「もはや自重を忘れてるよね?」
あの虫料理ってもしかして前もって用意してたのかな?
バルトスも私に虫料理出し続けてたし、ポリトングさんも虫大好きな人だった。ルザリドの虫食への執着は、少し恐ろしさすら感じるなぁ。
給仕を続けるルザリドたちに目をやりながら、ぼーっと考えていると、クリスさんがラファエルさんに改めて自らをこの国の宰相だと自己紹介していた。あの形式ばった動きは、たぶんまた練習していたんだろう。
それを受けてラファエルさんが口を開いた。
「ご迷惑をおかけします。またこのように二匹もの高位のルザリドの方の時間を割いていただいて感謝いたします」
あ、またっ。
私は反応をうかがうために、クリスさんを振り返った。
けれど彼は虫料理を食べきった時と変わらずに、舌を一度出してから言った。
「お気になさらず。問題が問題だとわかっただけでも大進歩なのです。
この場での発言は形には残しません。不本意な翻訳となっていた場合は、互いに禍根を残すだけですから。
なのでどうかお寛ぎください」
その口調は穏やかだ。
ラファエルさん自身の意図とは違う形で言葉が翻訳されて聞こえることを、どうやらクリスさんはわかってくれているらしい。
私はそのことに安堵し、一応ラファエルさんに二匹と聞こえていることだけ指摘した。ラファエルさんも短く謝る。
けれどそれが険悪な空気に繋がることはなかった。
この場にいるのは翻訳がうまくいかないことを了解している者たちだけだ。
その気安さもあり食事を再開すると、それほど時間が経つ前にテーブルには笑い声も立つようになった。
たまにヒヤリとするような言葉をラファエルさんが言うことがあって、私はその度にエンセルさんとクリスさんを見るけれど、彼らは特に気にしないように振る舞ってくれる。
あまりにもひどい言葉に翻訳されたと感じた時は、私がラファエルさんに今何と言ったのかと聞き直した。その度にやはりうまく翻訳できていないことを感じる。
この国に召喚されてからラファエルさんも数時間は経つ。
けれどテーブルを挟んでいる状態とはいえ、ルザリドへの恐怖や偏見などといった感情がラファエルさんにはまだあるらしかった。
ラファエルさん一人でルザリドと話すような場面を作るべきじゃない。
食事が終わるころにはそんなことを私が実感していると、ルザリド二人も同じことを感じたようだ。
「やはり明日、ラファエル様に直接話をしていただくのは危険ですね」
クリスさんがラファエルさんを見据えてそう言った。
「そうですのぅ。血の気の多い者もおるのであまりぞっとしませんな」
給仕のルザリドは全員下がっていて、トアとレンが私たちにお茶のカップを配ってくれた。
それに口をつけながら私も頷く。
正式な場となれば今のように気楽に話し合う訳にはいかない。発言も全て書面に残す必要があるのだという。
けれどラファエルさんの言葉は、彼の意図とは反してしまうことがあるのでは、双方ともにやりづらい。
それに未だにヒューモスへの敵意を隠さない者も多い中、ラファエルさんの発言がどんな問題を引き起こすかは想像すらできなかった。
私が想像し顔を曇らせていると、クリスさんがこんな提案をした。
「サラ様。明日の会合に参加していただけないでしょうか」
「私も、ですか?」
「念のため、ラファエル様の言葉をサラ様に代弁していただいた方が良いと思うのです」
「そうかもしれませんのぅ。サラ様には翻訳の魔法陣での不具合がないようですし」
クリスさんの提案にエンセルさんも同意した。
明日の朝、その会合は始まるらしい。昼前には終える予定だ。
クラウスさんや他のルザリドたちのいる部屋へ、私と一緒にラファエルさんには来てもらい、そこでいくつか挨拶の言葉を述べてもらうだけで良いという話だった。
たぶん私ならできる。
ラファエルさん一人で会合に参加するより、問題もおこりにくいだろう。
「でも私は」
二人のルザリドの視線に戸惑い、素直に頷けなかった。
私はヒューモスのことを何も知らない。そのことがわかった今、異文化コミュニケーショナーだと胸を張ることはできなかった。
そんな私が大切な会合の場所にいていいんだろうか?
