【第三十二話】漆黒の不定形
「驚いたな。こんなに早く見つかるとは」
呟いたショウは、椅子を引いて立ち上がる。眼前の男、この家、そしてこのラスィム村の長へ向け抜刀した。
ショウとヘックスはヴィンセント・アリの護送車襲撃事件について、現場から一キロ半ほどの距離を隔てたこの村で、聞き取り調査をしていた。
しかし村人は調査に協力的とは言えず、「仕事があるから」、「家事があるから」ともっともらしい理由で足早に去ろうとする。
無理に話を訊き出そうとしてもこう返される。
「関わらない方がいい」
口裏を合わせたように同じ文言だ。
この件に魔王軍が関係していることは話していないが、危険な事案であることは滲み出ているのだろう。
しかしそのような非協力的な態度は『塔』の捜査員であるショウにとって寧ろ疑念を深める要因でしかない。
捜査の素人であるヘックスでさえ、隠し事を察さずにはいられない。
ただ不可解なのは、彼女の眼に彼らの感情が映らないことだ。怯えや苛立ちが視えてもよさそうなものだが……
そして村長の住居。窓から差し込む光が切先に反射し、家主の首筋を射貫く。
「せっ、先生なにを」
師の突然の凶行を止めようとするヘックスを視線で制止する。
ショウらはヴィンセント・アリの護送車襲撃事件について、村人への聞き取り調査をしていた。その最中、村長が決定的に言ってはならないことを口走ったのだった。
「貴様は今『異国の着物を着た女は見ていない』と言ったな」
「ええ、まあ」
村長はずっとどこか気の抜けた態度だった。それは単に事件の捜査協力という非日常に適応できていないというだけではない、明確に話を暈す意図があった。
それを『塔』の捜査員メイ・ショウは見逃さなかった。
「私は異国の衣服とは言ったが、具体的な種類は言っていない。貴様は知っているはずがないんだ。敵が『着物』を着ていたことを」
普段の妖刀とは違う通常の刀、その白き柄を握る手に力が籠る。
「貴様、何者だ」
村長がニタニタと笑い出す。
「廃棄ハ少ナイ方ガイイワ。ゴミ捨テ場ノ掃除ヲ忘レズニ行ウコト。廃棄ハ少ナイ方ガイイモノネ」
村長の言葉が意味をなさなくなる。いや、二人は何か意図を感じていた。自分たちを排除しようとする意図。根拠などはないが、しかし、彼らの本能は危険信号を発していた。
──この声は村長が発しているのか?
ショウが何か違和感を覚えたその刹那。村長の口から漆黒が溢れ出す。不定形のそれは揺蕩いながら旋回し、木の床に染み込む。
すると老いた村長の痩せこけた手脚は眠るように脱力し、その体は床に落ちた。
「なんっ、何ですかこれは!?」
ヘックスは驚きのあまり舌を噛む。指を差した方、不定形の漆黒は魔力を発していた。
「生きている!なっんな、何ですかこれは!?」
「魔物に決まっているだろう。相手は魔王軍だからな」
「何の魔物かってことです!」
「自分で分析しろ。これは貴様への授業でもある」
「……生徒の自主性を重んじる教師の鑑ですね」
ヘックスはため息を漏らし、視線を正面へ。
魔物の形状変化は安定したものの、未だその体は海の如く波打っている。そしてその異形の足元で、村長が操り糸が切れた人形のように倒れていた。
「こいつ、村長に取り憑いていたのか……」
村長の言葉がおかしくなったのは魔物が体から抜け、操作の精度が悪くなったからか?
「いいや」ショウが周囲を見渡す。
「村長だけではないようだな」
建物の影から黒い液体のような物質が流れ出し、壁や床が崩れていく。その流体は意思を持ったように動き、魔物に収束していく。
「奴が憑いていたのは“村そのもの”だ」
不定形のそれは、全身を光の粒のように彩らせながら畝る。やがて人型になった。
四肢は異様に細長く、それぞれの縮尺が酷く違えており、中でも最長の右腕で頭部を引き裂く。
体を震わせ、力を込める。頭部の割れ目の中から大きなひとつの眼球をひり出した。
「来るぞ」
初撃は黒混じりの赤髪の少女のものだった。大剣は大気を斬る鋭利な音を立て、魔物に直撃。しかし……
「手応えが……くっ!?」
魔物が翻り、ヘックスの顔を覆う。奪われた視界はしかし、即座に開かれた。
「先生!」
ショウの斬撃は弟子とは違い、魔物に確かな一撃を加えた。
「魔力で斬れ」
他者の魔力は反発し合う。ぶつかり合えば消えるのは打たれた側だ。たとえ物理攻撃が通用しない不定形相手でも、魔力で魔力を削ればよい。
首肯し、ヘックスは大剣に魔力を注ぐ。刃が赤く灯る。彼女がこれをするのは珍しいことだ。何故ならヘックスのパワーは──
「ハァッッ!!」
ガルイア王、その末裔の体を廻る王の魔力に包まれた極端に重い鋼鉄。
そんなものの斬撃を受け、魔物は体を二分される。
「効くだろう?私の魔力は」
だが再び異様な人型を取り戻したかと思えば、痙攣する渦巻きとなって大きく後退する。
