【例の少女】
「北のイスカリオン教会本部から、学院都市に使者が来るそうだ」
円形のテーブルを囲む学院の会議室。
学院長が重々しく告げた言葉に、教師たちは一斉にざわめいた。
「教会の使者ですか……目的は」
「学都内にある教会の監査だと聞いている」
「それは、仮の目的である可能性が高いですね」
「ここ数年、教会が異教徒狩りの動きを激化させているという噂を耳にします。
そういった世論に流されている学徒も少なくない……学徒の中に、教会の手の者が紛れ込んでいる事は確実です」
「学院に再び、大掛かりな干渉を仕掛けてくるつもりでしょうか」
ひとりの女教師が、教会の名を口にするのもおぞましいとばかりに身を震わせる。
聖典を重んじる『教会』と自由な学問を求める『学院』は、帝国で相性が悪いものの例えとして使われるくらいには仲が悪い。
というか、むしろ最悪の関係だった。
「学院の領域で異教徒狩りは行わない。教会と交わしたかつての契約は、今でも有効だ」
男性教師の一人が、静かな熱のこもった声で指摘する。
「星沁術式という概念を確立した事によって、我々が怪しげな機関として厭われ、教会に迫害されていた暗黒の時代は終わったのだ。
学院は、帝国での地位を確立しつつある。教会がかつてのような横暴な真似をしようとした時に、我々には奴らを裁く権利がある」
「しかし彼らには、手段を選ぶ余裕が残されていないかもしれません」
「どういう事だ、エリック」
緊張した面持ちで訊ねられたエリックは、その場で静かに説明した。
「かつての帝国にとって、星沁術式とは異教徒の使う怪しげな『魔術』であり、また女神アラディルに選ばれた者のみしか使えない『奇跡』でした。
無知で無垢な民は教会の『奇跡』を信仰し、異教徒の怪しげな『魔術』を恐れ忌避する──帝国確立時から続いてきたその構図は、今や成り立たなくなってきています。他でもない、我々が確立した星沁術式の確立と技術革新によって」
しんと静まり返った会議室に、エリックの声が淡々と響く。
「教会が今現在できる事と言えば、教会の教義に異を唱える者や、星沁操作の才能を示した者を『狩り』で民衆から隔離して、知識の伝播を阻害する事くらいです。
教会は、信者をこれ以上失うまいと躍起になっている。しかし知識とはやがて広まるものです。ならば、知識の根源である我々に……」
「捨て身で決定打を与えに来るという可能性もゼロではない。そういう事だな、エリック」
学院長の言葉に、エリックは頷いた。
「教会が勢力を増すに連れて、属州化や改宗に反発する異教徒・宗教改革を望む新宗派も増えてきました。
帝国皇室も、教会を政治の場から切り離せる機会を伺っていると聞きます。教会に残された時間と手段は、そう多くないでしょう」
「……うむ。各自、十分な警戒態勢を引くように。混血・異教徒出身の学徒を担当している教師は特にだ」
学院長の言葉に、教師たちが慎重に頷く。学院長は円卓の面々を見回すと──やがて、エリックを視線でうながした。
教師陣の視線を受けたエリックは、しぶしぶ黒板の前に立つ。
「……。次の議題は私から。『イリス』と名乗っている、例の少女についてです」
エリックの言葉に、緊張が走った。教会について議論にしたとき以上に、空気が張り詰める。
「学院長、本当にあの娘の事を学院で引き受けるのですか。あの娘は……」
「優秀な人材であることに間違いはない。それはみなも分かっているはずだ」
学院長の言葉に、教師陣は口をつぐんだ。しかし──
「いくら地頭が良くとも、問題児では仕方がないでしょう」
──ひとりの発言を皮切りに、『彼女』に関する意見が溢れ出した。
「確かに。学院の利益を損ねる可能性がある者に対して、好待遇が過ぎませんか」
「好待遇という程でしょうか。学院に通いつつ探索を行っている冒険者は他にもいます。
彼女に学費が払えるとは思えませんが、奨学金制度を使えれば問題はないでしょう。」
「そもそも……彼女はいま、どのように生活しているのです?
聞いた話では、どこぞの冒険者宿を拠点にしているという事でしたね」
「日中は学院の図書館に出入りしているそうだな。私も何度か見かけたことがある。ずいぶんとみすぼらしい外見をしていたな」
意見が飛び交う。円卓が騒がしくなる。好意的な意見も、否定的な意見も、同時に飛び交うめちゃくちゃな状況だ。
「皆様、お静かに。わたくしが調べさせた事を報告いたしますわ」
そんな中、凛と張る声で宣言したのは学院教頭の女性だ。静かになった円卓を見回し、教頭は淡々と『例の少女』に関する報告を開始する。
最初は静かに報告を聞いていた教師陣。しかし教頭の報告を聞くにつれて、彼らは汗をかいたり顔を赤くしたりと、円卓全員が百面相をする有様になった。
「疑いようもなく問題児だな……」
「やれやれ、頭が痛い」
「しかし、驚いたな。単身であの場所に出入りして、無傷でいるというのか」
「……実力だけは、確かなようですから」
教頭は眼鏡を押し上げ、淡々と言葉を続けた。
「彼女はいつも、夜になるのを待って探索を行っているようですね。人目を避ける為でしょう。今夜も、おそらくは……」
言いながら、教頭は窓の外に視線を移した。つられて他の教師陣も外の景色に意識を向ける。
窓の外は快晴。天を貫く山脈は、甘いはちみつ色の夕焼けに染まりつつあった。
湖を挟んだ街の対岸、そこには黒い山脈をくり抜くように建てられた遺跡の門がある。
どうやって作ったかも定かじゃない、そんな門の内側には真珠色の光膜が揺らいでいて、ここからでもその光を確認する事ができる。
その光の中からぱらぱらと出てくる男たちを遠目に眺めながら、教授のひとりが呟いた。
「夢幻迷宮に子供がひとりで挑むなど、正気の沙汰ではないな。このまま放っておいたら、すぐに死ぬぞ」




