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15-20 追走

 ジュウイチは四輪駆動車を走らせた。泣きながら、息を乱しながら、涙と鼻水を滅茶苦茶に拭いながらとにかく真っ直ぐ加速した。

 撃たれた。撃ってきた。車体に何度も当たっていた。運よくジュウイチとスズメには当たらなかったが、ヤチネズミは窓を乗り越えて追いかけてきた。

 黙って四輪駆動車を拝借したからか? だからヤチネズミは激昂したのか? だからと言って小銃で撃って来るほどのことなのか? あれに当たればジュウシみたいに…ッ! 


 ジュウイチは湧き上がって来た寒気に頭を振る。そして、いや違う、と自分に言い聞かせる。


 絶対に違う。例えそうであったとしても、例えヤチネズミにとって四輪駆動車が必要不可欠なもので相当大切なものだったとしても、だからと言って小銃で撃って来るほどのことを僕はしていない。それに面と向かって依頼したとしてもきっと断られただろうとも強く思った。夜汽車が無いとか皆が持っていかれたとかあることないことよくわからないことをくどくどくどくど話し続けて、要はネズミになれと言っているだけだった。まっぴらだ。何故そんなものにならなければならないのだ。そもそも夜汽車を降りたがっていたのはジュウゴたちのわけだし、だったら彼らがネズミになればいい。サンは地下から来たのなら地下に帰ればいい。ナナだってどこかに行ってしまったし、僕だっていいはずだ。僕はネズミはごめんだ。ジュウシみたいにはなりたくない。僕は夜汽車だ。だから帰る。当然だ。


 興奮していたせいか頭の芯はしばらく熱を持ち、瞬きの度に眩暈がした。ジュウイチは操縦梱を握り直す。一通り習いはしたのだ。ワシの地下に行ったときだって運転したのは僕だ。だから出来る、出来るはずだ。発車は少し手間取ったけれども停車はきっと上手く行く。多分。


「おにいちゃん」


 助手席に座らせたスズメに呼ばれた。ジュウイチは前を見つめながら「何?」と答える。


「さむい」


 ジュウイチはスズメに振り返った。慌てて前を見つめ直す。


「寒いの? 暑くない?」


 自分は汗をかくほどだったからスズメの体感に驚いた。スズメはしかし、「さむい」と繰り返して小さく丸まった。ジュウイチは困る。余分な上着など持ち合わせていない。散々逡巡してから「こっちおいでよ」と言った。

 スズメは手をつきながら運転席に割りこんでくる。ジュウイチは操縦梱を握る手はそのままに肘を持ち上げ、スズメを導いた。スズメの頭が肘の下をくぐったところで肘を絞める。


「あったかい?」


「うん」


「そうか。よかった」


 それだけ言って口を閉じた。だがしばらくしてちらりとスズメを見下ろした。スズメと目が合う。


「なに?」


 ジュウイチは前をまま首を横に振った。自分も温かかった。

 


 発車に手間取ったジュウイチは停車が成功するか否かを危惧していたが、その懸念は徒労に終わった。夜汽車にたどり着く前に四輪駆動車は勝手に減速し、やがて原動機の音も弱々しくなって、終には停止した。明らかに電池切れの動きだった。ジュウイチは四輪駆動車を降りて車体の下に潜り込んだり開きそうな部分を開いたりしてみたが、何せ手元が暗く、普段触れている端末などとは全く違う構造の機械に完敗した。助手席に座らせたままでおくとスズメはまた寒がるし、自分で歩いた方が早いと思った。スズメを地面に下ろすと、手を握って歩かせようとした。しかし、スズメは足を進めない。ジュウイチは困る。


