序章 = Ⅰ =
天も地もない 白い世界
ここには 生者の気配はなく
ただ 静謐な空間が広がっている
それはさながら真っ白な画用紙のよう
だからだろうか
それは小さな小さな赤い滲み
ほんの僅かな綻び
まるで僅かに残った絵の具をポトリと落としたかのような、小さな滲みが画用紙に広がるように、じわじわと広がって、徐々に辺りを赤く染めていく。
その滲みは、やがては人の形を思わすような形をとり
それから、ゆっくりと水が蒸発するように、ゆらゆらと揺れ、朱い焔のような形を姿を変え、虚空をゆらりと揺蕩う。
それで人か獣か形の定まらないそれは、だがしかし思い出したかのように、赤黒く酸化して、されどもどくどくと脈打つ心臓の形を作った。
そこから血管を、身体を型どる骨を、肉を、皮膚を瞬く間に形成し、やがては深紅の長い髪をもつ青年を象った。
真っ白な空間に現れたその人形は、だが時折陽炎のように揺らぐ。
時折指先が透けて消えかけて、それでも天から降りた細い細い糸に手を伸ばすかのように、ささくれた大きな手をどこかへと伸ばした。
彼が伸ばした指先のその先には何もないというのに
血のように赤い眼は、存在しないその更に向こうを見つめていた。
突然、嗄れた老人の声が聞こえる。
──行くのか?
低い低いこの世の全てを憎悪してるかのような、しかし、この世の全てを愛しているかのような不思議な声音。
青年はその問いに、無表情から眉間に酷く皺をよせ、苦々しい表情を浮かべた。
「‥‥‥‥‥当たり前だ。」
絞り出された声は、まだ形だけを作った身体では、声もでないのだろうか。気道に何かが狭まったかのように、掠れていた。
それにも、構わず青年は続けた。
「ずっと……ずっと、この時を待っていたんだ、ずっと、ずーっと」
幼い口調、だがギリギリと歯を食い縛り、憤っている。
大きな拳は、握りしめ過ぎて血が流れて白い床を汚して、痛むはずの拳など気にもとめず、彼は吐き出すように叫び吼た。
「億年だ!億年の時を俺は待った!!!
なのに、この白い世界はなんだ?
あの人にも会えず、なぜこんなところに居続けなければならない!」
真っ白な壁に、八つ当たりするように彼は壁を殴った。壁は一瞬ひび割れたが、瞬く間に修復されてしまい元の白い壁となる。何の痕跡も残りはしなかった。
酷く虚しい行為だ。
そんな彼の様子に対して、老人の声は呆れたように、ただため息をついて、ゆっくりと言い含めるように、言葉を紡ぐ。
────行ったとしても、お前のことなど覚えておらぬのかもしれぬのだぞ?
呆れきった声に、青年は鬱陶しいとばかりに吠えた。
「……覚えてなくたっていい!俺が覚えてる」
────何処にいるのかも定かではない。
そんな奴をお前はどうやって探すというのだ?
「そんなこと知るものか!行かねば見つけることさえできない!」
彼は、壁を殴り付けた手とは反対の手に、いつの間にか黒剣を強く握りめていた。
ブチりと明らかに皮膚の裂けた音が聞こえると、彼の指から血が滲み、剣の柄に巻かれた布へと、どろりと伝って黒剣を飾る赤い宝玉へと流れた。
塗らぬらと宝玉がまるで彼の血を喰らって目を覚ましたかのように、赤黒く宝玉が輝きを放った。
──はぁ…‥忘れてしまうことも一つの──だというのに
億年の時が流れたというのに、お前はまだアレを忘れられないのか?
「当たり前だ!
