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14-12 地下とネズミ

「来たぞ」


 鉄扉に耳を押しつけていたチュウヒが、先とはうって変わった低い声で言った。ハヤブサが突然機敏な動きを見せ、チュウヒに向かい合うように扉の横で構えた。がちゃがちゃと聞き慣れない音がして扉が開く。 


「サシバ」


 ナナを背中に担いだヨタカが駆け寄った。


「どんな感じだ?」


 サシバと呼ばれたチュウヒよりも背の高い男は、ヨタカとナナを見下ろして、


「一二番線からすぐの改札の導線を切った。上はまだ原因を探っている最中だがそう長くはもたない。九番線の昇降機を使うよりはそこの階段を行った方が早いだろう」


「一二番線? 随分遠くにしたもんだな」


 チョウゲンボウが言った。サシバはそれには答えず目線を上げる。セッカが女たちに支えられながら歩いてきた。サシバは深々と頭を下げる。


「ご無沙汰しています」


「お前、弟についたのか」


 サシバは顔を上げずに、「自分はここにいるだけです」と呟くように言う。


「あいつは? また塔か? この非礼が何を意味するかわかってるのか」


 いち早く扉の外に出て、正面の細い階段を登っていたヨタカが振り返った。


「おしゃべりは後だ、おっさん。早く行くぞ」


 言うと僕たちに向かって顎をしゃくる。


「お前らも来るなら来い!」


 僕はジュウイチと顔を見合す。脇をジュウゴがすり抜けて、「ほら早く」と、さも当たり前そうに言った。なんだか無性に癪に障る。そうこうしているうちにシュセキとサン、ジュウイチも走って扉の外へ出た。僕も慌てて後に続く。


「今なら、」


 すれ違う時にサシバが言った。


「今ならまだ間に合います。あなたが折れてください」


「ふざけるな!」


 セッカの怒鳴り声に僕は足を止めた。違う、止まった。彼の二面性には先から辟易させられる。


 セッカは息を吐き、頭を振った。


「もういい。お前じゃ話にならない」


「このままお帰り下さい」


「それは無理だ」


 サシバが顔を上げる。セッカは激情を抑えこむようにして、


「うちの者が夜汽車扱いされた。返してもらう、案内しろ」


 言ってサシバを睨み上げた。


「まじかよ……」


 ハヤブサが呟いた。見ると目が完全に開いている。


 先頭にいたヨタカが駆け降りて来て僕を押し退けた。僕はよろけて尻もちをつく。


「何の話してんだ? お前ら」


 セッカはヨタカを一瞥し、それから顔を上げて扉の外を眺めた。探している相手は、


「おいあんた、ちょっといいか」


 ジュウイチは左右を見てから肩を竦め、恐々とセッカの元に戻ってきた。


「スズメがあんたのことを気に入ったみたいなんだ。しばらく預かってくれないか」


「へ?」


 ジュウイチは首から上を突き出したまま視線を泳がせ、僕を見た。僕もわからない。意見を求められても困る。


「セッカ?」


 女たちの脚の間をすり抜けてきた少女が顔を出した。セッカは傍らの女たちから離れ、腰を屈めて少女を両腕で抱えた。


「スズメ」


「……いや」


「スズメ、」


「やだ」


「言うこと聞け」


「いやだぁ!」


 終には声を上げて泣き始めた。セッカの上着に両手でしがみ付き、その胸の中に顔を埋めて少女は泣き続ける。


「あなたはお兄ちゃんたちと一緒に行くの」


 女が少女に呼びかけ、頭にそっと触れた。スズメはそれでも全く聞き入れない。セッカの上着の皺が深くなる。


「スズメちゃん…」


「スズメもいくう!」


「駄目よ」


「スズメもセッカといっしょぉ…」


 セッカが両腕に力を込めたのが見て取れた。それから片足で立ちあがると、しがみ付く少女を無理矢理引き離してジュウイチに押しつけた。ジュウイチは拒否する間もなく少女を持たされ、接触を避けようとしているのか変な角度で腰を逸らしている。