「どうしたの? ほら、早く行こう?」


「どこに?」


「だから、」ジュウイチは少し苛々した。夜汽車に行こうと言ったことをもう忘れたのだろうか。言葉も知らないしすぐ泣くし、ジュウゴよりも物を知らなくて辟易する。


「夜汽車だよ。言っただろう? 線路に行くんだよ。線路に当たればそれを辿っていくだけだから皆のところにすぐ合流出来るんだってさっきも…」


「せんろ、あっち」


 スズメが彼方を指差した。ジュウイチの進もうとしていた方向とは九十度違う。


「え? でも…」


 言ってジュウイチは辺りを見回した。研究所からまっすぐ、右手に向かって進んでいた。方角はとりあえず月を頼りにした。だが気がつけば月は既に沈んでいる。

 ジュウイチは慌てる。どこだ、ここは? 何もない。誰も。どうしよう。朝が来てしまう…


「こっち」


 スズメがジュウイチの手を引いた。ジュウイチは戸惑う。何故、君がそうだとわかるんだ? 明らかに自分よりも知識が少なそうなのに。間違いなく夜汽車に行けば僕よりも下位だろうに。


「本当に? 本当にそっちであっているの?」


「こっち」


 スズメの言葉を疑いつつも、自分の選択も信じられなくて、その場で立ち止まっているわけにも行かずにジュウイチはスズメに導かれるままに歩いた。

 疲れたというスズメを抱きかかえ、指示された方をひたすら目指した。歯が鳴る。スズメと密着している部分以外は寒くて痛くてかなわない。足の指に至っては感覚がおかしく、踏み出す度に鈍い痺れと、痛みなのか何なのか、とにかく不快な刺激があるだけだった。


―一時間は無理だろ―


 一時間などとうに過ぎている。


―太陽の下では私たちは動けないわ―


 太陽の下じゃなくても動けなくなりそうだった。


―だけどあなたがッ―


 僕が何? 彼女はあの時、何と言おうとしたのだろう。ジュウイチは寒さの中でぼんやりと考える。凄く真剣に、教室では見せたことの無い熱量でサンは説得してきた。地下のくせに。僕たちを騙していたくせに。でも彼女は、実際に地下にいた者たちとは違ったかもしれない、とジュウイチはサンとの思い出を探してみた。席が隣になった時、ジュウイチから話しかけることもサンから話しかけられることもほとんどなかったが、ジュウイチが難解な問題に躓いていると、ぼそりと解に繋がる考え方を教えてくれたりした。ゴウとジュウゴが言い争いをしてナナが仲裁に入り、喧嘩は収まっても皆の気分と雰囲気は最悪な時、泣き出しそうなナナを一番に笑わせて、女子たちから雰囲気を変えるきっかけを作っていたのはサンではなかったか。そもそも僕は、彼女から直接危害を受けただろうか? 彼女は本当に地下に住む者なのか? だって彼女は最初から夜汽車だったじゃないか。

 ジュウイチは膝をついた。スズメを下ろし、地面に両手をつく。


「おにいちゃん?」


 足が痛い。もう歩けない。寒い。眠たい。


「おにいちゃん、だいじょうぶ?」


 大丈夫に見えるか? 気持ちはそう憤るが、言い返す気力はなかった。

 ここで眠ってしまったらどうなるのだろう。ジュウシみたいになって二度と目を覚まさなくて誰かの手で砂の下に埋められるのだろうか。ジュウシは重たくないのだろうか。目を覚まさないだけで動けないだけで話せないだけで、砂の重みは感じているのではないだろうか。


―大丈夫だよ―


 いつも言っていた。


―でも盗み見はやっぱり駄目だよ。だからアイに知らせた―


 おかげで罰として補習と説教が続いた。


―でも謝れば許してもらえるよ、きっと。シュセキだって変な奴だけどそれほど悪い奴じゃないんじゃないかな?―


 悪い奴じゃないかもしれないけれども嫌な奴だった。


―だから大丈夫だって―


 何が。


 根拠もないくせに口先ばかり達者で、真面目な話をすればお茶らけてはぐらかして。それなのに妙な義務感をかざしてきたりして。


「お兄ちゃん」


 嫌な奴だった。


「おにいちゃん、あれ」


 顔をあげる。目を疑った。夜汽車だ。夜汽車。

 ジュウイチは弾かれたように立ち上がって走り出した。しかし少し行ったところで思い出し、駆け戻ってスズメを抱き上げ夜汽車に向かった。

 夜汽車は暗かった。ネズミのせいだ。ネズミに壊されたからだ。ネズミが開けた穴があって、他の車両も接続部分付近が特に損傷が激しくて、でも教室だけは一切無傷で残っていて…。