そんなのあの時から変わることなんてない。
俺の気持ちは変わらない。
さぁ、早く俺を出せ!××××!」
青年の吠えた声は、あっという間に白に飲み込まれてしまい、暫し沈黙が流れたが、やがては根負けしたかのように男は息を深く吐き出した。
────よかろう……。ならば行くがよい。
その声と共に 青年だったモノの身体は黒剣に溶けて消え、彼の消えた後には、剣だけが浮かんでいる。
剣からまた、ポタリと朱い液体が溢れて、そこから白い世界はいつの間にやら切り裂かれ、黒い大きな穴がひとつ壁にポッかりと空いていた。
遠くで、何かの悲鳴が聞こえた気がする。
だが、そんなことよりも、黒き穴のその中では、星々が美しく煌めいている。まるで宝石箱のようだ。
少し離れた場所にあった影は影絵のように老人の形を象ると、黒剣を握り煌めく銀河へと、容赦なく黒き剣を放り投げた。
音もなく暗闇へと落ちて、やがて銀河へと消えていく。
この白い部屋に残ったのは老人の影だけ。
影は静かに煌めく銀河を覗き込む。
そこには恐ろしいくらいに煌めく星々の輝き
────あぁ、刹那の時間で、ここまでの宇宙を作りあげたのか。あの愚かな女神殿にしては、よくぞここまで作り上げたモノだ。
この中を、お前は探すというのか?
ニーチェ。
ここにさえいれば、始まることも終わることもないというのに。
愚かな子どもだ。
憐れむような嘲るようなその声の、その問いかけは闇に飲まれて消ていった。
++++++++++
薄暗い、されども柔らかな日の光と小鳥の鳴き声。
爽やかな朝、軽い靴音が2つ、古びた洋館に向かって走っていきます。
金髪に少し茶髪混じりの少年、シン。
明るめの金髪に身軽な動きで駆け回る少年、リノ。
彼らの手には白い封筒が一枚握りしめられています。
その封筒の中心には真っ赤な封蝋に印璽を押されて封がされた跡が残るばかり。中身は既に確認済みなのでしょう。
ぎゅっと握ってしまったので、紙は手汗でクチャクチャになっていますが、少年は少し誇らしげにその手紙を握りしめて走っていました。
「兄ちゃん!はやく!」
「わかっているよ!」
けらけら笑いながら自然豊かな田舎の村の中を、少年たちは駆け抜けていきます。
「それにしてもさ!長老ったら、こんな手紙送ってくれなくっても直接言ってくれりゃあいいのにな!」
そんなことをいいながら、満面の笑みが浮かんでいます。
「そりゃ大事な孫息子の誕生日だぜ?記念に張り切ったんだろうよ!」
どうやら手紙は長老の孫息子の誕生日パーティーへの招待状で、彼らは長老の家へと向かって走っているようです。
道は抜かるんだり、でこぼこなのでじゃり道もあります。それらを少年達は軽々と走り超えて、目的地の古びた洋館まで、けらけらとはしゃいでいました。
そうして、たどり着いた館は老朽化はしていますが、きちんと手入れが行き届いている大きなお屋敷。
傍らには可愛らしい花達が整列し館の主の性格を表しているかのようです。
少年達は館の備え付けられた古くて大きな呼び鈴にたどり着くと、その小さな2つの手を伸ばし思い切り良く鳴らしました。
カランカラン
鐘の音が鳴り響くと、しばらくして、白髪交じりの金髪の、まじった初老のおばあさんが、大きなドアを開けてから、キョロキョロと辺りを見回します。
彼らはまだ背丈が小さいので、どうやら鐘の柱に隠れてしまって、おばあさんには見えていないようです。
「あら?あら?さっき音がしたはずなのに、イタズラかしら? 」
その言葉に少年達は慌てて走り寄り、耳の遠い老婆のために、大きな大きな声をだしました。
「「ソフィアばぁちゃん!きたよ!」」
その大きな声に驚いておばあさんは、驚いて軽く跳び跳ね目を大きくしていましたが、声の方を向いて二人を見つけるとすぐに破顔しました。
「あら、まぁ、まぁ!シンにリノ、よく来たねぇ。元気だったかい?
