2 異音
彼女――月崎沙耶佳は、数日前から怪異に悩まされていた。
最初に事が起こったのが、いつなのかは正しく認識していないが、少なくとも沙耶佳が気がついたのは12日前だ。
いつものように電気を消し、ベッドで気持ちよく寝ていたところ、異音に気がついたのだ。
部屋のどこからか、かさかさかさともぎしぎしぎしともつかないような音が聞こえてきた気がした。
気のせいだと思い込もうとしたが、1回、耳に付いてしまった音は中々消えて無くならなかった。
その日は、眠かったこともあり、布団を被るようにして、無理矢理眠ったのだった。
翌日も――どこからか、かさかさ、ぎしぎしと音が聞こえてくる。
さすがに二日も続けば、気のせいで片付けるには無理があった。
沙耶佳は、眠気が残る頭で布団から抜け出し明かりを点ける。
部屋の中は、いつもとなんら変わりが無い――
耳を澄ませるが、そうした途端、音が聞こえてこなくなった。
なんだったのだろう――布団に戻ろうと気を抜いた途端、物凄い近くで、かさかさかさと聞こえてきた。
その音を聞いた途端、得も言われぬ恐怖というか、悪寒が背中を走り抜けた。
ぞわわという感触と共に、腕に鳥肌が立つ。
慌ててベッドの上に逃げ、周囲を見回した。
――五分、十分、自分では解らないが、幾ばくか、そうして周囲を見回していたが、それ以上音は鳴らなかった。
普段なら、常夜灯を点けたままになどはしないのだが、その日は、全ての明かりを消す気にはならなかった。
それから三日が経過していた。
相変わらず、異音は続いている。
一度、覚悟を決めて、部屋の隅々まで音源を探し求めたのだが、結局、見付けることは出来なかった。
探している沙耶佳を嘲笑うかのように、常に背後から聞こえ、その度に肌が粟立つのだった。
部屋の中心に戻ると、背後では無く、部屋の一定方向から聞こえてきているようだ――
という所までは解ったのだが、結局の所、よく解っていないことに変わりは無かった。
親にお願いし、客間で眠ってみたりもした。
それでも効果は無く、やはり夜中にかさかさぎしぎしという音が聞こえてきて、悲鳴が出そうになったが、なんとか理性で抑え込むことに成功した。
つまり、部屋では無い。
沙耶佳自身に付いて回っている――という結論に達せざるを得なかった。
両親に相談してみたが、解決には至っていない。
耳鳴りを心配されたりもしたが、耳鳴りでは無い。
あまりにも具体的にかさかさと音が聞こえるのだ。
耳に異物が入っている訳でも無い。
体内から聞こえてくるわけでは無く、あくまでも外界から聞こえてくるからだ。
そんな日々を過ごす結果、ぐっすり眠ることが出来ず、どこか芯に眠気が残り、ぬるま湯に浸かっているかのような――
そんな錯覚を覚える状態に陥っている。
当然のことながら、些細なミスが増え、友人知人から心配される有様だった。
そんな最中に、呪い屋の話を聞いた。
何故それを光明と感じたのかは解らないが、沙耶佳には、その店が蜘蛛の糸のように思えた。
すがってみよう――と。
彼女は、帰宅し、私服に着替えると――早速、言われたとおりの場所を訪ねてみた。
彼女の悩みを打ち明けるかどうかは、実際に店を見て、店員に会ってみてから決めようと考えていた。
そのお店は、噂に違わぬ姿をしていた。
喫茶店のようでいて、喫茶店ではないお店を見付けるのは、さほど苦労しなかった。
ただ、妙に人通りの少ないその通りは、話の内容も相まって、少し不気味に思えた。
開店中なのか閉店中なのか判断が付きにくいが、どうにも店内が暗すぎるように思える。
ドアに手を掛けてみるが、やはり閉店中のようだ。
窓から店内を覗く――
暗くて、窓に映る自分が見えるだけだった。
ふと、視線を下に移すと、噂話に出てきた狐の像――だろうか。
狐の像が目に入る。
なるほど――奇妙な店な事は間違いが無かった。
とは言え、店が閉店中なことに変わりは無い。
「お休みなのかしら――」
窓から店内を覗き込んでいたが、特に人の居る気配も無く――
再度、入口付近に営業時間等の案内が無いかを確認するべく振り返ると――
「いらっしゃい」
と声を掛けられた。
