14-11 地下と夜汽車と地下と地下
「ほら、ここにいなよ。その方がいいって」
ジュウイチは少女の背中を押して言った。「スズメ」と呼ばれていた少女だ。セッカという男が何度呼んでも少女は自分にまとわりついてきて、少し困っていた。
「ほら、怒られちゃったみたいだよ」
ちらちらと上目遣いでセッカを確認すると目が合った。ジュウイチは即刻顔を背けて回れ右して歩き去ろうした。しかし、
「まって。おにいちゃん」
また来た。来てしまった。
「まいったな」
どうしよう。
「悪いな、あんた」
セッカに声をかけられた。ジュウイチはびくりとして固まる。それからちらりと盗み見てその視線の鋭さにすぐに目を背けて、
「すみません」
早口に謝罪した。
「礼を言っただけだろう。何、謝ってる」
その目が怖いんだよ、などとは言い返せるわけもなく、ジュウイチはただただ委縮する。
「あんたはあれに参加しなくていいのか?」
セッカが何を指して言っているのか気になって、ジュウイチは顎で指された方を見た。途端に目を細めて、
「しませんよ、あんな接触。どうなることか…」
思わず素で本音を口にしてしまった。そして慌てて「すみません」と頭を下げる。
「あんたは言葉遣いわかってんじゃない」
ナナに絡んできていた女が下品に話しかけてきた。肩に手を置かれて半身を密接に接触されて、ジュウイチは思わず悲鳴を上げて固まる。その姿を見て女たちはげらげらと笑う。
「別にここで獲って飲んだりしないわよ」
「わたしあんたみたいな子、結構好きよ」
「スズメも!」
女たちに囲まれて、接触されて絡まれて、例の少女までまとわりついて来て八方塞だ。
何を言っているのだろう。何もわからないからとりあえず平身低頭謝罪する。ああ、感染する。僕もきっと損壊する。瞼をぎゅっと瞑って懇願するかのごとく謝罪の言葉を繰り返していたが、
―アイが嘘をついていたということよ―
―接触の方法次第では感染しないこともある―
サンやシュセキの仮説を思い出して、少しだけ冷静さを取り戻した。
「あ、あのぉ……」
ジュウイチはおずおずと自分に接触してくる女に声をかける。センニュウと呼ばれていたと思う。そんな数字知らないが、多分自分がまだ未習熟なだけで、きっと無量大数よりも上の数なのだろう、とジュウイチは思うことにした。
そのセンニュウが、ジュウゴよりもずっと劣っているはずの女が、こちらを向く。ジュウイチは自分よりも下位のはずの相手にどぎまぎと、
「質問してもいい、その……よろしいですか?」
「何だ」
返事をしたのは男の方だった。ジュウイチは今度はセッカに向き直り、視線を泳がせながら質問をした。
「せ、接触…」
「はあ?」
センニュウに覗きこまれてジュウイチは縮こまりながらも続ける。
「あなた方は……何も考え無しで互いに接触されていますが、ど…、だ、大丈夫なんですか?」
「どういう意味だ」
叱られたわけではないが、この男の威圧感は怖い。
「だからその……」
ジュウイチは肩にのしかかるセンニュウの手を見て顔を見て、それから床を見つめた。
「他者の皮膚に触れると感染を起こして損傷するとずっと聞いてきたんです。でもあなた方は平気でしょっちゅう接触しているし、シュセキも感染なんてないとか言い出すし、でも痛いこともあってもうわからなくなってきて…」
「損傷って何?」
センニュウが言う。
「怪我って意味じゃない?」
別の女が答える。
「だからそんなに嫌がってんの?」
さらに別の女が近づいて来て、ジュウイチの顎を指先で撫であげた。ジュウイチはまた悲鳴をあげる。途端に女たちが爆笑する。四方から小突かれ笑われもう嫌だ。
「例えそいつが病気持ちでもそれくらいじゃぁ死にはしない」
セッカが肩を揺すりながら言った。
「持ってないわよ、失礼ね!」
女ががなってさらに笑いが巻き起こった。楽しげな女たちの中で唯一笑えないジュウイチは、女に触れられた頬を手で拭い、その手の平と女を見比べる。
