【第二十四話】枯れ切れぬ炎
黒き煤が、壁に設置された鉄板を汚していた。視線を少し逸らせば、見慣れた少女の姿。
「大丈夫なのか、フィリィ」
彼女は吾輩に気づき、焦ったように桃色の髪を耳にかけた。
初めてのホームルームが終わり、吾輩は昨日入学試験を行った近接戦術の修練場を歩いていた。
普段は自由開放されているのだろう。複数の生徒が自主的に、組手をしたり、ダンベル振って踊ったりしながら鍛えていた。
その中に、フィリィも居たのだった。
「あ、ああメイト!いや、その……」
藍色の制服を纏っている。ちなみに吾輩はまだ私服、半袖半ズボンだ。
「体はもうよいのか?」
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ。貴方はどうしたの?」
「今日はホームルームで終わりらしいのでな。寮に向かっておる。お主は炎魔法の練習か」
鉄板の煤はそれの命中を示すものだ。
「前線に出れば、お主の炎は大いに役立つであろうな」
職業や生き方と同じく、魔法にも適性がある。誰もが炎魔法を使いこなせるわけではないのだ。
「いや、これはちょっと、ずっと寝てたから体が訛っちゃって、それで運動してたというか……」
フィリィは俯き、髪を耳にかけ直す。
「……私、補給勇者になろうと思ってるの」
勇者には戦闘、補給、戦略等の部門があり、初級生の時点で進路を決めている生徒もいるそうだが、
「……いいのか?」
彼女にとって、魔王軍は両親の仇だ。自らの手で屠りたいと考えることもあるのではと思っていたが。
「うん……」
頷く少女の顔に影が差す。
「奴らと直接戦うのは、なにも私じゃなくていいから。私はその手伝いをすることにしたの」
なかなかアツい炎だったがのお。少々残念ではある。
「フィリィのやりたいようにするがよい。後悔のないようにな」
頷くフィリィに長椅子を勧める。少し休憩だ。晴天に見守られる中、吾輩はホームルームの内容を彼女に共有した。
「ショウ先生が副担任……入学試験はクリアしたとはいえ、警戒した方がいいね」
「そうかのお」
「そうだよ。あの人、メイトを追い出そうとしてたじゃない」
「だが入学を認めてくれたではないか」
「そうだけど……あれ」
フィリィの視線が動く。追えば、そこは試合を行う正方形の舞台への階段。ふたつの人影があった。
橙色のトゲトゲしい髪の少年が、ひとりの女生徒を逃げ場を奪うように追い詰めている。
吾輩、その少年に見覚えがあった。クラスメイトだ。
「リーヴェンス……と呼ばれていたか。何事だ」
少年の鋭い眼光が女生徒に突き刺さるようだ。
「レイン・ラーエルクだろお前、うちのクラスでは一番のオジョウサマだな」
レインと呼ばれた女生徒は、無言の返事で応じた。青紫色の長髪に隠れて、表情は伺えない。
「私と話したいんですか。貴方と話すことはありません」
女生徒が口を開いた。小さく、そして突き放すような声だった。
「底辺とは口ききたくねぇか。だが生憎、俺が交わしたいのは拳でな」
ザワリ……と周りの生徒がふたりを見出す。「喧嘩の気配を察知」などと言っているのが聞こえた。
それを見、リーヴェンスがニヤリと笑う。
「みんな観客になりたいってよ。目立つのは得意だろ?オジョウサマ」
「どいてください。行くところがあるんです」
「つれないこと言うなよ。勇者志望だろ──」
去ろうとする女生徒の腕をリーヴェンスが掴む。思い切り投げ飛ばした。レインが舞台上に転がり、呻く。
「高め合おうぜ」
リーヴェンスか再びレインの腕を掴んだそのとき、
「やめなさいッ!」
どこかから叫び声。
「む?誰であろうな……フィリィ?」
隣に顔を向けると、彼女は居なかった。
「なるほどの」
制止の声はフィリィのものだったのだ。舞台に上がり、リーヴェンスを睨みつける。
「なんだお前」
「私はフィリィ・サリアー。その手を離しなさい。レインさん……?が嫌がっているでしょう」
彼女が名乗ると、リーヴェンスは半笑いで口を開く。
「あー、昨日の騒動。悪党に捕まったのお前か」
「どうしてそれを……」
「見てたからな、試合。敵情視察って奴だ。俺はヘックス・パーシアスに勝つ予定だからな」
確定事項のように宣言する彼の目には、ギラギラとした意志が宿っているようだ。
「それよりお前、恥ずかしくねーのか。人に助けられて。勇者志望のクセによ。向いてないんじゃねえか?」
「うっ……」
「案外ソイツ──」リーヴェンスが指を踊らせ、吾輩に向けた。
「メイト・アクザードもお前が攫われたことに感謝してるかもな」
「む?」奴は何を言っておるのだ???
フィリィも「そんなわけッ……!?」とたじろぐ。
「だってそうだろ。騒動が起きなきゃ、ヘックスに叩きのめされるところ、観衆の面前に晒して恥かくはずだったんだからな」
なるほど、そう解釈することも可能であるのか。筋は通っている。
「うう……」
フィリィが後退る。俯き、肩を震わせる。
「お前如きがでしゃばってないで、俺が勇者の頂に立つとこ見てろ」
「…………かう……」
彼女の小さな呟きは、この場の誰にも聞き取れなかった。
「は?」リーヴェンスが怪訝そうな声を出す。すると、フィリィが叫んだ!
「彼女の代わりに、私が貴方と戦う!」
数秒間、周囲を静寂が支配した。締め切られた扉を開け放つかの如く、リーヴェンスが呆れるように叫ぶ。
「なんで俺がテメーなんかとッ!」
「お!そういう展開か!面白い!」
「今年の新入生のお手並み拝見って感じね!」
周囲の生徒が囃し立てる。
「ほら、観客さんたちもこう言ってるし。やらないなら私の不戦勝!」
フィリィの額には汗が滲んでいる。煽ってみたものの、緊張しているのだろう。
「笑わせんな!」
リーヴェンスの手が、ついにレインを離す。よくやったぞフィリィ。
「いいぜ。やってやる──」
額に青筋を浮かべ、薄ら笑うリーヴェンス。
「──『エキノコルプス』」
その腕が一瞬、歪んだように見えた。




