東山(とおやま)高校 初日
高校受験が終わり、迎えた新生活の一日目。
中学三年間の黒歴史により味わうことのできなかった青春を取り戻すために選んだ高校。
まゆは少しの不安と大きな期待に胸を膨らませていた。
「ねぇ、何組だったー?」
「えー!懐かしい!小学生ぶりだよね!?」
「俺ら、一緒のクラスじゃん!よろしく!」
長い廊下の左側に沿って一組から五組の教室が配置された三階。
そこには、真新しい制服に身を包み、そわそわと周囲に目線を泳がせている新入生たちで溢れていた。
廊下の右側には、大きな窓が続き新入生たちの新しい門出を祝うように光が振り注いでいた。
(うんうん!新生活って感じ!中学から距離のある高校にして正解だったなー!!)
まゆは、瞳のすぐ上で切り揃えられた前髪の下から大きな瞳を好奇心で輝かせ、知らない人ばかりのこの環境に清々しい気持ちでいっぱいだった。
(中学までは、あいつの視線から隠れるようにして生きてきたから……高校からは、楽しく過ごそう!)
肩まで伸ばした自慢のサラサラした黒髪を揺らしながら、軽やかな足取りで自分のクラス──廊下の一番奥にある一年五組へと向かう。
「わぁ……見て。あの子、スタイルいいね」
「本当だ!足長いし……170cmくらいありそうだね」
「おい!見てみろよ!すげー可愛いぞ、あの子!」
まゆが歩いていると、周りから似たような感嘆の声が漏れ聞こえてくる。
(同じ学年にとんでもない美女がいるみたい。仲良くなれたら良いな……よし、ちょっと確認してみよう!)
周りに視線を向けると、色々な人と視線が合う。
その度に、にこやかにお辞儀をしながらきょろきょろしていると、彼らは恥ずかしそうにお辞儀をしたり、笑顔を返してくれた。
(いい人が多いみたい!そこまで怯えなくても、楽しく過ごせるかも!)
高揚感に包まれつつ歩いていくと、少し先の四組の手前にちょっとした人だかりができていた。
一年生のくせにすでに制服を着崩している高身長な男が、複数の女子に囲まれているのが見えた。
(へー。初日から、あんなに制服を着崩しちゃって!高校生にもなって、まだ悪ぶって見せたい男っているんだ。あーゆー男とは、関わらないのが一番!)
まゆはその集団の誰かとでも、決して目を合わせないよう、前だけを見て自分のクラスへと突き進む。
その集団の女子から、あまりよくない視線を感じるが足を動かし続ける──と、人だかりの中心にいる男が声をかけてきた。
「よぉ。卒業式ぶりじゃん、中藤」
男の声にまゆの心臓は大きく跳ね、金縛りにあったかのように足が止まった。
顔を確認しなくても、その声だけで分かる。
まゆは咄嗟に片手で顔を隠し、決してそちらは見ないように答える。
「……えーと。ごめんなさい。人違いでは?」
口角だけを不自然に持ち上げ言い切った。
まゆの言葉に男が苛立ったのが気配で分かる。
女子たちを押し退けるようにして移動しているのか、短く小さい悲鳴が聞こえた。
そして、まゆの目の前へと移動してきた男は、彼女の顔を確認した途端、その綺麗に整えられた眉毛をピクリと持ち上げた。
「……お前、なんで前髪を短く──」
「し、失礼します!」
確実に文句を言おうとした男の発言を華麗に遮ると、まゆは颯爽と……否、光の速度で男の脇をすり抜けた。
(──ちんたらしてたら、捕まってしまう!!)
