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第20話 一閃の証明

ダンジョン第22階層――湿り気を含んだ黒褐色の巨石が複雑に入り組む『岩窟エリア』。


広大な洞窟の天井からは、絶え間なく落ちる水滴が甲高い音を立てて岩肌を叩いている。一ヶ月前であれば、この独特の閉塞感と不気味な暗がりだけで、胸の奥のトラウマが鎌首をもたげていたかもしれない。


だが、今の俺の心には、波一つ立たない静寂が広がっていた。


「キーーッ!!」


頭上から、鼓膜を直接刺すような甲高い奇声が響き渡った。


見上げれば、薄暗い天井付近の影に、数十の赤い眼光が揺らめいている。鋼鉄と同等の硬度を誇る黒銀の鱗を纏った巨大な怪鳥――Bランクの危険な魔物『アイアンホーク』の群れだ。


本来であれば、中層に挑む中堅探索者パーティであっても、複数で強固な陣形を組み、後衛からの魔法支援を得てようやく対処するレベルの凶悪な群れ。それが、鋭い爪を光らせながら一斉にこちらを見下ろしていた。


「レンちゃん、上……! かなりの数だよ!」


隣でリンが素早く氷結レイピアを構え、美しい跳躍で半身の姿勢を取る。


その足元からは、透き通った冷気の波紋が静かに広がり、足元の湿った岩肌を瞬く間に白い霜で覆いつくしていった。


「大丈夫、リンちゃんはそのまま背後を警戒してて」


俺は静かに深く息を吸い込み、胸の奥深くに眠る――『朱赤の核』へと意識を集中させた。


かつては一度発動すれば暴走し、己の肉体を内側から焼き焦がす凶器でしかなかった強大なエネルギー。だが、ライカとの二週間に及ぶ血の滲むような特訓、そして激痛に耐え続けた日々を経て、今の俺はこの魔力の脈動を指先ひとつで完璧に掌握していた。


(爆発させるんじゃない……折りたたんで、均一に短剣へ伝導させる……)


両手に強く握り締めた二本の漆黒の短剣『オルハルコン・ライト』。


柄を通じて胸の核から魔力を流し込むと、刀身の中央に走る朱赤のラインが、生き物のように鮮やかに発光し始めた。


刃の表面には、目に見えないほど極薄の朱赤の刃膜が形成されていく。魔力が過剰に溢れ出ることもなければ、虚無に霧散することもない。極限の密度まで圧縮された熱量と魔力が、短剣の刀身の中で静かに、そして鋭利に研ぎ澄まされていく。


「キーーッ!!」


アイアンホークの一群が、獲物を細切れにすべく、音速に近い速度で一斉に急降下を開始した。


巨大な翼が空気を引き裂く重厚な風圧が、俺の朱赤の髪と耐魔スーツの裾を激しく吹き散らす。


――だが、今の俺の『視界』には、その音速の急降下すら、まるで水中を緩やかに揺らめくような微細な軌道として映っていた。


体内に巡らせた朱赤の魔力が、全神経の伝達速度を極限まで引き上げる。


ライカから叩き込まれた『雷電導法』の応用による、超加速の世界。周囲の時間経過が極限まで引き延ばされ、急降下してくるアイアンホークたちの獰猛な表情、開かれた嘴の内部までが鮮明に視認できた。


(――朱赤魔術応用・双刃連撃――『紅蓮閃閃(ぐれんせんせん)』!)


ッ――!!


音すら置き去りにする、一筋の踏み込み。


俺の身体は地を蹴り、重力をあざ笑うかのように虚空へと跳躍していた。


旋風のごとく交錯する二本の短剣。薄暗い岩窟の空間に刻まれたのは、一瞬の朱赤の残光。


一閃、二閃――そして無数の刃の網目が、一瞬にして洞窟の天蓋を極彩色の炎のラインで埋め尽くした。


「ガ……ッ!?」


すれ違いざま、急降下してきたアイアンホークたちの赤い瞳が、驚愕と混乱に揺れたのを目の前で感じた。自分が切り裂かれたことすら、彼らの脳には伝わっていない。


着地と共に、俺は空中で振るった二本の短剣を静かに鞘へと滑らせた。


カチリ、と硬質な金属音が響く。


次の瞬間。


空中で静止していたかのように見えたアイアンホークの群れが、一斉に均一な断面を見せて斜めにズレ落ち、断末魔を上げる暇すらなく黒い粒子となって雲散霧消していった。


「…………え?」


背後で背中を守っていたリンが、信じられないものを見たように口を半開かせにして呆然と声を漏らした。


空中に浮遊していたダンジョン庁の撮影ドローンもまた、その凄まじい一瞬の出来事を捉えきれず、衝撃波の余波に煽られて一瞬グラリと揺れていた。


「……ハァ……よし、完璧だ。完全に制御できてる」


俺は己の両手を見つめ、静かに安息の息を吐き出した。


以前のような魔力の逆流による体内の灼熱感も、腕の筋肉が断裂するような激痛もない。完璧に、自分の手足の一部としてこの過剰な力を振るうことができていた。


『――す、凄まじい……! 今のは一体……!?』


耳元の通信イヤホンから、いつも冷静沈着な白鳥の声が、珍しく興奮と驚愕で裏返って聞こえてきた。


『神楽木さん、今の一撃……高精度カメラですら一瞬で群れが消滅したようにしか映っていません! 配信画面のコメント欄の勢いが凄まじく、サーバーの許容量をオーバーしかけています!』


「本当……凄かったよ、レンちゃん……!」


リンが弾かれたように駆け寄ってくると、その青い瞳を爛々と輝かせて俺の手を両手でギュッと握りしめてきた。


「今の一瞬、何が起きたのか私にも全然見えなかった……! すごいよ、本当に……もの凄く格好よかった!」


「あ、ありがとう……。でも、リンちゃんがしっかり背後を固めてくれてたから、余計なことを考えずに思い切って踏み込めたんだよ」


そう答えると、リンは誇らしげに八重歯を覗かせてニッと笑った。


かつての地獄のような敗北と挫折。そこから這い上がり、二人で血を吐くような訓練を耐え抜いて掴み取った確かな成果。胸の奥底に、温かく力強い誇りと自信が満ちていくのを感じていた。


しかし――。


(……ん?)


短剣を収め、安堵したのも束の間。俺の体内の『核』が、ピリッとした微かな警戒信号を発した。


それは魔物が放つ本能的な殺意や威圧とは明らかに異なる。


計算され、完全に遮蔽された――意思を持った『人間の殺気』。


岩窟のさらに奥――松明の光も届かない深い闇の深淵から、冷ややかな視線が俺たちの首元をじっと射抜いていた。


「リンちゃん、下がって」


俺は咄嗟にリンを自分の背中へと庇い込み、再び腰の短剣の柄へと手をかけた。


「レンちゃん……? どうしたの?」


「……来る。魔物じゃない。何かが、俺たちを狙って近づいてくる」


静寂を取り戻したはずの広い岩窟に、再び肌を刺すような冷たい緊張感が張り詰めていった。

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