 ジュウイチは夜汽車を見上げながら記憶を見つめ直していた。おかしい。どこも壊れていない。先一昨日、ネズミたちによって破壊され、無理矢理降ろされた穴などなく、脱線している車両もなかった。車窓は相変わらず整然と並び、割れている硝子などない。


「夢?」


 そうだ。夢だったんだ。変な夢。なんだこれ。あるわけないよ、夜汽車が壊されるなんて。地下が襲撃してくるなんて、地下に行くなんて。なんだろう、おかしいな、変だ、変だな、とにかく授業に戻らないと。


―脳は希望を採択したがるものです―


 あれ? どこから降りたんだっけ? 裏だ、きっと。回り込もう。いや、降りてないし。夜汽車を降りるわけないし。たまたま、そうたまたま今だけ砂の上を歩いているだけで、靴がじゃりじゃりするのも気のせいでなんだか体中臭いのは、昨日風呂に入り忘れたんだろう、きっと。


「おにいちゃん、どこいくの?」


 おにいちゃん! なんだそれ。意味わかんない。聞こえない、聞こえない、聞こえな…、


「教室」


「おにいちゃん……」


 スズメの泣き出しそうな声がする。ジュウイチは砂の上で立ち尽くし、教室と思われる車両、否、教室を見つめた。机があって端末が並んでいて、教壇があって画面がある。教室以外の何物でもない。

 水平に走っていた溝はやはり扉だった。扉、というか蓋、というか。誰かが大きく口を開けているような格好で、上下に開いた車両の壁は、上部は完全に屋根に重なり、下の部分は枕木の上に上手に接していた。上れ、と言わんばかりに。

 ジュウイチは誘われるように教室に上がった。自分の席に座る。暗い。これでは授業も出来ない。動画観賞にしたって画面も暗い。

 机に両手を置く。触り慣れた端末。だが少しだけ違和感。席を間違えたかもしれない。ジュウかジュウニの席かもしれない。なんせ暗い。


「ここなに?」


 スズメが教室に上がって来ていた。スズメは授業など知らないのだろう。授業を受けたことがあればこれほどまでに知識が少ないはずがない。


「教室だよ」


 ジュウイチは教えてやった。「ここで皆で授業を受けるんだ」


 スズメが首を傾げる。


「僕がロクだった頃、ちょうどシュセキの端末が見えてね。全部写したんだ、試験内容。アイにも気づかれないようにやったつもりだったのにジュウシが見てた。あの時はニイだったかな。それまでは割と仲良かったけど、彼が僕の盗み見をアイに告げ口してね。ナナにも軽蔑された。恥ずかしくって腹立たしくって。ちょっと黙ってくれればいいだけなのに、何もアイに言わなくてもさ。見られていたって言われた時点でやめたよ。当たり前だろ。でもさ、」


 ジュウイチは立ち上がり席を移動する。座った席から斜め前を向く。


「おかしいんだよ。この位置からはシュセキの端末なんて見えないんだ。ニイの位置も教壇も、微妙に違うんだ」


 ジュウイチは俯いた。手が震える。寒い。寒さ以上に、恐怖。


「これ、僕たちの夜汽車じゃない!」


 言って机を叩いた。両手の拳で何度も何度も叩いてそして、両手で頭皮に爪を立てた。

 どこだここ? 皆は? どこに行けば合流出来る? なんでこの夜汽車には誰もいない? 誰も、誰か、


「アイぃッ!!」


 立ち上がって天井を見上げる。造影器や拡声器に向かって叫ぶ。


「アイ! いるの? 返事して。ここどこ? 皆はどこ? どうして誰もいないの? 夜汽車! 僕の夜汽車は?」


 スズメが蹲って泣きだした。


「誰か! 誰か出て来て! ゴウ! キュウ! 皆どこだよお!」


 机を叩く。足踏みをする。叫んで喚いて頭を振って立ち上がり、スズメを平手打ちした。


「うるさいよお!」


―手っ取り早く相手を黙らせる手段だ―


 スズメが泣くのをやめた。息も止めて瞬きもしないでジュウイチを見上げる。ジュウイチは少女の目を見て、自分の手を見て、スズメを見て、見つめて、見られて、見ないで、やめて、