「持って行ってあげればいいじゃないか」


 堪らず僕は口を出す。凄く少女が哀れに見えたから。でも完全に無視された。セッカは少女から目を離さないで唇を噛みしめている。


 少女とセッカを交互に見比べていたジュウイチの襟首を、セッカが乱暴に掴んで引き寄せた。ジュウイチの首ががくんと折れる。ジュウイチは言葉にならない声を一度発した後、セッカの視線に居竦まれ、唇を閉じた。セッカの唇が微かに動いたけれども僕には何を言ったのか聞こえなかった。


 ジュウイチがスズメを見つめた時、セッカがジュウイチの体を押し離し、ジュウイチはよろけて後ろに下がった。


「セッカ、セッカぁ!」


 ジュウイチの腕の中で少女が手を伸ばす。セッカはもうスズメの方を一切見ない。サシバに向かって「案内しろ」と凄んでいる。


 不意に腕を掴まれて僕は無理矢理立たされた。見るとチュウヒだった。


「どうするヨタカ」


 チュウヒは僕を掴んだままヨタカに向かって怒鳴った。


「どうすんだ! やるのかやめんのか、早く決めろ!」


 ヨタカは瞼に力を入れて床の一点を見つめている。


「ヨタカ?」


 ナナがヨタカを呼んだ。ヨタカは背中を振り返る。ナナを見つめて見えている側の目を細め、歯ぎしりしてサシバに振り返った。


「すぐ戻る」


 言って階段の方に駆け出した。


「行け!」


 チュウヒに腕を振られ、僕は前のめりに数歩進んだ。背後を見る。ただならぬ雰囲気に理由の無い不安が胸の辺りでぐずぐずと疼いた。


「ジュウシ、早く!」


 ジュウゴの声に急かされてその場を離れる。ジュウイチが少女を胸の前で抱えたまま僕を追いぬいていく。


「何だ? 何が起きているんだ?」


 僕は隣を走るハヤブサに尋ねた。


「お前らには関係ない」


 ハヤブサは吐き捨てるように言った後で、「やばいな、まじかよ……」と呟いた。



 * *


 

 何段あったのか数えておけばよかったと後悔するほど長い階段を駆け上った。チュウヒが体を使って重たそうな鉄の扉を押し開ける。体中に悪寒を走らせる音を軋ませて扉は開き、刺すような冷気が吹きこんだ。


「もう夜じゃないか!」


 いち早く地上に飛び出たジュウゴが声を上げた。


「大変だ。月が沈みそうだ」


「ここでいいのか?」


 チョウゲンボウが僕たちに尋ねた。


「この後はどうすんだ?」


「出るまでって話だろ? 早く戻るぞ」


 ハヤブサが口早に言う。完全に目が覚めたらしい。


「待って!」


 ジュウイチがスズメを地面に下ろしながら叫んだ。


「僕たちが地下の中に降りた入口じゃないよ、ここ。四輪駆動車はあの入口の近くに隠したじゃないか。そこまで行かないと夜汽車まで徒歩ってことだよ? あの入口までは連れて行っててよ!」


「物頼む態度かよ、それ……」


 チョウゲンボウがため息をついて閉口する。


「じゃあどこからお前らは入ったんだよ!」


 チュウヒが強い口調でジュウイチに迫った。ジュウイチは顎を引いて、


「崩れかけた……土台だけの瓦礫。は、『廃駅』って聞いたよ」


「だからどこも廃駅だっつう…!」


 チュウヒを遮ってハヤブサが顔を上げた。


「一二番線?」


 チュウヒたちが揃ってハヤブサを見た。


「土台だけの改札っつったらあそこしか……」


「おいジュウゴ!」


 チュウヒがジュウゴを呼んだ。


「どんな入口だったか覚えてるか?」


「それは覚えているよ。土台の…」


「床に穿たれた正方形に近い穴だった。直接階段が伸びていて弱い電気が所どころに点いていた」


 尋ねられたジュウゴを押し退けてシュセキが答えた。ジュウゴが唇を結んでそっぽを向く。シュセキは知らん顔を決め込んでいる。僕は呆れて何も言えない。


 だが僕たちのやり取りなど目もくれず、チュウヒたちは一気に焦燥した。


「やっぱり……」


「よりによってお前。サシバ!」


「最ッ悪」


「言ってらんねえだろ」


 ヨタカが言って走り出した。「行くぞ、お前ら」


 確かに最悪だった。星と壊れそうに細い月の弱々しい明かりしかない闇の中、驚くほど足場の悪い砂の上を線路に沿って走らされた。あんなに寒い外気に当てられていたのに、いや、空気は相変わらず冷たいのは変わらないのに、背中と頭皮は汗がにじみ出すのを感じた。


