第1話 地獄に魔女
閻魔の名前を呼ぶ声が聞こえる。
閻魔帳に触れそうになっていた閻魔の筆が止まり、ぽつりと黒い染みを作った。
「閻魔様ぁぁぁぁ……魔女が、また、あの魔女が!」
響いてくる足音と、嘆きの混じった叫び。
この声は針山の管理をする獄卒の声だ。
そして――”魔女”。
閻魔は無表情のまま、人骨で作られた筆置きに筆を置いた。
この一ヶ月、何度その呼称を聞いただろう。
いい加減聞き飽きた。
凍るような眼差しに、閻魔の下す判決結果を待っていた亡者までもがふるりと震える。
灼熱の溶岩を噴き上げる火山によって常に熱い地獄なのに、心なしか周囲の温度が下がったような気さえする。
「閻魔様!」
「聞こえている。騒がしい」
短くとも威厳のある声に、走りこんできた獄卒はすぐに膝をついて頭を垂れる。
赤らんだ肌をした額に玉のような汗が浮かび上がっていた。その一滴が床に落ちると同時、獄卒は口を開いた。
「尊い裁判のさなか、申し訳ございません。ですが、あの、例の西の魔女が……また!」
「また、か」
不機嫌を舌先に絡めてこぼれた低く唸るような声。その場にいる従者たちだけでなく、整列した亡者までもが恐怖を感じ、呼吸と瞬きを止めて成り行きを見守る。
「何があった」
「針山にて、西の魔女がなにやら怪しい実験を!」
「実験?」
閻魔の眉が僅かに寄る。
「今度は何をした」
「わ、分かりませぬ。ただ、針山が異様に静かなのです!」
「静か?」
針山はそこを上る罪人たちの鼓膜が破れそうなほどの悲鳴で満ちた場所。そこが、静かだとは?
獄卒はあとからあとから噴き出す汗を拭うこともせず、ゴクリと唾を飲みこみ「はい」と答えて続けた。
「針が刺さっても、誰一人として、悲鳴を上げておらぬのです」
場が凍る。
沈黙。
僅かな間の後、玉座のひじ掛けがビギッと不快な音を立てて軋んだ。




