思い出
お年寄りの思い出話は長いけど、時々示唆に富んでいて油断ならないのです。
オークションの前日、パトリシアとベルナルドは宿屋で出逢った老婦人を伴ってお披露目の会場に来ていた。
お披露目とは有力な参加者向けに開かれる特別な展示会だ。出品される品物を事前に、しかも間近に見ることが出来るのだ。招待状を持つ限られた者だけが参加できる会だったが、出入りの龍人の商人はそれをどこからか手に入れていた。
「私、スワロフ様の縁をひと目でも見たいと思い立って、居ても立っても居られずにこの街に来たのですけれど、こんな個人的な理由でございましょう? 流石に招待状を息子にねだるのもどうかと思いまして、泣く泣く諦めたんですの。それがまさか、パトリシアさん達が紹介状持っているなんて、こんな幸運なことがあるなんて、私、いまでも信じられませんわ」
昨日、パトリシアの貞操の危機(?)を救った老婦人は、ザンダからは随分離れた北方の国境近くに地縁を持つ下級貴族だということだった。すでに夫は他界していて家督は息子が継いでいるとのことで、今回の様な気楽に一人旅を度々楽しんでいるらしい。
「テレサ様にはお部屋の事でよくしていただきましたもの、お力になれてうれしいです」
パトリシアはテレサと名乗ったその老婦人との距離を初めのうちは測りかねていた。しかしテレサ夫人の旅の目的が自分たちと同じくオークションであり、剣聖スワロフの大ファンであるという事が分かってからはすっかり打ち解けてしまっていた。
「ふふふ、私、娘は居なかったのだけど、パトリシアさんの様な娘、いたらもっと楽しい人生だったと思うの。これからも仲良くしてくださいね」
「もちろんですわ。王都に戻ってもお手紙差し上げますね」
「あらあら、それは今から楽しみですわね。ですけれど、まずはスワロフ様のお品を今日はじっくり見て楽しみましょう」
「テレサ夫人、パティも。あの扉をくぐれば展示会の会場みたいだぞ。はぐれないようにもっと固まって歩こう」
親子のように仲の良い二人を守るようにベルナルドはついて行く。彼自身は二人の会話にはなかなか入れないものの、退屈ということはなかった。
(仕事してるときはあんなふうに自然に笑わないからな、パトリシアは。真面目なのはいいことだけど、もっと気を抜いてくれても良いと思うのだが)
普段と違う旅先で羽根を伸ばすパトリシアの様子は、彼にとって見飽きないようだった。まして、これからオークションのお披露目で珍しいものを色々見られるのだ。退屈であろうことがない。
「会場の入口だと言うのに、随分と人が溜まっているな。一体何があるんんだ?」
お披露目会場の入口をくぐると、重厚なガラスのケースに入れられた一振りの剣が飾られていた。その周りを一際おおきな人混みが取り囲んでいて、会場の奥に入るには少し苦労しそうな様子だった。
「何でも剣聖様の剣が飾られているとか」
「おおっ! いきなり目玉の品を見られるのか! もっと前に行かないと見られないぞ?!」
入場時にもらったカタログを見たパトリシアの答えに、ベルナルドが興味を掻き立てられた様だ。女性二人の手を引きながら人混みに割り込んで、ケースの前を目指して進んでいく。
「あらあら、ベルナルドさんも男の子ですのね。剣と聞いてすっかり目の色が変わってしまってますわね。随分としっかりとした男の子だと思っていたけれど、年相応のところもあるのですね」
苦労してガラスケースの前までたどり着くと、そこには見事な片刃の剣が飾られていた。
設えこそ使い込まれてあちこち痛みが見えるものの、研ぎ澄まされたその刀身は怜悧な光を湛え凄みを振りまいている。ひと目で業物であると、誰もが感じるようなその一振りに、パトリシアもベルナルドも息を呑んで目を奪われた。
しかし、老婦人だけは違った感想を抱いたようだった
「あら、おかしいですわね」
口数の多く姦しいテレサ夫人にしては、極珍しい、端的なつぶやき。それを耳ざとく拾ったパトリシアが尋ねると、夫人は周囲を憚った小さな声で「この剣はおそらく偽物でしょう」と二人に告げた。
「スワロフ様の腰の物は懇意にされている龍人の鍛冶師の作と伺っておりますわ。私、あまりこういった品には明るくないのですが、それでも彼の鍛冶師の作った剣ではないと断言できます」
