7.変わり者の妻【side ブルールージュ】
せっかく妻となったアリアナとの仲を深めようと歌劇に誘ったのに、途中で会ったアリアナの幼馴染というグレイ・ゴールドウインのおかげで胸の奥にもやもやを植え付けられてその後の昼食もぎこちない空気のまま味も分からず終え、買い物もままならずに終わってしまった。
ただでさえこの結婚は最初から失敗している。
「今のところきみを愛するつもりはない」
初夜で言い放った言葉は、俺の中の小さな見栄だった。
愛する女性なんているわけがない。
社交界にいる令嬢たちに惹かれることはなく、適齢期と言われる年齢を過ぎても結婚の気配も恋人の存在さえ見せなかった為、親が心配して政略結婚させたくらいだ。
アリアナはなぜ独身だったのか、婚約者さえいなかったのか、と疑問に思うほど可愛らしくて美しい。
そんな彼女に女性経験に乏しいと思われたくなくて、デキる男の振りをして……大失敗してしまった。
あほだ、ばかだ、おおまぬけだ。
当の彼女は気にする素振りもなく、この結婚は政略的なものと理解し、侯爵家の広大な農地が目的だと笑顔で言ってきた。
社交界では美貌の侯爵と数多の令嬢や夫人たちにもてはやされても、妻となった女性に見向きもされないなんて、男としての矜持はボロボロになる。
更に初夜から同じベッドで寝ているものの、アリアナはすぐに寝てしまう。
意識している俺は、一晩中なかなか眠れないというのに。
そもそも俺が普通の女性に興味を持てないのは、幼い頃に出会った強烈な印象の少女のせいだ。
母に連れられて行ったお茶会で出会った茶色い髪の少女は、退屈を持て余したのか大きな木の上に登っていた。
「危ないよ。大人たちに怒られるよ」
「あなた誰? 見たことない顔だわ」
おっかなびっくりだった俺に、少女は名前を聞いてくるとふんぞり返って笑った。
「あなたも登って来たら?」
「む、無理だよ、危ないよ」
「男の子なのにできないの? やーい、ブルルの意気地なしー」
正直腹が立った。初対面の女の子にばかにされて、悔しくて夢中で登った。
運動は苦手だったし、体も鍛えてなかったから少女のいる枝に辿り着いたときは汗だくで息も絶え絶えだったけれど、一言文句を言ってやりたかった。
「なんだ、ブルルのくせにやるじゃない」
「だから、ブルルってなんだよ、僕はブルールージュだ!」
「ブルールージュって長いのよ。それよりもほら、見て」
少女に言われて前を向けば、いつもとは違った景色が見えた。
いつもは見上げる王城が目線と同じ高さにある。
教会の塔も、その隣の大聖堂もちっぽけに見えた。
「すごいでしょ。ここに登るとね、私たちってそんなに大きくもないけど小さくもないって思うのよ」
少女は足をぷらぷらさせて景色を見ている。
その表情が木漏れ日に照らされてきらきら光って見えて、当時の俺の心をざわつかせた。
その後探しに来た大人たちに危険だと怒られて、こってり絞られた。
更に友人たちにその少女の話をすると「そんなおてんばな女の子が気になるなんて」と笑われてしまって、ある意味思い出したくない苦い思い出になったのだ。
貴族の女性は淑女たれ、と大人しい女性が好まれていた。
だから時と共に記憶は薄れてしまったが、あの時の少女の微笑みが未だに心に焼き付いてくすぶっているのは確かで。
言ってしまえばその少女の印象が強烈だったせいで社交界の女性たちの態度や目線がめっきり苦手になっていたので婚期が遅れてしまったのだ。
今更探し出して結ばれようなんて思っていない。
少女も誰かと結婚している可能性があるからだ。
不貞行為は恥ずべきもの。
俺も政略とはいえ結婚したからには妻を大事にしなければならないと分かってはいるのだが……
アリアナもまた、社交界にいる女性たちとは違った風でどうしていいか分からなくなる。
挙句、初夜の大失敗のせいで政略結婚と割り切られ、愛人まで探されるという屈辱。
俺が悪いとはいえ少しも興味がなさそうな彼女を見るとさすがに気持ちも落ちてしまう。
友人たちの奥方はドレスや宝石を贈れば機嫌を直してくれるというが、アリアナはそんな素振りはない。
むしろ畑にやる高級肥料の方が喜ぶかもしれない。いや絶対そちらの方が喜ぶ。
だから初夜の事を謝って何とか夫婦の仲を正していこうと思いはするものの、彼女はその隙も与えてくれない。話せば話すだけ話の方向があっち向いてしまう。
なるべく要望に応え、自由にしてもらっていれば目を離した隙にいなくなる。
しかも生き生きとして楽しそうに笑っている。
使用人たちと和気あいあいと談笑し、土に汚れながらも光って見える。
何度も言うが、俺は大バカ者だ。
愛さないと言ったそばから彼女に惹かれ、近くにいるのに片思いになるなんて思ってもみなかった。
……今更だろうか。
あの言葉はなかったことに、なんて……アリアナに嫌われてしまうのが怖くて何も言い出せずにいる。
そんなおり、幼馴染の男がアリアナに近付いてきた。よりにもよって、お前を愛さないと言った夫との愛のない結婚生活に終止符を打ち、幼い頃から愛してくれていた男性と結ばれるという話の歌劇を見た後にだ。
親しげに話す彼はどう見てもアリアナに好意があるように見える。
アリアナも気さくに話している。
彼女が畑や植物以外に好意的なのを初めて見て胸の奥がもやもやとした。
俺のライバルは植物だけではないのかもしれないと思うと気持ちに余裕がなくなってしまう。
あまつさえこの男は夫婦のデート中に食事に誘ってきた。幸いアリアナは誘いに乗る事はなかったが、一人のときは気軽に行ってしまうたんぽぽの綿毛のような気がする。
不安と焦燥が入り混じり、アリアナの茶化しに真顔で答えた。
少しは家の畑より気にして貰えるだろうか。
義務ではなく、いつかは本当の夫婦になれるだろうか。
悶々としたまま、今夜も同じベッドで眠る。
一人分のスペースを空けたまま。




