第十三話 心に残る一日
伯爵家の馬車は、ゆっくりと騎士団本部を後にした。
窓の外では、王都の街並みが穏やかに流れていく。
リシェルは膝の上へ手を重ね、静かに景色を眺めていた。
今日一日を思い返す。
規律正しく、鍛錬を重ねる騎士たち。
互いを信頼し、支え合う姿。
人懐こく、鼻先を寄せてきた馬。
そして――。
穏やかに微笑む、一人の青年。
自然と口元が緩む。
「お嬢様。」
向かいに座るマリアが、優しく声を掛けた。
「本日は、とても楽しそうでいらっしゃいました。」
その言葉に、リシェルは少し照れたように微笑む。
「そう見えたかしら。」
「はい。」
マリアは嬉しそうに頷いた。
「お嬢様があれほど穏やかに笑っていらっしゃるお姿を拝見できて、私も嬉しく思いました。」
リシェルは少しだけ頬を染め、再び窓の外へ視線を向ける。
「……素敵な場所だったわ。」
その呟きは、小さく春風へ溶けていった。
何気なく視線を上げる。
その瞬間だった。
頭上に浮かぶ一枚の付箋が、ふわりと揺れる。
「……!」
リシェルは思わず、目を見開いた。
文字が静かに消えていく。
そして、新しい文字がゆっくりと浮かび上がった。
(また……変わった。)
マリアは、不思議そうに首を傾げる。
「お嬢様?」
「……いいえ。」
リシェルは静かに微笑み、再び窓の外へ視線を向けた。
春風は変わらず、王都を優しく吹き抜けていく。
騎士団本部では、レオンが執務室へ戻っていた。
机の上には、今日中に目を通すべき書類が積まれている。
椅子へ腰を下ろし、一枚目へ手を伸ばした、その時だった。
『まるで、一つの家族のようです。』
ふと、リシェルの言葉が脳裏によみがえる。
レオンは静かに目を伏せ、小さく息を吐いた。
自然と、口元が和らぐ。
「団長。」
不意に、扉がノックされる。
レオンは、いつもの穏やかな表情へ戻した。
「入れ。」
副団長が静かに一礼し、執務室へ入る。
「失礼いたします。」
書類を受け取りながら、副団長はふとレオンを見る。
今日は、どこか表情が柔らかい――そう感じた。
けれど、その理由を尋ねることはしない。
「以上、ご報告でした。」
「ああ、ご苦労。」
副団長が部屋をあとにすると、執務室は再び静寂に包まれた。
レオンは、窓の外へ目を向ける。
春の陽射しが、王都を優しく照らしていた。
「……また、お会いできるでしょうか。」
その声は、誰にも届かないほど静かだった。
窓から吹き込む柔らかな風だけが、そっとその言葉を運んでいく。




