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失恋から前世に目覚めた公爵令嬢 ~最推し目指し、デッドオアアライブに抗ってみた~  作者: 安ころもっち


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第三話


 晩餐会での社交戦を終え、セシリアは極度の疲労を感じていた。


 それはドレスの重さでも、義務的な会話の多さから来るものでもなかった。


 彼女の完璧な日常の調和を乱す、二つの相反する感情から来る内面的な摩耗である。


 一つは王太子アドリアン殿下への理由なき本能的な拒絶だ。


 もう一つは護衛騎士レオ・バルデスへの、強い恋慕と執着である。


 この二律背反の感情は、セシリアの理性と本能を常に引き裂き続けていた。


 彼女は、レオの姿を見るたびに、公爵令嬢としての立場を忘れるほどの強い衝動に駆られていた。


 彼はすでにルミナ・エリス令嬢の専属護衛であり、その事実はセシリアの理性にとって超えるべき壁として、高くそそり立っていた。


 その日の午後、セシリアは公爵家の庭園にある温室で自身のオリジナル品種である、セシリアローズという薔薇の剪定作業を行っていた。


 温室は彼女が社交界の喧騒から逃れ、自己を取り戻すための唯一の安息の場であった。


 そこに予期せぬ人物が訪れた。


 ルミナ令嬢の護衛騎士、レオ・バルデスである。


 彼は温室の扉の前で立ち止まり、深く敬意を込めた会釈を捧げた。


「アークライト公爵令嬢セシリア様。お忙しいところ申し訳ありません」


 レオの容姿はやはり武人としての高潔さが際立っていた。


 金色の短髪は簡潔に整えられ、その強い意志を秘めた瞳は、真摯(しんし)さ以外の何も映していなかった。


 無駄なく鍛え上げられた体躯は騎士服の上からでもその強靭さが窺え、彼の存在自体が揺るぎない誠実さを体現していた。


 セシリアは驚きを隠せなかったが、かろうじて公爵令嬢としての冷静さを保ちながら、彼を温室に招き入れた。


「騎士レオ。あなたから私を訪ねてくださるとは思いませんでしたが……、どうぞ、お入りください」


 セシリアは彼の予想外の接近に激しく動揺していた。


 公的な場でしか見ることのできなかった彼の姿が、今は私的な空間に存在する。


 それはセシリアにとって抗いがたい強い誘惑だった。


 レオは硬い表情を崩さぬまま、まっすぐセシリアを見つめた。


 そして心を落ち着けるように間を取った後、ゆっくりとその口を開いた。


「本日は、騎士としての職務ではなく、一人の人間として、セシリア様にご相談したいことがあり参りました」


 彼はそう前置きし、周囲に誰もいないことを確認した上で口を開いた。


「実は、私の父が侯爵様に目をかけて頂いていて、それで、悩みごとがあるならセシリア様にどうかと言われ……、いえ、お時間を取らせるのも恐縮ですので本題からお伝えします」