嬉しそうに微笑むと、とたとた と可愛いらしい足音をたて少年達に歩みより その頭を、皺が寄り、仕事で固くなった手が撫でます。それに二人とも満足そうに微笑んでいました。
それから、すぐにふわりと館の開いた玄関から、焼き菓子の甘い香りが漂ってきて、二人は鼻をすんすんと鳴らします。
「いい匂い」
「お腹空いた」
「えぇ、えぇ、そうでしょうね。そうでしょうとも。こんなに汗をかいて。ステラさま!!シンとリノがきてくれましたよ!!」
良く通る声で彼女は主に呼びかけます。
すると、屋敷からこれまたよく通る声が返ってきました。
「あら!やだわ!もうそんな時間! 」
パタパタと慌ただしく、可愛らしいエプロン姿の白金の髪の女性が飛び出てきました。
「シン!リノ!
いらっしゃいな!中に入っておいで!」
彼女は部屋から手招きし、その足元に小さな少年が彼女のスカートの端を掴んでそっと少年たちを覗いていました。
「ユナ!」
ユナと呼ばれた少年を見つけると二人はぴょんぴょんと飛び跳ねながら駆けよります。後ろで白髪頭のソフィアおばぁさんがあらあらと微笑ましそうにわらっていました。
「なぁ兄ちゃん」
「あぁ、わかってるよ 」
二人はこそこそと大人にばれないように囁きあいます。
「なぁ、ユナのお母さん!まだ準備中なんだろ?」
「あら?わかっちゃう?」
イタズラっぽく彼女はわらいます。
「うん!わかる!だからさ!!俺ら外でユナと遊んでくるよ!」
その言葉にステラは嬉しそうに手を組むと足元の少年を促します。
「あら!シン。リノ!ありがとう!とても助かるわ!
ユナ、さぁ、にーに達と遊んでおいで」
そう言って頭を撫でられた少年は恐る恐る少年達の方へ向き直り二人を見た途端に破顔しました。
「シンにいに、リノ」
可愛らしい足音をたててユナと呼ばれた少年はリノとシンに向かって走っていき、シンに飛びつきました。
「兄ちゃんずるい!ユナ~ほら、リノ兄ちゃんだよ」
「リー」
シンにくっつきながら、ユナはリノに向かってふくふくの頬を緩ませてにっこりと笑いました。
「ま、まぁ、それでいいや、ユナはちっちゃいからな!」
ふふんと胸を張って、自分は心が広いんだぞとおどけながらリノは、フワフワの赤みがかった金髪をわしゃわしゃと撫でます。
「よし、ユナの母さん、おれたち泉のほとりにいってくる!パーティーまでには戻ってくるよ。行こうぜ!ほら早く早く!」
「気をつけてね」
「まってよ!兄ちゃん!!」
三人は勢いよく外へと飛び出していきました。
「元気がよろしくていいですわね 」
「本当に。ありがたいし、とても助かるわ」
「ええ、ええ。本当に。三人とも、これからの成長が楽しみでございますね」
「本当に、とっても楽しみ。どんな大人になるかしらねぇ?
あら、でもユナは甘えん坊だからちょっと心配かもね」
ふふふと笑い合う和やかな雰囲気でユナの誕生パーティーの支度が進められていきます。そこに、また鐘の音がなりました。
「?次はだれかしら?」
「こんにちは!ユナのママ!」
高い女の子の、声が聞こえてきました。
その後ろには二人の男性。
「ご無沙汰してるよ、ステラ」
「ねぇさーん!きたよー」
熊のような髭を生やした大柄の男にその肩には可愛らしい女の子が乗っており、更にその後ろで細身の青年が大柄の男に隠れてしまうので、必死でぴょんぴょん跳ねてアピールしていました。
「あら、ジェフとアンジェちゃん!それにリーゼも、よくきたわね」
「ステラおばちゃん!すっごくいい匂いがする」
女の子が、料理の香りに幸せそうに微笑みました。
「うふふ、今腕によりをかけているからね」
「あ、あたしもお手伝いする!」
「あぁ、とても助かるわ!あっ、そうそうアンジェちゃんが来たら渡そうと思っていてね。はい、これ、どうぞ」
ステラは、そっと隠すようにおいてあった、フリルのついた子供用のエプロンを彼女に手渡しました。
「わっ、可愛い!!」
「前に遊びに来たときに、可愛いっていってくれたエプロンを、アンジェちゃん用に作ってみたの。気に入ってくれたかしら?」
彼女は優しくアンジェと呼んだ少女の頭をなでます。
それに、嬉しそうに彼女はエプロンを抱き締めて跳び跳ねました。
「うん!嬉しい!早速使っていい? 」
「ええ、もちろんよ」
「良かったなー、アンジェちゃん!」
リーゼと呼ばれた青年は、アンジェの柔らかな頭を優しく撫でました。
「さてと、お久しぶりです。姉さん、さっそくですがユナは?」
リーゼが、かなり大きい人形を片手にキョロキョロと辺りを見回しています。
「あの子ならさっきシンとリノが連れていったわ。」
「うわ、くそー、一足遅かったか!
