メリー・メアーと虹の架け橋 2
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そう。みんなで夢のなかにいると思ってもらっていいです。私は〈ホール〉と呼んでいて。そう。悪夢に気をつけて踊るのです。私のことは「ヨビゴエ」とでもお呼び下さい。ところでポテト食べます?
「はあ。いや。油物は食べない習慣だから」
利発そうな女子生徒はそう応えた。これが客人の一人目の客人。
もう一人はハンサムな教師の男だった。彼のほうは狼狽していて、ホテルの前を行ったり来たりしている。ちょうど海から〈ホール〉特有の烏賊君が這い上がってきたところで、ハンサムな男はそれを、踏んづけて絶叫するなどしている。烏賊君が人間の嬰児みたいな声で鳴いたからだ。
私は烏賊君にも手伝ってもらって〈ホール〉の補足説明を試みた。
烏賊君の所まで歩いて行って、フライドポテトを食べさせてみようとした。ちょうど猫みたいに持ち上げたところで、客人の二人から驚きの声が上がった。
「イカ……ですか?」
烏賊ですね。と私。烏賊君です。〈ホール〉の烏賊は人間の口をしている。その口でいあ、いあ、と嬰児の鳴き声をあげるのだった。〈ホール〉とはまあこういうところですよ、私。
水死体そっくりのその口へポテトを押しこんでやる。
少しすると、烏賊君は泡を吹きはじめた。おかしい、と考えポテトが芽つきだったのを思い出した。
〈ホール〉の馬鈴薯毒は強烈で、烏賊君といえどもいちころだ。私は刺激的で好きなのだが、客に勧めるものではなかったなと反省した。食べなくて正解でしたね、と私は女の子たちへいった。いや、本当。でも、ここは悪夢の世界で、我々はジャガイモの芽を食べてもいい。それは自由なのだ。分かりますか?
「いや、まったく」
と女子生徒、詞浪さんはいった。変わった名字の女の子だ。
詞浪さんは、すぐ烏賊君にも慣れた。
この女子生徒とその担任教師の男は、修学旅行の途中で〈ホール〉へ迷いこんだらしい。現実の二人は今頃バスの中で睡っているといったところだろう。
予定にない場所にバスが到着したので、驚いて降りてみたら、揚げたての素敵なポテトを持った私と烏賊君がいた、というわけだ。他の生徒達がどうなっているかというと、ずいぶん様子が違っていた。
大型バスの中に、四〇人ほどの乗客が、まだ乗たままでいる。ホテルの駐車場には、エンジンの音とともに彼らの私語する声が、絶えることなく響いている。
何人もの生徒が窓ガラスにへばりついて、こっちを見たり、笑い合いながらバスを揺らしたりした。一人がバスを降りると、残りも騒ぎながら後に続いた。
彼らが詞浪さんたち客人と違うことは、姿を見ても素敵に明らかだった。
ある生徒は目や口の配置が福笑いみたいに狂っている。他の生徒も同様で、体の一部分だけが異様に大きかったり、逆さまについていたりする。あるいは、二人の辺りでひっついて二人三脚のようになっている者。まぶたが縦についている者。まったく同じ顔の生徒が複数人いたりするのだった。
「おい、待て。バスの中で待っていような。みんな。な? おちつおちつ落ち着こう」
センセイはすっかり逃げ腰だ。
偽の生徒たちは、そんなことまるで気にせず、歩き回り、ぺちゃくちゃ喋ったり奇声を上げてジャンプしたりしている。まあ、このあたりの挙動は、現実の子供でも同じだったろう。修学旅行とはこのようなものだ。
普通ではないのは、彼らが〈ホール〉の様子を不審がらないことだ。
予定にない到着場所であることも、無人なことにも、文字化けするケイタイ端末も、死人の唇をした烏賊にも驚いたりしない。
なぜなら彼らは人ではない。話して歩いて、人間そっくりの行動はとっても、自我らしいものはもっていないのだ。夢モブです。と私は二人の客人たちへ説明した。夢の登場人物ですよ。あなたたちの連れてきた夢の一部。〈ホール〉では、自分の悪夢とこうして対面できるのです。
実際に夢モブたちの手を取って踊ったりしながら、私はそう説明した。詞浪さんか、センセイか、多分その両方の夢モブであろうと思われた。
やがて絞り出すようにハンサムセンセイがいった。
