第百三話 死者の洞窟
未知領域にある死者の洞窟。
そこに行くには、千年ツルがある枝が目印になるとの情報を得た。
しかし、そこはアルトロア国の影が、隠匿している場所であるようだ。
尾行を付けられた次の日。
人が全く通らない田舎の道を、よそ者が歩くのは目立ち過ぎる。
二人はテントから出ずに、のんびりと時間を過ごす事にしたようである。
「未知領域で、おおよその場所も分からないっす、千年ツルを探すのは難しいっすね。彼らは間違いなく罠を仕掛けているっす。未知領域は魔物も強いっすから、強力なのを仕掛けているっすよ。やみくもに足跡や血は残せないっすね。入ったのがばれるっすよ」
ジュンはワトが焼いてくれた、外がカリッとしていて、中がしっとりしているスコーンに、届いたばかりのルークの作ったベリーのジャムを付けて食べていた。
「ワト、スコーンは食感がモサモサしていると思っていたんだけど、これは凄くおいしいね」
「セレーナの家の料理長に教わったっすよ。あの町のスコーンはこれっす」
ジュンはお茶を一口飲むと、ワトに聞いた。
「この辺りの空の魔物は、やはり強いの?」
ワトはスコーンに、カスタードクリームを塗りながら答える。
「アルトロア国は竜王や竜たちがいるっす。竜騎士団もいるっすよ。空の魔物はいるっすけど、大陸の北の空には強者は寄り付かないと言われているっす」
「じゃあ、魔物に襲われないように、空を歩こうか?」
「……」
カスタードを山のように載せたスコーンを持ったまま、ワトは固まった。
「ワト、クリームが垂れるよ?」
スコーンを皿に戻して、ワトはジュンを見た。
「もう驚かないと、毎回思うオレが哀れっす……」
「僕は常識が足りないからね。皆と同じ事を考えても、同じ答えには行き着けないんだよ。慣れてね。面倒な事はできるだけ避けようよ。頑張る所はその先にたくさんありそうでしょ?」
少し困った顔で笑うジュンを見て、ワトも小さく笑ってうなずいた。
夕方になって二人はマードレ村から少し離れた、未知領域に入った。
ジュンの腰とワトの腰との間には、命綱がある。落下時の用心のためだけでなく、それはワトに歩く場所を知らせる役割がある。
「僕の左目はね。植物を探せるんだよ」
「あぁ。それで夕方でも大丈夫だと言ったっすね」
「うん。目印と目印の間が離れているから、村から離れているところから始めよう」
おっかなびっくり付いてきたワトは、すぐにコツをつかんだようで、二人の移動は遅くはなかった。
「えげつない罠が多いっすね」
「これが、道しるべになっているよね」
「この罠なら、けがでは済まないっす。空中を歩いて来るとは、普通は思わないっすから」
ジュンは前方を指差した。
「ワト、あれじゃない?」
「主。隠れるっす」
二人は木の葉の間で、息を潜めた。
洞窟の前の男が、中に向かって叫ぶ。
「オォイ! 大丈夫かぁ!」
中から木を打ち鳴らす音が返ってくる。
そのようなやりとりを三回ほど繰り返した後、洞窟から二人の男が現れた。
二人は顔を覆っていた布を取ると、大きく深呼吸をして、座り込んだ。
「異常はあったか?」
「ある訳ないだろ。入って出るしかできないっての。死ぬかと思ったぞ」
「足跡もなかったよ。だいたい一人は学者だって言うじゃないか。賢い者なら入らないって」
「でもよぉ。村長に言われたら断れないしよぉ」
「まぁな。足元が見えなくなって来たから、急いで帰るぞ」
三人が鉄格子を閉めて鍵を掛け、帰って行くのを見てジュンは言った。
「隠していないよね。怪しすぎるよ」
「オレたちには隠したかったっすよ。妖精に会いに行く恐れがあったっす。でも偶然ここに来た者には、親切っすよこの立て札は」
『立ち入り禁止。即死毒充満』と書かれた立て札は、幾度も書き換えられているのだろう。字は鮮明に見えていた。
「彼らは辛そうだったよね。どうやって入ろうか……」
ワトはジュンの目の前にお面を取り出した。
「これは?」
「団長から預かってきたっす。魔人族の蜘蛛たちの魔導具っす。一時間だけしか使えないっす。帰り時間は、転移ができる主には必要ないっすね」
分厚くて重たいお面は、目の部分にスライムが貼られていて、頭に縛り付ける四本の布が付いていた。
「この魔導具で大丈夫なの?」
「魔人族は火山の毒の危険性を知っているっす。これは少し難しいっすよ。口の部分の出っ張りをくわえて息を吸うっす。息を出す時は鼻からっすけど、間違ってもその時吸い込まないで欲しいっすよ。後、残念な事に会話は無理っす」
ジュンは転移陣を足元に置くと、空間魔法を伸ばして鉄格子の向こう側に置いた。それからお面を付けて、ヘッドライトを装備してから、ワトと共に転移した。
洞窟の中に生き物の姿は見当たらない。
足元は灰が積もっているのだろうか、先程の男たちの足跡が残っている、それは百メートル程で折り返し戻っていた。
その原因は行き止まりだった。
正確には、行き場がないように見える場所である。
前方の壁の前には、二メートルほどの幅で底の見えない切れ目がある。そこを降りる勇気があれば、その場所は行き止まりにはならないのだ。
ジュンはワトを見る。
ワトは小さく肩をすぼめて、指で丸を作った。
ジュンはワトの手を取った。幼子同士ならいざ知らず、成人しているワトの驚きは察してあまりあるが、透明な床の上に立っているワトには、逃げられる範囲も分からないのだから、おとなしくするしかない。
