第1話 変異の鼓動と浅層の少女
ダンジョンが出現して、およそ100年の歳月が流れた。
かつて世界を激震させた「ダンジョン大発生」の時代を経て、人類は魔物が巣食う謎の建造物と共存する道を模索してきた。
その過程で人類が獲得したのが、「レベル」や「スキル」と呼ばれる超常の力だ。
今やダンジョン探索は特別な冒険ではなく、経済活動の一環であり、大衆娯楽の筆頭でもある。
そして現代の日本において、ダンジョンに入る探索者には厳格な法律が義務付けられている。
それが「探索時の全工程ライブ配信」だ。
遭難時の迅速な救助要請や、ダンジョン内での不法行為を防止するための安全管理システム。それがこの世界の当たり前のルールだった。
ちなみに、俺たちの強さを示す「ランク」というのは、ステータス画面を開けば勝手に表示されるような便利なものではない。
ダンジョン庁という国家の公的機関が、討伐した魔物の実績、回収した素材の価値、ダンジョン貢献度といった数々の成果を厳格に審査・採点し、初めて認定される階級だ。
下はFランクから、上はSランクまで。
そして世界にただ一人だけ、人類の頂点として認定されている特例――「EXランク」が存在する。
そんな大層な世界観の中で、俺の立ち位置といえば惨憺たるものだった。
俺の名前は神楽木レン。東京都内の普通の高校に通う16歳。
昼間はどこにでもいる冴えない男子高校生として授業を受け、放課後は日銭と生活費を稼ぐためにダンジョンへと潜る、しがない貧乏探索者だ。
俺に家族はいない。
数年前、ダンジョンから溢れ出た魔物の群れが街を襲う「スタンピード」によって、両親も妹も全員命を落とした。
天涯孤独となった俺が高校に通いながら生き渡るためには、危険を承知でダンジョンに入り、少しでも金を稼ぐしかなかったのだ。
俺が運営している配信チャンネル名は「レンのまったりダンジョン攻略」。
「……はい。本日も浅層第一階層での薬草採取を行っていきます。配信をご覧の皆さん、こんにちは……って言っても、今日の同時接続数は1人か。いつも見てくれて、本当にありがとな」
浮かばない苦笑いを浮かべながら、俺は頭上をプカプカと漂う小型のスマートフォン型配信ドローンに向かって語りかけた。
「レンのまったりダンジョン攻略」の実態は、チャンネル登録者数わずか3人の超底辺ダンチューバーチャンネルだ。
俺自身の能力はといえば、レベルはたったの「14」。ダンジョン庁の認定ランクはもちろん最低の「Fランク」。
天性の戦闘センスがあるわけでもなく、強力な初期スキルを持っているわけでもない。
レベル14の俺にできることといえば、浅層の安全区域でスライムや弱小ゴブリンの目を盗みながら、換金価値の低い薬草をちまちまと摘み取ることくらいだ。
華々しい魔法で魔物の群れを吹き飛ばす人気配信者のような派手さは微塵もない。
こんな地味で退屈な薬草採取の映像を、好き好んで見に来る奇特な人間などいるはずもなかった。たった1人の視聴者も、きっとつけっぱなしにして寝落ちしているだけだろう。
「よし、この『青斑の薬草』で今日のノルマは達成かな。これだけ集めれば、今週の食費とドローンの電気代くらいには……」
腰を屈め、泥にまみれた薬草を採取袋に押し込んだ、まさにその時だった。
――ズズズズズズズッ……!!
突如として、ダンジョン内の空間全体が鳴動した。
「な、なんだ……!? 地震……か!?」
いや、違う。ダンジョン内で地震など起こるはずがない。
周囲の空気が急速に重くなり、肌を刺すような高密度の魔力が充満していく。
大気がミシミシと悲鳴を上げ、目の前の空間にガラスのような亀裂が走り始めた。
次の瞬間、ドゴォン!! という凄まじい炸裂音とともに空間が崩壊した。
その亀裂の奥から蠢き現れたのは――異形だった。
漆黒のオーラを全身から爆発させ、三つの赤く光る眼球を持つ、巨大な狼のような姿をした未知の魔獣。
ダンジョン庁が発行している全モンスター図鑑のどれにも該当しない、圧倒的な異物。
放たれる圧迫感だけで、空気の密度が数倍になったかのように呼吸が浅くなる。
『警戒警報:計測不能な未知の魔物を確認。対象の危険度は推定測定不能。直ちに避難してください』
頭上を飛ぶ配信ドローンから、甲高い警報音とともに機械音声の自動アナウンスが響き渡る。
「逃げ……なきゃ……っ!!」
脳が全力で悲鳴を上げ、逃走を命じている。だが、身体が言うことを聞かない。
膝がガクガクと震え、恐怖のあまり足が地面に縫い付けられたように一歩も動かなかった。
レベル14。Fランク。
その現実が冷酷に突きつけられる。
この化け物の前では、俺なんて羽虫以下の存在だ。戦うなんて到底不可能ですらない。
一瞬で噛み砕かれ、命を散らす未来しか存在しなかった。
死が、目の前に迫っていた。
「アロォォォォォォォン!!」
