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失恋から前世に目覚めた公爵令嬢 ~最推し目指し、デッドオアアライブに抗ってみた~  作者: 安ころもっち


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第二話


 前夜の夜会で護衛騎士レオ・バルデスを視界に捉えて以来、セシリアの心は静かな混乱の中にあった。


 アドリアン殿下への拒絶は、理性よりも本能的な嫌悪からくるものだった。


 しかし、レオへの傾倒は、それとはまったく逆の、理由なき純粋な熱情から湧き出たものだった。


 セシリアの公爵令嬢として育んできた教育は、彼女の周囲のすべてを論理と計算によって整理することを良しとしていた。


 だが、レオ・バルデスという存在は、その秩序を乱す唯一の例外だった。


 彼は男爵家の出であり、嘗ては騎士団長まで上り詰めたが、今は単なる子爵令嬢の護衛騎士だ。


 公爵令嬢であるセシリアの立場とは天と地ほども離れた身分である。


 にもかかわらず、彼の姿を見るたびに胸を締め付けられるような、そんな初めての息苦しさを感じるほどの強い感情がこみ上げていた。


 この強い感情は、彼女の記憶にも、公爵令嬢の人生設計にも存在していない初めての異物であった。


 セシリアはこの抗いがたい強い衝動こそが、公爵令嬢としての義務や地位を超えた、自分自身の純粋な意思であると確信した。


 彼の高潔な武人としての姿、揺るぎない誠実さ、そして何よりも一人の女性に献身するその姿勢に、彼女の心は強く惹きつけられた。


 それは殿下の完璧すぎる支配的な愛とは対極にある、偽りのない真実の愛だと感じていた。


 数日後、王太子主催の大規模な晩餐会が王宮で催された。


 これは王太子妃候補と目される令嬢たちが一堂に会する、非公式の戦いの場でもあった。


 セシリアはアークライト公爵家の名に恥じぬよう、優雅な銀色のドレスを纏い、極めて冷静に「完璧な令嬢」という役柄を演じた。


 会場に足を踏み入れた瞬間、彼女はすぐに主要なライバルたちの存在を認識した。


 まずセシリアと並ぶ大公爵家出身の公爵令嬢、ロザリンド・グレイヴの姿があった。


 ロザリンドの容姿は彼女の家門の厳格さを表すかのように、冷たさを感じるほどの美しさを持っていた。


 豊かな黒髪は一切の乱れもなくまとめられ、その鋭く黒い瞳は、常にセシリアの動きを追っていた。


 彼女の身に纏う深紅のドレスは、彼女の持つ強い野心と、公爵令嬢としての揺るぎない誇りを象徴していた。


 ロザリンドは、セシリアにとって社交術の面で最も手強い公的なライバルである。


 二人は王太子の隣の席を巡って、互いに言葉ではなく、視線と立ち振る舞いだけで火花を散らす。


 周りの者たちからはそう見られていた。


 ロザリンドはセシリアに近づき、形式的な挨拶を交わす。


「セシリア様。今宵も貴女は月の光を独り占めしていますね」


 その言葉は一見賞賛のように聞こえるが、この言い回しは男たちの卑猥な視線を集めているということを揶揄する、この世界における皮肉の常套句であった。


 そんなロザリンドに、セシリアは微笑みを崩さずに返した。


「ロザリンド様こそ、太陽のような輝きでこの場を照らしていらっしゃいます。その情熱的な美しさは、私には到底真似できません」


 それはロザリンドの持つ強い野心を暗に示唆する言葉だった。


 アドリアン殿下は二人のやり取りを静かに眺め、その口元にわずかな笑みを浮かべていた。


 この社交の緊張感を楽しむかのような殿下の態度に、セシリアの胸の嫌悪感が再び膨らんだ。


 殿下は令嬢たちを競わせることで、自身の求心力を測っているように見えたのだ。


 次にセシリアの視界に入ったのは、クラリッサ・ヴェイル公爵令嬢である。


 クラリッサは、ロザリンドとは対照的に、控えめで柔和な雰囲気を持つ女性だった。


 彼女の茶色の髪は優しくウェーブし、その瞳は常に穏やかな桃色の光を湛えていた。


 豊満な体躯と女性的な魅力を持つクラリッサは、主張の少ない薄紫のドレスを纏い、王太子のすぐ近くに、取り巻きの令嬢たちと共に静かに佇んでいた。


 彼女は目立つ行動はしないが、その存在自体が男性の庇護欲を強く刺激する不思議な魅力を持っていた。


 視線が合ったクラリッサは、セシリアに対し柔らかな微笑みと会釈を贈った。