完全に否定された。サンが言うようにやはりアイは自分たちに嘘をついていたのだろうか。それともこの女たちが自分を陥れようとしているのだろうか。そこまで考えてジュウイチは首を横に振る。その可能性は無い。もしそうならば女たちだって感染する。自分が感染する危険を冒してまで僕を欺く動機が彼女たちにはない。
ジュウイチは女たちを見回した。まだ笑っている、朗らかに、楽しげに。そこに自分に危害を加えようという悪意は感じられなかった。
「あ……あなた方は本当に、そのち、地下の、……地下に住んでいらっしゃる方々なんですか?」
ジュウイチは意を決して質問した。
「あんたいいね! 慇懃無礼って言うの? それいいわ」
センニュウにまた笑われた。
「別に無礼ではじゃないんじゃない?」
横の女も笑いをこらえながら言う。
「塔の奴らに見えたか?」
セッカに問われてジュウイチは反射的に首を横に振った。
「塔には行ったことがありません。最終的に入りますけど」
―そりゃ嘘だ―
ネズミの顔がちらついた。
「なんでそう思ったの?」
女の顔が眼前にあってジュウイチは半歩退く。「あ? え?」と口ごもっていると、
「私たち地下に見えない?」
言われてジュウイチは女を観察した。隣のセンニュウも、セッカも。
「……地下に住む者は、野蛮で、無知で、だから塔を襲撃して、地下同士でも襲撃し合って技術を奪い合うと教わりました」
―そりゃ嘘だ―
―アイが嘘をついていたということよ―
「暴力と身勝手さに満ちた者たちだって」
―おにいちゃん―
―すずめのかち?―
ジュウイチは足元の少女を見つめる。
「で、でもあなたたちはそんな風に見えなくて、あ、彼らは、僕をここに強制的に運んできた男たちはその通りだったけれども、なのであなた方の穏やかさが少し信じられなくて」
「けなされてる?」
「ほめられたんじゃない?」
女たちが口々に言う。女たちに反してセッカは真面目な顔で黙っている。彼の方が知っていそうだ。ジュウイチは一歩前に出てセッカに向き直った。
「僕たちが教わっていたことと違うことが夜汽車の外では多いんです。アイが……、義脳? が、僕たちに嘘を教えていたというのは本当なんですか?」
セッカは目を逸らす。なんで? 答えて。
「アイは…!」
扉の解錠音が響いた。女たちがさっと壁際に寄る。シュセキたちが怒鳴り合いと殴り合いを止めて立ち尽くす。セッカは椅子の背もたれに手をかけ立ち上がり、ジュウイチを押し退けて扉の前で立ち止まった。
扉が開く。薄闇に慣れた目には眩しい光。床を照らすその中に長い影が伸びて、
「相変わらず辛気臭ぇな」
耳障りな割れた声が響いて、間髪いれずに声の主の顔も覗いた。
「相変わらず耳障りな声だな」
セッカも静かに返した。顔を覗かせた男が片頬を吊り上げて、それから顔半分を口にして大笑いした。
サンが擦れた悲鳴を上げた。見ると口元を手で覆い、男を見つめて硬直している。
誰? 知り合い? 彼女はどうしてこれほどまでに地上に詳しのだろう。ジュウイチがサンに尋ねようとした時、
「惚れぼれする声してるよなぁ、あんたは」
入室してきた男が軽口を叩いた。ジュウイチは全身を強張らせる。セッカの纏う空気がさらに硬質になり、それが皮膚に刺さった気がした。
「何の用だ。あいつが戻ったか」
男を睨みつけたままセッカは言う。男は笑い声をぴたりと止めて、また片頬を吊り上げた。
「戻ったとしてもあんたには会わないだろうよ」
「あいつがそう言ったのか? お前がそう思ってるだけか?」
「どっちでもいいだろ。同じだよ」
相変わらず話の内容はわからない。サンならわかるのだろうか、とジュウイチが振り返ろうとした時、
「そんなことよりこれか? 夜汽車」
呼ばれた。
男はジュウイチを、ジュウゴをシュセキをねめまわす。その視線の気持ち悪さに、誰もが身動ぎもせずに男を見つめることしかできない。
