第百五話 お気楽思考
「おはよう、ワト」
「おはよ……あれ?」
目覚めたばかりのワトは、首をかしげて、それから慌てて辺りを見回した。
「ブレイスは?」
「僕が目を覚ました時には、既にいなかったよ」
ジュンの言葉に、ワトは少しがっかりしたのか肩を落とした。
「そうすっか……。また会えると良いっすね」
「そうだね」
(‘すまないジュン。お前は死ぬなよ’そう言ってブレイスは立ち去ったんだ。僕は眠っている振りをするしかなかったよ。謝られたらさ……)
「随分と飲んだと思うっす。二日酔いは覚悟してたっす」
「二日も酒をため込む気だったの? ケチだね。アルコールは抜いておいたよ」
「すまないっす」
「さて、拠点に帰って、ルークの朝ご飯を食べようか」
「いいっすね」
二人は拠点の転移陣に転移した。
「おかえりなさいませ。ジュン様。ワト、お疲れさまでしたね」
「ただいま、コラード。着替えて、朝食にするよ。マードレ村周辺の調査はいつ頃上がってくるかなぁ?」
「既に資料はそろっております」
ジュンは満足そうにうなずいた。
「ジェンナ様とミゲル様、マシューとコラード、シルキーとワト。このメンバーで会議がしたいんだ、急いでいる。調整をお願いしても良い?」
「はい。承りました」
ジュンは入浴後、カバンに届いていたクレアからの手紙を読んで、いつものように返事を書いた。
「婚約者……。全く、どうしてくれるのさ。クレアの耳には入れられないよ」
ブツブツと文句を言いながら、ジュンは居間に向かった。
食卓テーブルでは、ワトが食事をしながら、エミリーの話を聞いていた。
人族のリーダーであるワトの代行として、彼女も頑張っているのだろう。
ジュンは邪魔をしないように、もう一つのテーブルで温野菜のサラダと、キノコとチーズのオムレツを食べた。
「主。時間があったら調理場にきていただけませんか?」
ルークに声を掛けられて、ジュンは調理場に顔を出した。
「ルーク、どうしたの?」
「見てください。これ」
広口の一抱えほどありそうなカメから懐かしい匂いがした。
「ぬか味噌?!」
「はい。本邸のモナさんから、送られてきました。ぬか床の手入れの仕方から、丁寧に説明書きが付いていましたので、ぼくが手入れをしました。皆もドレッシングがいらないサラダだと喜んでいます」
「毎日は大変だろう?」
ぬか床の手入れはサボる事ができない。長期間留守をする時は、休ませるのが原則なのである。
「いいえ。説明書きを読んだのですが、これって生き物ですよね。ぬかの良い香りは機嫌の良い証拠です。第一、主には無理です。これは倉庫にもマジックバックにも入れられないですよ。時間を戻す事もできません。生き物ですから、ぼくが面倒をみますよ。良いですよね? 主は毎日、拠点にはいられないでしょ?」
喜々として語るルークの目に、ジュンは白旗を上げた。
「分かったよルーク。よろしく頼むよ。でも、朝食のカウンターで、ぬか漬けは見なかったけど?」
「皆、朝は酢漬けより、こっちの方が良いらしくて、一番に売り切れるんです」
「パンと食べるの?」
「不思議ですか? 麺とも食べますし、以外にも米とも合いますよ。一度食べてみてください!」
「う、うん。きっと合うだろうね」
ジュンは少し引きながら、小さく笑った。
ジェンナが呼び出しを待っていたようで、会議はすぐに始まった。
「妖精の霊に会いに行くのに、なぜ他国の暗部の問題に首を突っ込むのかねぇ。体質なのかい?」
ジェンナがため息をついた横で、ミゲルが面白そうに笑った。
シルキーはブレイスの姿に涙を流していたが、ジェンナの言葉に笑みを浮かべた。
「ジュンが悪い訳ではないのぉ。その辺に問題を投げ捨てて置く方が、悪いのじゃ。たくさんの問題を抱えて戻ったのぉ。ジュンの事じゃから、気楽に考えておるのじゃろうのぉ」
「さて、ジュンのお気楽な考えを先に聞こうか?」
ジェンナは口角を上げた後で眉を上げ、ジュンに発言を促した。
「マシュー、ミシェルさんの記憶は戻っているよね? いつから?」
突然の言葉に、ワトが言った。
「何を言っているっすか? 記憶が戻ってないと今、皆で聞いたじゃないっすか」
「お爺さんもお兄さんもいる自分の故郷に、何十年も帰らないかい? 王都でおそらく会っているんだろうけど、アンジェラさんもマシューも会ってはいない。違うかい?」
表情を変えないコラードの横で、マシューは観念したように言った。
「記憶がなかったのは、二、三日だったようです。愛されて、大切にされていながら、それが殺意に変わる日におびえていたと話してくれた。母さん、アンジェラが自分たち二人をまとめて愛してくれた……」
マシューはつらそうにうつむいた。
「そう。ご両親のところだけ、一応抜いておいたよ。見る事ができるのは三回だけ、後はスライムが溶けてしまうからね。見せるか見せないかは、任せるよ」
ジュンはマシューに手のひらサイズのスライムを渡した。
「ありがとうございます」