見てくださいよ!姉さん!!
自警団の皆でこれ買ったんです!!」
そう言って、大きすぎて既に中身の見えている人形を見せびらかすように抱えたました。
「あらぁ、すごく大きいわねぇ」
「はい!これで歩き回るのはとっても恥ずかしかったですよ。
でも、かわいい甥っ子ユナのためですからね!
でも、どうしようかな?ユナに直接手渡してから鍛練に行こうと思ってたんだけど・・・いないのかぁ」
肩を落とすリーゼに、アンジェが小さな手がズボンを掴みます。
「ん、もう、しかたないなぁ、リーゼは。
おばさん、ごめんなさい!やっぱりお手伝いできない。
リーゼをつれてアンジェ、ユナ達を探しにいってくる!
ねぇ、父さん!いいでしょ?」
「そうねぇ、リーゼは頼りないし、その方がよさそうね」
「!?え?いや、そ、そんなぁ……ねぇさん」
「もう。そんな情けない声をださないの!少ししっかりなさいよね、リーゼ!
じゃあ、お願いね。アンジェちゃん。
また今度一緒にお料理しましょう」
「うん!でも、今日のお片付けは手伝うよ!」
「まぁ!たのもしい」
「ありがたいわ。百人力ね!」
ソフィアとステラは微笑ましそうな目で小さな少女を見つめます。
「ふーむ、まぁ、リーゼがいるなら大丈夫か。
アンジェ、気をつけて行っておいで」
「お、良かった。ジェフさんの許可がでた!!
なら、アンジェちゃん、ユナ達のお迎えにいこうか。
姉さん。人形汚れたら困るのでここに預けてもいいですか?」
「いいわよ。
もう少しでパーティーの準備も出来るから、あの子達を呼んできてもらえるしら?」
「えぇ、もちろん。アンジェちゃん。いこうか?」
「うん!」
そう言ってアンジェの手を引きリーゼはユナ達を探しに向かいました。彼女らが出た後に、力仕事を任されたジェフですが、文句をいいながらも楽しげです。
「あ、そう言えば、リーゼもようやく身を固めるみたいね」
「あぁ、もうその噂が流れているんだな!喜ばしいことだよ。将来的には、あいつにリーダーをやってもらうつもりでいるんだ」
「あらあら、あんまり色々押し付けたらだめよ」
「はは、まぁ、将来的に、さ。まだまだ爪が甘いからなぁ」
「本当にそうなのよねぇ。まだまだ甘いのよね。あの子 」
「ははは!お前さんに比べられたら俺たちだって形無しだよ」
「そんなことないわよ!ジェフも随分腕をあげたじゃない」
「そうだといいがね」
ジェフは苦笑いを浮かべます。
「そう言えば話しは変わるのだけれど、この間の隕石は大丈夫だったのかしら?確か結界の方だったけれど」
少し顔色を曇らせてステラはジェフをみました。
「あぁ、あれかい?それがな…皆で向かったのだが何もなかったんだ、拍子抜けでな。地面に穴も何もなくて、皆不思議がっていたんだ」
「そうなの?変ねぇ。凄く揺れたから心配になっていたのよ」
「まあ、もしかしたら、もう少し離れた所に落ちたのかもしれんな。俺たちは、結界の楔辺りの見回りが中心だし、奥には秘境がある。おいそれとは立ち入れないからな。
おぉ。そうそう、結界だが、お前の夫のユーリも元気にやっていたぞ」
「それなら良かったわ!それで、いつ頃戻れそうかしら!」
キラキラ期待に満ちた瞳に、そっとジェフは目を反らした。
「それは秘密にしてくれってさ」
「もう!本当に早くお仕事から帰って来てほしいものね」
「あぁ、本当にそうだな。まぁ、ユナが大きくなるまでの辛抱さ。あの子は歴代でも類を見ない力をもっている。あの力なら、わざわざあの結界の楔に行かなくったっていいかもしれないぞ」