「久しぶりだな、生きてんの」
「息?」
ジュウゴが息を切らせながら尋ねた。男はげらげらと声をあげて、
「おう、息、続けてろ。もうしばらくな」
言いながらジュウゴの肩を叩くと、ずかずかと部屋の中心まで入ってきた。
何がしたいのか見当が付かない。余裕をかましてにたにたと、常に笑いを張りつけた不愉快極まりない顔だ。
「お前にしとこっかな?」
鼻歌でも歌うように言って男はスズメの女の手を掴んだ。
「何をしている。離せ」
セッカが怒る。慌てている。
「そいつに触れるなと言ってるんだ!」
「あんたこそ何だよ。夜汽車をどうしようが俺の勝手だろうが」
「そいつは駄目だ。他のにしろ」
「何なんだよ、あんた。関係ないだろ」
「違う。そいつは夜汽車じゃない!」
セッカが言ってこちらを指差した。ジュウイチは寄り目になってその指先を見つめる。
「あっちの夜汽車を連れてけばいいだろう? そいつはうちの女だ」
「セッカさん……」
男に手を掴まれた女の涙声。
それをかき消すように入室してきた男は、また耳障りな声で大笑いした。そして、
「同じだよ」
セッカよりも恐ろしい声で言った。
「ノスリッ!」
セッカが男に掴みかかる。男は女の手を掴んだまま足を払う。セッカの足を、使える方の足を。
セッカが体勢を崩す。立ち上がろうとしたところを靴底で踏まれる。何度も、何度も、動かない方の足を。損傷個所を把握している。
「セッカさん!」
女たちがセッカをかばうように覆いかぶさり、ようやく男が足を止めた。
「うらやましいねえ。セッカサン」
息を整え、また例の笑顔に戻ると男はしゃがみ込み、痛みに歯を食いしばるセッカの耳元で囁いた。
「心配しなくてもあんたらもまとめて美味しくいただいてやるよ」
んじゃねえ、と上機嫌に言って女の手を引いた。
「やだ! いや! セッカさん!」
「ヨシキリ!」
扉が余韻を残して閉じられた。
何? 何なんだ今のは。彼らは一体何について話して憤って暴力を振るって仲違いしたんだ?
「なに? どういうこと?」
ジュウイチの疑問をスズメの女が代弁した。
だがそれは代弁ではなく、地下に住む者たちだけが共有し得る知識の交換だった。
「夜汽車と同じ? ってあいつ…」
「嘘!」
「まさか……」
「お前ら行くぞ」
セッカの低い声にジュウイチは振り返る。そして全身を悪寒で震わせその場で立ちすくむ。
「夜汽車」
セッカに呼呼ばれてジュウイチたちは一斉に振り返った。セッカはナナに向かって、
「あんた、道案内を頼む」
依頼した。
あ、あれか。この部屋を通気口から出るというあれか。ジュウイチは瞬時にそう理解した。何故なら先もその話をしていたから。しかし無理だ不可能だと難癖をつけていたのはセッカのくせに、いったいどういう風の吹き回しだろう。
ジュウイチが疑問に思っているとセンニュウが黙ってナナに近づき、その背後から手首を掴んだ。
「痛いッ!」
ナナは逃れようと体を捻る。センニュウを拒む。だが離れない。痛い、やめて、痛がっている。
やっぱり接触は痛いんじゃないか! ジュウイチがあわあわとそんなことを思っていると、
「待ってください。何なんですか突然!」
ジュウゴが大股でセッカに歩み寄っていった。やめておけばいいものを。
「ナナは嫌がっているじゃないですか! 解放してくださ…」
「ジュウゴ…!」
セッカがジュウゴの右側頭部を掴んだ。
そのまま押し倒す。頭部を平手で床に抑えつけたまま、その背中に膝を下ろした。
「ジュウゴッ!」
ジュウシが叫ぶ。ジュウイチも叫んでいた。夜汽車の声をまるで無視してセッカはジュウゴの上で顔を上げ、
「道案内を頼む」
ナナに再度依頼した。
ナナが半べそをかきながら頷く。黙って小刻みに何度も何度も。
やっぱり地下だ、ジュウイチは動けない体の中で呟いた。やっぱり地下だ、やっぱり地下は地下なんだ!