「見えたぞ。一二番線改札!」


 一番前を走っていたチョウゲンボウが振り返って叫んだ。指差す方向に目を凝らす。


「なんだありゃ?」


 ハヤブサが言って立ち止まる。つられて僕も足を止める。ハヤブサが凝視する方向に目を凝らすが星と曖昧な稜線しか見えな…


「ネズミぃッ!!」


 ハヤブサが叫んで僕に足を引っ掛けた。僕はそのまま尻から倒れる。


「何をするんだ…」


 問い質そうと起き上がると今度は胸の中央をチュウヒに抑えつけられた。重い! 左腕ッ。右手でチュウヒを振り払おうとして手が止まる。冷や汗とも脂汗ともつかないものが頬を伝う。思わず耳を塞いだ。この音、この風、小銃だ!


「なんでこんな時にネズミが出んだよ!」


 寝ころび怒鳴りながらチュウヒは小銃を撃つ。


「くっそ。見えねえ!」


「やめるんだ! 撃たないで、ネズミだよ!」


 銃声の中でジュウゴが叫ぶ。しかしチュウヒたちは聞く耳を持たない。


「何でネズミを…」


「うるせえ黙ってろ!」


 僕の質問も怒鳴り声にかき消される。


 反対側に顔を向けた。皆、砂の上に伏せていた。ネズミが夜汽車を襲撃して来て、衝撃を和らげようとしたアイに抑えつけられた僕みたいな格好をしていた。


「あなたは無事?」


 サンが僕に向かって叫ぶ。だから知らない言葉を使うなと言っているんだよ! 意味がわからないから答えようがない。


「何故ネズミが僕たちを襲撃する!」


 シュセキが言った。「彼らは僕たちが必要なずなのに!」


「騙されていたのよ、きっと!」とサン。


「あいつらもワシと同じ。私たちを利用することしか考えてない」


「ハツは迎えに来たんだよ!」


 ジュウゴが言った。


「だってそう約束したじゃないか!」


「でもジュウゴ、この状況は僕たちが襲撃されているとしか思えない!」


「そうだ。前をよく見ろ。情報を客観視して状況を判断しろ!」


 僕の指摘をシュセキが援護した。しかしジュウゴはまだネズミを信じている。


「何か理由があるはずだ! でないとハツはこんなことしないよ!」


 言うとジュウゴはチュウヒに向き直り、


「撃たないでくれ! 僕も痛いのは怖いから!」


「何するつもり!?」


 サンが奇声じみた声を上げる。ジュウゴは今度はサンを見て、


「話を聞いて来る!」


 言って立ち上がった。


「ま…!」


「ジュウゴぉッ!!」


 僕たちの制止を押し切って、小銃の弾の飛び交うその中をジュウゴは駆け出した。何やっているんだよ、ジュウゴ! 僕は左腕を思いっきり握った。右手が震える、歯が鳴る、ああああ! 


「何する気!?」


 サンに怒鳴られた。僕も怒鳴り返す。


「ジュウゴを持って帰って来る! あれに当たると物凄く痛いんだ!」


「だめ! 戻って!!」


 サンの絶叫が背中に当たった。




  

 ハツカネズミは肩で大きな息を吐いた。白い靄が顔の周りを縫うように漂った後で消えていく。北西の空には三日月。誰かの笑った口元みたいな形がやけに目についた。せめてもう少し満ちていればとハツカネズミは臍を噛む。せめてあと三日だけでも違っていれば月の入り時間も遅かったのに、今日に限ってあんな三日月だ。乗り捨てられていた自動二輪と四輪駆動車を見つめる。早く出て来い、夜汽車。頼むから戻ってこい、ジュウゴ。


