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帰り着くところ

おばあちゃんの知恵袋ってありますよね

 扉越しにテレサ夫人に帰着を告げて、パトリシアはやっと部屋に帰り着いた。


「あらあら、まあまあ!」


 扉を開けてくれた夫人の第一声は、いつもの彼女特有の感嘆符。ベルナルドに抱き抱えられたまま入室したのでテレサ夫人が目を丸くしている。


 ベルナルドは動きが止まってしまった夫人の脇をすり抜けて入室した。そして、すぐに扉を閉める様にと夫人を促す。


「あの、先に申し上げておきますけれど、テレサ様が”あらあら”したり”まあまあ”する様なことは何もありませんでしたからね!」


 パトリシアは先手を打って夫人を牽制する。なにせ夫人はベルナルドと自分の関係性を恋愛めいた道筋で解釈しようとするのだ。


 実際、夫人は帰って来た自分達を見て嬉色を浮かべている。常に笑顔を絶やさないテレサ夫人だったが、正直今が一番のいい笑顔だ。


 横抱きにされてベルナルドの首筋にしがみついている自分など夫人の楽しみのよいネタでしかないだろう。夫人は今、どんな妄想を膨らませているのだろう? パトリシアはそれを想像して頭を痛めた。


「お二人があれからどんな風にお過ごしになられたのか、伺ってみなくてはそこは分かりませんわ。お着替えしていただいた後にお別れしましたけれど、その時はまだ、その様にひしとベルナルド様に身を預けられる程、お心を開かれては居りませんでしたでしょう? それがその様になるくらいには何かがあった、そう言う風にお見受けしますけれど、私、どうやってそこに至ったのか、本当に興味が湧いて仕方がありませんのよ?」


 やはりテレサ夫人は夫人であった。パトリシアがぴしゃりと先手を打った程度で止まる様な人物ではなかったのだ。


 一応、両手で顔を覆って見ない様なそぶりを見せてはいる。しかしその指の隙間から、覗く様にして二人の一見仲睦まじい姿を余すことなく観察しているのは明白だった。


 パトリシアは繰り返して何もなかったのだと言い募っているが夫人を説得するには至っていなかった。


(テレサさんの口撃に晒されるパトリシアには悪いが、なんだか気が休まるな。やっと危地を脱したのだと安心できる)


 ここに来てやっとベルナルドの緊張も緩んできた様だ。そこでやっと自分がいまだにパトリシアを抱えたままだと言うことに気がついた。慌てて彼女をベッドまで運ぶと、できるだけ優しく横たえた。


「こいつ、今ちょっと足腰立たなくなってるんですよ。それで仕方なくこうやって抱き抱えることになってしまって。だから本当にパトリシアが言う様に何もないですよ」


 ベルナルドは少し強張ってしまった肩を回して凝りをほぐす。その顔は心持ち上気していてそわそわと落ち着きない様子だった。緊張がほぐれて気が緩んだところに、今まで気にしていなかった色々が急に押し寄せて来たのだ。


(そう、何もなかった。パトリシアの身体が意外と華奢で頼りないとか、ふんわり柔らかかったとか、なんかいい匂いがしたとか、そう言うことは全然、何もなかった)


 様子が変わったベルナルドをベッドの上からパトリシアが見上げる。その訝しげな視線が自分の心の内を見透かしているようで、ベルナルドは居心地の悪さを感じた。


 小首を傾げて見上げるパトリシアの視線を避け、上気した顔を掌で隠すベルナルド。


 そんな二人の様子に、テレサ夫人の妄想はさらに加速した様だった。


「足腰立たなくなるまでだなんて、そんな! いけませんわ、ええ、いけませんともベルナルド様。その様な獣の様な為さり様、一番してはならない事ですわよ? 女性にはもっと優しく、労りを持って接してくださいませ! 特に初めての時など一番細心の心持ちで扱わないといけないと言うのに。本当にいけない方ですわ! それにしてもベルナルド様がそれほどまでに激しいだなんて、さすがお若いと言うことでしょうか…… これからパトリシア様も大変ですわね……」


「だから、そういうの、まったくありませんから! テレサ様もいい加減にしてください! わたし、そう言う経験はまだしてませんし、これからも予定はありません!」


 パトリシアは最初のうち、夫人が何を問題にしていたのかわからなかった。しかし、その問題が何なのか。それを悟った瞬間、テレサ夫人を糾弾したい気持ちでいっぱいになった。


(私にはそう言うのはまだ早いというか、それも殿下相手などあり得ない事ですわ!まったく何て事を妄想してくれるのですか、テレサ様は!)


 テレサ夫人の妄想の中で自分がどの様な経験をさせられたのか。それを経験ないながらも想像してしまい、恥ずかしさと若干の怒りでパトリシアの体温が一気に上がる。


 今日は慣れない靴や服装だったので勝手がわからなかった。疲れ切って動けなくなってしまっただけで、本当に何もなかったのだ。


 そう言う事をパトリシアはテレサ夫人に切々と訴える。


 テレサ夫人はと言うと、珍しく何も言わずに彼女の言い訳めいた話を頷きながら聞いてくれていた。


 そしてパトリシアが落ち着きを取り戻した頃、夫人は包み込む様にして彼女の手を取ったのだった。


「テレサ、様?」


 先ほどまでの浮かれた様子とは打って変わって真面目な様子。ベルナルドもパトリシアも毒気を抜かれた様に夫人を見返してしまう。


「それくらい元気があるならよかったですわ。詳しいことは分かりませんが、随分と怖い思いをされたのですわよね? 気丈な貴女が動けなくなってしまうほどの事があったのでございましょう? ベルナルド様もご活躍された様ですけれど、どこかお怪我はございませんか?」