「痛い、痛いって。降りてくれッ!」
ジュウゴがセッカの下でじたばたしている。僕もそう思う。何故彼が下敷きにされなければいけないのか理解出来ない。
シュセキがセッカとジュウゴに近づいた。
「彼は僕と話している最中だ。まだ解決していない。ただちにこちらに引き渡せ」
「シュセキ…!」
ナナが呼ぶより早く、スズメの女がシュセキを背後から投げ飛ばした。ジュウゴと殴り合いをしていた時以上の痛みだったのか、シュセキは仰向けのまま動かない。
「事情が変わった。このお嬢さん以外はここに残ってもらう」
「彼女は残らないんですか?」
ジュウイチが尋ねた。セッカはジュウイチを黙って見遣る。
「それは困ります!」
ジュウイチが両手を握りしめ、声を裏返しながら大声を張り上げた。
「僕たちは、かの、彼女を探してやっと見つけたんです。もう一度探すなんて無理だ。もう返して下さい!」
「でなきゃこいつの首を折る」
壊すということか? どれくらいの損傷だろう。わからないけれどもそれはおかしい。
「やめてください。彼が何をしたんですか。彼は粗相しかしないけれどもあなたに指導されるような失態はここではまだ犯していないはずだ!」
どう考えても理不尽極まりない。
「見せしめ、必要じゃない?」
セッカの後ろで女が言った。また知らない単語。どういう意味だ?
「やめて!」
サンが叫んだ。地下で最初に見つけた時みたいに大量の汗をかいている。
「お願い! やだ、やめて…ください、お願い」
「お嬢さんたちはわかってくれてるみたいだ」
言ってセッカは立ち上がった、ジュウゴの首を掴んだまま。ジュウゴは歯を食いしばって苦しそうな顔をしている。ハチみたいな黒い顔。
「セッカさん」
女たちがセッカを呼んだ。ナナが見つけたと言う通気口の穴の下に集まっている。
「悪いな、夜汽車」
言ってセッカがジュウゴの首に両腕をかけた。サンが叫ぶ。ナナの悲鳴。僕が一歩踏み出した時、
「馬鹿! ヨタカ!」
聞き慣れない声がしたと思った途端、目の前が真っ暗になった。
一瞬、電気が消えたのかと思った。でも違ったみたいだ。誰かの背中に僕が正面からぶつかっていったらしい。誰だ? いたか? と言うかどこから来た?
「セッカさん!」
女の叫び声が聞こえて僕は状況を思い出し、慌ててもう一度ジュウゴの方に向かおうとした。目の前の背中を避けて右手に一歩踏み出す。しかし今度こそ本当に電気が消えた。
真っ暗だ。しかし僕はジュウゴの方に走る。光源を探す。女の悲鳴。慌ただしい靴音。「ジュウゴ!」叫ぶ。返事をしろ。
「ジュウゴッ!!」
野太いうめき声。セッカの声? 何が起こっているんだ。電気は? 明かりを…
「点けるぞ」
聞き覚えのない声が響いてぼんやりと視界が開けた。僕は数歩退く。足元には横たわるセッカ。ジュウゴは? ジュウゴは壁際で首を擦っていた。
「ジュウゴ!」
僕は急いで駆け寄った。サンとジュウイチもやって来る。あちこち腫れて感染も発症もしていそうだが、
「首っ! 損傷は?」
僕の問いかけにジュウゴは頭をゆっくり振り、
「多分まだ動く……かな?」
間の抜けた返事を聞いて僕は息を吐いた。
同じように駆けつけたサンたちは無言だ。薄情だな、と振り返ると僕もそこで言葉を失った。何だあれ? 今度は何だ??
