第9話 安息の地
月の光を浴び、ダンジョン街アルヌスに巨大な影を作る『神魔の塔』を遠目に歩を進める。
僕は時間がだいぶかかったとはいえ、お嬢様方と暮らす家のすぐ近くのところまでやってきた。
「こんな姿じゃ、お嬢様驚いちゃうな……」
薄汚れた格好に、幾つかの血痕。頭からの出血は止まったけど、血の跡は残っているだろう。僕は近くの井戸で顔と身体を洗い、幾分か小奇麗に身なりを整える。ポケットにハンカチが残っていたのは幸いだった。
そして近くの崩れた石垣にゆっくり腰を下ろす。その行為に伴って全身に痛みが走る中、僕は悩んだ。
正直にお嬢様に話すべきだろうか?
荷物一式全部盗られた訳だし、ごまかしようがない。お嬢様怒るかなぁ……。
怒られても仕方がない。いや怒らない方がおかしいだろう。
何といっても僕は冒険者としてやっていく装備も鞄も盗られた。稼ぐ術を奪われたのだ。それに昨日と今日の稼ぎまで。明日からどうやって食べていけばいい?
残ったのは砕かれた破片の石鹸。そのポケットの破片を理由もなくいじる。
……ああ、そうだった。一つだけ簡単にお金が入る方法がある。しかも大金だ。それだけあれば、お嬢様方は贅沢な暮らしをしても、しばらくは生活していける。
頭には三年前の豚の元ご主人様が、僕を買った理由を想い出していた。
「もう、それしかないか……」
小さく呟き、空を見上げる。
僕のそんな心情を嘲笑うかのように、暗い空には爛々と星たちが煌めいている。
どこかで見たような景色だ。
そう。あの日あの時、お嬢様に、ルーシェ様に出会った日もこんな綺麗な……。
「……ユウリ。ここで何してるの?」
「へっ!?」
昔の記憶が蘇る。たしかあの時もこんな間の抜けた返事を返した。
空から引き剥がした視線を向けると、そこには魔石灯を持ったルーシェ様がいた。
「ルーシェ様!どうしてここに!?夜分は危ないので出歩かないようにあれほど……」
「あなたがいつまでも帰ってこないから……!ずっとずっと帰ってこないからじゃないっ!!」
その細い身体が震えている。
肩で大きく息をして、その顔にじんわりと汗を滲ませている。まるで今まで走り回っていたかのように。
「……まさか、僕を探していたんですか?」
「そうよ。ずっと探しまわったわ!新人ダンジョンの方にだって行ったわ!冒険者ギルドにだって、あなたが行きそうな所全部!」
その言葉に僕は大きく目を見開き、同時に全身に熱を帯びた。それは間違いなく怒りに近い感情だった。
「なんでそんな危険なこと!?何かあったらどうするんです!?」
「それはこっちのセリフよ!馬鹿ユウリ!!そんなになるまで怪我をして、なんで、なんでっ……!?」
ルーシェ様が怒りとも悲しみとも取れる、なんとも言い難い表情で僕の姿を凝視している。
いくらか小奇麗にしたと言っても、服に残る血の跡は全部消えなかった。シャツに滲んだ血の跡でばれたんだ。
「僕はいいんですよ、僕は!怪我をすることなんて馴れて……」
「いい訳ないじゃない!ユウリは本当に、何もわかってない!本当に、何も……」
俯くルーシェ様。既に涙がその美しい瞳に溜まっている。妙に強気なのに、泣き虫なのは昔から変わらない。
しかし今日のルーシェ様は違った。
すぐに、ぱっと顔を上げると僕の方に近寄って来る。そして僕の手を握ると、強引に手を引いていく。
「ルーシェ様?どこに向かうんですか?」
「決まってるでしょ!すぐに治療するの!」
ルーシェ様に付き添われて家に入ると、そこにはアリシア様とミリヤ様が心配そうに玄関の扉の前で待っていた。
「ユウリ!?大丈夫なのですか!?」
僕の姿を見てアリシア様がすぐに寄ってきた。その顔はいつもの微笑みではなく、心配そうにその美しい顔を歪ませている。
「ご心配をおかけしてすみません。血は止まってますし、傷も深くは無いので……」
「そう、良かったわ。でもすぐに治療しましょう。ルーシェはお湯を沸かしてちょうだい。ミリヤは薬箱を持ってきて」
ルーシェ様は「わかったわ」と呟いて、急いでお湯を沸かしに行く。その後ろを追うように、今にも泣き出しそうな、いやもう半分は泣いているミリヤ様が、薬箱を取りに行った。
