「工場みたいなものかな?」
「サラ。大丈夫か?」
「……」
少し吐き気がしている。世界も未だに微妙に揺れている。
やはりこの世界の馬車と私は相性が悪いようだ。
馬車の降り口から崩れるようにしながらも地面に降りたった私は、ラファエルさんに声をかけられても無理やり笑みを作るように口元を歪めるのがやっとだった。
たぶん顔色は悪いから大丈夫でないことはバレバレだろう。
一緒に馬車に乗ってきたラファエルさんも乗り心地の悪さには顔をしかめてはいたけれどまったく体調を崩してはいなかった。いくら女子だからといってもこれは情けない。
なんとか地面を踏みしめ、私は意識して深い呼吸を繰り返しながら顔を上げる。
ゼリウンの魔術師の本拠地、イレンシアの塔。
会合の後に用意された馬車に乗ってラファエルさんと二人、がたごと揺られながらやってきたのがこの場所だった。
エンフォーレの町の端にあると思っていた塔は、実際に目の前までやってくると建物が密集している場所から少し外れた空き地にぽつんと立っていた。
ここまでにあった建物と同じように真っ白で飾り気のない塔は日光を反射してとても眩しい。
視線を上に上げると、塔の高さは見上げ続ければ首が痛くなりそうなほどで、王城ほどではないにせよ一つの階自体がとても広そうな太い塔だった。
上の階に行けばいくほど細くなっているようにも見える。
「う゛」
塔を見上げていると気持ち悪さがぶり返してきて、私は締め付けるような頭痛と吐き気に苛まれながら地面に座り込む。
頭蓋骨を覆うように手を頭に乗せ、目をきつく閉じて酔いの波をやり過ごす。
「できる限り短いルートで来たつもりだったがそれでもこれか」
「もう少しなんとかならなかったんですか?
ここまで問題なく来れたのは良かったですが、サラがこれでは」
「さすがに二人担ぐのは俺でも無理だからな」
「町中でそんなことしないでください」
アルとトアが私の頭上でそんなことを話している。
今回は護衛としてアルも同行している。グルスタッフ往復やこの前の晩のように背中に乗せてくれればここまで馬車酔いに苦しめられることはなかったんだけれど、そこは断固としてトアに止められたのだ。
彼女は私が町中に出ることを極端に嫌っている節がある。
今回塔に行くことも考え直すように再三言われたけれど、ラファエルさんの希望もあったのでそれは叶わなかった。
腕に微かな風を感じ、私は目をうすく開く。
「サラ様。無理を、あの、されないでください。お水、飲めます?」
レンが団扇の様な板状のもので私を扇いでくれていた。すぐ傍に水の入ったカップを持ったジャスがいる。
「大体なんで移動に問題あるってわかってるのに王城から出ようとするのよ」
「距離、短いし大丈夫かなぁって思って……」
項垂れたままジャスに力なく反論した。
ああ、揺れない地面って素晴らしい。
一応移動手段については馬車は猛反対したんだけど、なんだか私に危機感がないだとかいろいろ言われた末、国王として馬車でないと塔への移動の許可は出せないとクラウスさんに言われてしまったのだ。
「やはりサラ様は、馬車での移動、向いてないみたいです」
レンが私を扇ぎ続けつつそう評する。
「次は断固として歩きを希望するよ……」
力なく賛同しながら何とか上体を起こす。
動くのも億劫だけれど、塔の中に入らなければここまできた意味がないだろう。
ラファエルさんがそんな私を見てそろそろ動いても大丈夫そうだと判断したのか、一人のルザリドに声をかける。
薄い黄色の鱗をもった彼は案内をするために塔の前で私たちの到着を待ってくれていた魔術師だったようだ。挨拶をされたので胸に手を当てて応える。
その穏やかな物腰もそうだけど、リーゼが普段着ているゆったりとしたローブを羽織っているのでどこかリーゼに雰囲気が似ている。少し尋ねてみるとこのローブは魔術師にとって一般的な服装らしい。このローブにはさっき会ったリーゼのようにフードはないけれど、流行っているわけではないのだろうか?