「ハツ」


 ヤチネズミに声をかけられた。何を言われるかは分かっている。


「もう少しだけ。まだ月もあそこにあるじゃん」


 ヤチネズミは顔を上げ地平線を見遣ったが、眉根を寄せて鼻から息を吐く。


「ハツ…」


「わかってる! わかってるから。でもあと少しだけ」


 ヤチネズミは下唇を噛み、視線を逸らしてからもう一度ハツカネズミを見つめて、そして息を吐いて項垂れた。


 ごめん、ヤチ。ハツカネズミは内心頭を下げる。でももう少しだけ。あの夜汽車が使えるようになれば、そうすればきっと……。


「ハツさん、ヤチさん、」


 ジャコウネズミが自動二輪に跨ったまま、双眼鏡を覗きこんで言った。


「俺の見間違いじゃなければ誰かがこっちに走ってきます」


 ハツカネズミとヤチネズミは同時に振り返る。ヤチネズミがジャコウネズミから双眼鏡をもぎ取り、遥か彼方を見た。


「夜汽車? 夜汽車が戻って来たの?」


 ハツカネズミは期待に声を弾ませた。しかし、


「数が多い」


 強張った声でヤチネズミは言い、双眼鏡を下ろした。


「ワシだ」


「ハツさん!!」


 子ネズミたちに指示を仰がれる。ヤチネズミの視線を受け取る。子ネズミたちの向こうからはカヤネズミの物言いたげな顔が見えた。カヤネズミが自動二輪の原動機を始動させる。ハツカネズミは瞼を閉じて息を吐いた。そして、


「ジャコウとカヤと俺は前線。他は後攻、弾は節約してね」


 言って額に上げていた砂塵除けの保護眼鏡を下ろした。仲間たちの同意を耳で受け取る。


「潜りますか?」


 カワネズミが言った。ハツカネズミは頷く。 


「お前らは二輪に乗りな。ジッちゃんはカヤから借りて。出来るだけ近くに来るまで出ちゃ駄目だよ。ヤチに置いてかれないようにね」


 子ネズミたちが返事をした。ジネズミがカヤネズミの元に行って自動二輪を譲り受け、カヤネズミがこちらに走って来る。


「俺は? 運転? 撃ち方?」


「ジャコウと組んでやって。撃ち方で」


「俺まだ行けますよ!」


 ジャコウネズミが目の前に来て身を乗り出した。


「盾になれるの俺とハツさんだけじゃないっすか」


「お前昨日、結構当たっちゃったでしょ」


 ハツカネズミは薬莢の数を数えながらジャコウネズミに言う。


「回復には時間が必要なの、わかるよね?」


「大丈夫ッすよ。痛くないし」


 ハツカネズミは真正面からジャコウネズミを見据えた。ジャコウネズミが口を閉じる。

 怖がらせちゃったかな、とハツカネズミはすぐに笑顔に戻ってジャコウネズミの頭に手を置いた。


「お前には期待してるよ。だからこそ無茶してほしくないの。わかるよね?」 


「……はい」


「乗れ、ジャコウ」


 カヤネズミがジャコウネズミを急かした。ジャコウネズミはちらりとハツカネズミに振り返る。ハツカネズミは顎でカヤネズミの隣へと促した。


「行くか!」


 風を切るような音を発してカヤネズミが気合を入れた。ハツカネズミも息を整え、四輪の原動機を唸らせる。

 

「後でな」


 ヤチネズミが言って拳を突き出した。ハツカネズミとカヤネズミも揃って拳を作り、三つの拳が軽くぶつかった。


 左右に砂埃を撒き散らしながら一気に加速する。向こうもこちらに気づいたようだ。姿を隠しながら銃弾を霰のように撃ってくる。一発、二発、体にめり込む。腿と腹か? 下手だな、鼻で笑う。ちゃんと真ん中狙えよ。