目を血走らせ、綺麗にセットした髪を振り乱すのも構わず速度だけを重視した移動を選択した。
廊下にいる生徒たちを華麗なステップで左右に避けながら、まゆは自分の教室である一年五組の後ろの扉へと到着した。
勢いよく右へスライドして開けた扉の先には、緊張した面持ちで着席している生徒や、すでに会話が弾んでいる生徒もいた。
その全員が、突然現れたまゆに注目していた。
「──うふふ。どうもー……」
愛想笑いを浮かべて教室へ入ろうとすると、後ろから神速で伸びてきた男の手に遮られ、更に目の前の扉が左へ勢いよくスライドされて閉まった。
後もう少し教室へと足を踏み入れるのが速かったら、危うく鼻が潰されていたかもしれない。
そんなことを考える暇もなく、まゆの背後から伸びてきたもう一本の腕が、顔の真横を通り過ぎた。
かと思うと、それなりの音を立てて目の前の扉に力強く添えられた。
扉の急な開閉に続き、扉から衝撃音がしたことにより、教室内にいた生徒たちの短い悲鳴が聞こえてくる。
しかし、背後の人物にとってはそんなことより、まゆを問い詰めることの方が重要そうだった。
「──はぁ、はぁ。おい……逃げんじゃねぇよ」
「ですから、人違いでは──」
「俺が中藤を……見間違えるはずがねぇだろ」
まゆの後頭部に僅かに荒い息がかかっているのに気がつく。
背の高い背後の男は、全速力で走ったからか息が上がっている。
そのせいか、背中にほんのり熱を感じる。
すぐ耳元から聞こえてきた彼の言葉の端々には、少しの苛立ちと戸惑いが混じっているようだった。
(なんで、西村がこの高校にいるの!?)
西村慶太は、まゆの幼馴染であり、中学時代の黒歴史の元凶となった人物だった。
慶太とは、保育園時代からの付き合いだった。
昔はまゆの方が身体が大きく、大人しく小柄だった慶太は、よくまゆの後を雛鳥のようについて回っていた。
男勝りなまゆと慶太は、小学校に通う頃になっても放課後に近所を駆け回ったり、時にはお互いの家でゲームをして遊ぶほど仲良しだった。
その穏やかな関係が変わり始めたのは、同学年のクラスメイトたちが、多感な時期に差し掛かり、男女を意識し始めた小学校高学年の頃。
いつものように一緒に帰ろうとしていたまゆと慶太を、ニヤリとした嫌な目つきで見ているクラスの男子が、悪意たっぷりな一言を放った。
「お前ら付き合ってんの?」
「は?お前、何言ってんだ?これから帰るところだろ。見て分かんないのかよ?」
「バカ西村!うちら今、からかわれてんの!浅見!私たち仲は良いけど付き合ってないよ!」
このやりとりがきっかけで、慶太の中で何かが弾けて、何かが芽生えたようだった。
「ち……ちげーよ!!こいつは、ただ家が近くて──いつも仕方なく一緒に遊んでやってるだけだっつーの!」
あの時の慶太の、真っ赤になりながら二人の関係とは違う何かまでも必死に否定するような、焦った姿は忘れられない。
(──仕方なく、遊んでやってる……ね。)
ただでさえ微妙な距離感になったまゆと慶太は、中学に進学した直後、またしても保育園からの幼馴染という理由だけで、周りから冷やかしを受けることとなった。
「こいつら保育園からの幼馴染でさ、いっつも二人で遊んでたんだぜ。付き合ってるだろって、聞いても否定するけど、俺は今でも怪しいと思ってる」
「だから!俺は……中藤のことは、ただのデカくて目が大きいデメキン女としてしか見てないって──何度も言ってんだろ!」
「いやいや、そーやってさ、必死になってる感じが……なぁ?」
(いやぁ、ごめん。丸聞こえなんだよね……ってか、そもそも私だって西村のことは、何とも思ってないんですって。)
浅見によるご丁寧でお節介な発言により、お互いさらに気まずくなったばかりか、まゆは慶太からの無意味な攻撃が開始されたことで、ついには徹底的に相手にしないことに決めた。
「そのギョロついた目が、デメキンみたいで気持ち悪いんだよ!」
「男よりデカくて恥ずかしくねーの!?巨人でも目指してんのか!?」
きっと照れ隠しや、「女と仲の良い女々しい男」とレッテルを貼られないように慶太も必死だったのだろう。
しかし、謂れのない悪口を慶太の都合でぶつけられるまゆは、到底納得できない。
そればかりか、まゆが少しカッコいいなと思ったり、会話をした男子は、何故かまゆを避けるようになった。
きっと、慶太に絡まれる度に悪目立ちをして「関わらない方がいい女子」というレッテルが貼られていたに違いなかった。
周りの女友達が運動会で好きな男子の勇姿に黄色い声援を送り、バレンタインで甘酸っぱい経験をしている中、まゆはことごとく一人で苦い思いをしていた。
だから、慶太から何を言われても無視を決め込み、彼にデメキンと揶揄された大きな瞳を長い前髪で隠した。
大きな背もなるべく目立たないように背中を丸めて歩き、中学で体験できるはずだった甘酸っぱい青春を全て諦めることにした。
──その代わり、高校生活に青春の全てを賭けることにしたのだ。
(最悪すぎる!!美波と二人だけで最高に楽しい青春を謳歌しようと思っていたのに!!なんで、この悪魔がここにいるわけ!?)
