第百一話 最高の宿
拠点の執務室のテーブルに、コラードがティーカップを置いている。
彼が朝にしか出さないそのお茶は、渋みも少なく、すっきりとした後味だが、豊かな香りが立つ。
それは仕事始めの気負いや、不安を優しく包み込み、心を落ち着かせてくれる。
「ありがとうコラード。座って」
ジュンの言葉に、コラードはうなずくと、マシューの横に腰を下ろした。
ジュンの横には、シルキーを膝に座らせているミゲルがいる。
ジュンは、昨夜マシューから受け取った紹介状を、テーブルの上に置いた。
「ミシェルさんが書いてくれた紹介状を持って、僕はマードレ村に行ってこようと思っています。転移陣がないので、旅をすることになるけれど、戻るのは一瞬だから任務が入れば中断するつもりです。拠点を留守にするから、その間はミゲル様とコラードにお願いしたい」
ジュンの言葉にミゲルが眉間にシワを寄せた。
「何を隠しておる。そこまで急ぐ理由を話すのじゃ。一人でできる事には限界があるからのぉ。ジュンに何かがあった時、何も知らされていなかったでは、通らぬのじゃぞ。ここにいる者は特にのぉ」
「主が自分たちを心配するのと同じように、自分たちも主が心配なんですぜぇ。何かあるなら、話してくださいよぉ。それによって協力体制が作れます」
マシューの言葉にジュンはしばらく考えてから言った。
「まず、見てもらいたい物があるんだ。ただ、その姿は見えない。僕と竜王と妖精の霊の話だからね。そしてこれを見るのには、死んでも口外しない約束が必要だけど、それでも見る?」
全員の約束を得て、ジュンはスプリガンとの映像を見せた。竜王の話は聞こえない。そして、スプリガンは声だけしか聞こえない。それでも全員が身動きもせずにモニターにくぎ付けになっていた。
見終わって、最初に口を開いたのはミゲルだった。
「スプリガンは守りの戦士なのじゃ。それでも、一国の軍隊ごときが倒せる相手ではないのじゃぞ。他の四人などは、災害級の魔物どころではないじゃろうのぉ。彼らに一人で会いに行くと言うのは、容認できぬのぉ。相手が友好的とは限らんからのぉ」
シルキーは、ジュンの袖をまくり、腕輪を見つめた。
「世界樹の腕輪……。世界樹は妖精を生み、育てる母なる木なの。世界樹の腕輪に認められた者を害するとは、たとえ霊になっても考えられないわ。だけど、人間は妖精を知らなすぎるわ」
「確かに、スプリガンはシルキーのように可愛くはないよね。僕がひくほど不気味な容姿だよ。おまけに最初に会った時なんて、偏屈爺さんだったからね。シルキーがいたから近付けたんだ」
シルキーは思い出したかのように、小さく笑う。
「妖精は嘘がつけないわ。だけど正直者ではないの。だから話したくない時は、そばには近づけさせない。気分が良ければいたずらをして困らせるわ。私も昔はそうだったの。契約者を随分困らせたわ。人と生活して学んだのよ。でも、霊たちはきっと昔のままだわ。ジュン様、お一人では危険だわ」
「ジェンナには、儂から話そう。災害がどの程度の物か、まだ分からないのでのぉ。いたずらに世界を刺激する訳にもいくまいのぉ。儂とコラードで仕事はある程度何とかなるだろう。儂はこれでも昔はギルド総長だったからのぉ」
片方の目をつぶって、楽しそうに笑って見せるミゲルに、マシューは言った。
「それは世界中の常識ですぜぇ。皆、最初は随分と緊張していましたからねぇ」
「そうかのぉ。今の隠居爺扱いは気に入っておるのじゃ。孫がたくさんできたみたいでのぉ。ジェンナは遊んではくれないからのぉ」
「ジュン様の妖精探しに、何人かを同行させましょう」
コラードの言葉にジュンは慌てる。
「それは、困るよ。特務隊の仕事もあるからね」
「駄目じゃ。一人は許可できん」
ミゲルにしては珍しく厳しい物言いに、コラードが言った。
「では、緊急時には増員することにして、ジュン様、常時一人はお連れいただきます」
ミゲルとコラードに強く言われると、ジュンは逆らえないようで、幼子のように首を縦に振った。