堅く丈夫で重たそうな、ネズミみたいな眼鏡を額にかけた男たちが通気口の縁に手をかけて飛び降りて来ているところだった。彼らの肩に掛けられている小銃を見て僕は全身に寒気を覚える。その中の、比較的背の低い男は周囲を見回し、センニュウを見ると一直線に距離を縮めた。ナナの背後に隠れるように身を固めるセンニュウに、男は何事かをぼそぼそと告げる。
センニュウは黙ってナナから手を離す。ナナは少しよろけてから、ゆっくりと男を見上げた。
「変な顔すんなよ、ばか」
ナナが両手で口元を覆い、男の胸に額を置いた。
「何だ、お前ら」
セッカが起き上がりながら男たちに尋ねる。
「どこの奴らだ!」
「ちょっと待ってろよ」
背の低い男がナナに言い置いて、セッカの元に歩み寄った。
「あ!」
ジュウゴが大声を上げた。驚く僕をよそに立ちあがってジュウイチの肩に手を置き、反対の手で男たちを指差す。
「あれ!」
「うん」
ジュウイチも小刻みに頷いた。珍しすぎる。彼らが賛同し合っているなんて。
「あなたがセッカか」
背の低い男が言った。セッカは女たちに支えられながら立ち上がり目を細める。
「……ヨタカ、か?」
「あなたに名を知られているとは光栄だ」
「ノスリを通さずに来るとはどういう了見だ。クマタカの指示じゃないのか」
「あいつは関係ない」
「何が目的だ」
「今からあなた方を解放する」
「何?」
セッカは一瞬ぽかんと口を開き、それから顔を突き出した。
「どうなってんだ、お前らのところは! あいつは何をやってる!」
「他所のことより自分の心配をしたらどうだ。このままここにいればあなた方は夜汽車だ。わかっているのか」
「みたいだな」
言ってセッカは僕たちを見た。
「後見のつもりがこの様だ。どこで失敗したんだろうな」
「老害の愚痴を聞いている暇はない。来るか来ないかとっとと決めろ」
「ろ……」
セッカが口と目を丸めたまま固まった。それから男を睨み上げて、
「お前、うちにつくつもりなのか? 余計な世話かもしれないがこんなことして何になる」
真剣な目で男に何事かを問うた。しかしセッカに反して男は白い歯を見せて吹き出した。
「そこまで俺も馬鹿じゃねえよ。物のついでに逃がしてやるって言ってんだ。来るなら来いって、おっさん」
「おっさん……」
セッカは再び言葉を詰まらせた。そして、
「おま、遊んでるのか?」
「単調な日々に刺激はつきものなんすよ」
別の男が言って男たちは笑った。
「お前ら自分が何をしてるか分かってるのか!」
男たちの会話の中に、ナナが足を引きずりながら近寄った。背の低い男が気づいて振り返る。この時僕は初めて気付いた。顔が半分無い。
半面の男はナナに気付くと、「ちょっと待ってろって」と言ってその頭に手を置いた。ハツカネズミが僕やジュウゴにそうしたみたいに。
セッカはじっと男を睨みつけていたが、ナナを横目で見た後「正気か」と小声で言った。
「そいつは夜汽車だ。見ればわかるだろ」
ナナは怯えた顔でセッカを見た。半面の男は口元だけで微笑むと、ナナの体を自分に引き寄せた。
「俺の仕事は分別だ。生きてる奴は関係ない」
「おい、お前」
いつの間にか僕たちの背後にも男が来ていた。まだらでぼさぼさ頭の大柄な男を見てジュウゴは息を飲んでよろめく。男はジュウゴを爪先から顔にかけてじっとりと見回すと、