答えられずにいる私にエンセルさんも言葉を重ねる。
「翻訳の魔法陣の不備に気付かれたのがサラ様であることに変わりはありませんぞ?」
「その通りです。そうでなければ歴史の繰り返しとなっていたやもしれません」
ルザリドはヒューモスと交流を持とうとする度に失敗したのだということは聞いている。
この翻訳の不備がその要因の一つとして考えられるのは確かだ。
そのことに気づけたのが私だけだというのなら、会合に出ることで気づける何かもあるかもしれない。
「お待ちください」
私が会合への出席を了承しようとしたとき、それまで黙っていたラファエルさんが口をはさんだ。
「私はサラを会合へ出すのは反対です」
私は驚きラファエルさんを見る。
その表情はとても険しいものだった。茶色の眉が寄せられ、まるで睨むようにラファエルさんも私を見ている。顔立ちは全然違うのに、お父さんに怒られる前の空気と似た物を感じた。
どうして、ラファエルさんは怒ってるの?
「サラは異文化コミュニケーショナーだと言ったな」
「はい、そうですけど……?」
その言葉の固さに、私はつい尻すぼみな答えを返す。
そんな私にかけられた次の問いは、今まで考えてもみなかったものだった。
「報酬は出ているのか?」
私は目を何度か瞬かせた。
「ほうしゅう? え~と、お金ってことならもらってませんよ?」
「では何を見返りに?」
正直に言えばそんなこと考えてもいなかった。
日本でも働いたのは、年末年始の郵便局のバイトに社会見学気分で参加したぐらいだ。放課後は基本的にはチョロちゃんの世話をしていたからお小遣いの範囲でなんとかなっていたし、とかげグッズで欲しい物があれば、お父さんか祖父母にねだれば大抵は買ってもらえた。
だからたぶん私には報酬をもらうという意識が薄いんだとは思う。
首をかしげながら、それでも、と私は言う。
「この世界に来て特に不自由しなかったし、とても良い待遇を与えてもらってます。
それが報酬だと思っていいんじゃないでしょうか?」
けれどラファエルさんは厳しい顔で首を横に振った。
「異文化コミュニケーショナーはルザリドの王からの依頼だと言ったな。それは立派な仕事だ。
そして仕事だと言うのなら、報酬を要求するべきだ。
報酬があるからこそ、行為が仕事となり、結果に責任が生じる。
そうでないなら、サラ。
君のしていることはただのボランティアだ。
責任もなく、義務もない。
それが仕事だというのはおかしいだろう」
それに、とラファエルさんは続ける。
「そんな責任のない者に、国の行く末を決める場にはいてもらいたくない」
はっきりとラファエルさんは私の必要性を否定した。
私が反応できずに呆然としていると、クリスさんが咳払いをした。
「ラファエル様のおっしゃることも一理あります。
けれどルザリドへの偏見のないヒューモスであるサラ様が、我々にとって必要であるのも確かです。
翻訳の魔法陣の不備の発見もサラ様でなければおそらくできなかった。
ですがそれよりも彼女がこの国に来てから、ヒューモスのことを見直そうという者も増えました。
それは間違いなく、彼女の功績なのです」
クリスさんがそんな風に私を評価してくれていたことに驚いていると、クリスさんがこちらを見た。
「サラ様。貴女の望みを教えていただけませんか。
今はあなたの好意に甘えているだけ。確かに国として、それはあまりにも申し訳ない。
ご希望に添えるかはわかりませんが、できる限りのことはさせていただきます」
報酬? 異文化コミュニケーショナーとしての?
何ももらわないというのは、ルザリドへの無償の施しになってしまう。
それではラファエルさんも納得できないだろうし、ゼリウンという国としても良い形ではないという。
私は少し悩んでから、良いものを思いついた。
「アルの尾っぽを触らせてください」
これしかないよねっ。
食堂内が静まりかえった。
先ほどから私たちの後ろに控えているトアやレンはもちろん、エンセルさんも口を開かない。
ラファエルさんにいたっては、何か奇妙な物でも見たような表情で私を見たまま固まっていた。
何か変なこと言ったかな?
私は椅子に座ったまま、時間の止まったような食堂を見回した。
「………………………………それがご希望ですか?」
クリスさんがかなり溜めを作ってから聞き返す。
「はいっ! 私がこの世界から帰る前にでいいですから」
今はだいぶマシになったとはいえ、まだ手に違和感が残っている。
ベストな状態で、アルの尾っぽには挑みたいっ。
この世界に来て、初めて尾っぽに触れたルザリドがアルだった。
そのときの手触りは、今でも覚えている。ほんの一瞬だったけど、固くて冷たくてそれでいてトアとは違う大きな凹凸を含んでいた。すぐに避けられてしまったけれど、ぜひもう一度触りたかった。
警戒が強いアルは、私を背中に乗せてくれることはあっても、尾っぽは決して触らせてくれはしなかったのだ。
「異文化コミュニケーショナーとして報酬を得るに足る働きができたと思っていただけたなら、その時はっ!!