「それは……ジェフ、その話はやめましょう。
私は出来れば、あの子に継いでほしくないわ。」
「とはいえなぁ……ユーリが結界の主を続けられるのもそう長くはなさそうだぞ」
ジェフは遠くを見るような仕草をしました。
「えぇ、わかっているわ。
彼の力だけでは、もう、いつまでも結界を保たせるのが厳しくなっていることは。
だから帰れないのも本当はわかっている」
ステラは寂しそうに、どこかを見つめます。
「ステラ、アイツは本当によくやっているよ。
だが、闇の神の力は年々ますます強まっている。
その上、巨人様の力も最近では弱ってきていると他所の村から噂が流れていてな」
「ジェフ!滅多なこと言ってはいけないわ!!」
「…しかし」
ステラは不安そうに彼をみて、彼も何か言いたげですが言葉を紡げずに、先程の和気藹々とした雰囲気から、一転してなんともいいがたい空気が流れました。
それにソフィアがひとつ咳払いをしてちらりと二人をみつめます。
「奥様、ジェフ様、今日はユナ様のお誕生日ですよ。楽しくいきましょう 」
穏やかな声にステラとジェフは顔を見合せ笑うと、
「……それもそうよね。ごめんなさいね」
「すまんな、暗い話になってしまった。さぁ、坊主どもが帰る前にやりきってしまおうか」
「ええ、お手伝いよろしくね」
二人は慌ただしくパーティーの準備を再開させました。
さて、ところかわって小さなやんちゃ坊や達は、野原を駆け回っています。
「ほら、ユナ捕まえた」
「っきゃー!つかまーた」
嬉しそうにユナを捕まえたリノが脇をくすぐります。
きゃっきゃっとはしゃいですぐに、シンにリノに振り返りました。
「ユナに鬼は難しいから次はシンが鬼な!」
「はっはーん、お前らなんて秒で捕まえてやるよ」
「おっ!言ったな!よしきた!今日のおやつかけようぜ」
そんな風に男の子どうしの戯れが始まってユナはキョトンと二人を見つめていました。
そこに、嗄れた声が割って入ってきました。
「おや、シンにリノ。久しぶりじゃなぁ。」
ほっそりとした体躯にながーい自慢の髭を整えながら、一人の老人がユナ達に手を振っています。
「あっ。長老様」
「長老さま!」
「じーじ!」
リノか入ってら離れて長老にユナは走っていきました。
「おお、ユナや。お兄ちゃん達と遊んでもらってよかったのう。
うむ、皆、元気のようじゃな」
「うん!」
「超元気だよ」
「ユナも!ユナもだよ!」
「おお、ユナや、お兄ちゃん達にたくさん遊んでもらうんじゃぞ」
枯れ木のような指がユナの頭をなでます。
「じーじ、大好き!」
「うんうん」
「ねぇ、長老さま!」
「んん?なんじゃい?シン?」
「あのさ!俺!ユナは長老の後継者って聞いたんだけど、大人になったら長老さまになるの?」
「お髭生えるの?」
「ホッホッホ、そうじゃのぅ。
髭はユナ次第じゃが、後継者はどうじゃろうな。
ユナには、適正があるから、将来この子の父のように、結界を守る守人になれるじゃろうな」
「前から気になってたんだけどさぁ。俺あんまりわかってないんだけど結界ってなあに?」
「あっ、俺も俺も!結界の守人ってなんなの?」
「うむ、そうかそうか。そうじゃなぁ。お主らもそろそろ覚えておかねばならんな。
ようよう聞いて覚えておくのじゃぞ」
「「うん」」
少年たちは素直に大きく頷きます。
それに、うむうむと嬉しそうに長老は皺の寄った顔に更に皺を寄せて微笑みました。