「俺、そんなに殴ったっけ?」
ジュウイチがあわあわ言いながら男を指差し、後ずさりしてきた。
「めっちゃ拒否られてやんの」
別の男がげらげら笑いながら腹を抱えた。
「第一印象最悪」
「あん時はあん時だ。やることやっただけだろ」
「どうだか。単に暴れたかっただけじゃねえの?」
「じゃあ次、お前相手な」
「冗談! まじ勘弁」
楽しげなのはよくわかる。だが話の内容は皆目見当さえつかない。ジュウゴとジュウイチの反応から見るに、ナナと合流した時にジュウゴを殴ったという地下に住む者かと推測する。
「チュウヒぃ、チョウ~」
さらに別の男がのそのそと近づいてきた。男は首を回しながらあくびまじりに言った。
「なあに遊んでんだよ」
「遊んでねえよ。なあ?」
「交友深めてたの。こうゆう時は大事じゃね?」
あくびをしていた男は口が最大限に開いた時に笑ってから、
「くそつまんねえよ」
真顔になって言った。
「か、隠れよう!」
ジュウイチが僕の袖を引っぱった。
「すごく乱暴なんだ。今度こそ損壊させられるよ」
「どこにだよ」
僕は目だけで部屋の中を見回す。
「どこでもいいからとにかく…」
ジュウイチと話していると大柄な男がこちらを見た。ジュウイチはまた悲鳴を上げてしゃがみ込む。
「別に獲って飲んだりしねえよ」
男が言ってジュウイチが顔を上げた。恐怖の中に怪訝さが混ざっている。
「何しに来た! またナナか? 彼女をどうするつもりだ!」
ジュウゴが叫んだ。男たちは揃ってきょとんとした後で盛大に笑いだす。
「もてもてだな、あの姉ちゃん!」
「ヨタカもだもんな」
「でも夜汽車だぜ?」
「いんじゃね? 別に」
「いいことあるかよぉ」
ひとまず何かが愉快なのだろう。
シュセキがようやく起き上がってきた。ジュウゴはそっぽを向く。シュセキも眉間に皺を刻み、ジュウゴを睨んでから顔を背ける。僕はため息をつきながら、「大丈夫か?」とシュセキに声をかけた。
「眼鏡、割れているよ」
僕の指摘にシュセキは眼鏡を外した。割ったのはジュウゴなのだが。
シュセキは割れた眼鏡をじっと見下ろし、どこに隠し持っていたのか別の眼鏡を取り出してかけ替えた。
「なんで?」
「予備だ」
何故そんなものを持ち歩いている。というかその予備も枠が曲がっている。
「始業前に悩んだのだ。端末と眼鏡とどちらの予備を携帯するべきか」
割れた眼鏡をしまいながら端末を取り出し、
「両方持ってくるべきだった」
電池切れだろう。端末は全く反応しなかった。
げらげら笑っていた男が突然ぬっと僕たちの間に入って来た。シュセキの端末を何も言わずに取りあげる。
「返せ」
「すっげえ! 何これ。初めて見た」
「俺にも見せろよ」
大柄な男も加わる。僕は身を引く。
「返せと言っている」
シュセキが男たちの手から端末を取りあげて上着にしまった。
「けちくせえな。いいだろ別に」
「君たちは何だ」
シュセキが眼鏡の奥から睨み上げた。腫れあがった瞼のせいであまり威圧感がない。
「俺はチョウゲンボウ、こっちはチュウヒ、」
男が指差しながら言う。
「こいつがハヤブサであれがヨタカ。覚えた?」
「無理だろ。早いわ」
眠たそうな男が言った。ええと、ハヤブサ、か?
