プロローグ
「……この、悪女!!」
楽屋のドアが大きな音を立てて開く。
そこには涙でぐしゃぐしゃの見るに堪えない顔の女が立っていた。その女がつかつかと私に歩み寄り、私の腕をぐっと掴む。
「誰?ここは関係者以外立ち入り禁止よ。私の腕を離してさっさと出ていって」
間近で見ても知らない顔である。
それにしてもセキュリティーはどうなってるのだろう。あとで話をつける必要がありそうだ。
「……っ、あんたのせいで恒星は多額の借金を負ったのよ!!」
「恒星……ね。そんな人いたかしら?」
恒星なんて男、心あたりが全くない。
「あんたに大金を貢いだ男よ!!」
「……正直くれる男性が多すぎていちいち名前まで覚えてないわよ」
これは本当。
オペラの歌姫である私には信望者がわんさかいる。
薄茶色の髪に、藍色の瞳。神が与えし完璧なプロポーション。そして何より誰しもがもう一度と願う天に轟きし歌声。
天が二物も三物も与えしこの私に貢いでくれる男はたくさんいるからいちいち顔なんか覚えていない。
ま、もらえるものはありがたくちょうだいしてるけどね。
「恒星は私の婚約者だったのに……あんたに夢中になって破産して仕事もクビになって……あんたに会わなければ私と幸せに暮らせたのに……」
「勝手に貢いできたのはその男よ。破産でもクビでも勝手にして。そもそも、私に貢いでくる時点であなたとの関係は終わってたんじゃないの?」
馬鹿な女。そんな男と婚約せずにすんで私に感謝してほしいくらいだわ。ま、日本人離れした私の美貌にやられるのは分からなくはないけど。
「あんたさえ……あんたさえいなければ今頃幸せな結婚をしていたはずなのに」
女は腕を掴んだまま下を向きブツブツと呟く。
これは……ヤバいわね。あっちの世界にいっちゃってる?早いところ退散するのが賢明だろう。
「とにかく私には関係ないわ。腕を離して」
私は思いっきり女の手を振り切る。
「あんたも過去の男を気にしてないで、現実を生きなさいよ。もっとマシな男はこの世に大勢いるわよ」
可哀想な女に忠告してあげる私。お人好しすぎるかしら。
「……あんたさえ、あんたさえいなければ!!!」
どこか虚ろな目をした女と視線が合う。
次の瞬間、女が私に向かってぶつかってきた。
ドン
お腹が熱い…………。
下を見るとお腹にナイフが刺さっている。
「悪女のあんたなんかこの世にいらないのよ!!!」
女はそのまま楽屋から走り去った。
私の身体はゆっくりと後ろに倒れていく。
ま、こんな最後もありよね。
老いる前に美しいまま死ぬ。
これも……わたし……ら……し……い…………
そして私の世界は暗転した。
◇ ◇ ◇ ◇
「……亜……美亜」
誰よ。私の名前を呼ぶのは。
「美亜」
大きな声で名前を呼ばれてしぶしぶ目を開く。
「……ここどこ?」
目の前には真っ黒な空間が広がっていた。
辺りを見回しても誰もいない。果てまで続く暗闇をみているとそのままのみ込まれそうで身体がゾクッとする。
「ここは死後の世界です」
どこからともなく声が聞こえてくる。
そうか。私は死んだのか。
「あなたは誰?」
「次の生を司る者です」
神様みたいなもの?
「はい。その認識で間違いはありません」
「で、私はどうなるの?」
次の生って言うことは転生?
「はい。転生していただきます」
せっかくなら次は皇族か社長令嬢が良い。前世は孤児で教会の聖歌隊からオペラ歌手に成り上がるまでかなり苦労した。次は悠々自適な生活を送りたい。
「ゴキ○リに」
「えっ……今なんて言ったの?」
今、ありえない言葉を聞いた。きっと聞き間違えである。
「ゴキ○リに転生していただきます」
「チェンジで」
ムリムリムリ。絶対にムリ。
あの黒光りするやつだけは生理的に受け付けない。
死んでも(死んでるけど)ムリ。
「残念ながらあなたは多くの人に恨まれているようで、選択の余地がありません。あなた、お金のためにさんざん男をもてあそんだでしょう。戦争などでたくさん人を殺してもその後善い行いをすればつり合いが善に傾き、選択肢が増えるのですが……あなたの善行は無きに等しいですからね……」
だってこの世は金が全てじゃない。奪ったわけでもないし、相手が勝手に自滅しただけなのに納得いかない。
「歌で多くの人を癒やしたわよ!!」
「確かにあなたの歌に感銘を受けた人は多そうですが……それ以上に恨まれてますからね」
「最後殺されたのよ。可哀想じゃないの?」
「相手の天秤が悪い方へ傾くだけで、あなた自身が善いことをしたわけではありませんので特には変化はありません」
「……そんな、なんとかならないの?黒いやつだけは絶対に嫌!!もう、悪いことしないから善いことをたくさんするから!!」
神様――――!!どうかお願いします。
「ムリですね。百回はゴキ○リで我慢してください」
百回!?
私はその場で卒倒しそうになるのをなんとかこらえる。
何とかならないの。何とか。私にだって善いことの一つや二つくらいしてるはず。
「……その一つや二つが見当たりませんので……ま、百回我慢してください」
「イヤ――。本当に無いの!?何か別の方法が。黒いやつにならないならなんでもするから!!」
「ありません……では!善い虫生を!!」
イヤーー!!!
私の体が光に包まれる。
待って待って待って――!!!
「ニャ――」
その場に似つかわしくない猫の鳴き声がどこからともなく暗闇に響き渡る。
と、私の前に一匹の猫が表れた。
白地にオレンジと黒模様のそこらへんにいそうな三毛猫である。
「……おや?」
「ニャ――ニャニャ――」
「ふむ。そうですか……」
猫と神はどうやら話をしているようである。
あの猫なんとなく見覚えがあるような……。
「美亜。あなたに選択肢を与えます。こちらの猫、実は現実世界を見るための神の御使いなのですが、どうやらあなたに助けてもらったことがあるそうです」
思い出した!
1ヶ月くらい前に道端でうずくまっている猫に、持っていた魚をあげたことがある。あの猫!!差し入れでもらったのは良いけど処分に困ってたからちょうど良くて。
はっ。こんなこと考えたら、善行じゃなくなるんじゃ……。私はあえて神の御使い様をお助けして……
「わざわざ考え直す必要はありません。偶然だろうと神の御使いを助けたことは事実。ですのであなたにチャンスを与えます」
やった――!!黒いヤツにならなくて済むならなんでもしてみせる。
「新しい身体を与えますので、その身体で善行を100積み重ねなさい。そうすればあなたの望む姿へと戻してあげましょう」
「分かったわ!!善行を100ね」
100くらい軽い軽い。とっとと行って皇族か社長令嬢へ転生してやるわ。
「……では、頑張ってください。良き猫生を……そうそう困ったらステータスを開いてみてください」
「ニャ――」
「えっ?」
猫生?
ちょ……人じゃないの!!!!
そして私の世界はまた暗転した。