「シンやリノは知っておるじゃろうが、この村は風の守りし大樹の里の最東端の村じゃ。」
「それはしってるーほら、風が守ってるのはあの大樹だろ?」
シンは、俺は解ってるとばかりに、指を差しました。
その、指の先には、ずっとずっと遠くに見える大きな大きな大樹で、天空さえも貫き、その枝葉は、雲に隠れて見えません。
「うむ、その通りじゃ、偉いぞ。シン」
長老は、ワシャワシャとシンの頭をなでて、リノが凄いと羨望の眼差して兄を眺め、次は次はと、長老を急かします。
「うむ、では、ここに流れておるこの川」
「はい!はい!ゾナハ川だろ!」
「おお、リノそうじゃ。地形も随分覚えてきたのぉ。」
「えっへん」
「さて、この美しい川じゃが、元々大樹の森の泉より、沸き上がった水が川となり、里すべてに血管のように、張り巡らされておる。そうして、やがては境界外側、つまりは、絶界へ続いているのじゃ。」
「絶界??」
リノは、はじめて聞く言葉に首を傾げ、シンはほんの少し顔を青くしました。
「絶界とは、すなわち境界。
それを説明する前にお主らは我らの神を知っておるか?」
「俺しらない」
「俺もあまり…」
二人は困ったような顔でお互いを見合わせます。
「うむうむ、知らないかとをきちんと知らないと言えて偉いぞ。
ふむ、ならばワシらの神、
それは光の神 ソレール様じゃ。」
「そうなんだ」
「でも、あれ?俺はあの里の中心の大樹が神様だと思っていてた」
「ホッホッホッ。そうじゃな。あれもまた神の力を与えられてはおる。じゃが我らの神はまた別じゃよ。
そうして、人の形をなされておられる。
それに彼らは双子じゃ。」
「へぇ、双子の神様なんだ 」
「あぁ、そうじゃ。わしらの神。ソレール様には弟君であらせられる闇の神 そして、絶界の主でもあらせられるソワール様がおられる。」
「あ!おれ、名前はしってるー」
「おれもおれもー」
「うむ、二人ともえらいぞ。
しかし、ワシら光の民にとって、絶界は、生きることの出来ぬ世界となっておる。」
「え?どうして生きれないの?」
「それはのう、二人は双子は双子でも相反する力を有した神様なのじゃ。ワシらの世界はソレール様とソワール様の二人の力がどちらかが強くても成り立たん。」
「えぇ?どうして??」
「それはのう、光の神、ソレール様の力が強すぎると全て焼けて落ちてしまう。闇の神を、ソワール様の力が強すぎると光は一切無くなり何も見えぬ世界になりワシらのような生物は生きることが出来なくなるのじゃ」
「へぇ、でも神様なんだから、どうにか出来ないの?それに、兄弟じゃん。どうして自分の兄弟の子どもを殺すの?」
「なぁ?」
二人は目を見合わせました。
「それは幾つか諸説かるが、彼らは兄弟じゃが仲違いしておられるから、なんて話を聞いたことがある。」
「なかたがい?」
「そう、仲違い、要はな。けんかじゃよ。
じゃから、ワシらは崖の下に降りればソレール様の加護がなくなり、ワシらは生きることができなくなるのじゃ。まぁ、もともとソワール様の下部は、ワシらソレール様の民を敵視しておる。
じゃから結界が張られる前は、ソワール様の下部である魔物に幾人もの人々が殺されてきたのじゃ」
「じーじ、こわい!」
ユナは小さな腕を目一杯広げて長老に抱きつきました。
「あぁ、大丈夫じゃよユナ。心配はいらん。
あそこに大樹が見えるじゃろう。」
「うん、すっごいでかいんだろ?」
