第15話 深層種の牙――圧倒的絶望と破られた絆
『ヴェノム・スパイダー』の群れを倒した俺たちは、中層第一階層の奥へと歩を進めていた。
「すごいよレンちゃん! あの短剣の動き、無駄がなさすぎ! 本当に復帰したばかりなの!?」
隣を歩くリンが、目を輝かせながら俺の顔を覗き込んできた。
相変わらず距離が近い。肩が触れそうな距離でツインテールが揺れ、柑橘系の爽やかな香りが漂ってくる。
「う、うん……自分でも驚いてる。昨日のボス戦で力みすぎたから、今日は刃に魔力を集めるイメージで振ってみたら、上手く動けたみたいで」
「それって言葉で言うのは簡単だけど、普通は何度も練習して身につける技術なんだよ!? やっぱりレンちゃんってすごいよ!」
リンは嬉しそうに頷くと、俺の手を両手でキュッと包み込んできた。
(頼むから急に手を握らないでくれ……! 心臓に悪すぎる……!)
中身は男子高校生の俺にとって、女子からの積極的なスキンシップは刺激が強すぎる。けれど、当のリンは「可愛い女の子の友達」と仲良くしているだけの様子だ。この認識のズレが一番参る。
空中に浮かぶドローンカメラのコメント欄も、二人のやり取りに大きく盛り上がっていた。
『見てるこっちが照れるわ』
『リンちゃん、完全にレンちゃんのこと気に入ってるな』
『レンちゃん顔赤くなってて可愛い』
『この二人、相性良さそうだな』
「セーフゾーンに着いたら、白鳥さんが用意してくれたお弁当を食べようね。楽しみだな!」
「うん、そうだね」
リンが楽しそうに笑った――その直後だった。
――ズズズズズズズズズ……ッ!!
地底の底から響くような重低音が、洞窟全体を激しく揺らした。
「え……!? 地震……!?」
「違う! レンちゃん、後ろに引いて!!」
リンの表情から一瞬で余裕が消えた。
彼女は俺の腕を引っ張り、咄嗟に自分の背後へと庇うように立ち塞がる。
周囲の様子が急激に変わり始めた。
青白く光っていた植物が一斉に黒く変色し、ボロボロと崩れ落ちていく。洞窟の奥からは視界を遮るほどの不気味な黒い霧が流れ出し、強い圧迫感が漂い始めた。
『警報! 領域内の魔力濃度が異常数値を検出! 各探索者は直ちに退避してください!』
インカムから、白鳥の緊迫した声とアラート音が響く。
「白鳥さん!? 一体何が起きているんですか!?」
『イレギュラーです! ダンジョン深部で魔力の奔流が発生し、階層間の境界が破壊されました! 深層の危険種が中層第一階層へ流出しています!』
「深層の魔物が……!?」
言葉を失う俺たちの目の前で黒い霧が渦を巻き、巨大な影が現れた。
そこにいたのは、体長十メートルを超える巨大な獣だった。
黒い甲殻に覆われた巨体、赤く光る六つの目、そして鋭い牙。呼吸をするたびに吐き出される熱気が、岩肌をじわじわと焦がしていく。
「そんな……なんで第一階層に……『漆黒の獄狼』がいるの……!?」
リンの声が、恐怖で震えていた。
「あれは深層四十階層のネームドモンスターだよ……!? Aランク以上の大型パーティが万全の準備をして挑むような相手なのに……!」
深層四十階層の魔物――。
Fランクから復帰したばかりの俺と、Cランクのリン。
連携をどう工夫したところで、どうにかできる相手ではなかった。
「ルオァァァァァァァァァンッッ!!」
獄狼が咆哮を上げた。
凄まじい風圧と魔力の圧迫感が広間に吹き荒れ、天井から岩石がボロボロと落ちてくる。
「くっ……!?」
足元が揺れ、ただ立っているだけで息が詰まるような圧迫感があった。全身の本能が「絶対に勝てない」と警鐘を鳴らしている。
「きゃああっ!?」
強い魔圧に押され、リンがその場に膝をついた。
数々の修羅場を経験してきたCランクの彼女でさえ、圧倒的な実力差を前に金縛りのようになって動けずにいる。
配信の画面越しにも、その異常事態は伝わっていた。
『嘘だろ……なんで中層に深層のやつがいるんだよ!?』
『逃げて!! 二人とも早く!!』
『勝てるわけないだろこんなの!!』
『運営!! 救援はまだなのか!?』
『白鳥です! 今、救助部隊と上位探索者を緊急派遣しました! それまでなんとか離脱してください!!』
(逃げるって言っても……この距離じゃ無理だ……!)