──ヘックスのパワーはメイトさえ凌ぐ。魔力など使わずとも勝利を掴んできた。
「主ハ主ノ元ヘ行ッテハナラナイ」
意味を捉えられない言葉を零し、魔物は逃走を始める。
魔物を追う道中。村人たちは皆、一様にぐったりと地面に座り込んでいた。
そして着いたのは村の中心。狩ったスライムを貯蔵する石造りの平屋の倉庫だ。
「止まれ」
「分かっています。考えなしに突入するべきではなさそうですね」
常に相手の考えていることを予想するのが戦いの基本。スライム貯蔵庫に逃げ込んだ理由は何か。
その思考はしかし、倉庫から発せられた音に掻き消された。
「助けて!!」
村人の助けを求める声に、二人は駆け出した。
倉庫の扉を開けば、暗さと湿度が一定に保たれた薄暗い空間。魔薬草にも似た独特の熟成香が鼻を突く。
「警戒しろ。憑依の解除が進んだ分、戦闘力への魔力比重は上がっているはずだ」
暗闇に目が慣れると、そこに村人は居なかった。その代わり、何らかの魔力波を発する不定形の魔物。
スライムドリンクがたっぷり溜められた樽が光り輝く。
「不味いな」
「ええ、不味いですね。スライムドリンク並みに」
二人は飛び退いて倉庫の脱出を目指す。しかし遅かった。
不定形の魔物は液状の魔物の死骸に残留した魔力と自身の魔力を掛け合わせ、魔法を発動した。
不安定なままの異なる魔力による反応。それは大抵、悲惨な結果を生む。
ドカンッッ!と耳を撃つ轟音と共に倉庫は爆発。貴重な特産品は日の目を見ることなく霧散した。
吹き飛んだ師弟二人は受け身を取って起き上がる。ダメージは負ったが、問題と呼ぶには軽微だ。
「全く、器用な魔物だ。始末書の束が分厚くなりそうですね、先生?」
「貴様こそ、反省文十枚は覚悟しておくことだ」
「お互い謹慎になったら、もっと一緒に捜査できますねえ?」
砂煙の向こうに、敵の像が微かに揺らめく。不定形の魔物はギョロギョロと巨大な単眼を回して周囲を見渡していた。
──自分が起こした砂煙に目眩ましされたのか?
「愚かなッッ!」
ヘックスが一気に距離を詰める。大剣。振られるもピタリと止まる。刃の先には村長が虚ろな瞳でヘックスを眺めている。
「住民を操っているのか……?」
自ら飛び出し盾となった罪なき人を、ヘックスは斬ることができない。
「ヨウコソ、ラスィム村ヘ!」
突如叫んだ村長はヘックスに抱きつき、その動きを封じた。その隙を突き、魔物は長い右腕を振りかぶる。
もちろん、戦うために鍛えた彼女の力が年老いた村長に負けることはない。しかし突然のことに驚いた少女は彼を守るため、振り向いて背を魔物の攻撃に晒すことしかできなかった。
「ううっ!」
予想外の腕力に大剣と同じ特殊な合金で作られた鎧を衝撃が穿ち、ヘックスは痛みに喘ぐ。
再度の振り向きざま、大剣。しかし魔物は飛び退き、紙一重に斬撃を躱す。だがその先にはショウ。
彼もまた刀を振るも、即座にその白銀は持ち主の後背に回される。
「確かに卑しい手は使うに限る……が、気に入らないな」
ショウの刀は刃を防いでいた。背後から這い寄り彼を狙ったひと突きを。
先に包丁がくくりつけられた長い木の棒。それを握るのは瞳の光を失った若い村人だった。彼の持つ、貧者の槍とでも呼ぶべきその代物はしかし、充分な殺傷力を持っている。
ふた突き目は大きく飛び上がり回避。ショウは踏み込み、刀と槍のリーチ差を埋めようとした。しかし……
「こいつ、低層の勇者より確実に素早い」
魔物の支配を受けているだけあり、その若い村人の動きはかなり良い。
勇者学校の近接戦術教師であるショウが確実に押してはいるものの、彼の狙い──『武器の破壊による無力化』を尽く回避していた。
「相手はただの村人……やり辛いな……」
師弟二人が同時に呟いたとき、魔物は何もせず、大きな単眼でそれを眺めている。村長を引き剥がそうと藻掻くヘックス。若い村人の槍を狙うショウ。二人の隙をうかがっていた。
そしてそれは、ヘックスに訪れる。
「申し訳ない、村長!」
彼女の拳が老齢の男の顎にめり込む。
村長の力が緩んだ一瞬の隙に、ヘックスは体を滑らせ、彼から抜け出る。
しかしその刹那。村長の腹が赤く染まる。長い消化器をぶち撒けたと思えば、その奥から黒い刀のような鋭い物体が飛び出してくる。
村長の体を貫通させた、魔物の攻撃だった。
「え」
突然の出来事に、ヘックスは動くことができない。素早く、魔物の攻撃と自分の体との間に滑り込んできた人影にも一瞬、気づけなかった。
金属が砕ける甲高い音が響き、ヘックスは思考を取り戻す。
目の前には、彼女の師匠が立っていた。
「馬鹿弟子が。敵が持つ択を常に考えて戦え」
「あ……え……先生……?」
ショウの口から赤い液体が滴る。魔物の攻撃を防ぐには、刀の硬度が足りなさ過ぎたのだ。黒い刃が、彼の心臓を貫いていた。
「一匹。魔王様ノタメニ」