 銃弾を受けながらハツカネズミは目を凝らした。あった。固まって伏している。操縦梱を握りしめた。待ってろ、一気に轢いてやるから。


「ハツ!」


 呼ばれた気がして思わず背後を振り返る。誰の声だ? タネジ? いや、タネジネズミならば自分のことは、さん付けで呼ぶはずだ。ヤチネズミやカヤネズミの声ではない。視界の端にはカヤネズミとジャコウネズミの四輪駆動車がいるだけだ。気のせいだよね。そう思って正面を向いた瞬間、


「ハツ!」


「ジュウゴ!?」


 咄嗟に車体を右に切った。車輪が浮く。ああ、壊す。またヤチに怒られる、などと思いながらも操縦が効かなくなった四輪駆動車は瓦礫に乗りあげ一回転半して天地逆さになって止まった。空に向かって車輪がまだ回っている音がする。ハツカネズミは車体を押し上げて隙間から脱出を計った。上手く行かない。辺りを見回す。右手が車体と瓦礫の間に挟まれていた。力任せに引いてみたが完全に食っている。ハツカネズミは左手で腰をまさぐり、短刀を取り出した。右の手首を切断する。


「ジュウゴ?」


 車体から上半身を抜き出して呼びかけた。


「ジュウゴ!」


「ハツ!」


 やはりあの夜汽車だ。ジュウゴは膝をついて顔を突っ込んできた。


「大丈夫? 挟まっているよ」


 随分顔が変形している。折檻にでもあったのか一筋縄ではいかなかったのだろう、だが。


 ハツカネズミは声を出して笑った。安堵と嬉しさとこれからへの希望と期待で、何でも出来そうな気がした。右手を伸ばしかけて、思い出して背中に隠し、左手で夜汽車の少年の頭を撫でまわす。


「よく戻って来たね。夜汽車の他の奴らとは会えたの?」


「うん、みんないるよ! だから撃つのをやめて!」


 ハツカネズミは少し混乱した。


「そっちから撃ってきたよね? なんでお前らが俺たちを撃つの?」


「僕は撃ってないよ! 夜汽車じゃない。チュウヒたちだ!」


 ハツカネズミはさらに混乱した。


「誰って?」


「だから!」


 ジュウゴは頭を掻き毟る。


「何て言ったっけ……忘れた! とにかくチュウヒだよ、撃たないで!」


「ジュウゴおッ!」


 叫び声がしたと思ったら随分と走るのが下手な少年も飛び込んできた。ひっくり返った車体のそばに腰を下ろし、肩で息をして涙目の目元を片手で拭っている。俺が巻いた包帯だ、ハツカネズミは少年の左手を見た。


「ジュウシ!? なんで…」


「当たったら痛いだろう!? 危ないって言いに来たんだよ!!」


 半べそのまま包帯を左手に巻いた少年は叫んだ。ハツカネズミは笑ってしまう。まるで昔の自分たちを見ているようだった。


「お前らは全員無事なの?」


「だから『ぶじ』って何?!」


 半べその少年が叫ぶ。

 ハツカネズミは首筋を掻きながら他の言い方を探す。


「怪我…、もわかんない? 負傷?故障? 損壊だっけ? 小銃には当たってない?」


「多分」


 ジュウゴが頷く。


「君が当たってないなら他の皆は絶対当たってないよ!」


 包帯の夜汽車も言った。やはり撃ち手が下手だったのだな、とハツカネズミは納得した。


「お前らはここで待ってな」


 言ってハツカネズミは両足を車体の下から引き抜いた。


「俺は大丈夫だから。ここから絶対動くんじゃないよ?」


 夜汽車の少年たちに言い置いてカヤネズミの四輪を探した。こちらに向かって来ている。ヤチネズミはまだ待機してくれているようだ。飛び出していたらややこしいことになっていたから助かる。