「小回りが利いて、戦闘力があって、わなにも詳しい……。自分ですね」
マシューの半ば本気の自己アピールに、コラードの眉が上がった。
「却下です。貴方は自分の立場を忘れたのですか? 全員がリーダーですからね。部下に統率力がある者がいるとなると、セレーナかワトでしょうか」
「ごめんコラード。僕は女性と二人で旅はできないよ」
コラードはジュンの言葉を予期していたのだろう。口角を少し上げた。
「それでは、ワトでしょうか。人間族は三国もあるので、彼は一番多くの部下を持っております。彼の腹心の部下は優秀で、人気もあります」
「それはそれで、ワイアットの立場が危ういのぉ」
ミゲルは心配そうに言った。
「いいえ。残念な事に、若いせいかリーダーになる気は全くないのです」
ジュンはその人物に興味を示したようである。
「へぇ。会ってみたいなぁ」
「この時間でしたら、家事室におりますが」
「え?」
コラードの言葉が、理解できていないジュンに、マシューが笑った。
「主。エミリーですよぉ。人のオーラが見える能力を遊ばせている訳がない。彼女は子供の頃から、蜘蛛たちに一目置かれる存在ですぜぇ」
「そうなの? おとなしいから気付かなかったけど、ワトと時々任務に出るのはそんな裏があったんだね。じゃあ、悪いけれどワトを連れて行っていい?」
コラードは静かにうなずいた。
「そのように手配いたしましょう」
翌日、ジュンとワトは、アルトロアの時告堂の地下転移陣に着いた。
ワトは、先日コラードと上って外に出た階段とは、別の階段を上がって行った。
「修理を頼んでいたっす」
「修理? なんの?」
「時告堂っすから、時計しかないっす」
「時計屋さんなの?! 見たい」
子供のように目を輝かせるジュンを見て、ワトは少し笑うと店内への扉を開けた。
「修理できたっすか?」
「はい。しかし、そろそろ部品もなくなります。休ませてやってください」
「手作りだと言っていたっすから、百年っすね」
「内部だけ入れ替える事もできますよ」
「それは辞めておくっす。魂が変わるみたいな気がするっすよ」
ジュンはスライムの貼り付けてある、棚の中の時計をみていたが、気に入った物がなかったようで、ワトと共に店を後にした。
「時計は誰かの形見とかなの?」
「人族の先々代のリーダーだった人っす。形見を形見にもらったっすよ。二人ともベッドの中で、見守られて逝ったっす。縁起が良いってだけっすけど、お守りっすね」
(時の魔法で直るんだけどね。戻してはいけない時の方が多いと思うんだ。物は壊れて役目を終えるんだからね)
「えぇと。まずは露店っすね?」
「なぜ?」
「団長から、珍しい食べ物や、季節の果実水があるときは寄れって、言われたっすよ。アルトロアは柑橘系が少ないっすが、今は早摘みのベリーがうまいっす」
「そうなの?! 行こう。果実水を買うよ」
露店で味を見ては、大瓶を出して次々に量り売りを買うジュンに、ワトは大笑いをしながら付き合った。
新鮮なベリーを、先程出てきたばかりの拠点のルークに送った。もちろんジャムを作ったら送れとの伝言は忘れなかった。
王都の出口までくると、ワトはジュンに聞いた。
「どうするっすか? 馬車だと順調に乗り継いで一週間ってとこっすね。獣道で良ければ五日もあれば着くっすよ」
「馬車は楽だけど、休憩が長くてね。僕はテントがあるから町に行く必要もないでしょ? 獣道は、誘惑が多いから、五日は無理かもしれない……」
ワトは不思議そうな顔で首をかしげる。
「誘惑?」
「おいしそうな魔物や山菜。珍しい薬草とかね」
「良いっすよ。楽しそうじゃないっすか。オレはこれでも冒険者五級っすよ。魔物も薬草も付き合えるっすよ」
ジュンは楽しそうに笑うと言った。
「すごいね。指名依頼も受けられるんだね」
「違うっすよ。五級までとると、護衛の移動は無制限になるっすよ。だからとったっす。主の護衛証明書があれば、主と一緒にギルドの陣も使えるっすよ」