私達の話が済むのを待ってから、ラファエルさんがその彼に問いかける。
「この塔はどういったつくりになっているのですか? 入り口はないようですが」
そうなのだ。
塔の目の前で私たちは馬車を下りたのだけれど、確かに見渡す限り壁しかなく出入りできるような扉がなかった。ここからは見えない裏側の壁に扉があるのかもしれないと思っていると、案内係のルザリドがそれを否定した。
「ええ、塔の内部に繋がる扉はなく、物理的な出入りは不可能です。
どうぞ皆さまはこちらへ」
そう言ってそのルザリドが示したのは、直径5mくらいで土に棒か何かで書かれた円だった。円の中心には少し大きめの岩がある。
「皆さまにはこの地面に書かれた円の中に入っていただきます。
この岩を起点として塔の中から転位を行いますので」
「転位ですか?」
「はい、ラファエル様とサラ様を転位させた魔法陣と同じもので、規模の小さいものが塔の中にあると思っていただければほぼ間違いありません。これから皆さんを塔の中に転位させます」
「それならば王城から直接転位してもらえれば良かったのでは?」
「なかなかそういうわけには。転位陣にも色々と制約がありまして」
ラファエルさんの問いに受け答えするルザリドは、円の外側に立ったまま説明を続ける。
そのルザリドが言うには転位陣を発動させるのに必要な魔素の量は、転位させる距離と大きく関係するらしい。
塔の目の前から塔の中へ人を転位させるだけの魔素であれば、条件さえ揃えれば数秒で溜めることができるけれど、私の世界から転位させるために必要な魔素の量を溜めるにはやはり一週間ほどかかるのだという。
そして転位させる対象を塔の中にいるエンセルさんが特定しやすくするために、あまりばらけないように円の中に入る必要があるらしい。
「ぁっ」
私がよろよろしながら円に入った途端、先に円に入っていたジャスが小さく声を上げて消えた。
一瞬で掻き消えるようにその姿が視界から失せ、私は慌てて説明を求めて円の外を見る。
「このように一人一人転位させます。この人数なら全員転位するのにそれほど時間はかからないでしょう」
ジャスの消失は当然のことらしい。
そう説明を受けている間に、今度はラファエルさんの世話係としてついてきていたトアではないルザリドが姿を消した。ジャスが消えてからだいたい十秒くらいだろうか?
さらに同じぐらいの時間を空けて、今度は護衛ルザリドが一人消えた。
元々この塔にやってくるのは予定外だった。今日の会合の前に唐突に決まったことだったので、あまり大げさな護衛もついていない。
私の世話係としてレンとジャス、ラファエルさんの世話係としてトアと薄緑のルザリド。そして護衛のルザリドが五人とアルで十二人。
案内役のルザリドは除いてその十二人が円の中にはいたのだけれど、もうそのうちの三人が消えた。あ、今もう一人護衛ルザリドが消えた。次にラファエルさん、そしてレン。
一度に転位できる人数は魔法陣により異なるらしく、それも魔素の量が関わってくるのだと案内役のルザリドが説明を続ける。
けれどそこからしばらく誰も消失しなかった。
皆が居心地悪そうに互いの顔を見る。案内役のルザリドも塔を見るけど何の意味もない。
そうこうしていると私の視界が真っ白になり、次の瞬間には魔法陣の中央に立っていた。
「サラ様、いらっしゃいませ」
無事に転位したようだ。
シュルシュルとエンセルさんが笑っていた。どうやらここは塔の中らしい。
「時間が空いたから何かあったのかと思いました」
「少し魔素が飛んでしまいましてのぅ」
ほっほっほっほとエンセルさんは気楽な笑い声を立てながら、淡く光っている魔法陣に手をつく。
先に転位して来ていたレンに促され、私は転位陣の外に出た。まだちゃんと立っているのも辛いので地面に座り込んでエンセルさんに視線を戻す。
じわりじわりと転位陣の光が強くなる中、そのまま二十秒以上そうしていただろうか。
「そろそろですな」
そういってエンセルさんは立ち上がると、また小声で何かを言った。
その後も何度も転位陣が発動し、その度に一人ずつ部屋に現れた。
「やはり不思議なものだな、魔法陣とは」
唸るような声が私の耳に入る。
魔法陣の中から次々現れるルザリドたちを見ながら、ラファエルさん自身も転位は二度目とはいえそう感想を漏らしたのだ。
全員の転位が完了する前に、私は周囲を見回す。
どうやらここは随分と広い部屋なようだ。体育館ぐらいはあるかもしれない。
エンセルさんが使っていた転位陣は誰かが転位されてくると光が弱まり、しばらくしてまた発光を強めた。転位陣が使用されるたびに魔素が魔法陣から無くなり、そして魔素が集まるのを繰り返している証拠だろう。