びっくりして、変な声が出そうになったが、口もびっくりしてうまく動かなかったようだ。
いらっしゃい――と言うことは、このお店の関係者なのだろう。
詰め襟の男子学生が立っていた。
背格好から彼女と同年代と思われた。
すぐに店を開けると告げられ、男子学生が店の鍵を開ける。
アルバイトに店の鍵を持たせるとはどういう了見なのか――
チーフアルバイトなのだろうか――
そもそも、チーフと呼べる立場の人間を据え置くほど人を雇っているとも思えないし――
等々と考えを巡らせていると、店内へと案内された。
店内は、覗き込んでいた姿そのまま――いや、それ以上に混沌としていた。
明かりに照らし出され、店内に入ることで、外からでは解らなかった物が見えてくる。
窓際の狐の像もそうだが、鳥居のような物、8角形の方位盤、曇った鏡、繊細な彫刻により飾り立てられた香炉、etcetc――
先ほどのアルバイトくんにテーブルの席を勧められ、座りつつも――店内が気になって見回してしまう。
こぽこぽこぽと湯の沸く音が聞こえてきたかと思うと、慣れた手つきで紅茶が淹れられ、すっと差し出された。
カップから良い香りが立ちのぼる。
一口、口内に含むと、香りと暖かさが全身に染み渡るようでもあった。
紅茶の温かさが、沙耶佳の緊張をほぐしたのか、思ったよりもすらすらと説明することが出来た。
店員の男子学生は、話を邪魔すること無く、――所々で質問を挟んだりはしていたが――最後まで聞いてくれた。
特に笑い飛ばすでも無く――腕を組みつつ店内を見回している。
話終わってから、沙耶佳は、どこか落ち着かなくなり、男子学生を視界の隅に入れつつ、店内を見回した。
「月崎さん、その音は――どちらの方角から聞こえたか解りますか」
「方角ですか――」
「ええ、方角です。ほら、鬼門とかあるでしょう。方角というのは風水に限らず重要な要素のひとつなんです」
「は、はい。えっと――」
沙耶佳は、自分の部屋と家の方角を照らし合わせ考える。
「北の方――のような気がします」
「北ですか。北東では無く?」
「えっと――北東と言えば北東かも知れません」
「なるほど」
男子学生は、そのまま黙り込むと、ふと思い立ったかのように立ち上がり、店の奥へと消えていく。
沙耶佳は、椅子に座ったまま、消えていった方を見やった。
がさごそと何かを探す音が聞こえるが、男子学生の姿は見えなかった。
2、3分だろうか――がさごそという音が止み、幾枚かの短冊と日焼けして白とは言い難くなった小さな箱を持ってきた。
テーブルの上に、ことりと音を立て、箱が置かれる。
その音から、その紙箱の中身が硬い物だと解る。
「これは?」
「護符と方位磁石です」
そう言いながら、男子学生が箱を開ける。
中からは、小さな――小学校の教材で使ったような方位磁石が出てきた。
「恐らく、霊障――ポルターガイスト現象の一種だと思われます」
そう言いながら短冊――護符を手に取る。
周囲には、朱い幾何学模様が描かれ、中央には達筆な漢字が書かれていた。
沙耶佳には達筆すぎて、何と書いてあるのかまでは解らなかったが。
「部屋の中心に立ち、北東の方角の壁に、この護符を貼り付けてください」
「そ、それだけでいいんですか?」
「いえ、南西にはこちらを。北西、南東にもそれぞれ貼ってください」
「は、はい」
「一応、コレに、どの護符をどの方角に貼り付けるのか書かれています」
ぺらっとB5の紙を一枚取り出すと、護符の脇に置く。
方角と護符の絵柄が描かれていた。
これなら沙耶佳にも迷うこと無く出来そうだった。
「まずは、これで様子見をお願いします」
「様子見ですか――」
「ええ。根本的な解決をしたわけではありません。月崎さんが悩まされている異音を遠ざけるだけですから」
「じゃ、じゃぁ、護符が剥がれたりしたら、音が復活すると――」
「その可能性が高いです。まずは、これで異音を遠ざけ、その間に根本を解決しましょう」
「は、はい。お願いします」
沙耶佳は、そう言うや席を立ち頭を下げる。
男子学生は、少し慌てたように席を立ち、まずは様子見ですからと念押しをした。
Twitter @nekomihonpo