「ごめん」


 ごめん、ごめん、ごめんなさい、許して、ごめん、いやだ、やめてくれ… 


 泣き崩れた。スズメに何度も何度も謝罪しながら、アイを呼びながら、誰かが来てくれるのを待った。待ちながら、誰にも来てほしくなかった。しかし一度強く望んだからだろうか。今ここで地下に住む者に来られても困る、などと思い直していたのに、むしろ何も来ないでくれと願い直したのに、ジュウイチは何かが近づいてくる気配を感じた。砂を踏む音。交差する細い光。ワシが持っていた携帯用の電気。地下? また地下…


 ジュウイチはスズメの手を引いた。何か言おうとしたスズメに覆いかぶさる様に腕の中に抱き締め、教室の隅で蹲った。

 目を瞑る。耳にはどうして瞼が無いのだろう。息を止める。過ぎ去ってくれ。どうか気づかないで。だが思いは空しく、靴音は教室に上がって来た。一直線にジュウイチの背後に向かって来る。ジュウイチはスズメを抱きしめる。どうか、どうか誰か、やめて


 肩を叩かれた。とても軽い感じで。掴まれて強制的に立たされて投げられると思っていたジュウイチは拍子抜けした。あまりに静かな接触だったから恐怖が変な方向にねじ曲がって呆然としながら振り返った。



* * * *



 ジュウゴは走った。叫んだ。こっちだ、こっちだ早く、ヤチネズミが大変なんだ…

 立ち止まった。理由はわからない。だが胸の辺りをぞわぞわさせる不快さは違和感だ。違う。ハツカネズミたちではない。だって何か。様子が何か。

 自動二輪と四輪駆動車の一団が二手に分かれた。取り囲まれるように斜め左右から原動機の音が、影が迫って来る。ジュウゴは一歩、後ろに下がった。一歩、また一歩。踵を返して家の中に駆け戻ろうと思った。


「いい判断だ」


 不意に声がして前を向く。間に合わなくて顔からぶつかる。開いた視界に飛び込んできたのはたヤチネズミだった。


「ヤチネズミ…」


 ヤチネズミは左眉の斜め上から肩、腰にかけて血液で濡れていた。瞼が大きく腫れていて片目がほとんど閉じている。ヤチネズミは血みどろの手を持ち上げてジュウゴを自分の背後に置いた。迫りくる一団を睨みつける。


「ヤチネズミ、その損傷…」


「黙ってろ」


「黙っていられないよ! 酷いことになっている! サンだって訳がわからないしシュセキは様子がおかしいし」


 喚き散らすジュウゴに構わずにヤチネズミは停車した一団と対峙した。誰も原動機を切らない。腹にくる振動に気味の悪さを感じながらジュウゴも一団を見回した。中央の自動二輪に跨ったまま地面に片足をついた男が、保護眼鏡を額に上げる。


