509-71 ゆるやかに
ミリアちゃんがうちにやって来てから1週間。
もうすっかりミリアちゃんはこの家での生活に馴染んでいた。
元はと言えば、魔法を使えるようになるために、との希望を持って訪ねてきたミリアちゃんは、あいにく魔法の素養はさっぱりなかったものだから、その希望はあっさりと潰えてしまったのだけれど……それでもミリアちゃんは帰ろうとしなかった。
そして未だに、どこから来たのかなど、身元を特定できそうなことは全然喋ってくれていない。
きっと、魔法を使えるようになるまで帰らない、と思い切ってやって来た手前、素養がなかったからといっておいそれと帰れないのではないか……と思う。
事情はほとんど教えてくれないからわたしの想像だけれど、おそらくミリアちゃんは近しい人にもご両親にも、ここへ来るだなんて断っていないと思えた。
みんなに心配をかけてまで成長のために家を飛び出しただろうに、なにも得られることなく帰るというのは……気まずいだろう。とても。
その気持ちは想像に難くないから、わたしもエイラちゃんも、ここに居続けることには特になにも言っていない。むしろ、帰る決心がつくまで面倒を見てあげるつもりだった。
……ただ、ちょっとだけ不安もあって。
最近のミリアちゃんは、初対面の時の元気を取り戻している。それは、魔法の素養がないと分かって落ち込みきっていたところをヤヨイちゃんに工房まで引っ張っていかれて、そこでのお手伝いが結構ばっちりハマったみたいだからで、そのこと自体は喜ばしいことだ。やっぱり元気が一番だから。
でも、ちょっとハマりすぎているような気がしなくもないのだ。
朝、調薬棟に向かう道中にそっと工房の中を窺うと、作業台に向かうミリアちゃんにヤヨイちゃんがひたすらなにかを教えていて——
お昼、母屋に戻る道中にまた工房の中を窺うと、今度はふたりで向かい合って熱くなにかを言い合っている。
遅れてやって来たふたりがお昼ごはんを掻き込み、食後のお茶も早々に飲み干して、そそくさと工房に帰っていくのを見送って——
午後はまたミリアちゃんがなにかを教わり、そして夕方にはまたなにかを言い合っているのだ。
工房に出入りして、ちょくちょくヤヨイちゃんを手伝っているエイラちゃん曰く、ミリアちゃんはものづくりについて教わったり議論したりしているらしい。
物覚えが良いようで、最初はヤヨイちゃんに一方的に言い負かされるような感じだったらしいけれど、昨日今日はミリアちゃんの方がヤヨイちゃんを押し込むような場面も出てきたとか……?
「……わたくしも断片的にしか聞けておりませんが、ものづくりについて心得や技術的な話などの基礎的な事柄から、『役に立つものは何か』『どうすれば実現できるのか』などの少し踏み込んだ話題まで、色々と話し込んでいるようです」
魔法を使えるようになる、という大きな目標を失って、ぽっかりと空いたであろうミリアちゃんの心を思えば、その心の穴を埋められる何かを見つけられたのなら、それほど大事なことはないし、喜ばしいことはない。
ただ、でも……、あまりにここでの——ヤヨイちゃんの工房でのお手伝いや勉強に馴染んでしまって、そのまま帰るという選択肢を捨てちゃわないかが心配だった。
魔法を使えるようになりたかったのは、元の生活では魔法を使えなくて居心地が良くなかったからだろうわけで。
結局、魔法を使えるようになることがないなら、元の生活はきっと居心地の良くないままだろうわけで……。
故郷を、ご両親を、諦めるような選択をしてしまうのではないか。
どうにもミリアちゃんはヤヨイちゃんに負けず劣らずの頑固者みたいだし、一度決めてしまったら、簡単には曲がりそうにない。
……まぁ、考えすぎだとは思うけれど。
両親は魔法が使えるのだから、あたしも、ということを言っていた気がするし、それはきっと、ご両親の期待に応えたいとか、心配をかけたくないとか、大切だからこそのポジティブな想いが根っこのところにあるのだと思う。……多分。
決して魔法の使えるご両親の存在がプレッシャーで、そこから解放されたかったからとか、いっそ逃げてしまいたかったとか、そういうネガティブな想いがあってのことではないだろう。……きっと。
だからおそらく、しばらくすればきっとご両親の元に帰る話になるだろう。
……なるよね?
「……サクラ様。少し考えすぎていらっしゃるかと……。お茶を用意いたしますね」
「あはは……ん、ありがとう」
いけないいけない、と両頬をぐにぐにと揉む。
一度悪い方向に考え始めてしまうと、とことんそちらにばかり考えが向いてしまうのはわたしの悪い癖だ。
気を付けているつもりだけれど、油断するとこうなっていけない。ひとまず深い考えは放り出してしまう。
ミリアちゃんのことは、彼女自身に任せる。でもそれはそれとして、身元を調べるのも並行する(情報が入ってくるのを待つだけなので、わたしがやることはほぼないけれど……)。
以上、考え終わり!
「……あ、そう言えばエイラちゃん。最近、治癒魔法の勉強はどう?」
切り替えにちょうどいい話題を思い出して、テーブルに着いたエイラちゃんに問い掛ける。
熱いマグカップをふたりして持て余しながら、エイラちゃんは少し考えるそぶりをして。
「……これは確定してからお伝えするつもりだったのですが、実は先日、ロミリーさんと共に治癒魔道士補佐の内定を受けました」
「えっ! そうだったんだ、おめでとうー!」
コーレイト先生の下で治癒魔法を学び始めて、大体一年と半年くらいだろうか。
エイラちゃんとロミリーも見習いを経てついに補佐の内定というおめでたい話に、思わず手を取ってふりふりしながらお祝いの言葉を贈った。
エイラちゃんの頬にはほんのり朱が差して、ただ少しだけ気まずそうに頷く。
「……まだ正式な認定は受けておりませんので、流れるかもしれませんが……」
「ううん、きっと大丈夫だよ! そうかー、じゃあふたりにお祝いしないとね——」
そんな訳で、エイラちゃんは恐縮していたけれど、お祝いにご馳走を用意してみんなで食べよう、という話になった。
時期は、認定証が届くであろう来月末から再来月の頭ごろを目処にする。
つまり11月になろうかというころ。その時分には、もうすっかり寒くなるねぇ、なんて言っていたら、ふと、それまでにミリアちゃんは帰れるかなぁ、と思い至ってつぶやきがこぼれた。
わたしが唸り、どうでしょうか、とエイラちゃんがつぶやいて。
わたしたちはマグカップからふわり漂う湯気を見つめた。
あいにく今の状況からして、たぶんその頃にもミリアちゃんはここにいそうだなぁ、と思う。さて、それにくっついていた懸案は考えないこととして……。
ただ別の、ほんのちょっとだけ心配なことが浮かぶ。
切羽詰まった話ではなくて、ただちょっとしたこと。
本格的な冬が来ちゃうと身元が分かってもミフロから出づらくなるから、このままだと何ヶ月かミリアちゃんはここで暮らすことになりそうだけれど……その分、食費なんかがちょっと増えそうだな、と。
それがちょっと……そうちょっとだけ、なかなかかつかつなお財布事情を考えると、そこそこそわそわしてくるところがあって……。
わたしは心の中でぼそりと、薬の生産量増やそう……、と決意したのだった。
こう、短くありつつ濃いような文章を目指したく……(ろくろ)