「ジャコウ!」


 手を挙げて合図した。四輪駆動車が砂埃を上げて急停車する。


「ハツさん、どうしたんすか! 俺びっくりして…!」


 ジャコウネズミの頭を撫でてカヤネズミのいる助手席側に回った。


「どうした? 派手に転んだな」


 小銃を撃ちながらカヤネズミはちらりとハツカネズミを見た。


「まだ動けるか?」


「全然。でさ、カヤ。ちょっと行ってくるから適当に威嚇しておいて」


「当てるなってか?」


「夜汽車がいるらしいんだ」


「あん中にぃ?」


 カヤネズミが手を止めて振り返った。「夜汽車が俺たちを撃って来たってこと?」


 ハツカネズミは頭を掻きながら首を傾ける。


「俺もよくわかないんだよね。とりあえず行ってくるよ」


「わかった。当てなきゃいんだな?」


「うん。くれぐれもね」


「まかしとけって」


 ハツカネズミは笑って返して、肩にかけていた小銃をジャコウネズミに渡した。


「ハツさん?」


「弾は節約しないとね」


 言って銃弾の発射される方向に向かって歩き出した。



 * * * *



 サンはワシの男たちの動揺を肌で感じていた。緊迫感が目に見えて恐怖に変化している。


「なんで死なねえんだよ!」


 乱暴な怒鳴り声が聞こえる。装填が間に合わないのか、引き金を引いてはかちゃん、かちゃんとかわいい音を立てるだけになった小銃をハヤブサが投げ捨てた。肩にかけていたもう一丁の小銃を撃ち始める。おもちゃのように無力になった鉄の塊がサンの足元に転がってきた。


 チョウゲンボウが絶叫した。サンは咄嗟に顔を上げ、思わず一緒に叫びそうになる。全面で銃弾を受けながらそれを一切ものともせずにこちらに向かってくる巨体が、チョウゲンボウの構えていた小銃の銃身を掴んだ。


 男たちが一斉に巨体に向かって発砲する。四方から弾を受け続けているのに巨体は全く反応しない。


「ばけもん……」


 力負けしたチョウゲンボウが小銃から手を離し、その場を離れることを試みる。しかし今度は巨体がチョウゲンボウの首を掴んで持ち上げた。


「うるさいよ、ごみ」


「チョウ!」


 ヨタカが飛び出した。巨体の腹に銃口を押しつけてその場で引き金を引く。それでも巨体はぴくりともしない。ヨタカは小銃を投げ捨てると腰帯から刃物を取り出し、チョウゲンボウを持ち上げる腕ごと切り落とした。チョウゲンボウを抱えて呼びかける。ハヤブサがヨタカに駆け寄り、チョウゲンボウの口に耳を近付ける。チュウヒが男たちと巨体の間に立って睨みを利かせたが、巨体はチュウヒなど見えていないかなようにこちらに振り返った。サンは息を呑む。


「すごい。ほんとに全員で戻ってきたんだね」


 どこかで聞いたことのある声だった。直前まで繰り広げられていた暴力的な所業が嘘みたいな優しい語り口。

 シュセキが立ち上がり、巨体に歩み寄った。


「ジュウゴが君の元へ駆けて行った。ジュウシも後を追った。彼らは今どこだ。損傷はないか」


「お前も夜汽車だよね。顔、覚えてるよ」


 巨体はシュセキの質問に答えないで、その頭を軽く小突いただけだった。サンはその動作で思い出す。あのネズミだ。あの風貌、あの口調、目元は隠れているけれどもジュウゴがやけに信頼していたネズミの主導者、ハツカネズミ。