「あれぇ~? 誰かと思えばヤッさんじゃないっすかあ~」


 ヤチネズミが舌打ちした。「よりによってお前かよ」


「知っている男か? 彼らのネズミなのか? ハツたちとは違うのか?」


「黙ってろ、うっせえな!」


「だってわからないことは確認しないとわからないじゃないか!」


「後にしろ!」


「あれえ~? 見ない顔っすね。どこの子ネズミっすかあ?」


 男の視線を感じてジュウゴは顔をあげた。


「『コネズミ』」


 男の言葉を繰り返す。ハツカネズミもヤチネズミも使っていた言葉だったと思う。でも意味はわからない。


「無視かよ」


 突然口調を変えて男が言った。ジュウゴはぎょっとする。まじまじと見上げる男は再び卑しい笑みを浮かべると、ヤチネズミに顔を向けた。


「にしてもひさしぶりっすねぇ、先輩。どこほっつきまわってたんすかあ?」


「なんでお前がこんなとこいんだよ」


「そりゃこっちの台詞っすよぉ~」


 男が唇を尖らせた。


「アイちゃんに迷子の夜汽車を探して来いって言われたんすわ。なのになんでヤッさんがいるんすかあ?」


「アイ?」


 ジュウゴは耳を疑った。ヤチネズミの制止を聞かずに前に出る。


「君たちはアイに言われてここに来たのか? アイが『夜汽車を探す』って?」


「馬鹿、下がれ…」


「もしかしてそれ、夜汽車?」


 男が身を乗り出してジュウゴを凝視した。ヤチネズミとジュウゴを交互に見て、吹きだし、空に向かって大口を開けて大笑いする。ヤチネズミが緊張する。ジュウゴは動揺する。

 男はひいひい言いながら腹をおさえ、反対の手の指で涙を拭く。堪え切れない笑いを顔中に湛えたまま肩を揺らしながら左右に控える男たちに言った。


「あれだって」


「保護ですよね?」


「やめとけ、餓鬼ども」


「どっちでもいんじゃない?」


「いや、でも、夜汽車なら…」


「降りちゃった夜汽車なんて夜汽車じゃないじゃん」


 ヤチネズミが舌打ちした。


「あ、でもぉ」


 男が振り返る。「ヤッさんは駄目だよ。先輩は敬わないと、ねえ?」


 男の左右から自動二輪と四輪駆動車が走り出す。ジュウゴたちを取り囲むように円を描いて走り回る。ヤチネズミが怒鳴る。やめろ、とか、さがれ、とか。全く聞き入れられない。誰も止まらない。ジュウゴは目が回りそうだ。眼前に手の平が迫る。ヤチネズミが小銃の柄で手の平の主を殴る。殴られた男の首が曲がり、自動二輪ごと砂に突っ込んだ。ヤチネズミが小銃を構える。照準を合わせようとでもしていたのかしばらく直立不動で構えていたが、舌打ちと共に銃口を下ろした。そしてやにわにジュウゴに振り返った。

 ジュウゴは頭を掴まれ伏せさせられた。起き上がろうにも背中にヤチネズミの膝がある。辛うじて首を動かし顔を上げる。ヤチネズミが小銃の銃身を掴み、その柄を振りまわしていた。四輪駆動車の運転手を直撃する。


「オオアシ!」横転した四輪駆動車の爆発音の中でヤチネズミが叫んだ。「餓鬼ども、下がらせろ! 無駄死にさせんな!」


 衝撃音。


「黙って見逃せ!」


「なぁにまた甘っちょろいこと言ってんすかあ~」


 ヤチネズミの真剣な声色とは対照的に男はへらへらと笑って返した。「無理っすよお、ヤッさん。こっちだって仕事なんすよお」


「お前らいつまで言いなりになってんだよ! あいつがしてることわかってんだろ!」


「そっちこそ目ぇ覚ましてくださいって。青臭い理想語ってないでちゃんと働いてくださいよ」


「お前を殺す理由がないんだよ!」


 『オオアシ』と呼ばれた男が真顔になった。気持ち悪い、瞬時にジュウゴは思った。笑っていないと不気味な顔だ。

 男が自動二輪を降りて歩いてヤチネズミに近づいてきた。起き上がりかけたジュウゴの頭をヤチネズミが後ろ手に地面に押しつける。ジュウゴは手と膝をつく。なるほど、これではなかなか持ち去られない。