そんな明暗を繰り返す魔法陣がこの部屋には十数個あった。一つ一つの魔法陣にはゆったりとした服を着た何人かのルザリドが傍にいて、何か書類を書きこんだり計測をしていたりする。雰囲気から察すると、ここは魔法陣を研究しているところらしい。
部屋の天井には魔石らしい発光する石が吊ってあり部屋全体を照らしているけれど、おそらくそれが無くてもこの部屋は魔法陣のせいで結構明るいに違いない。
「ご気分は悪くありませんか?」
私が座ったまま周囲を見回していると、いつの間に転位してきたのか先ほどの案内役のルザリドが話しかけてきた。
「車酔いはまだ続いてますけど………」
「転位した前後でさらに悪化したということは?」
「ない、と思います」
私の答えを聞いて、そのルザリドは他の人にも同じことを聞く。どうやら皆塔の中に転位し終わっていたらしい。
転位陣の光が治まってから、先ほどの問いについてエンセルさんが説明を加えてくれた。、
「魔素酔いというものがありますのじゃ。
ルザリドでも魔素が大量にある場所では、サラ様の車酔いと同じように体調を崩してしまう者もおりましてのぅ。塔では魔法陣が通常の場所よりも多いため、魔素の濃度がどうしても高くなりがちですのじゃ。
今回はそのような症状が出ておられる方はいないようで何よりですのぅ」
私やラファエルさんもそうだけれど、他の護衛や世話係としてついてきたルザリドの中にはそんな体質のルザリドもいる可能性があったから確認をとっていたらしい。
そんな説明を受けて、私は納得をする。
私の気持ち悪さは塔に入ってからも特に変わっていないので間違いなく車酔いによるもので、私にもその魔素酔いは起こっていないのは明白だった。
それにしても、いまだ少し頭がフラフラしている。
しばらく休めば回復するとは思って大きく息を吐く。そんな私をエンセルさんは黙って見つめていた。
周囲をゆっくりと見回すと、ラファエルさんがさきほどの案内係のルザリドと話しているのに気付く。
「こちらでは時間を星を見ることで測っているのですか」
「そうです。そういったことのご興味が?」
「あまりサットヴィアでは正確な時間を知る術が少ないもので」
「時間の管理や暦の製作は星の観測が必要ですから、詳しい者は最上階におりますね」
「ではそちらを見せていただいても良いでしょうか」
「はい、構いませんよ」
…………
「え、ちょっと待ってください。今、どこに行くって言いました」
気持ち悪さのせいで頭の回転が遅くなっている。それでも私は聞き過ごせない話題に入り込んだ。
今会話に上がった目的地を私は聞き間違いだと思いたかった。
「この塔の頂上まで登る気だが?」
え……、本気ですか。
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
ラファエルさんの言葉に顔が引きつる。
何階建てなのかまったくわからない。外から見た限りでは、とても階段で上れそうな気はしない。もちろんエレベーターやエスカレーターなんてものもない。
このエンフォーレの町に時間を知らせている鐘は最上階に置いてあるらしく、時間の計測などもそこで行っているらしい。
ラファエルさんの興味はその方法にむかい、もちろんやっている場所へ移動する展開になるのは当然だ。
とはいえ馬車でヘロヘロな私は、この塔を上るだなんて上る前から無理だと思えた。
王城の中の移動にラファエルさんが弱音を吐いたことはないけれど、この世界のヒューモスと比べて私は軟弱者なのかもしれない。
思わず渋る私にエンセルさんが舌を鳴らした。
「でしたらサラ様はわしの研究室にでもご招待いたしましょうかのぅ」
「しかし護衛対象の二人が別れてしまうと護衛がしにくいのですが」
「わしの研究室にそう危険はないがのぅ? むしろ王城より安全かもしれん」
「そういう問題ではなく」
アルは私とラファエルさんが二手に分かれることは反対のようで、エンセルさんに苦言を呈している。
でも無理な物は無理だ。
最終的にはこの塔の責任者であるエンセルさんが安全を保障すると断言して、私はレンとジャスと共にエンセルさんの研究室にお邪魔することになった。
「トア、すまないが君もサラと一緒にいてくれないか?」
「それは構いませんが」
「サラは知らず無茶をする傾向がある。どうか頼むよ」
ラファエルさんに頼まれてトアまで私と一緒に留守番になった。
…………私どれだけ信頼ないんだろう。
「絶対に勝手にうろつくんじゃないぞ」
「あ~も~、アルくどいってば。