「ヨタカ……」


 ナナが片足を引き摺ってワシの一団に近づこうとした。しかし辿り着く前にハツカネズミに行く手を阻まれる。


「確かお前を連れ戻しにジュウゴたちは地下に潜ったんだよね。なんでお前が地下となれ合ってんの?」


 ん? と言ってハツカネズミはナナに顔を近付けた。ナナは全身を強張らせて保護眼鏡越しのネズミの視線を受けつつ、その背後のワシの男たちを気にしている。


「彼らが僕たちを地上に出してくれたのだ。いわば協力者たちだ」 


 言いながらシュセキがハツカネズミに近づいた。


「理由は不明だ。だが事実だ。彼らの助力なしに僕たちがここまで来るのは不可能だった」


「あれは地下の連中じゃないってこと?」


 ハツカネズミはシュセキに質問し、その答えを待たずに男たちに歩み寄った。膝を曲げ、チュウヒの目線になって尋ねる。


「お前ら、どこの何?」


「おお、おい! 夜汽車!」


 ハヤブサが怒鳴った。


「お前らネズミの仲間なのかよ! 聞いてねえぞ、くそが!」


「……お前らが夜汽車じゃないことはわかったよ」


 ハツカネズミは心底軽蔑したように吐き捨てた。


「ハツさん!」


 四輪駆動車がこちらに向かって来て強引な半回転で止まった。すぐさま運転席から男が飛び下りて来てネズミに駆け寄る。


「何すかこれ! なんで両手ないんですか! ってか俺のこと言えないじゃないッすか! 撃たれ過ぎですって!!」


「これはその……」


 ワシたちに向けた顔とは打って変わってハツカネズミはしどろもどろだ。そこに別の男がうんざりした様子で四輪駆動車から降りて来て、興奮気味の男の襟首を掴みあげ、ハツカネズミから引き離した。


「悪い。俺の制止じゃ聞かなかった」


「ちょッ! カヤさん、離してくださいよお!」


「ジャコウはほんとに元気だね」


 笑いながらハツカネズミがやかましい男の頭の上に手を置いた。


 ネズミたちはワシをまるで無視して話を進めている。サンはワシの男たちを横目で窺う。


 彼らについていけばジュウイチが隠したという四輪駆動車まで行けると期待した。だがワシと共闘など出来る訳がない。でも。ネズミたちを見る。でもネズミについていったところでどうなるだろう。ネズミになる教育を受けるのだろうか。教育だけならまだいいがあの騒がしいネズミの接触は二度と受けたくない。夜汽車の皆だけでここを脱する方法はないだろうか。サンはネズミが乗ってきた四輪駆動車に目をやる。あれを奪えば徒歩の奴らは追いつけない。なんとかあれに皆を載せて……。


「ヨタカ?」


 ヨタカが立ち上がっていた。ナナにも仲間にさえ見向きもしないでまっすぐにネズミたちの前に歩み出た。ハツカネズミがごつごつした眼鏡を額に持ち上げる。


「お前が死なないのはわかった」


 言ってヨタカは腰帯に手を回した。何やらがちゃがちゃと、重たそうなそれをハツカネズミの足もとに投げ捨てる。


「ヨタカ…!」


 駆け寄ろうとしたチュウヒを止めて、ヨタカは顎を上げてハツカネズミを見た。身長差は縮まらない。どう足掻いても頭一つ分はハツカネズミの方が背も高いし威圧感も強い。だが胸を張ったヨタカはそれと対等に大きく見えた。