 その微笑みは友好的に見えるが、すぐにアドリアン殿下の方に視線を戻す彼女を見て、セシリアにはそれが間接的な牽制であると理解できた。


 王太子アドリアン殿下は公爵令嬢であるクラリッサに対し、最低限の配慮を示していた。


 それはどの令嬢にも公平であるかのような、計算された振る舞いだった。


 セシリアは二人の公爵令嬢の存在を冷静に分析した。


 ロザリンドは正面からの競争。


 クラリッサは側面からの静かな誘惑。


 どちらも王太子妃の座を射止めるための、公爵令嬢としての戦略を実行している。


 セシリア自身もその戦略を完璧に理解し実行する能力を持っていたが、本能的な拒絶が彼女の行動に制限をかけていた。


 しかしその夜会には、セシリアの知る主要なライバル令嬢の中でも、最も重要な転換点となる人物が姿を現した。


 エリス子爵令嬢、ルミナ・エリスである。


 ルミナはこの数週間で「聖女」として王宮に招集され始めたばかりだった。


 ルミナの容姿は、その神聖なる魔力を体現しているかのように可憐で清らかであった。


 長い金色の髪は光を放ち、大きなエメラルドのように癒しを感じる瞳は、すべてを許容するような優しさに満ちていた。


 白い聖女服は彼女の華奢な体躯を包み込み、周囲の華美な貴族たちとは一線を画した存在感があった。


 彼女の登場は、会場に静かな波紋を広げた。


 神聖な力を持つ聖女という特別な立場は、公爵令嬢たちの政治的な争いを一気に超越する力を持っていたのだ。


 ルミナは慣れない王宮の雰囲気に戸惑い、控えめに会場の隅に立っていた。


 その時、セシリアはルミナの背後に控える騎士の姿を捉えた。


 レオ・バルデスである。


 彼の金色の短髪と強い意志を秘めたアンバーのような瞳は、どんな時もルミナに注がれていた。


 鍛え上げられた無駄のない体躯は、騎士服の上からでもその強靭さが窺えた。


 彼はルミナを狙う貴族たちの熱視線や、その他の雑音から彼女を守る盾のように静かに立っていた。


 セシリアの心臓が再び激しく鼓動した。


 アドリアン殿下への拒絶とは異なり、この感情は純粋な欲求である。


 レオはルミナの護衛騎士として、彼女に常に付き従っていた。


 彼の視線、彼の意識、彼の献身は、すべてルミナに向けられている。


 セシリアはその事実を冷静に理解しながらも、本能的にレオの存在を求めてしまうのだ。


 その時、王太子アドリアン殿下がルミナの存在に気づいた。


 殿下は、セシリアや他の公爵令嬢たちとの会話を中断し、迷いなくルミナのもとへ歩み寄った。


 殿下はルミナの前に立ち優雅に頭を下げた。


「エリス子爵令嬢。王宮へようこそ。聖女としての重責、心より感謝いたします」


 その言葉は貴族としての義務ではなく、純粋な敬意から発せられているように見えた。


 ルミナは予期せぬ王太子殿下の直接的な配慮に、顔を赤くして言葉を詰まらせた。


 レオは殿下の突然の接近にも動じず、一歩も退かずにルミナの背後を守っていた。


 彼の視線は殿下を警戒することなく、ただルミナの安全と精神的な負担を案じているようだった。


 アドリアン殿下はルミナの神聖な魔力と、その可憐な弱さに初めて触れた。


 この出来事が、殿下がルミナに特別な関心を示す最初の契機となった。


 セシリアはこの光景を遠くから見つめていた。


 彼女の理性は、ルミナが聖女という特別な地位を得たことで、競争の構造が変化したことを分析していた。


 しかし彼女の目線は、本能は、アドリアン殿下に注目されるルミナではなく、ルミナを一心に守護するレオの姿を追いかけていた。


 セシリアにとって、ライバル令嬢の登場は王太子妃の座を巡る競争の激化を意味した。


 しかし今回のそれは、愛慕(あいぼ)の念を抱くレオが、ルミナという囲いの内側にいるという苦い現実を突きつけられるものであった。


 彼女の心の奥底に眠る理由なきレオへの強い憧憬(しょうけい)と、そのライバル令嬢であるルミナの存在が、セシリアの運命を複雑な四角関係へと引きずり込んでいく。


 セシリアは自らのこの抑えきれない本能的な感情が、これから始まる完璧な日常の崩壊と、運命の改変の決定的な引き金となることを、まだ知る由もなかった。


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