 少し狼狽えながら語るレオ。


 どうやら今回の手引きしたのは父である公爵なのだろうとセシリアは予想した。


 だが、その内容については、彼女も検討がついていなかった。


「実は、私の護衛対象としているルミナ令嬢に対する私の感情について、最近は判別がつきかねているのです」


 セシリアは、心臓が鷲掴みにされたかのように強く締め付けられた。


 彼女が最も聞きたくなかった、しかし最も聞きたいと願っていた核心的な話であった。


「ルミナ令嬢を、私は長年にわたり護衛しています。彼女の安全と幸福は、私の騎士としての存在意義そのものです」


 レオは苦悩の表情を浮かべながら、真剣に話を続けた。


「しかし最近、それが騎士としての忠誠心から来る義務なのか、それとも一人の男性としての純粋な愛情なのか、自分自身では区別がつかなくなっているのです」


 彼の言葉は、偽りのない苦悩を滲ませていた。


 セシリアは彼の率直な告白に胸が熱くなるのを感じた。


 殿下からの完璧なアプローチとは異なり、レオのこの苦悩は人間味に溢れ、本物の感情なのだと感じたのだ。


 彼がルミナに対して抱く感情が愛なのか、忠誠心なのか。


 その境界線に悩むレオの姿は、セシリアの心に強い衝撃を与えた。


 それはまさにセシリア自身の、アドリアン殿下への拒絶と、レオへの傾倒という、理性を超えた感情の正体を問うものでもあった。


「セシリア様は知的な方です。公爵家の御令嬢として、多くの人間関係を見てこられたでしょう」


 レオはセシリアの知恵を頼るように、真剣な眼差しを向けた。


「この感情が……、守護の義務を超越した私的な欲求であるのかどうか。ご意見を伺いたいのです」


 セシリアはこの瞬間、彼の心の一番深い場所に接触したと感じた。


 彼が自らの感情を言語化できないほどに、ルミナへの想いが複雑で切実なものであることが分かってしまう。


 そして彼女は、レオが公爵令嬢である自身に相談するほどに、ルミナを強く、深く、思い悩むほどに愛していることが理解できてしまった。


 セシリアの脳内では、合理的な判断と本能的な欲求が激しく衝突した。


 理性では、彼がルミナへの愛を確信させることで、自身の恋は完全に終わるのだと達観している。


 本能では、彼の苦悩を理解し、諭すように自らにその意識を向けさせたいと渇望しでいた。


 セシリアは唇を強く噛みしめ、知的な言葉で彼を諭そうと努めた。


「騎士レオ。それはあなたがルミナ令嬢の幸福を、自身の幸福より優先できるかどうかで決まるのでは、と私は考えます」


 セシリアはそう答えたが、その言葉は自分自身に言い聞かせているようでもあり、彼女は心の奥底からの息苦しさを感じてしまった。


 その時……、セシリアの脳裏に強烈な閃光が走った。


 深層の奥深くで、何かが一気に弾け飛んだような激しい衝撃だった。


 身体の奥底からこれまで感じたことのない異様な熱が湧き上がり、全身の血液が逆流するような感覚に襲われた。


 彼女の視界が歪み、眼前の温室の風景が突然別の色彩に満ちた映像へと切り替わった。


 それは……、前世の記憶だった。


 セシリアはこの世界が、自分が熱中していた恋愛シミュレーションゲーム、『 多角形な乙女たち ~ 令嬢たちの複雑な恋愛模様 ~ 』の世界であることを思い出したのだ。


 目の前で真剣な苦悩を訴えているレオ・バルデスは、ゲームにおける攻略対象の一人だった。


 そしてそのレオが心を奪われている相手であるルミナ・エリスは、物語の主人公(ヒロイン)の一人であった。


 セシリア自身も主人公(ヒロイン)のひとりであったが、それではない場合のシナリオは、いわゆる悪役令嬢として設定された主人公(ヒロイン)のライバル令嬢の一人となるのだ。


 この見慣れた温室の風景が、ゲームの攻略情報の一つとして鮮明に蘇った。


 レオからのこの相談は数あるルートの中でもメインとなるルートにおける、ルミナへの愛を確信する直前のイベントの一つであったのだ。


 そのルートは「四角関係混沌ルート(デッドオアアライブ)」と呼ばれていた残酷なルートであった。


 このルートではこの相談イベントをきっかけに、彼はルミナへの想いを固め、セシリアは自らの愛が終わり、最終的に絶望的な結末へと向かうのだ。


 そこまで思い出し血の気が引いた。


 果たして……、この世界は誰が主人公(ヒロイン)の物語なのか?


 今まさに繰り広げられているイベントにより、「四角関係混沌ルート(デッドオアアライブ)」であることは間違いないと即座に判断できた。


 だがそれは、ゲーム中では7人いる主人公(ヒロイン)の中で、4人ががこのルートを起こしりうるのだ。


 セシリアと他2人の公爵令嬢、そして子爵令嬢であるルミナ。


 この4人が主人公(ヒロイン)であった時、レオとのシナリオを進めるうえで、必ずこのシーンが挟み込まれることになるため、彼女にはきわめて見慣れた光景であった。


 このルートは、結ばれたカップル以外は死、もしくはそれに相当するような破滅を迎えるというエンディングが待ち受けている。


 さらにセシリアの心臓が激しく脈打った。


 今まで自身が感じていたアドリアン殿下への理由なき拒絶。


 そして今まさに感じているレオへの強い憧憬(しょうけい)


 そのすべての不可解な感情はセシリア自身が持つ前世の記憶、つまりゲームの筋書きに強く縛られていたからだと理解した。


 彼女の魂はこの世界に転生した後も、ゲームのルールと、前世で最推したったレオへの強い愛慕の記憶に導かれていたのだ。


 セシリアはその場に立っているのが精一杯だった。


 彼女の記憶は、この世界で起こるすべての出来事、すべてのキャラクターの行動パターン、そして全てのバッドエンドのルートまでを詳細に含んでいた。


 レオはセシリアの顔色の変化に気づき、心配そうな表情を浮かべた。


「セシリア様?突然、どうなされましたか?」


 レオの言葉はセシリアの耳には遠く、現実感のないものとして響いた。


 彼女の意識は、すでにゲームの膨大なデータと、現実の苦悩との間で激しく揺れ動いていた。


 考えがまとまらない。


 情報が多すぎて脳が激しい痛みを生んでいた。


 いかにセシリアと言えども、その許容量を大きく超えた情報に苦悩する。


 だが絶対に現在の状況を把握し、自身の立ち位置を明確にしなくてはならない。


 セシリアはそう思いながらも、一旦は考えるのをやめた。


 いずれにしてもセシリアは、自らに課せられた運命を明確に拒絶する。


 自身はもうゲームシナリオの一部であることを強く拒否したのだ。


 自身の運命は、自身の意思で書き換える必要がある。


 そして、彼女が最も愛する対象であるレオを、この運命の枠組みから解放し、自らのものとする。


 セシリアは、決意を胸に秘め、静かにレオに告げた。


「騎士レオ。あなたの質問は、私にとってもあまりにも難解です」


 彼女はその言葉を選びながら、すでにゲームの攻略情報に基づいて次の一手を考えていた。


「今日のところはこの相談は一旦お預かりします。次の機会に、あなたに明確な答えをお伝えいたしましょう」


 レオはセシリアの言葉の重さを感じ、深く頭を下げた。


「ありがとうございます。セシリア様のご意見を心よりお待ちしております」


 そう言ってレオが温室から去った後も、セシリアはその場から動けなかった。


 彼女の銀色の髪は温室の光を浴びて透き通っている。


 しかしその瞳の奥には、前世の記憶という誰も知らない淀みを持った光が灯っていた。


 セシリアは自分が愛するレオが、もうすぐルミナへの愛を確信するイベントの直前にいることを知っている。


 時間はない。


 彼女に残された時間は、ごく僅かである。


 この瞬間から、アークライト公爵令嬢セシリアの運命改変のための密かな戦いが始まったのだ。


 彼女は公爵令嬢としての完璧な戦略と、前世のゲーム知識を駆使し、自分の愛を掴み取ると決意した。


 この世界はもうゲームではない。


 セシリアの人生そのものである。


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