「あぁ、ここからあの大樹までの距離はとても遠いがあの大樹はとても大きいからな。
ここからでも見えるのじゃ。
あそこには、大樹を守りし巨人様達が住まわれておられる。彼らは里を守るために、三つの楔を作られたのじゃ。
そのうちの一つがここにあるのじゃ」
「そんなのがあるんだ!でも、あると何かあるの?」
「うむ、三つの楔に巨人様とソレール様の力が込められて彫り込まれておる。その力でソワール神の侵入を防いでおるのじゃ」
「へぇそうなんだ、でもさ。
それなら俺らの村は安全だから何もしなくてもいいんじゃねぇの?守り人なんていらなくない? 」
「いいや、いくらソレール様の神力と巨人様の神力が込められておるとはいえ、時が経てば力も刻印も薄れていくものじゃ。
じゃから、代々この地を守る守人、つまり、ユナのようにワシらの中でも最も力を持つものが、その力で結界を補修し、魔力を注ぐ必要がある。そうすることで今の均衡をたもっているのじゃ。
それにのぉ。ユナは見たところ歴代一の力を感じる。ワシは成長が楽しみじゃよ」
「はぇー、ユナは大変だな」
ワシャワシャとリノはユナの頭を撫でました。
「ホッホッ、お主ら他人事のように言うとるが、結界が破ければこの里はなくなるぞ。」
「え?熊の魔物に襲われるように??」
「ホッホッ。あれも大変じゃがな。
それよりもずっと恐ろしいことになる。それも一瞬じゃ。まぁ、今はユナの父が抑えておるから大丈夫じゃがなぁ。」
「そっか、ならユナの父ちゃんがいる間は大丈夫じゃねぇの?」
「そうじゃな。じゃが、いずれはあやつの力も衰える。
じゃから、いずれは誰かに引き継がねばならんのじゃ。
まぁ、ユナがもっと成長せんうちはユーリにがんばって貰わねばの。
あとは、そうじゃのう、結界との相性があうかじゃな」
「へぇ、ダメなときはどうなるの?」
「他の候補者、例えばマルディンになるのぅ」
「ええー、俺あいつ嫌い!」
「おれもー」
「「なぁー」」
兄弟は口をそろえます。
「ホッホッ、そんなこと言わずに仲良くするんじゃ。
それにのう、守り人を守るものも必要なのじゃよ。
ソワール神は来ずとも魔物はすんでおる。お主らには強くなってユナを守って欲しいわい」
「へっへーん、そんなのあたりまえだろ!」
「そうそう!ステラおばさんからも頼まれてるしね」
「そうか、そうか、頼もしいな。よろしく頼むぞ」
「「任せてよ」」
二人は同じようなポーズを決めていました。
それから、程なくて長老の長い服をユナが引っ張りました。
「じーじ、ねぇ、かんかんいってる」
「ん?おや、何の音じゃ??」
「ユナの母さんが呼んでる音か?」
「それにしては切羽詰まってないか?」
それは、村の中心にある時を告げる鐘の音です。普段ならば聞きなれた音なのに、その日の鐘は切羽つまったような、焦ったような鐘の音で、何度も何度も甲高い音を鳴らし続けます。
「おい、なんかやばくないか?」
シンは辺りの異様さにユナの手のシンの手を握りしめ引き寄せます。それに長老は頷くと細めていた目を開いて遠く唸るような音の方を見据えてから、子供達に笑いかけました。
「うーむ、よし、ワシは村を見回ってくる、お主らは、ステラ達を見てきておくれ」
安心させるように、その思ったよりもずっと武骨な手が三人の頭をなでました。
「うん!」
「わかった!長老気をつけて!」
「うむ!」
そうして彼は老人とは思えないスピードで村の方へと駆け抜けていきました。