「仕事の邪魔しないでくださいよ。自分だって先輩とやりあいたくなんてないっす」


 男が腰を曲げてヤチネズミに顔を近付けた。走り回っていた自動二輪と四輪駆動車がジュウゴたちを囲むようにして止まる。


「だったら黙って帰れ。でなきゃこっちにつけ」


 ヤチネズミの提案に男はへらへらとした笑顔に戻った。そして、


「安心してください、先輩は殺しませんて。薬と女は即確保ってね」


「お前…」


「素直に帰ってきてくださいよお。三食寝床付きの何に不満なんすかぁ?」


「全部だよ!」


 言うと同時にヤチネズミは拳を振った。男はいとも簡単にそれを手の平で掴む。わざとらしく悲しげに眉尻を下げ、首を横に振った。


「ヤッさ~ん、子ネズミたちになんて呼ばれてるか知ってますぅ?」


 ヤチネズミが顎を引く。


「『出来そこないの『厄』ネズミ』ですよ? 悔しくないんすかあ?」


「興味ねえよ」


「有望株と同室なのに、出来た薬もしょうもなければ銃も下手、挙げ句の果てには仲間を減らす疫病神だって。ひっどい話っすよねえ? ついてないのはどうしょうもないじゃないすか。偶々ネコの出るところにばっか出くわすとか、偶々仲間を一番多く死なせちゃってるとか、そんなんヤッさんの責任じゃないのに。ねえ?」


 男に握られたヤチネズミの拳が震えている。力負けしている。


「だって有望株っつったって高が知れてるし。あの裏切り者、何て言いましたっけ?」


 ジュウゴを抑えつける力が強まる。


「ああそう!」男が閃いたと言わんばかりに顔を上げた。それからにっこりと笑ってヤチネズミに向き直り、「『失敗作のハツカネズミ』!」


 ジュウゴを抑えつけていた力が消えた。ジュウゴは顔を上げる。ヤチネズミが右の拳を掴まれたまま左の拳を振り上げていた。男の顔面に直撃する。


「何つった、今」


 男が口元を綻ばせる。


「なんかしました? 今」


 男が首から上を回してヤチネズミを見た。握っていたヤチネズミの右の拳を支点にその肘を反対の手刀で打つ。ヤチネズミの肘が曲がる。膝をつく。体勢を崩したヤチネズミはまだ右手を握られたままで、開いた胴部に男の靴先が蹴り込まれる。ヤチネズミが一瞬、吐きそうな顔をする。飲み下して咳込む。


「どうしたんすかぁ? ヤッさん。あ、違うか。『出来そこないの『厄』ネズミ』先、輩」


 男がさらに腕を返し、ヤチネズミの体が翻る。背中から砂に落ちて空を仰ぎ、その腹に男の足がめり込む。今度こそヤチネズミの口から何かが出た。


「そういや昔、先輩が教えてくれたんですよね? まず『相手から武器奪え』って」


 言うと男はヤチネズミの拳を握ったまま、その腕を横蹴りした。聞いたことのない音が響いてヤチネズミが絶叫する。男がけらけらと楽しそうに笑う。


「すんません、痛かったっすかあ? おっかしいなぁ。今度は上手くできるように、自分、もっと精進しますね」


 笑いながら男が今度はヤチネズミの左手首を掴んだ。ジュウゴは咄嗟に身を乗り出す。しゃがんだままの体勢から目を瞑って男に突進した。ぶつかった瞬間、首が痛かった。目の前がちかちかして頭がくらくらした。だが男をヤチネズミから引き離せた。


「ヤチネズミ…、起きて! ヤチネズミ!」


 半分しか目が開いていないヤチネズミが、額に横皺を刻んでジュウゴを見上げた。口は半端に開いたままだ。


「大丈夫か? 死んでない? ヤチネズミ!」


「ジュウ…」


 言いかけたヤチネズミの注意も間に合わず、ジュウゴは背後から脇腹を男に蹴り飛ばされた。


「はい、夜汽車」


 男が言って四輪駆動車から男たちが駆け降りてきた。立ち上がろうとしたヤチネズミの手を男が踏みつける。


「痛かったんすけど。超痛かったんすけどお」


「ヤチ…」


 背中の後ろで腕を掴まれながらジュウゴは声を出そうとした。蹴られた箇所に激痛が走り、歯を食いしばっただけだった。歯を食いしばりながらジュウゴは拘束を振り払おうともがく。と、男が突然弾かれたように手を離した。ジュウゴは顔を上げる。遅れて発砲音。


