩いていた。空から来たので、辺りの状況が全く分かっていないからである。
幾重にも重なる山しか見えないその場所から見える、唯一の空間の下にあるのが、風の谷のようである。その先にも山々は連なっていた。
川はないと聞いていたが、地下水は豊富なのだろう、一面が緑だった。
いつの間にか横に立っていたワトが言った。
「主。ここに森が見えたとしても、区別がつくっすかね?」
「うん、無理。緑色ではない森だと分かるけれどね」
ジュンの左目は結界を見る事ができる。だが、妖精の結界は防御壁の形式ではなく、相手が入る事を拒まないので、見る事ができない。
「シルキーに聞いておいてよかったね。一部にしか降らない雨の場所に行くしかないよね」
「グリフォンに感謝っすね。見た事もない魔物が飛んでいるっすよ」
「あれ、おいしいかなぁ?」
「食い物あるっす! オレが作るっす! あ、あれはやばいっすから!」
テントの中でワトは料理を始めた。
一つのフライパンで、次々に焼かれる食材を見て、ジュンはとうとう吹き出した。
「ワト、食べきれないよ」
「余ったらスープに入れて煮込むっすよ。ゆでた芋も焼いたっす。今日はこれにしたっすよ」
鍋にガーリックを塗って、酒を入れて沸騰させてから、デンプン粉をまぶしたチーズを入れる。ミルクで濃度を調節してから、二人はテーブルに着いた。
「ワト、おいしい。焼くのもいいね。パンなんかは焼くべきだよね」
「オレは黒コショウで食うのが好きっすね」
チーズフォンデュは、チーズで味が大きく変わる。ワトは癖の少ない軽めのチーズが好みのようである。
「最後に米を入れるっすね」
「僕のためにフォンデュにしてくれたんだね」
「オレじゃないっすよ。ルークが主はきっと好きだからって、教えてくれたっす」
「うん。リゾットは好物だよ」
食後にお茶を飲みながら、赤く染まる空を見ていたジュンが言った。
「今日は驚く事がたくさんあったけど、おいしい食事を楽しんだら、気持ちが落ち着いた気がするよ」
「イライラしている奴の話を聞く時には、まずは飯を食わせろってパーカーがよく言うっすよ。なんでも脳に行っている血を胃に分けるって事らしいっす」
「なるほどね。おいしい物は人を笑顔にするからね」
その日から、二人は雨を待っていた。
ジュンはソースや燻製など、時間が必要な物を作り、ワトは結界の外に仕掛けた罠に、獲物が掛かるのを楽しみにしていた。
「おぉ! 雨っす!」
「……。うん、雨だね」
「谷全体が土砂降りっす。しばらく水まきはいらないっすね」
「何か方法はないのだろうか」
雨は次の日もやむ気配がなかった。
二人は結界の中から、ただ谷を見つめている。
「どこかに様子が違う場所が、あるかと思ったんだけど」
「ないっすね」
『ふん。あんなにはっきりと見えておるだろうに』
どこから現れたのか、背後からグリフォンに声を掛けられた。
「え?! グリフォンさん。見えるのですか? どのあたりです?」
風の谷を必死に見つめる二人に、グリフォンが首を振った。
『見えんのなら入れないぞ? 入り口は一カ所だからな。その石に入れ』
「え?」
『俺は人を乗せないが、運んでやる』
「ありがとうございます」
『あれが喜ぶ姿を見たいだけだ』
二人は急いでテントに駆け込んだ。
テントの窓から、近付く木々が見え、やがてテントは地面に置かれた。
二人が表に出ると、グリフォンが顔を横に向けた。
『ここが入り口だ。あれは気難しいから、気を付けろ。機嫌を損ねたら、追い出されて二度とは入れぬぞ』
グリフォンの言葉に、二人は真剣な顔でうなずいた。
「何から何までお世話になりました。ありがとうございます」
『気にするな。さぁ、行け』
木々の間のその場所は、雨が降ってはいなかった。
振り返るとグリフォンは、背を向けて飛び立って行った。
「いい人っすね。あぁ、グリフォンすけど」
「うん。竜王とグリフォンは体も大きいけど、心も広い感じがするよね。シロに関しては怪しいけれどね」
「シロはかわいいっすからね。ところで主。庭って事は家があるっすかね?」