「け……きょく。どうなんだ? 危険なんですか」
今のところ危険という程ではない。明晰夢の中にでもいると思えば良いですよ。そう保証してやると彼は少し安心したようだった。
とはいえ、適応するにはまだ時間がかかるようで、間近によってくる生徒達から、顔を背けがちではあった。夢モブたちの行動は、普通の子供たちと変わりないように見えた。
〈顔色悪いよ大丈夫?〉
〈詞浪さんは?怪我が痛む?〉
〈体を大事にしないと〉
〈大丈夫、皆で支えるよ〉
〈先生。みんなで寄せ書きとかしたらどうかな〉
〈ねえ? 心配してるんだけど? こっちへおいでよ〉
〈ね? おいでよ〉
〈こっちへ〉
やがて夢モブたちは移動しはじめた。
ホテルの周りをぐるりとまわって、砂浜の方、私の畑のなかへ入っていった。そのあいだも、ずっとお喋りを続けていた。
彼らは西瓜を見つめた。西瓜たちが、夏の夜の耳鳴りみたいに囁き合っており、それが夢モブたちの声と混じった。〈ホール〉の植物と、客人の夢とで交信している風情でもあった。
「何をやってるんだ……様子を見てくる。見てきた方が良いよな?」
私は別に止めない。センセイは恐る恐る、遠回りに近づいていった。
彼は、独り言ともつかない呟きを続けるモブたちを見、それから西瓜のひとつの前で立ち止まった。なかからの囁きにひどく興味を引かれたらしい。おっかなびっくり果実へ耳を当てた。
「――何て事をいうんだ、俺がそんな事するわけないだろう」
とたん彼は声を上げて、西瓜を叩き割ってしまう。
中から何かいわれたらしい。
私が割ったときには、中に誰もいなかったのだが。〈ホール〉ではそういうこともある。彼は自分の〈悪夢の兆し〉を聞いたのだ。
何をいわれたか尋ねてみたが、彼は決して答えようとしなかった。
季節は夏で、目眩がするほど暑かった。
とりあえず中へ入って二人を休ませようと私は考えた。どうぞ、自慢の野菜を振る舞いますよ。あの西瓜も出来が良くて、などと私がいったまさにその時、夢モブたちが西瓜を丸のまま囓りだした。緑の臭いが極めて強くなった。西瓜はたちまち、皮も残さず食べ尽くされてしまう。
大人気ですね。と喜んでいる私の前で、夢モブたちの顔が風船みたいに腫れ上がっていく。
「うわぁ……うわああ」
センセイが立て続けに悲鳴を上げる。
モブたちのまん丸の顔が緑色に染まっていったのだ。しかも、体の方はしわくちゃにしぼみはじめ、一呼吸する間に枯れた茎そっくりになって、くずおれ落ちてしまう。
最終的に畑の土にはまん丸緑な頭だけが残った。
それは〈ホール〉の西瓜そのものだった。顔の名残の起伏が、わずかに動いて、相変わらずのお喋りを続けていた。
「気が狂いそうだ」
センセイは頭を抱え、食べなくて正解でしたねと私はいった。
どうもセンセイのほうは悪夢への耐性が低いようだなと私は思った。
悪夢に人間性を食われるまでの時間が短いタイプだ。
それで私は二人に帰還を提案した。もし〈扉〉に心当たりがあれば、すぐに帰ることも出来ますが?
「え?」
と心動かされた様子のセンセイ。
一方詞浪さんの方はあっけらかんとしていた。
「いや? もう少し休んでいこうかな。バス嫌いなんだよね。酔うし。狭いし。煩いし。私は先頭を一人で走ってるのが好きなんだ」
驚いたことに、センセイもこれに従った。
「君がそうしたいのなら」というのだった。
まるでそれが当たり前のように。彼は詞浪さんが満足するまではいるべきだろうという。詞浪さんもセンセイのその態度を当然と受け入れている様子だった。いろんな関係性があるものだ。
〈ホール〉を訪れる客人は例外なく、悪夢とその夢の原因となる欲望を持っている。今のところ私が見たのは、夢モブの生徒達だけだ。詞浪さんたちの悪夢が全貌を見せるのは、まだ先のことになりそうだった。
畑から立ち去る段になって、詞浪さんが膝を庇う仕草を見せた。センセイはすかさず手を貸す。その二人の方へ、モブ西瓜たちがぐるりと、一斉に振り向いた。
〈大丈夫?〉
〈また手術する?〉
〈もう自転車乗れないね〉
〈可哀想〉
〈可哀想〉
〈頑張れー〉
詞浪さんは表情も変えず「ありがとねえ」と返事をした。彼女の右膝には、ムカデそっくりの手術跡がある。




