メリー・メアーの長い首 7
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「うわヤバイヤバイ」
真っ暗な中を襲ってくる獣から逃れて、我々は夜祭りの中まで撤退した。
サーカスの獣はここまで追ってきた。赤や黄色の夜店の灯りの中を腥い影が飛び交うと、進路上、および着地点にあった屋台が吹き飛ばされていく。
電球が火花を上げて弾け、綿菓子や杏飴、金魚の死体が地面へ散らばる。
獣は全身黒い剛毛に覆われていて、夜祭りの光のなかでも姿は矢張りはっきりしない。曖昧模糊とした外見とは反対にめっぽう素速く、地面を掻く爪の音は力強かった。
「ごめんなさい、ごめんなさい! お酒かけてごめんなさい!」
「もうお前、食われとけよ。どうせ死なねえんだから」
「食われたらどうやって帰るんだよ!」
「じゃあお前を食った後のあの黒いの連れて帰るわ」
「嫌ぁ!」
世古田の提案には私も興味はあるが、他人の命で実験するのもいかがなものか。帰るためのバスはまだ来ないし、二人が生き残るにはここを切り抜けなくてはならない。二人の男は押し合いへし合いしながら逃げ惑っている。二人の代わりに、そこら中にぶら下がったおじさんが、影に弾かれボーリングのピンみたいに跳ね上がった。
「すげー! 悪夢すげー!」
詞浪さんだけは大喜びだった。まさに狂喜乱舞。飛び交う影へ、着物の裾をからげて向かっていき、脱ぎ捨てたぽっくり下駄を武器に大暴れしている。「ストッパー外すぜー! ヒヒッヒヒヒヒッ!」
ここで遊ぶようになってしばらくたつが、詞浪さんもすっかり〈ホール〉に馴染んだ様子だ。
ステップ。バク転。ぽっくりパンチ。ジャンプ。アクセルターンキック。
黒い獣のどこかに回転蹴りがヒットしたが、反対に詞浪さんの方が尻餅をついてしまう。
「だめだこりゃ! ワイヤーの塊蹴ったみてえー! あ。ゴメン」
立ち上がり様に放ったドロップキックが世古田に誤爆した。
世古田が横様に倒れる。辺りに屋台のお面が散らばった。そこへサーカスの獣が真っ直ぐかけていく。
「よこちん危ねえ!」
縦親が体当たりで飛びこんでいった。よれよれの打撃でダメージはなかったが、気を逸らすことはできた。サーカスの獣は縦親へと標的を変える。
「来いよぉ! あっコレだめだ、コレも違う!」
縦親は泣きながら構えた。
何か武器になりそうなものを探してそこら中のものを手に取った。どれも役に立たない代物で、彼は林檎飴やら水風船とポップコーン、生きた烏賊君を次々に投げつけた。
サーカスの獣が眼前に迫ったところで、彼の身代わりになって群平おじさんが噛みつかれた。
起き上がった世古田が首吊りの一つを盾にして立ちはだかったのだ。
「よこちんって呼ぶんじゃねえよ。行くぞ馬鹿」
「おじさんごめんよ」
サーカスの獣は、クマがそうするみたいに、噛みついたまま群平おじさんを振りましている。
そこへ詞浪さんが次々に烏賊君が投げつけた。
「ヘイヘーイ。おっ以外と効いてる」
烏賊君たちは獣毛の中までヌルヌルともぐり込んでいくらしい。獣は嫌がって脚を振す。烏賊君が目を塞いでいるのか手当たり次第の暴れようだった。
チャンスのように見えたが、獣の近くにはまだ二人の男がいる。縦親が腰を抜かしてしまったのだ。
「またお前は!」
「ごめぇん!」
「邪魔だなあ……ヘイ! こっちこっち」
詞浪さんが獣を誘い出そうと試みた。
目の見えない獣は声を頼りに跳躍する。その時には、彼女はすでに飛び退いていた。その際、抜け目なく獣の着地点に人面西瓜を転がしていたのはさすがである。
西瓜を踏んで獣が転んだ。真っ黒で形ははっきりしないが、音からして転んだのだろう。一瞬動きが止まった。
「ヘイ! 今、今」
詞浪さんが合図を送ってよこす。
私は浴衣の袂からひとつの小箱を取り出した。自分でもよく分からない、特殊な結び方の封を解く。箱の中から黄金の火焔ほとばしり、サーカスの獣を丸焼きにした。
火焔が燃え尽きると、真っ黒な獣の死骸が残った。
「いやあすごかったあ。これだから〈ホール〉はやめられないぜー」
詞浪さんは喜んでいる。
楽しかったですね、と私もいった。
「結局、これなんていう動物だったんだろな」と世古田がいった。
羊では? と私。
「羊ではねえよ」
「何した? え? 平気?」
縦親が恐る恐る近づいて来る。友人から預かった悪夢の一部ですよと私は答えた。この辺り一帯を焼き払った業火のひとひらだ。これでは獣もひとたまりもなかったろう。
焔は火種に戻ってしまってしばらくは使用不可能だが、他に襲ってくる影もない。
サーカスの本隊がやって来るまでは安全だろう。
多分、この悪夢は夜店ではじまりサーカスで終わるに違いないと私には思われた。最終的にはサーカス団の本隊がやって来て、彼らは攫われていくという形を取るだろう。それまでに帰らなくてはならない。
とはいえ〈扉〉である始発のバスは、サーカスより早く明け方にやって来るだろう。それまではゆっくりできる。
じゃあ、ちょと行ってやってみますか、と私はいい、その意味を詞浪さんも世古田も察した。縦親だけが、縄の痕のついた首をかしげている。
吊るのですよと私はいった。