空間を揺るがす咆哮とともに、黒い魔獣が超音速の踏み込みで俺に向かって突進してくる。
回避不可能。死を悟った俺は、静かに目を固く閉じた。
(……ごめんな、みんな。俺、そっちに行くよ――)
あのスタンピードの日と同じだ。圧倒的な絶望の前で、人間はただ散るしかない。そう覚悟した刹那。
訪れるはずの鋭い激痛と破壊の衝撃は……来なかった。
代わりにやってきたのは、全身の全細胞を内部から焼き尽くすような、凄まじい灼熱感だった。
「――っ!? ぐあぁぁぁぁぁぁっ!?」
目を開けると、驚愕の光景が広がっていた。
俺を殺すはずだった巨大な魔獣は、俺の体に触れた瞬間、攻撃することなく漆黒の光の粒子へと分解され、胸の中央――心臓のあたりから俺の体内へと猛烈な勢いで流れ込んできていたのだ。
「がっ……あぁぁぁぁっ! 熱い、熱い熱い熱いっ!! なにが、起きて……っ!!」
体内になだれ込む規格外の魔力量に、俺の貧弱な回路が耐え切れず悲鳴を上げる。
ドクン! ドクン! と心臓が跳ね上がるたび、激痛とともに肉体の構造そのものが乱暴に組み替えられていく感覚。
骨が鳴り、皮膚が変質し、細胞のひとつひとつが未知のエネルギーによって激しく変異していく。
絶叫すら声にならず、俺はその場に倒れ込み、苦悶に身をよじらせた。
どのくらいの時間が経っただろうか。
やがて暴れていた魔力の渦が徐々に鎮まり、焦熱の痛みは嘘のように引いていった。
「はぁ……はぁ……っ、はぁ……」
ダンジョンの冷たい石畳の上で、荒い息を吐きながら俺は四つんばいになった。
命はある。なんとか生き延びたらしい。
だが――決定的な違和感があった。
「え……?」
地面についた自分の手を見て、息を呑んだ。
俺の手はもっとゴツゴツしていて、爪には泥が詰まっていたはずだ。
しかし今、目の前にある手は、透き通るように白く、華奢で、芸術品のように繊細な指先をしていた。
視界の高さもどこか低い。背中にはドサリと重い何かが垂れ下がっている。
視界の端にチラつく鮮やかな赤色。息を吐くたび、甘い香りが鼻腔をくくすぐる。
「な、なんだこれ……!?」
自分の声を出した瞬間、背筋に戦慄が走った。
喉から漏れ出たのは、自分の聞き慣れた野太い声ではなく、まるで鈴を転がすような、綺麗で透き通った少女の声だった。
動揺で震える手を胸元に当てると、そこには以前の俺には絶対に存在しなかった、柔らかく豊かな膨らみがあった。
「嘘……だろ……?」
俺は慌てて、目の前の空間に【ステータスウィンドウ】を呼び出した。
自分自身の現在の状態を示す半透明のシステム画面。そこには、信じられない文字列が並んでいた。
【名前:神楽木レン】
【性別:女】
【レベル:14】
【固有スキル:魔導変異(※未知のモンスターの核を融合完了)】
「性別が……女!? レベルは14のままだし、固有スキルってなんだよこれ!?」
パニックになりながら、俺はドローンのカメラレンズを小さな鏡代わりに手元へ引き寄せ、己の姿を確認した。
そこに映っていたのは、素朴な男子高校生の姿ではなかった。
腰まで伸びる艶やかな朱赤の髪。陶器のように白く美しい肌。
そして、神秘的な光を宿した琥珀色の大きな瞳。
誰もが息を呑むような、圧倒的な容姿を持った一人の美少女が、画面の向こうで呆然とこちらを見つめていた。
レベルは14のまま。ダンジョン庁が指定する最高峰、世界にたった一人しか存在しないあのEXランク【絶剣の氷姫】の圧倒的な強さとは、比べ物にならないほど今の俺は弱い。
力が増したわけでもなく、ただ姿と構造が根本から変わってしまっただけだ。
だが――パニックに陥る俺をよそに、放置されていた配信ドローンのコメント欄は、見たこともない恐ろしいスピードでスクロールを開始していた。
未知のモンスターの出現。
それが一瞬で俺の体内に吸収された異様な光景。
そして、光の中から現れた謎の赤髪美少女。
たまたまこの配信を見ていた唯一の「1人」の視聴者がクリップ動画をSNSに投稿したことをきっかけに、インターネットの海で未未曾有の爆発的拡散が始まっていたのだった。
『え、待って今の何事故!?』
『モンスターが体に入っていったぞ!? 吸収したのか!?』
『てか画面に映ってる赤髪の美少女誰だよ!!!』
『神チャンネル発見したwwwwww』
『おい誰かこれまとめサイトに突っ込め!! バズるぞ!!』
視聴者数が1人から百人、千人、数万人へと怒涛の勢いで跳ね上がっていく。
世界を揺るがす謎の変異の中心でありながら、実力はまだまだ底辺のレベル14。
家族を失い、さらに男から女へと姿を変えてしまった俺の探索者人生は、本人の意図とは全く無関係なところで、世界中を巻き込む大狂乱の渦へと投げ込まれることになったのだった。
新作です
かなりのとこまでかけてるのでおそらく毎日投稿できると思います