黒い炎を纏った獄狼が、膝をつくリンへ視線を向けた。
巨大な顎が鳴り、口元に凄まじい熱量が集まっていく。
「足が……動かない……っ」
恐怖で身をすくませるリン。
(――やるしかない……!)
俺は覚悟を決めた。
胸の『核』に意識を集中させ、体内の魔力を限界まで引き出す。
「リンちゃんから離れろ!!」
地面を蹴り、リンの前へと飛び出した。
朱赤の魔力を全身に巡らせ、短剣に全ての力を乗せて、迫り来る獄狼の爪へと撃ち込んだ。
――ズドンッ!!
爆風と衝撃が広間を駆け抜ける。
「ぐあっ……!?」
次の瞬間、衝撃で俺の身体は吹き飛ばされた。
攻撃は届かなかった。
短剣に乗せた魔力は甲殻に弾かれ、圧倒的な質量差によって一瞬で弾き返されたのだ。
「カハッ……!?」
岩壁に激しく打ち付けられ、地面に転がる。
短剣は手から離れ、耐魔ウェアは破れ、右腕に強い激痛が走った。
「レンちゃん!? 嫌だ……っ!!」
リンの叫び声が響く。
「はぁ……はぁ……っ」
全身に痛みが走り、まともに力が入らない。
『核』が必死に身体を修復しようとしているが、魔力を使い果たしていて追いつかない。
(強い……強すぎる……! 刃が全く通らない……!)
どれだけ『核』の出力があろうと、今の自分の技術と装備ではまるで歯が立たない。これがダンジョン「深層」の現実だった。
「ルゥ……」
獄狼は俺たちを意にも留めない様子で、ゆっくりと歩み寄ってくる。
巨大な足が目の前に降ろされ、熱気が皮膚を焼く。
『レンちゃん!!』
『誰か嘘だと言ってくれ……』
『助けてくれ頼むから!!』
コメント欄も混乱に包まれていた。
俺は動かない右腕をかばいながら、倒れたまま身体を起こそうとした。
「まだだ……リンちゃんには……行かせない……」
「もうやめて!! お願いだから!!」
リンが涙を浮かべながら、必死に俺の背中にすがりついてくる。
「私のせいで……私が動けなかったから……ごめんなさい……っ!」
しかし、容赦なく獄狼の巨大な前足が振り上げられた。
(クソっ……動いてくれ……!)
振り下ろされる爪。
俺は覚悟を決め、リンを抱きかかえるように庇った――その時だった。
――『極氷・咲き誇れ(グラシエ・フローラ)』!!
キンッ――――――――――――――――ッ!!
突如、広間全体の空気が一瞬で凍りつき、激しい冷気が吹き荒れた。
獄狼の黒い炎が掻き消され、その巨大な足が分厚い氷塊によって固められる。
「グオッ……!?」
動きを止められた獄狼の頭上から、一人の探索者が降り立った。
白銀の甲冑を纏い、大きな氷の大剣を携えた女性。
白鳥が緊急要請した、Sランクパーティのリーダーだった。
「遅くなってすまない! よく耐えてくれた!」
続いて、後方から無数の上位探索者たちが雪崩れ込んできた。
『救助部隊、到着! ただちにモンスターの討伐と、負傷者の救護を開始する!』
「レンちゃん……! レンちゃん……っ!!」
遠のく意識の中で、自分に声をかけ続けるリンの姿と、心配するコメントの文字がぼんやりと見えていた。
(手も足も出なかった……)
自分の圧倒的な力不足を噛み締めながら、俺の視界は真っ暗になっていった。