まゆは決して後ろは振り返らないと決意した。
振り返った先にあるのは、ただ一つ──慶太の不機嫌な顔。
それしかないと分かっているのに振り返る馬鹿がどこにいるのか。
しかし、今は背後から伸びる慶太の両手で左右は塞がれ、前方には扉、後方には悪魔の本体がある状況。
逃げ場がないことを悟ったまゆが、ガクリと頭を下げるのとほぼ同時にすぐ近くから、優しい風が吹くように穏やかな声が聞こえてきた。
「なんだ、中藤も東山高校だったんだ。クラス発表で名前を見たから、まさかとは思っていたけど。また、よろしくね!」
爽やかな笑顔と共に現れたのは、市原達也だった。
彼は小学五年生の時に転校してきた秀才で、整った顔立ちに柔らかい物腰のため、あっという間に「王子様みたい」と、人気者になった。
スポーツ万能の慶太とは、正反対のタイプだったが気は合うようで、今までのまゆの立ち位置に自然な形で収まったのが彼だ。
「えー!!達也も、同じ高校なの!?」
達也の登場に度肝を抜かれたまゆは、覆い被さるようにして立つ慶太を押し退けると、まゆよりほんの少しだけ背の高い達也に向き直った。
押し退けられたはずの慶太は、少しだけ上半身を反らせただけで、すぐに気に食わなそうなムッとした表情でまゆの後ろから声を上げる。
「──っ!おい!中藤、なんで達也は無視しないんだよ!?」
「慶太、みんなが怖がるから大きな声は控えなきゃダメだよ」
「っくそ!もういい!!」
慶太は苛々したまま、こちらを遠巻きに見ていた野次馬の間を掻き分けて進むと、まゆの隣のクラスである四組の前方の扉から教室へと入室した。
かと思ったら、ひょいと顔を覗かせ、こちらを睨みつけてから、跳ね返る勢いで扉を閉めた。
「まったく……高校では、態度を改めるって言ってたのに。あれじゃ、何にも変わってないよね?」
達也が呆れたように端正な顔を少しだけ歪める。
まゆもその表情につられ、苦笑いをして見せた。
「あ、僕は中藤さんと同じ五組だから。さ、中に入ろっか」
達也は、先ほどまでの騒ぎなどなかったかのようにスラリと扉を開ける。
そして、扉の縁をおさえたまま半歩だけ横へずれる。
「お先にどうぞ」
達也の自然な仕草に促されたまゆは、かしこまりつつ先に入室する。
その後から達也も入室し、後ろ手で静かに扉を閉めた。
そのスマートな行動を見た、教室内にいた女子の目が一斉にピンク色に染まった。
それを真正面から目撃したまゆは、絶望に近い諦めを覚えた。
(あぁ……女子の視線が痛い……。慶太だけじゃなくて、ここにも私の青春を脅かす敵がいたのか。)
こうして、まゆの楽しい青春を謳歌するという生活は初日から挫折するという、とんでもない幕開けとなったのだった。
新連載が始まりました!
二作目は、現代の幼馴染の高校生男女のお話です。
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