(両親の思い出が残酷過ぎるから、どうかと思ったんだけどね。ご両親は愛していると伝えたかったと思うんだ。僕は両親に手紙を書く時間があったけど、二人にはなかったろうからね。四十年もたっている今なら、見る事ができるかもしれない)
「アルトロアの王に話すのは、特務隊に所属している僕では駄目だと思うんです。ジェンナ様やミゲル様はアブラーモ王とは、個人的にお付き合いもありますよね? お願いできないでしょうか? 僕は未成年で肩書きもありませんので」
「気が乗らないねぇ。影の事には王たちは口にしないからねぇ」
ジェンナは嫌そうな顔をして、ジュンを見る。
「洞窟は、じきに溶岩で埋まってしまいます。資料を見てください。土葬が禁止されていますので、領主の町まで行っているようですが、未知領域が近いあのあたりの村は、独自に火葬した事になっています」
「自分が下から受けた報告では、ほとんどの村が、いまだに土葬か風葬ですぜ」
資料を作成したマシューが付け足した。
「火葬場を設けて、管理をマードレ村に任せてはどうでしょう。あの村は若者が多いと言う理由で良いかもしれません。影としての任務に支障はきたさないでしょうからね。僕はそんな任務があって良いとは思いませんけどね。形式上、王も影も気が済むでしょう?」
ジュンの言葉にミゲルが眉間にシワを寄せた。
「土葬の禁止は王会議の決定事項じゃ。病のまん延を防止する目的と、アンデットを出さないためなのじゃ。それを知らなかったでは、済まされんのぉ」
ミゲルは大杖を出してニヤリと笑った。
「その、ごつい杖はなんだろうねぇ?」
ジェンナの言葉にミゲルは言った。
「新しい杖の強度を試してみるかのぉ。あやつに頭で」
ジュンは楽しそうにミゲルを見た。
「僕の分も殴ってきてくださいね。あの村長は、死者を遺棄しておいてゴミ捨て場と言ったんですよ。自分や村人の祖先もいるのに。息子夫婦はゴミですか?」
「ジュン。怒っているのは分かる。だが、ミゲル様を私がとめるのかい?」
ジェンナの情けない顔を見て、ジュンは意地の悪い笑いを浮かべた。
「止める必要はないですよ。だいたい影を使って情報収集をするのは分かりますが、公にできない遺体って何ですか? そんな国の特務隊への依頼は差し戻しますよ。自分たちで対処できると言う事ですからね」
「儂よりジュンの方がきついのぉ」
ミゲルはジュンと目を合わせてジェンナを見た。
「王族会議でそれを言ったら、平気な顔ができる王はいないだろうよ。あぁ、分かった、分かった。私が一人でアブラーモに会おう。二人を連れて行ったら、まとまる話もまとまらないからねぇ」
ジェンナのうなだれた姿を、皆は気の毒そうに見ていたが、なぜかミゲルとジュンは楽しそうに笑った。
その後、打ち合わせや日程の調整のため、ミゲルとジェンナは本邸に向かった。
マシューはコラードに追われるように、アルトロアの実家に帰った。コラードにとって、ミシェル夫婦は蜘蛛と言うより、いまだに幼馴染みの両親なのだろう。
三人が去った執務室では、ジュンとシルキーとワトが、コラードのいれたお茶を楽しんでいる。
「ジュン様、トレバーとパーカーがそれぞれ同じ情報を持って参りました。テンダル国にある風の谷には魔物が住まない森があるそうです。人も入る事ができないのは、妖精が住んでいるからなのだとか……。魔物がいないのは誰が確かめたのかは不明でございます。二人は谷を見に行ったのですが、森自体がなかったようでございます」
コラードの話を聞いていたシルキーが小さく笑った。
「ジュン様、スプリガンの結界を覚えているかしら? 風の戦士アネモスはその谷にいるわ。そこは森ではないわ。アネモスの庭なのよ」
ジュンは表情を明るくした。
「なるほどね。入り口以外からは入れない。入った人はいたんだね、きっと。シルキーはその庭を探せる?」
シルキーは頭を左右に振って言った。
「結界の場所が分かれば入る事はできるわ。分からないなら無理だわ」
「見えないなら、探せないっすね」
ワトは残念そうに肩を落とす。
「風の妖精は風を操り、雲を作るわ。今が夏で良かったわね。きっと夕方には庭に水をまくわ」
ワトは首をかしげてシルキーを見た。
「それって、夕立と区別が付くっすか?」
小さなシルキーが腕を組んで、胸を張ってワトに告げた。
「付く訳がないわ。付いたら見つかっちゃうじゃない」
ワトはうなだれた。
「そうっすよね……」
ジュンとコラードは、二人の会話を聞きながら、目だけで笑い合った。
「ワト、アルトロアの結果がどうなるかは分からないけど、火葬場が決まったら、風の谷に向かおうと思っているんだ」
ジュンの言葉に、ワトはうなずく。
「了解っす」
アルトロアのアブラーモ王とジェンナの話し合いは五日後に決まり、アルトロア国ではそれから三日後に決議された。
アブラーモ王と話し合っていたジェンナより、ミゲルの方が忙しかった。それはアルトロアの貴族たちの元へ、ミゲルが根回しと言う名の脅しに奔走していたからである。
マードレ村のそばに火葬場を建て、村が管理する事になった。
今回の件で、土葬や風葬の習慣が残っている事が判明したアルトロアでは、火葬場の工事が至るところで始まる事になったようだ。