幼いミリヤ様にはぼろぼろで、血に染まった服を着ている僕の姿は少し刺激が強すぎたかもしれない。ショックを受けていなければいいんだけど……。
「ユウリ、何があったのですか?こんなにぼろぼろになって……」
アリシア様が僕の手を取り、ゆっくりとその場に座らせ尋ねてくる。
「それは……」
僕は全てを正直に話した。石鹸を買いに行って、盗賊団と出会い抵抗した挙句、傷めつけられ稼いだお金も装備も全部奪われてしまったことを。
そしてその話しを終える頃には、ルーシェ様とミリヤ様も心配そうに僕のもとに駆けつけていた。
「……あなたも馬鹿ですね、ユウリ。初めから全てを渡していれば良かったのですよ。そして隙をついて逃げればこんなに怪我をすることなんてなかったでしょうに」
僕に言い聞かせるように呟きながら、アリシア様がお湯に湿らせたタオルで、傷跡を綺麗に拭いて下さった。奴隷の身分でありながら、お嬢様方にお世話をされることに抵抗を感じながらも、僕はまだ痛む傷跡に顔を顰める。
手際よくアリシア様は消毒液と包帯で僕の治療に当ってくれる。ルーシェ様もいてもたってもいられなかったのか、アリシア様と反対側に座り僕の治療をしてくれた。
「いいですか、ユウリ。今度も危険な目にあった時は、荷物なんてすぐに渡してしまいなさい。そんな物あなたが怪我を負ってまで守る物ではないのです。あなたの体の方がずっと、ずっと大切なのですから」
「そうよ!馬鹿ユウリ!アリシア姉様の言う通りそんな物渡して、隙を見てすぐに逃げればいいのよ!それなのに、まったくもう!!」
アリシア様とルーシェ様に包帯を巻かれながらお説教をされ、僕は縮こまる。お嬢様方は荷物を奪われたことに対しては怒ってないようで、危険な目にあっても荷物を守ろうとした僕に怒っている様子だった。
そんな雰囲気の中、出すか迷ったが僕はポケットに入れていた石鹸、それを申し訳なく取り出した。
「ルーシェ様これ……」
「……えっ?これって」
不思議そうな顔をしていたルーシェ様に、僕は幾つもの破片の石鹸を渡す。
「すみません。これだけしか守れず……。綺麗な状態で渡したかったんですが、砕かれちゃって……、使いたくなかったら捨てて下さい」
ルーシェ様は石鹸を受け取ると、その両手で抱え、いかにも大切そうに自らの胸元で優しく握りしめた。まるで祈るかのように。
「……本当に、馬鹿なんだから……」
すべてを悟ったような表情をしたルーシェ様はそう呟く。
「でも、ありがと……」
とても小さい声。少し肩を震わせて、下を向くルーシェ様に僕は少しだけ救われた気がした。
「ではユウリ。その、服を脱いで下さい」
「へっ!?」
突然のことに僕の口から甲高い声が漏れた。同時にアリシア様を見ると、やや頬を朱色に染めながら目を逸らされる。
「か、体の方も治療しなければなりません。ええ、そうですとも!これは立派な治療行為なのです。ユウリ、さあ早く脱いで下さい」
顔を近づけ迫ってくるアリシア様に、僕は若干ひいてしまった。いつもはお淑やかなのに、なぜか妙に興奮なさっている。
「えっ!?いや、でも……」
「な、なにを恥ずかしがっているのよ!?いいから脱ぐの!!」
「は、はい!!」
ルーシェ様のまくし立てるような言葉に、僕は急いで服を脱いでいく。
執事服のシャツを脱ぐと、僕の上半身が顕になった。傷跡だらけの体。だがそれは、先ほどできた傷じゃない。
昔の古傷。あの豚の元ご主人様によって刻みつけられた傷が今でも無数に、その身体には浮かび上がっている。
「ユウリ、そんな…‥」
アリシア様から、小さな声が漏れた。同時に震える手で、古傷をなぞる感触が身体に伝わってくる。僕の古傷を見て驚かれたのだろう。今まで誰にも見せたことのない傷だらけの体だ。
「……アリシア姉様、早く治療をしましょう。ユウリの傷がまた残ってしまわないうちに」
「……ええ、そうね。ごめんなさいユウリ、傷にしみると思うけど我慢してね」
ルーシェ様もアリシア様も、なんだかもの悲し気な表情で治療をし、僕の体に刻まれた新しい傷に包帯を巻いていく。手際よく進む治療はすぐに終わった。
「……これでいいでしょう。ユウリ、今日はベッドを使いなさい。それから傷が癒えるまで、ユウリは外出を禁じます」
「そ、そんなっ!?」