龍人の鍛冶師が打った剣ということであれば、アガタの里で打たれた剣だろう。
アガタの里というのは、龍人たちが多く住む山間の土地で、腕の良い龍人の鍛冶師を多く抱える良剣の聖地と呼ばれる里だ。ここで打たれた剣はアガタの剣と呼ばれ、多くの名のある剣士が求めてやまないと聞く。
(博物誌の仕事で知識だけは付きましたけど、実際に武具の類を見たことはあまりないのですよね……)
パトリシアは記憶をたどってその特徴を思い出してみる。
軽く反りがあり、刀身の肉は薄く、刃渡りの割に軽く取り回しの良い片刃の剣。
目の前の中のケースに飾られている剣はしっかりその特徴を備えているように見えた。ガラスケースの中の説明書きを見てもアガタで作られた剣とあるので、それは間違いなさそうだ。
「俺の目から見てもかなりの業物に見えるんだが。剣聖がこれを振るっていた言われても誰もが納得の一振りだじゃないか?」
ベルナルドはパトリシアの助けを求めるような視線を受けて、自身も改めて剣を検分しながら感想を口にしたが、テレサ夫人は小さく頭を振る。
「銘が違うのです」
名のある鍛冶師が個人のために打った剣には名前がついていることが多い。剣聖スワロフはアガタの剣を愛用していた事はパトリシアも知っていたが、そう言えばその銘というのは聞いたことがなかったと思い至る。
(プライトマン子爵の剣聖シリーズでは『雲霞』だとか『風鳴り』だとかという銘が付いていましたが、あれは子爵の創作だと検証勢の結論が出ていたはず……)
二人を促してショーケースの前から離れたテレサ夫人は、記憶をたぐる様子を見せながら説明を続けた。
「私、実はスワロフ様にお会いしたことがあるのですよ。お会いした切っ掛けがあまり外聞の良いものではないので、誰にでもお話しては居ないのですけれど。スワロフ様はお会いした時に色々な事を話してくださったのですけれど、その中に懇意にされている龍人の鍛冶師の方のお話もありましたの」
スワロフのものだという剣から離れて少し安心したのか、夫人の口はいつものようになめらかになった。
(あの剣聖スワロフに直接あったことがある方とお知り合いになれるなんて、なんて幸運なの?!)
剣聖スワロフは特定の組織に属する事がなく、各地を旅していたと聞く。旅で立ち寄った土地で人助けを良くして居たために、実際にあったことのある人間と各地で出会うことが出来たらしい。しかし、活躍した時期から時間が経ったということもあり、剣聖と実際にあった人間も殆どが寿命を全うしていると聞く。
驚きを隠せない様子のパトリシアとベルナルドを気にすることもなく、テレサ夫人は言葉を続ける。
「その鍛冶師の方は名前を考えるのが面倒だと言うことで、銘は通し番号にされているらしいのです。私が見せていただいた剣は『632』と刻まれておりました」
テレサ夫人は目を伏せて少し言葉を区切る。その顔にはどこか懐かしむような様子で柔らかな笑みを湛えている。どこか寂しそうなその笑みに、パトリシアは我知らず胸元の首飾りを服の上から握りしめていた。
「先程の剣の銘は何でございましたか、もう忘れてしまいましたけれど、普通の名前でございましたでしょ? ベルナルド様のおっしゃるとおり、あの剣は業物なのかもわかりませんけれど、おそらくスワロフ様が使われた剣では無いと思いますの」
そう言い切ったテレサ夫人はすでに剣への興味を失っているようだった。思いもかけない成り行きにあっけに取られる二人の背中を押して、別のショーケースの方へ促していく。
「スワロフ様とお会いした事があるのはあまり言いふらさないで下さいね。でも私、以前に目にしたことのある品があったら、ついつい思い出話をしてしまうと思いますのよね。年寄りの昔話はつまらないかも知れないけれど、我慢してもらえると嬉しいわ」
夫人は片目を瞑っていたずらっぽい笑みを二人に向ける。
それからベルナルドとパトリシアは、テレサ夫人という有能な解説者と一緒に一日賭けてじっくりと見て回るのだった。
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