「彼から離れて」


 小銃を構えたサンが肩で息をしながら男たちを睨みつけていた。


「女?」


「馬鹿! 逃げろッ!」


 ヤチネズミの声に顔を上げたサンを、走って来た自動二輪から伸びる手が抱えた。驚いた顔のままサンが平行移動していく。


「サン!?」


 転倒していた男たちも仲間の駆動車に回収されていく。


「女がいればいいや」


 ヤチネズミを踏みつけていた男が吐き捨てて、走って来た四輪駆動車に飛び乗った。ヤチネズミはサンが落とした小銃を拾い上げ肩にかけると、走って来た自動二輪に跳び付いた。払い落そうと腕を振りあげた男を蹴り落とし、器用に座ると操縦梱を握ってサンを追う。


「サン! サンッ!」


「お兄ちゃん!」


 コウが走って来た。「ヤチのお兄ちゃんは?」


「奪われた! 男たちに! 早く追わないと」


「え?」


「サンだよ! サンが…」


 コウは彼方を見遣る。


「お母さん…」


 口中呟いてから「お兄ちゃん!」


「コウ、どうすればいい? どうすれば取り返せる?」


「追うんでしょ!」


「どうやって!」


 コウは一瞬考え、そして何かを思いついたのか、突然背を向け駆けだした。ジュウゴも続く。走りかけて立ち止まる。ヤチネズミが死なせたいくつもの男が横たわっていた。ヤチネズミへの恐怖と嫌悪と憤りに震える。同時に同じ目に遭うかもしれないサンへの焦燥に悪寒が走る。ジュウシ。ジュウゴは顔を上げ、コウの背中を追いかけた。

 研究所をぐるりと回り込み、開け放たれて光を漏らす入口の傍に止められていた四輪駆動車によじ登ろうとした。手間取るコウをジュウゴが手伝う。


「コウ!」


 入口から声が聞こえてジュウゴは振り返り、同時に焦った。ヤチネズミの肩を切りつけていた男がワンを伴って現れた。こちらも相当、損傷している。


「何してる。降りろ」


「お兄ちゃんが地下の奴らに連れていかれたの! ヤチのお兄ちゃんが追ってる」


「お前、あのネズミに何、吹き込まれた」


「お兄ちゃんも手伝ってよ。コウやだよ。だって、コウ、お兄ちゃん…」


「コウ、」男が接近した。ジュウゴは咄嗟に身を固めて半歩下がる。

 男はコウの肩を両手で握ると顔を近付け、コウの目を覗きこむようにして言い聞かせた。


「わかった。わかったから降りろ」


「いやだ! お兄ちゃん取り返すの」


「わかった。お兄ちゃんがそのお兄ちゃんを取り返す」


「いやだ! お兄ちゃんそう言ってお母さん、帰って来ないもん!」


 男が口を噤む。それから顔を突き出し、コウの肩を揺すった。


「だから何度も言ってるだろ。お母さんはもうすぐ帰ってくるといつも…」


「だったら今すぐ連れて来てよ!」


 男が黙った。コウが男に腕を掴まれたまま涙を拭く。


「ほら、できないでしょ」


「今は無理だ」


「いつならいいの?」


「お父さんの研究を完成させようって約束しただろ。投げ出すのか?」


「だって失敗ばっかりだもん」


「まだ成功してないだけだ。お父さんの研究は絶対…」


「ならお兄ちゃんがここでやればいいでしょ! コウはもうやだ」


「コウ…」男が目を見開いた。「お前、何てこと言うんだ」


 コウも泣きながら男の手を振り払った。


「お兄ちゃんにはわかんないよ。ずっとコウとワンだけで家から離れちゃだめなの。お兄ちゃん以外、誰も来ないの。毎朝お父さんにお花持っていくの、でもお父さんいないの。けんきゅう成功しないし。でもヤチのお兄ちゃんは『いっしょに行こう』って言ってくれた」