「ヨタカだ。クマタカの弟。お前と話がしたい」


「やっぱりワシか」


 ハツカネズミは鼻から息を吐いた。


「何しに来た。いつもの狩りとは違うんだろ? 女目当てでもなさそうだし乗り物も少ないもんな」


 ヨタカは訳知り顔でハツカネズミに尋ねる。


「『狩り』なんて品の無いことしないよ。お前らと一緒にしないでくれる?」


 ハツカネズミは冷めきった目でヨタカを見下ろす。


「俺たちがしてるのは『掃除』。ごみは轢いて捨てる、当然じゃん?」


 サンはヨタカの頬が小刻みに震えているのを見た。吐き出してしまいそうな悪態を、奥歯を噛みしめて喉元に留めているのかもしれない。


 ヨタカは一度下を向くと息を吐き、また涼しい顔になってハツカネズミを見上げた。


「俺はこいつらを逃がしたい。お前たちの目的と重なっていると見受けた」


 ハツカネズミは一瞬目を見張り、ヨタカから視線を逸らして左右を見回した。シュセキを見つけると体をそちらに近付けるようにして、


「さっき言ってたことってほんとなの?」


「この状況で嘘をついて何になる」


 シュセキが答える。


「ハツ、どうなってんの?」


 騒がしくない方のネズミがハツカネズミを覗き込み、ハツカネズミは後頭部を掻きながら困った顔をした。散々逡巡の色を見せた後でヨタカに向き直り、


「ごめんね?」


 言って軽く頭を下げた。下げるというか顎を突き出した軽い会釈のような格好だ。


 ヨタカはぽかんとする。それから肩を怒らせハツカネズミを睨み上げた。


「どういう意味だ!」


 憤るヨタカとは反対に、ハツカネズミはジュウゴのように頭を掻きながらはにかむ。


「勘違いしてたみたいだね。お前らがこいつらのことをほんとに助けてくれたなんて信じれなくって。世話かけたね、ありがとう」


 突然礼を言われてヨタカは目を丸くする。チュウヒはハヤブサに振り返り、ハヤブサはチョウゲンボウを抱えたまま首を横に振った。


「ハツ!」 


 ジュウゴが駆けてきた。かなり遅れてジュウシも走って来る。彼らが無事だったことを自分の目で確認してサンは胸に詰まっていた息を漏らした。


「じゃ、行こっか」


 言うとハツカネズミはヨタカに背を向け、ジャコウネズミとシュセキの背を左右の手で押して歩かせた。手ではない。手首の先に伸びるのは短い三本の指と、反対側はヨタカに切り落とされた肘までの腕だ。


「おい!」


 我に返ってヨタカが声を上げる。ハツカネズミは笑顔のまま振り返り、「世話かけたね」とだけ言った。


「待てお前…!」


「ヨタカやめろ! 関わるな!」


 チュウヒが止める。


「チョウも心配だ。一旦戻るぞ」


 ハヤブサが言った。ヨタカはネズミたちの背を睨みつけながら顎を引く。


「ヨタカ!」


 ハヤブサが叫んだ。


「サシバんとこ戻らねえと。お頭が戻ったら間に合わねえって」


 その言葉でヨタカは意を決したのか、仲間たちに向き直った。


「ヨタカ…」


 ナナがワシたちに向かって足を踏み出した。サンは立ち上がりナナの腕を掴んで止まらせる。ナナはサンを見た後で再びワシの男たちの方を見遣った。


「行きましょう」


「でも、」 


「夜汽車に帰るの」


「でもわたし…」


 ナナは上着の襟を握りしめる。サンはナナの正面に回り込む。


「ハチが待っている。彼女のところに戻るんでしょう?」


 ナナがサンを見た。サンはナナを掴んだまま、いまだに砂の上に座り込んだままのジュウイチにも声をかける。


「立って、ジュウイチ。行きましょう」 


 結果的にネズミについていくことになってしまったが。


「戻るの、夜汽車に。そうでしょう?」


「い、い行こう」


 言ってジュウイチが泣いているスズメの少女を抱きかかえた。



 とりあえず地上に出られるらしい。突如現れた男たちの正体も急展開な事の運びも不審な点は多々あるが、出られるならばそれでいい。


 あの男、サンはもう一度身震いした。さっきの男、間違いない、あの時の男だ。あいつから離れなければ。これ以上ここにいては駄目だとサンは思った。


「何があった」 


 シュセキだった。明後日の方を向いてはいるが自分に質問しているのだろう。 


「大丈夫?」


 サンは覗きこむ。酷い顔をしている。

 シュセキは眼鏡を押し上げながら相変わらずそっぽを向いたままサンの質問に答えた。


「接触による感染および発症による損傷の発露は確定したが、痛みがある以外は機能的な劣化や欠損等は確認できないという結果を得た」


「ずいぶん荒々しい実験ね」


「貴重な情報の入手方法だ」


 言ってからシュセキはちらりとサンを見て、


「君こそどうなんだ」


「何が?」


 何かしただろうか、サンは思い当たる節を探す。


「先からそうやってずっと両腕を擦っている」


 指摘されて気づく。何となくそのままでいることも躊躇われ、手もちぶたさに手を体の前で組んだ。


「寒いのかとも考えたが発汗がすごい」


 額を手指で拭う。


「体調が優れないならそう言え」


 サンはシュセキを見た。それから横を向いて息をつく。


「なんでもないの。考え事をしていただけ。平気、ありがとう」


 言って立ち去ろうとすると、 


「アイはいない」



 シュセキが言った。サンは振り向く。


「彼らが電気を消した。少なくとも今この瞬間、この空間にはアイの目は届いていないはずだ」


「かもしれないね」


 サンは天井を見上げる。


「ここなら聞ける」


 シュセキが言った。


「今度こそちゃんと聞く」


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