メリー・メアーと虹の架け橋 6
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西瓜の匂いが満ちている。
まあ、そういう欲望も世の中にはあるらしいですよ。
ほら。赤ちゃんを見て、食べちゃいたい、とかいうじゃないですか。それを反転させたような欲求なのでしょう。
ヤフー知恵袋でもほら、女の子が同じようなこと書きこんでいます。食べられたい願望とかっていうらしいですよ。
その願望が〈ホール〉のなかで露骨な形であらわれた。そんなに特殊なことではないと、まあ思いますよええ。
などと、行きがかり上、センセイのフォローをしてしまった。私個人としては、食べられたい願望、大いに結構だとは思うのだけれど。
とはいえ詞浪さんは聞いていない。
あの後、あの西瓜割り大会のあとで、彼女は割った西瓜センセイ及び、生徒達全てを屋上へ運んだ。
そして平坦な場所を選んで、テーブルと椅子を置く。いくつもつなげたテーブルの上には、収穫したぜんぶの西瓜が並んでいる。大変な量だ。
詞浪さんは、やや行儀悪く椅子に腰掛けると、収穫したものたちを、無言で食べ始めた。もうずっとそうしている。
ここは海沿いのホテルだから、食べているあいだに東の水平線から朝日が昇るのが眺められた。
爽やかな朝の潮風と西瓜の香りが混じって吹きわたった。
詞浪さんは延々と食べ続け、明るくなる頃には約四〇人分の人頭西瓜をすべて、胃の中へ納めてしまった。屋上には顔の凹凸の着いた皮だけが転がっている。西瓜たち、特にセンセイの頭は満ち足りたような笑みを浮かべていた。
詞浪さんは、素足の先でセンセイの抜け殻を一度だけ転がすと、屋根のヘリの所まで歩いて行った。
彼女は海へ向かうと、ひとこと、可愛いげっぷのように「きっしょ」と呟いた。それ呼び水だった。しかるのち、彼女は高らかに吐瀉しはじめた。
「きっしょぉおお! 美味しいわけないじゃーん。アンタ達なんかー! 消化して? うんこにするわけないじゃん、きぃいいいいっしょー! ホントはいっちゃ駄目なことだけどぉおお。みんなのことずっときしょいと思ってましたぁああ!」
際限なく食べ続けたあとだから、吐瀉は勢いよく、雄大に、ホテルの屋上から海まで、たいそう立派な橋を架けた。
それは際限なく続いた。
「いらないからぁあああああ! そういうのおぉおおお」
生理現象か、感情の炸裂か、その両方だろう。詞浪さんは涙をボロボロこぼしながら、吐き続けている。
無意識の奥へ、溜まりにたまりに溜まった彼女の怒が、今、爆発したのだ。いっそ美しいほどだ。
「どいつもこいつも! 二度と私に同情するボぁあああああ! あああああああああああッ!」
雄大。混沌。ジェット噴射のような音。しかし爽やかな香り。
赤い果汁を迸らせる詞浪さんの姿は、大滝のようでもあり、火を噴く大魔神のようでもあった。
激怒しながら、涙を流しながら、それでも気持ちよさそうに、詞浪さんは長い時間吐き続けた。
やがて噴火が終わると、海峡に虹。
詞浪さんは、ゲボを吐いた人特有の、照れくさそうな、しかし、打ち解けた顔で私を振り返った。
そして高らかに「いえたよー! すっきりしたぁあああああ」と笑った。
とても神々しい笑顔だった。
詞浪さんは、生徒達との旅行に息苦しさを感じていたのだろうか。
このあと、詞浪さんは短い間だけ甘えん坊になったが、昼前にはここを発っていった。
巨大な橋が、海と空のあいだを真っ直ぐ伸びている。
「向こうは淡路島、だよね?」
詞浪さんは自転車に跨がった。
後輪の後ろに、わざわざトレーラを取り付けていた。そのカゴのなかに、人頭西瓜の顔の所だけを切り取って乗せていた。かわら煎餅を並べたようなあんばいだ。これを荷車のように轢いていくつもりらしい。
連れて帰るならセンセイだけでいいのだが、彼女はモブ生徒達も平等に扱いたがった。いろんな関係性があるものだ。
「まあ、一応ね。強者の義務ってヤツ? センセイもみんなも良いところはあるし」
西瓜たちは切れ端になっても歌ったり、応援したりしていた。詞浪さんはセンセイ(食べ残し)へ向かって、ぶっきらぼうな口調で、しかし「私自転車に乗ってるよ」といった。センセイは笑みを浮かべている。
橋を渡れば、淡路島へ、さらに進んでもう一つ橋を越えると本州へ戻れるはずだった。
「修学旅行、しんどかったけど、おかげで戻ってみようって気になったよ」
遠いですよ、と私。
「余裕」
彼女は色とりどりのハリボを口いっぱいに放りこんで、もしゃもしゃ食べた。朝日に輝いて綺麗だ。
「ちゃんと帰ってみせるからさ。報告に来るよ。今度はチャリンコに乗って」
そういって発っていった。
きっと、また会えるだろう。その時は他の野菜も食べてもらいたいものだ。