ジュンとワトは、切れ目の間に浮かんでいた。
それから、ゆっくりと下に向かって行く。そこで、ワトはようやく、手をつないでいる理由が分かったようだ。
目を見開き、ジュンの手をきつく握るしかないのである。
エレベーターのない世界で、壁も床もないのである。
落ちている感覚は否めない。ゆっくりである事がこの場合親切なのだろうが、ワトの表情は硬直したまま、止まっていた。
途中から霧が立ちこめ出し、霧に触れる二人の手はみるみる赤くなっていった。
ジュンは、回復魔法をかけても、ワトの手を離す事はしなかった。
霧を抜けるとジュンは下降を止めた。二人が下を向いていたので、ヘッドライトの明かりが、おびただしい数の骨を浮かび上がらせている。
ジュンはワトの手を引いて歩き出した。
そこには人が通れるほどの穴が空いていたのである。
洞窟から降りたならば、下まで行き、再び登らなければならないだろう。
ジュンは穴に入ると手を離し、ワトに回復魔法を掛けた。
少し歩くと、ワトがお面を外した。
「もう、大丈夫っすよ」
ジュンもお面を外して言った。
「昔、村に戻った一人は、あの霧まで降りたんだよね? どうやって降りたんだろうね」
「綱を使うしかないっすよ。時間を掛けると毒にやられるっす」
「たった一人しかいなかった理由は分かったよね。取りあえず着替えて風呂だね。ワトは先に入っていてくれる?」
「どうしたっすか?」
「迎えがきたようだよ。浄化してくる。彼らが罪を犯していようと、いまいと、自ら望んだ死ではないからね。あれではいくら何でも気の毒だよ」
「主を一人にしないために、オレが付いてきたっすよ。一緒に行くっす」
「分かったよ」
ジュンはワトの説得を早々に諦めて、霊の方を向いた。
男女の霊だが、特徴のある男の顔に見覚えがあった。
「ミシェルさんのご両親ですね? ミシェルさんは、元気で幸せに暮らしていますよ。僕にご用でしょうか?」
二体の霊は、丁寧にお辞儀をした。
「魔力の高い魔法師の方とお見受けいたしました。どうか下にいる者たちの浄化をお願いできないでしょうか」
「あなたたちも浄化されますが、よろしいのですか?」
ジュンの言葉に、霊は笑顔でうなずいた。
「私は次期村長でありながら、父や村人の仕事に納得ができなかったのです。皆の反対を押し切って、私は王にお会いして、火葬場を建てる許可をいただきに行くつもりでした。しかし、それではマードレ村である必要がないと諫められ、洞窟の前で殺されました」
彼の言葉に怒気はなかった。
「ご長男が村長になりました。お父様もお元気ですよ」
ジュンは探るように彼らに伝えた。
「そうですか……。皆が幸せで良かった。下にいる者たちの浄化を、よろしくお願いいたします」
彼の言葉の後で、横にいる女性の霊が言った。
「あの日のミシェルの顔が忘れられませんでした。優しいあの子の心が、壊れてここに捨てられたらと……。幸せなのですね。それが聞ければ私は十分です」
涙を拭っている彼女の肩を、優しく抱く彼の姿を、ジュンはまぶしそうに見つめて言った。
「あなたが村でやり遂げたかった事。僕が代わりに王に伝えましょう」
「ありがとうございます。これで私と妻は安心して眠る事ができます」
浄化の光の中で、優しそうなほほ笑みを浮かべた二人の姿は、静かに消えて行った。
ジュンはワトを通路の入り口に立たせたまま、空間魔法で下に向かい、光魔法が行き渡る高さから、魔力を練り上げ魔法を放った。
闇の中の各所から、小さな光が次々と浮き上がり消えて行った。
通路の入り口に戻ると、ワトが言った。
「お疲れっす。主の言った事がようやく分かったっす。死んでからも苦しむ必要はないっすよね。それにしても、アンデット系の魔物にならなかったのは、なぜっすかね」
「うん。あの霧に関係があるのかもしれないね」
皮膚に付くと危険な霧が、服を濡らしていたので二人はテントに入った。
ワトが風呂に入っている間に、ジュンは二人分の服や靴、お面の魔導具まで時の魔法で元に戻すしかなかった。左目には有害としか表示されない毒が、どのような物か分からなかったのである。
夕方から動いたので、体力に余裕はあったが、入浴を済ませると時間も遅く、テントをでる気にはならなかった。
「うわぁ。豆生地がうまい! 卵を付けて食べる料理って珍しいっす」
脂が丁度良く入っている魔物の肉で作ったのは、すき焼きだった。
(実家は砂糖と醤油と酒で味を付け、割り下は使わない。最後にうどんを入れるのは父さんと兄ちゃんのこだわりだったんだよね)
米を主食にしない世界なので、肉や野菜の旨みを吸収したうどんはワトに気に入られたようである。
洞窟の中は暗いので、時間が分からないが、目覚めは良かった。
外でトレーニングもできないので、二人は朝食を済ませるとテントを出た。
「早朝っすけど……。真夜中みたいっすね」
「時計はこんな時、便利だよね。洞窟の中は鐘も鳴らないからね」
「こんな場所は音がしない方が、ありがたいっすけど、そうはいかないっすね」
ボコッ、ボコッと音が聞こえて、洞窟内は熱いのだろう、マントは温度調節ができているが、鼻から入ってくる空気が熱い。
通路を抜けたその場所の、中央の大きな穴を覗くと、真っ赤な溶岩が、黒い岩を乗せてゆっくりと動いていた。