「当たり前よ!そんな傷で、また何かあったらたまったものじゃないわ。大人しくしていなさい!」
「だけど、どうやって生活していくんですか!?僕が稼がないとお金も無いし……」
「それは心配には及びません。まだ僅かですが蓄えがありますし、わたしにも当てがあります。ユウリはまず何よりも傷を治すことに集中しなさい。後のことはわたしに任せて」
アリシア様がその大きな胸を張る。何らかの算段があるのだろうが、とても心配だ。不安になる。
「……ユウリ、もう大丈夫なのっ!?」
声のした方を向くとミリヤ様がとても不安そうに僕を見つめている。未だに涙を浮かべているが、最初よりは落ち着かれた様子だ。
「ええ、もう大丈夫ですよ。このくらいなんとも無いです」
僕はミリヤ様に精一杯の笑顔で応える。元気ですよ、と痛む体を動かして。
「まだそんなに動いちゃ駄目なの!早くベッドでお休みするの!」
ミリヤ様はそう言って僕を、ぐっとベッドまで押しやった。いつもはお嬢様方、三人で使っている一つのベッドだ。僕が使うとお嬢様方が使えなくなる。
「ミリヤ様、本当に大丈夫ですので僕はソファーでいいんです」
僕はいつもソファーで寝ている。この家にはベッドが一つしか無いからだ。そのベッドを使ってしまうとお嬢様方がソファーや床で寝ることになる。それは絶対に我慢がならない。
「駄目です!言ったでしょう?さっきベッドで寝なさいと」
アリシア様の毅然とした声が部屋に響く。
「そういうことなのっ!でも安心していいの!今日はミリヤが一緒に寝てあげるの!!」
「へっ!?いやそれはさすがに……」
思いもよらぬ言葉に僕は慌てふためく。奴隷の僕と一緒に寝るなどあってはならないことだ。丁重にお断りしようとしたその時―
「ちょっと待ちなさいっ!わたしがユウリを看病するから、ミリヤはソファーでお姉さまと寝なさいよっ!?」
「えぇ!?ルーシェ様も!?」
「か、勘違いしてんじゃないわよ!?だ、誰も一緒に寝るなんて言ってないわ!看病だけよ、看病!!」
あたふたと手をばたつかせ、必死に抗議するルーシェ様だが、その顔はなぜか赤い。
「じゃあ別にミリヤがユウリと抱き合って、一緒に寝ても問題ないなの。ルーシェ姉様はベッドの隣の椅子に座って、ユウリの看病してたらいいだけなの」
さらりと『抱き合って』という言葉を追加してくるミリヤ様。
「あんたねぇ……、そんなの駄目に決まってるでしょ!!」
「なんで駄目なの!?」
またしても始まってしまった争いに僕は慌てて止めに入った。
ルーシェ様が仁王様の如く腕組みをし、まだ幼く背の低いミリヤ様を見下ろすように睨みつける。
が、それに負けじとルーシェ様を見上げ、がるるると、牙を剥きだしでミリヤ様も睨み合う。どうしてこうなってしまうのか……。だが僕ではこの争いは止められない。
そうだ、この争いを止められるのはたった一人、聖母のような優しさと、怒らせると鬼神の如き怖ろしさを併せ持つアリシア様のみだ。僕は助けを求めるかのように、アリシア様に視線を送る。
「あら?今日はわたしが看病しながらユウリと一緒に寝るから、あなた達二人がソファーよ?」
「……はっ!?」
僕は開いた口が塞がらなかった。ここに来てアリシア様が突然の参戦表明だ。しかも看病しながらの一緒に寝るという……。
今までそのようなこと、一切仰らなかったのに。一体どうなされたのか……。
結局僕はひきずられ、ベッドに無理やり寝かされた。だが寝ることなど許されない。ベッドの周りで展開される争いがそれを阻んだのだ。
「姉様たちずるい!ミリヤが一番先に……」
「うっさい!ミリヤ!大体あんた最近ずっとユウリにくっついてばかりで、わたしのものって言っても全然聞かないし……」
「あらあら?ユウリはものじゃありませんよ?それにあなた達はずっとユウリに甘えてきたのだから、今回はわたくしに譲るべき……」
終始、収まりのつかない争い。夜は次第にふけていく。ひたすら続いた口論だったが、やがてお嬢様方は疲れ果て、僕の寝るベッドで重なるようにお眠りになられた。
ぎゅうぎゅう詰めとなったベッドからそろりと降りる。僕はようやく収まった争いに、安堵の溜息をつく。そして毛布をそっとお嬢様方に掛け、おやすみなさいと呟くと、ソファーで一人休むことになった。