 無事に戻ってこれて本当によかった、と夫人は二人を両腕で抱き寄せる。ここは安全なのだから存分に気を緩ませて良いのだと、そう言う事を二人に言い聞かせる。子供をあやすかの様に、どこまでも穏やかで優しかった。


「怖かったのです…… ほんとうに、こわかったのです……」


「そうですわね。よく頑張りましたね。よく、無事で帰っていらっしゃいましたね」


 子供扱いなど、もうされる歳ではない。普段のパトリシアならそう言って夫人の抱擁を跳ね除けていたかもしれない。しかしいまはそれが心地よく、自然と涙が溢れて来た。ベルナルドも感じ入った様子で黙り込んでしまっている。


 パトリシアの涙を指で払いながら、夫人は慈しむ様に頬擦りをする。


「血の匂いを、知らないわけではないのですよ。スワロフ様もこうやってこの匂いを染みつけて帰ってくる事がありましたもの」


 そうしてようやく、夫人は二人に何があったのかを尋ねるのだった。


 パトリシアが商人に不快な思いをさせられた下りでは大いに憤り、ベルナルドがいち早く暴漢の存在に気がついた事を聞けば大いに誉めそやした。


 そしてパトリシアが幸運に助けられて命をつなぎ、ベルナルドが鮮やかに敵を撃退した事に大いに胸を撫で下ろす。


「そんな怖い思いを経験されたのですね。さぞ恐ろしかった事でしょう。パトリシア様も頑張りましたね。それにしてもベルナルド様はお若いのになんて見事な腕前なのでしょう! 大の男を一息に屠ってしまわれだなんて、大人でも難しいと伺いますわ」


「鍛錬は欠かしていないのでと言いたいところなんだけどね。あの男、何か別のことに気を取られていたみたいだった」


 夫人の手放しの賞賛だったが、ベルナルドは素直にそれを受け取れなかった。実際のところ自分の渾身の一撃にあの男はしっかり合わせて来たのだ。相手は得物も自分より劣っていたし、パトリシアを襲った直後で体勢が悪かった。そうでもなければ激しい斬り合いになっていたはずだった。


 だからこそ気がついた違和感を少年は口にする。その言葉にテレサ夫人は何かに気がついた様だった。表情を改めて、沈痛な面持ちで口を開く。


「そういえばなぜお二人は狙われたのでしょう。 ひょっとしたら私がお二人のお召し物を整えてしまって、懐の淋しいものを引きつけてしまったのでは⁈ そうだとしたら、私、なんとお二人にお詫びをしたら良いか!」


「いいえ、あれはただの物取りではなかったと思いますわ。ですからテレサ様が気を病む必要などありませんわ」


「取り逃した仲間がいたんだよな。路地から人払いをしたりしてて、ただの物取りにしてはやり口に違和感がある」


 自分のした事が凶事を呼び込んだと嘆く夫人を、二人は口々に宥める。それに二人の実感としてもただの物取りに襲われたにしては違和感があったのだ。


 ただの物取りではないとすれば、なんであったのか?


 程なく三人はそれに思い至る。


「もしかしたら、お二人がオークションの落札者だと知っていたのかもしれませんわね。ひょっとして、スワロフ様の所縁の品をなにかお持ちだったのではないですか?」


「そういえば確かに、一つ持ってたな。あれを狙われたのか?」


 ベルナルドはハッとしてパトリシアの携えていた小さな鞄に視線を走らせる。テレサ夫人もその視線を追い興味をそそられた様な表情を浮かべた。


「どこかから情報が漏れていたのかもしれないですわね? 一体なにをお持ちになっていらしたのですか? もしよろしければ私も拝見させていただけないかしら?」


(もう、ベルナルド様は後でお説教ですよ! あれはテレサ様には見せてはダメだと、申し上げたはずですのに!)


 パトリシアは迂闊に口走ったベルナルドをひと睨みする。首をすくめるベルナルドを尻目に鞄を引き寄せると口を開いてそれを取り出す。


 一枚の少し古びた女性用のハンカチ。元の持ち主が施したと思しき少し拙い刺繍が施されている。


 パトリシアは少し申し訳なさげに、そのハンカチをテレサ夫人に手渡した。


「こちらのハンカチなのですけれど。おそらくテレサ様の贈られたものではないはずなので、お目汚ししてしまい申し訳ありません」


「あら、こちらは……」


 テレサ夫人はそのハンカチを受け取るなり、目を見開いた。


 そしてそれをよく見ようとして、目元を指で揉んでから顔に近づける。


 そして夫人は言葉なくじっくりと手にしたハンカチを検分した。


 しばらく沈黙の時が流れ、二人は固唾を飲んで夫人の言葉を待った。


「もしどこかからこれを持っていると聞きつけて来たなら、お二人を襲ってでも手に入れようと思う方も出てくるやもしれませんわね」


 夫人の言葉にパトリシアは胸の高鳴りを覚えてしまった。ついにあのハンカチの由来がわかると言うのだ。


 もしこれが、あのハンカチだとしたら、大発見ではないだろうか?


「テレサ様? これも、ご存じなのですか?」


「ええ。私、このハンカチは何度も目にした事がありますもの」


 興奮を隠せないパトリシアに対して夫人は鷹揚に頷いた。


「こんなに古びて傷んでしまっていますけれど、これが巷で噂になっている『シアン夫人のハンカチ』で間違いありません」

ここまで読んでいただいてありがとうございます。

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