「え? ないだろう? あるのかなぁ?」
「どこを目指して歩くっすか?」
「とりあえず、少し歩いてみようよ。入り口まで迎えにきてくれるとは思えない」
庭であると言ったのはシルキーだったが、そこは確かに森のように草木が薄暗くなるほど茂ってはいなかった。加えて朽ちた植物独特の匂いもしなかった。
「風もないのにこの森は、呼吸が楽にできるね」
「鳥の鳴き声や生き物の気配がするっす。魔物がいるかもしれないっすよ」
「そうだね。気を付けよう」
どれ程歩いただろうか、森の中に巨大な木が一本立っていた。
その木を中心にほぼ円形に木々はなく、ジュンたちの膝下ほどの高さの柔らかな草が茂っていた。
「立派な木っすね」
「うん。この辺りで休憩しよう」
二人は地面に腰を下ろして、この時のために作っておいた、ホットサンドと果実水を口に運んだ。
そこに一羽の緑色の鳥が飛んできて近くの木の枝に止まった。
スズメを一回り大きくしたようなその鳥は、ジュンを見ては首をかしげる。
ジュンは倉庫から、全粒粉のパンを取り出して、鳥に言った。
「食べるかい?」
「飯の時は殺気が消えるっすから、やってきたっすね」
「パンより、野菜の方が良いかな?」
「野生の鳥は餌付けに時間がかかるっすよ」
ワトはそう言ってからジュンを見て苦く笑った。
「普通は……を付けるっす」
鳥はジュンの肩に止まると、ジュンが差し出すパンをついばんだ。
そのうちに次々と鳥が集まりだして、ジュンの周りはにぎやかになった。
ジュンはパンをちぎっては、全部に行き渡るように投げていた。
「あの鳥はなぜこないんだろう?」
「仲間外れにしては、攻撃されていないっすね」
「ワト、パンが欲しくてきているのなら、かわいそうだからパンを投げてよ。僕は動けないから」
「良いっすよ」
その鳥のそばにパンは飛んでいったが、少し距離が足りなかったようである。
するとその鳥は片足でピョコピョコと跳びながらパンのところまで行って、パンをついばんだが、すぐに地面に腹を着いてうずくまった。
「けがをしているっすね」
「痛いのかなぁ……」
「食べなければ、あの小さい体では持たないっすから、けがをして日が浅いのかもしれないっすね。主、ケルベロスの時みたいに、眠らせるのはどうっすか?」
ジュンは闇魔法をその鳥に投げた。
その動きと魔力に、群がっていた鳥たちは一斉に飛び立った。
ジュンは鳥のそばで、今度は光の魔法を使う。
「足の骨が折れているんだ」
「治るっすか?」
ジュンは折れてずれている細い骨を、定位置にずらして骨の成長を促した。
細い骨が奇麗になった所で、眠りを解除した。
目を覚ました鳥は、人間の顔が近くにあって驚いたのか、飛び立った。
「私の庭で魔力を使うお前は何者だ!」
淡い緑の髪と深い緑の瞳をした、美しい少年だったが、言葉は何とも偉そうである。
「初めまして。ジュンと申します。あなたにお会いしたくて伺ったのですが、鳥がけがをしておりましたので、魔法で治療をいたしました。こちらで魔力を使ってはいけないと知らずに失礼いたしました」
「ワイアットと申します。主に悪気はありませんでした。お許しください」
彼が手を伸ばすと、たくさんの鳥が入れ代わり立ち代わり、その腕に止まる。
鳥を見る優しい目は、ジュンたちに見せたそれとは、全く別の物だった。
ジュンの肩には、先程治療した鳥が止まり、頬に頭をすり寄せる。
「私はアネモス。なるほど、お前がジュンか。彼らに事情を聞いた。喜んでいるぞ。だが、この庭で魔力の使用は禁止する」
アネモスの表情が、先程より柔らかくなっていた。
「それで、この庭には魔物はいないのですね?」
アネモスはジュンの言葉に小さく笑うと言った。
「人は魔物を庭で飼う訳ではあるまい」
「そうですね。これほど大きな庭ですと管理は難しいですから、飼う気がなくても、魔物が居着く事はありそうです。人間は非力ですから、結界を張れる者も少ないのです」
ジュンの言葉を聞いて、アネモスは愉快そうに笑った。
何を笑われているのか、全く分からないジュンは、ただ、アネモスを見ているしかなかった。