アルの尾っぽを思う存分撫でまわさせてくださいっ」
「し、しかしアルベルトがどう言うか……」
戸惑いの声を上げるクリスさんに、思わぬところから私の援軍が出た。
「良いのではないですかのぅ」
「エンセル様っ?」
「アルでしたらわしから話を通しておきましょう。何、嫌だとは言えますまい」
ほっほっほ、と笑い声をあげるエンセルさん。
あ、そっか。アルって昔エンセルさんに育てられたんだっけ。
言うなれば育ての親。エンセルさんに口添えしてもらえば間違いない。
その様子をしばらく呆然と見つめるクリスさん。二度ほど首を横に振り気を取り直すと、もう一度私へと問いかけてきた。
「他にはありませんか?」
「無いです」
私のあっさりとした回答に、ふたたびクリスさんが戸惑っているのがわかる。
だから私はもう一度しっかりと繰り返した。
「他にはありません」
「それだけで、いいので?」
「もっちろんっ」
私はいい笑顔でクリスさんに即答しかえした。
「その代りアルのことお願いしますねっ」
「はぁ……わかりました」
どことなく情けなさそうな声だったけれど、クリスさんはそう答えた。
ふっふっふっふ。アル、宰相さんの了承もとったからね、逃げるなよっ!
私はこの部屋にいないアルに、思念を飛ばしてみた。通じたかは知らないけどね。
「トア、レン。聞いたよね。
その時はアルの捕獲に協力よろしく」
「え、え、え、えぇええっ! ほ、本気ですかサラ様っ」
「本気でしょう。間違いなく」
戸惑うレンと悟ったようなトアはそれぞれの反応のあと、諦めたようにため息をついた。
よし。これであとはトーカスハさんぐらいにも協力を要請しとけば、たとえアルに逃げられてもきっとだいじょーぶっ。
私は手を見る。
この手がアルの尾っぽを撫でる瞬間を思い浮かべるだけで、私は頬が緩むのを止められない。
そうしてから私はニヤケ顔をなんとか普通の笑顔に整えて、彼へと声をかけた。
「ラファエルさんもいいですよね? 私はそれ以上の報酬を望んでません」
変な顔をしていたけれど、諦めたようにふっと息を漏らすラファエルさん。
その顔は苦笑に近く、けれど先ほどまでの表情とは違っていた。
「そうか」
ラファエルさんの声は柔らかく、どこか安堵したように穏やかだった。
その反応に私はやっぱり、と思う。
「だから、ありがとうございます」
彼の苦笑は、私のお礼の言葉でさらに深くなる。
「私のことを思って、あんなことを言ってくれたんですよね?」
ラファエルさんにはこう見えたのかもしれない。
私が突然このゼリウンにやってきて、なんの選択肢もないままにルザリドに利用されているのだと。
けれどそれは違う。
もちろんクラウスさんに依頼はされた。
それでもここまでやるのは、私の意思に違いなかった。
ラファエルさんが今度は大きく空気を吐きながら肩を落とした。
「まったく。
愚息にも見習わせたいほど、サラの意思も強いな。
そこまで他者のために動ける者は少ない」
「私にも不思議なほどですけどね」
日本にいたころ、確かにチョロちゃんのことで度々暴走をしていた自覚はある。
とかげに関することに迸る愛情が抑えきれずに、友人を巻き込んだことも多々ある。
けれどこの世界に来てからは、その暴走加減がさらに増しているような気もする。
日本にはいないルザリドが、この世界にいるからかもしれない。
そんなことを考えていると、ラファエルさんがまだこちらを見つめているのに気付く。
その顔は先ほどの苦笑でも厳しい顔でもない。どこか探っているような視線に、私は首をかしげながら問いかけた。
「私の顔に何かついてます?」
「いや、そういう訳ではないんだが」
少し思案気にした後、ラファエルさんが言った。
「本当に君以外にはこの国にヒューモスはいないのか?」
「え、そうだと思いますけど」
実際滞在している間に、私以外のヒューモスは見なかった。
「本当に? 女性が一人いるはずなんだが」
「私は会ってないんですが」
問うようにクリスさんを見るけれど、彼も首を横に振る。
「少なくともこの王城には今、サラ様しかいらっしゃいません」
その答えを受け、ラファエルさんが眉間にしわを寄せる。