ちゃんとエンセルさんの部屋でお留守番してるってば」
ちょっと怠い上にやさぐれた気分だったのもあったので、私は適当にアルをいなすとさっさとエンセルさんの研究室へと向かったのだった。
エンセルさんの研究室は転位陣のあった広場の奥にあった。
少し狭く感じるその部屋は照明が少し暗く設定しているようで、明るい広間から入るとそれはどこか寂しい雰囲気を感じさせた。
全ての壁に棚がついていて様々な物が置かれている。床にもよく使うルートだろう場所以外は何かしらの物が置かれていた。おそらくは整理されているんだろうけど物が置かれ過ぎていて雑多な印象を受ける。
ピューレさんの部屋も同じようだったけれど、彼女の部屋は書類だらけだったのに対してエンセルさんの研究室は本当に置かれている物に区別がないように感じる。
レンとジャス、そしてトアは研究室には入らずに部屋の前にいると言うので、私は研究室に一歩入り壁の棚をぐるっと見回す。
オモチャの様な積み木にユーモラスな顔付きのトカゲのぬいぐるみと数種類の瓶に詰められた液体と透明な水晶玉と白い鉢植えに植えられた草と光る石が詰められた瓶と丸められた紙と大小様々な箱とルザリドの骨格標本っぽい骨と使いかけの蝋燭と何に使うのかわからない長い綱と――――
「ついこの前リーゼに言われて片付けたところですのじゃ。座ることぐらいはできますでしょう」
これ以上踏み入れるのに躊躇していた私を置いて、エンセルさんは研究室の中に入る。
床に積み重なっていた本を良い高さに調整してから私に示した。
「そういえばリーゼはどうしたんですか?」
座れと言うことだと判断して私は部屋に入りながら聞いてみた。
示された本の山にたどり着くまで、周囲の物に引っ掛からないようにかなり注意を払いながらだけれど。
塔に来る前に会ったけれど、そういえば彼も会合の前に塔へエンセルさんと向かったはずだ。
「リーゼは今少し立て込んでおりましてのぅ」
示された本の山の上に私が座ったのを見てから、エンセルさんは部屋の隅へ向かう。
「実は今日、この塔で盗難が起こりまして。その対応をまかせておりますのじゃ」
「盗難、ですか?」
「そうなのですじゃ。通信陣が一組、倉庫から紛失していたそうで。
イレンシアでは魔術師が作った魔法陣の管理もしていましてのぅ。メンテナンスが必要なものもあるので、どこにどれだけのどんな魔法陣があるかは記録しているのですじゃ。
今回は保管してあった通信陣を何者かが盗んだようでして、困ったものですのぅ」
どうやら今日、会合の直前に盗難事件の一報が入ったためエンセルさんとリーゼは事実確認のために急ぎ塔へと戻ったらしい。
魔法陣の紛失は物によっては大事になるけれど、今回は通信陣だけであり即時悪用することもないだろうという判断からエンセルさんは私たちの対応に回ったようだ。
急いでいた風だった理由に納得しつつ、私は何かをしているエンセルさんの背中に問いかける。
「でもさっき王城でリーゼにあったんですよ」
「リーゼに?」
「はい、なんか全身被るような服着てましたけど。まだ戻ってないんですか?」
「ああ、なるほどのぅ。
おそらく陛下へ報告にあがったのでしょうな」
大して気にすることもなくエンセルさんはそう話を流すと、私の目の前に何かを差し出した。
それはカップだった。中にはヘドロの様なお茶?が入っている。匂いは悪くないのだけれど、その見た目に口を付けることに躊躇してしばらく睨んだ後に私は顔を上げると、エンセルさんが舌を出していた。
「やはりお飲みになりませんな」
「え」
「わしのつがいもそうでした。ヒューモスには辛い外見ですからのぅ」
そう言って懐かしそうにエンセルさんは目を細める。
そうだ。
エンセルさんのつがいはヒューモスだったという話を聞いている。
詳しい話を聞いてもいいものだろうかと悩みつつも、私はカップを握りしめた。
「あの……エンセルさんのつがいさんは?」
「もう随分前に亡くなった、と聞いております」
私を見つめながらそう言ったエンセルさんの目は、私を通り過ぎてどこか遠くを見ているように感じた。エンセルさんの年齢はわからないけれどトアが孫だというのだから、間違いなく私よりもかなり年上には違いないだろう。
「わしの話はまた機会があればいたしましょう」
エンセルさんの言い方に多少の違和感を持ったけれどそこで話を変えられた。
「サラ様にはまだあと数日はこの世界にいていただかなければなりませんからのぅ。
少しご説明しておかなければいけないことができましたので、今日はご足労いただいたのですじゃ」
どうやらここからが私を塔に招いた本題のようだった。