ワトの片手にはジュンの護衛依頼書。依頼主はジェンナだった。
「すごい! 便利だね」
ジュンが初めて首都アルトロアに来た時は、隣国のテンダルからだったので、首都アルトロアより北東には、行った事がなかった。
アルファベットのCの字に近い大陸の切れ目、下がコンバル国で上がアルトロア国である。ジュンたちが目指すのは、北東のマードレ村である。
「ミシェルさんが、地図にも載っていない村の出身だとは知らなかったっす。貴族の坊ちゃんかと思っていたっすよ」
「確かに、洗練された美しさがあるよね。アンジェラさんの方がたくましい感じがするからね。でもなんで二人とも母親なの? 本人には聞けずに僕は寝ちゃったんだよ」
「あれ? 聞いてないっすか? ミシェルさんが、冒険者時代に虐待されて、死にそうだったマシューを、親から買い取ったっすよ。三歳だったらしいっすけど、あまり賢くなかったのか、ミシェルさんをお母さんと呼んでいたようすよ」
「なんか分かるよ。奇麗で、優しくて、髮が長いしね」
ワトは眉間に少しシワをよせたまま言った。
「そうすっか? 三歳にもなって、男女の区別が付かない子供は少ないっすよ。本人はいまだに、自分の性別を理解しているのか、あやしいっすからね」
ジュンは思わず吹き出した。
「ワトは容赦ないね」
「子連れで冒険者はできないっすから、時々面倒を見たのが、蜘蛛だったアンジェラさんだったっすよ。二人は母親と呼ばれてるうちに母親になったと言っているっすけど、アルトロアに落ち着いたのはマシューを育てるためだったと思うっす。血は繋がっていなくても、気持ちがつながっている家族っす」
「うん。でもワト、家族は血がつながっていないよ? 夫婦は血が繋がっていないからね。結婚や出産を役所に届けるでしょ? それで自分たちが家族だと思い込む。マシューのように二人の母親がいても家族でしょ。家族は家族と自覚する、精神的な繋がりだと僕は思うんだよ」
「あぁ、確かに家族の線引きって人それぞれっすね。叔父や叔母辺りは微妙っす」
「人は年を重ねるごとに、自分の家族の種類を増やして行くんだろうね」
「主はもうすぐ増えるっすね」
ワトの言葉に、ジュンは大きく息を吸い込んでから吐き出した。
「そこだよ! そこ! 災難はいつ、どこで、どんな規模かも分からないんだよ? 全く人生はままならない……。腹が減った」
「それは同感。この道は前の山で左右に分かれるっす。オレたちは真っすぐ山に入るっすよ。夜までに越えるっす」
「それでは、しっかり昼休みにしよう」
石ころを置き、現れた扉から二人は中に入った。
ワトは靴を脱ぐと、マントを脱いで床に転がる。
「これ、本当にありえないっすよね? 旅に金が要らないって、ねたまれて殺されるレベルっすよ。冒険者なら特にっすね。未知領域じゃあ、まともに眠らないって言われているっすよ。いつでもどこでも、最高の宿に泊まれるのは夢っす」
ジュンは手を洗うと、ルークから持たされた昼食を出した。
「ワト。食べよう。ルークが持たせてくれたんだ」
手を洗ったワトが席に着いてから、二人は昼食を食べ始めた。
「石ころテントはね。僕の一番大切な人からの贈り物なんだ。このテントはきっとこうして旅をしながら、仲間を増やせっていう意味だったんだと、最近気が付いたんだよ。僕はその辺の気持ちに疎いからね」
「主にこれをくれる程の人なら、主の事を理解しているっすよ。おそらくすぐには気が付かない事もっす。だから、気が付いて良かったって思うと良いっすよ」
「うん。そうだよね」
(キャンプの約束を忘れていない……。カイは分かっていたんだね。僕がこうして優しい仲間たちを増やして行く事を……。ありがとう、カイ。僕は一人ぽっちじゃないよ)
ジュンはホットドッグを食べて、手元のパンを見た。
「あれ? ルークはまた腕を上げた? これ僕が教えたのに、僕のよりおいしいよ。嬉しいなぁ、僕は素人なのにね」
「本気で言ってるっすか? あぁ、主はいつも本気っすよね……」