「そうか……彼の思い違いか」
「彼って?」
「わたしの養い子だよ。わたしの本当の息子とは違ってしっかりしている子なんだが」
そう言ってラファエルさんは眉を指で掻いた。
「養い子といっても、もう成人しているがね。
幼い頃をゼリウンで過ごし、今はサットヴィアでわたしが引き取って暮らしているんだ」
「へえ、そんな人がいるんですね」
私の相槌にラファエルさんが頷く。
「彼はサラよりは年はいくつか上だったはずだ。
けれどどこか、サラと似ている。その黒髪の所為かな?」
「その人の髪、黒いんですか?」
「ああ、サットヴィアでも珍しい色でね。
わたしは違うが、王族にたまに表れる色だから、サットヴィアに初めてやってきたときも丁重に扱われていたよ」
どうやらサットヴィアでは色素が薄く、金髪や白髪のような人が多いのだという。
私のイメージの中でいうヨーロッパ系統の人だろうか。ラファエルさんの髪も薄い茶色だし、目もよく見れば黒というよりは灰色に見えた。
「それはリビトの話ですな」
エンセルさんがそう言った。ラファエルさんが驚いたようにエンセルさんを見返す。
それに対してエンセルさんは舌をシュルシュルと鳴らす。
「リビトであればヒューモスとルザリド双方の言語を習得しておるので、今回呼び寄せられれば良かったのじゃが……うまくは行きませんのぅ」
リビトさんという人のことを、どうやらエンセルさんはよく知っているらしい。
ラファエルさんはエンセルさんへと問いかける。
「ならばご存じでしょうか? 彼の姉を」
「リビトの姉ですか?」
エンセルさんの反応にラファエルさんは続く。
「本当の親はもう亡くなったらしいのですが、彼には一人だけ姉がいるそうなのです。
サットヴィアへ来た時から、その姉君を置いてやってきたことをひどく気にしていました。
今回、私がゼリウンに行くことになって、姉に渡してほしいとある物を頼まれているのです」
「そうでしたか。リビトの姉の名は――――」
感情のわからないエンセルさんの声が、その名を紡ぐ。
「――――トゥーキア=シャリエと申しましてのぅ」
「トアっ!」
私は食堂に響き渡る大きな声で、彼女の名を呼んだ。
ラファエルさんの後ろで、その彼女の体が大きく跳ねる。
「弟さんだよ、弟さんっ」
遠くの弟を懐かしんでいた私の友人が、とても気になった。
サットヴィアにいるとは知らなかったけれど、リビトさんのお姉さんがトアなのは間違いないだろう。
まるで硬直したように立ち竦んだままのトアと、私の突然の行動に驚いているラファエルさんはどちらも動きそうになかった。
私は居てもたってもいられず、椅子から立ち上がりトアへと駆け寄る。
それでも動かないトアの背中を、私は軽くラファエルさんへ向かって押した。
「ラファエルさん。彼女がトゥーキア=シャリエですっ」
「…………」
トアもラファエルさんも何も言えずに互いを見つめ合う。
「ラファエルさんっ」
私が再度呼びかけると、ラファエルさんは慌てて服の中から何かを取り出した。
「これだ。
これを渡してほしい、と」
「あの子が」
トアが差し出された物を手にとる。布の包みの中に、何か小さな物が入っている。
取り出すトアの手元に注目していると、とても小さな物が包みから現れた。
それは木切れのように見えた。
随分と古い――――馬?
私には形状がそれに見えた。
小さな木馬。彼女がしてくれた昔話の実物とはきっと違う。
けれどトアが小さなころに遊んだ道具で、弟さんと取り合いの喧嘩になった原因。
それはたぶん彼女たち姉弟同士の暗号のようなもの。
「まったく。いつまで経っても子供なんだから」
その声は懐かしさに満ちていて。
トアはその木馬を握り閉めるように胸に抱えた。
「無事で―――ほんとうに、良かった」
それは安堵とともにこぼれた言葉で。
何の疑いも入る余地もないぐらい、弟への心配であふれていて。
「確かにヒューモスとルザリドは何も変わらないのだな」
だからこそ彼の心にも届いたんだろう。
ラファエルさんはトアへと声をかける。
「今まで一人でよく頑張られたな」
その言葉はとても優しかった。