「それは?」
ジュウゴが男たちの持つ小銃の先についている明かりに興味を示す。僕も気になっていた。
「懐中電灯。知らないの?」
「見せてください」
敬語になって大柄な男、確かチュウヒだ、チュウヒに駆け寄り小型の電気を見せてもらっている。
「無線式?」
「充電式」
「あなた方はここで電気を使っているんですか?」
敬語。また質問姿勢に入ったようだ。
チュウヒも戸惑ったようで、「お、おう?」とだけ言った。
「して、夜汽車」
自分を指してチョウゲンボウと言った男が僕たちを見た。
「そういうことだ。行くぞ」
「どこに?」
反射的に尋ねる。
「んなこたぁ知らねえよ! お前らが考えろ」
僕たちは互いに顔を見合わせた。さっぱりわからない。
「地上」
ジュウゴが言って僕たちの元に駆けてきた。
「地上だ。ハツが待っている。きっとまだ間に合うよ!」
「まだ仲間いんのか」
大柄な男、チュウヒが呆れたように声を上げた。
「勝手に合流するって決めるなよ! また君はそうやって誰の意見も聞かずに…」
「だって待っているんだよ? 約束したじゃないか」
ジュウイチに言ってジュウゴは男たちに振り返り、
「僕たちは地上に行きたいんだ。先導をしてくれるんだろう?」
当然のように言い放った。
「ちょっとジュウゴ」
僕はジュウゴの腕を掴む。そのままジュウイチたちも顎と視線で男たちから離れるように指示する。
「何、普通に話しているんだよ」
小声でジュウゴを叱責した。ネズミの時と言い、この部屋に来てからと言い、彼はどんな時でも誰にでも気さくに即時に打ち解けすぎる。
「だって地上に出られるんだよ!」
「本当にそうなの? 本当に?」
ジュウイチが訝る。
「おそらくあの会話の流れではそういうことだろう」
言ってからシュセキははっとし、唇を閉じて顔を背けた。ジュウゴも目鼻を顔の中央に集合させて反対側を向く。
「いつまでやっているんだよ」
「何が?」
「何もしていない」
僕が咎めても揃ってとぼけて平気な顔をした。全く。
「じゃあ彼らについていくんだね? ここを出られるならそれでいいよ。でも大丈夫かな、本当に」
ジュウイチが男たちをちらちら見る。
「おい夜汽車!」
チュウヒが声を張り上げて、僕とジュウイチはびくりと肩を震わせた。
「地上にはもちろん行くけどよ、出るだけでいいんだな?」
と言うと?
「とりあえずそれでいんじゃね?」
チョウゲンボウが言った。
「それでいいよ」
ジュウゴが返事をする。すかさずジュウイチが制止を試みるがジュウゴは聞かずに男たちの方に歩み出た。
「地上に出られれば十分だ。よろしくお願いします」
言って腰を直角に曲げた。
なぜ突然敬語になるのですか? もうそう言って指摘するのも疲れてきた。
チュウヒは頭を下げたジュウゴを見下ろしていたが、鼻で笑うとジュウゴの肩に手を置き、力任せに体を揺らした。
「いいなお前。よろしくされるわ、任しとけ」
ジュウゴは頭を上げ、揺さぶられながらまじまじとチュウヒを見ていたが、やがれつられたように頬を持ち上げて一緒になって笑いだした。
「暴力的な接触を受けたことを忘れたのかな」
ジュウイチが信じられないという面持ちで呆れかえっている。
「記憶力が壊滅的に悪いからな」
シュセキが吐き捨てるように言う。
「いい加減仲直りしろよ、君たち」
僕はため息まじりにシュセキに言ったが、
「僕は悪くない」
当然のように言ってシュセキは踵を返した。
「お前、名前は?」
チュウヒがジュウゴの背中を叩いた。
「仲間内でなんて呼ばれてんだ?」
「『なかま』?」
「あいつらだよ」
チュウヒは僕たちを見る。
「おんなじ夜汽車だろ? だったら仲間じゃねえか。あいつらには何て呼ばれてんだって聞いてんだよ」
ジュウゴは僕たちを見つめてからチュウヒを見上げ、それから下を向いて「ジュウゴ」と答えた。
「一五番目だから」
「ジュウゴ? 一五か! 切れがいくていいじゃねえか。満月みたいだ」
笑いながらそう言うとチュウヒは鉄扉の方に歩いて行った。ジュウゴは唖然としてその後ろ姿を見つめていた。
「出りゃいんだな? じゃあ出したら終わりな」
ハヤブサが言って首を回す。
「とりあえず、出るみたいだ」
僕は取り残されたジュウイチを見た。