 ヤチネズミ。ジュウゴは彼方を見遣る。


「そんな口車に乗せられたのか」


 男がぼそりと言った。激昂はすでに納まったのか抑えたのか、最初に現れた時のような無表情でコウを見つめる。いや、完全な無表情ではない。目元が少しだけ悲しげだ。


「ヤチのお兄ちゃんはコウとワンを連れて行ってくれるって言った。外に行きたいなら連れていくって。コウ、出たいよ。外に出たい」


「駄目だ」


 コウの涙の訴えを男は拒絶した。コウが泣き腫らした目で男を見上げる。


「外は危険だ。今はここにいろ。全部終わったら俺がどこにでも連れていくから」


「危なくてもいい! コウ行くもん!」


 コウの金切り声にジュウゴは上半身を引いた。そのジュウゴに向かってコウが怒鳴る。


「お兄ちゃん、行こう。乗って!」


「コウ!」


「ワンも早く!」


 ジュウゴはコウに腕を引かれる。男が四輪駆動車の前に立ちはだかる。


「お兄ちゃん、どいてよ!」


「駄目だ」


「どいて!」


 再び押し問答。その間にもサンたちはどんどん離れていく。コウと男のやり取りにやきもきしていたジュウゴは、はっと気づいて走り出した。


「お兄ちゃん?」


「シュセキを忘れていた!」


 コウに怒鳴り返してジュウゴは家の中に走った。


「シュセキ!」


 扉を勢いよく開けてジュウゴは部屋に駆けこんだ。「サンが持っていかれた! ナナみたいに。ヤチネズミが追っている。僕たちも行かないと」


 シュセキは床の上に座りこんだまま返事をしない。


「シュセキッ!」


 ジュウゴはいらいらしながらシュセキの両肩に手を置く。


「シュセキ!」


 ようやくシュセキが気付いたように顔を上げた。ゆっくりとジュウゴの方に目を向ける。


「早く行かないと追いつかない。急いでくれ」


「授業か?」


「違う!!」


 ジュウゴは頭を掻き毟る。どうしたんだ、どうしてしまったんだ、一体。


「サンだよ、サン。何言っているんだよ、しっかりしろよ。ナナを探すのでさえ大変だったのにどこに行くのかわからないのに大変じゃないのか!?」


「サン…」


 シュセキが眉根を顰めた。「彼女がどうした」


「持っていかれたんだよ! ナナみたいにって言っているじゃないか何を聞いているんだ!」


「ジュウシは…」


 ジュウゴは呆れる。


「だからジュウシは!」


「君は何を、言っている…?」


「君こそだよ! 何なんだよ! ふざけないでくれ!」


 ジュウゴは両手で頭皮を掻き毟った。頭の中心が熱くて破裂するかと思った。目を瞑って頭を振り、息を吐いてもう一度シュセキに向き直る。


「ジュウシは死んだんだ。庭の砂の下だ。動けないから運べない。でも君はまだ動いている。だから行くんだ。わかるだろう?」


 シュセキが眉根を寄せたままジュウゴを見つめる。


「サンだよサン! いい加減にしてくれ!」


「砂の、下」


「お兄ちゃん!」


 コウの声にジュウゴは窓の方を振り返った。男を振り切ったのか。四輪駆動車を起動させて運転席に座っている。


「早く、見失っちゃう!」


 ジュウゴは焦る。


「シュセキ!」


 ぼんやりとこちらを見るシュセキと目があった。睨まれるでもなく逸らされるでもなく。


「お兄ちゃん!」


 ジュウゴはシュセキに背を向け、窓をよじ登り四輪駆動車に向かって駆け出した。四輪駆動車に飛び乗る。


「どっち?」


「何が?」


「お兄ちゃんたち! どっちに行ったの?」


 ジュウゴは困る。辺りを見回す。入口前で見た時は斜め左手に去っていったから、ここからだと角度が違って…。あれ? 確か研究所から少し離れたところでヤチネズミと襲撃されて…。振り返ったジュウゴの目に飛び込んできたのは、ヤチネズミを血まみれにし、コウと言い争っていた先の男だった。ワンと共にこちらに向かってじわじわと走って来る。


「あ、あっち!」


 ジュウゴは咄嗟に右手を指差した。多分そうだと思った。四輪駆動車が唸る。後輪が回る。酷い音だ。


「コウ! この四輪…」


「頼む」


 男の声が聞こえた気がしてジュウゴは背後を見遣った。その傍らを黒い影が走った。


「ワン?」


 ジュウゴが驚いている暇もなく、四輪駆動車が走りだした。

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