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【少女たちの邂逅】

つなげました

 

 現刻を以って、私はファーストキスを喪失した。


 別にその辺のゴロツキとかに、世間的アウトな愚行をされた訳ではない。というかゴロツキ程度なら、そんな事をされる前にぶっ飛ばす。

 そんな事になる前にぶっ飛ばせなかったのは、相手が私と同じ子供……それも仔犬みたいにひ弱そうな外見の、東系〈朔弥(さくや)人〉の少女だったからだ。


「ふ、ふぇ…… 」


 私の身体にのしかかった状態で硬直する少女。押し倒された状態の私。草地に咲いた白い花が、のんきな風に揺られている。

 この光景を、誰も見ていなくて本当に良かった。あぁ、本っ当に良かった。

 もし見られていたら──



「だぁ……らっしゃあぁああぁあぁあぁああぁあぁあぁああぁあぁあぁああぁあぁあっ!」



 ──こんなに遠慮なく、ぶっ飛ばす事はできなかったから。


「ご、ごめんなさいぃ〜っ!」


 悲鳴混じりの謝罪を虚空に放ちながら、少女の身体は湖に着水する。ざばーんと上がる水柱、飛沫に映るは七色の虹。大した運動もしていないのに息を荒げながら、私はだらりと腕を下ろした。


「な、なんでこうなったのよ…… 」


 誰も聞いていない呟きを草地に落として、私は現状に至る原因になった事の顛末(てんまつ)に思いを馳せた。



◇◇◇


 

 西の大国、イウロ帝国の最高峰学術機関である〈チチェリット学院〉は、黒い峰々に見降ろされる湖岸の街に存在する。


 外界と隔てられた高地の学院に入学を許されるのは、由緒正しい貴族の家系の子息と、並外れた才能の持ち主のみ。

 まさに選ばれし者の、気高き学び舎。そんなご大層な評価を受けている学院に、私は毎日通っている。

 ただ、私は学徒じゃないし、今後学徒になる予定もない。無料開放されている学院の図書館に入り浸っているだけの、ただの居候だった。


「なぁに、今の子」

「汚らしい子ね。学院にふさわしくないわ」


 すれ違った社交科──貴族出身の女学徒たちが、私を見て眉を(ひそ)める。

 まだヒソヒソと話している連中を無視して、私はひと気のない研究室棟を目指した。


 研究室棟を通り抜けて学舎の外に出ると、街の全景が見渡せる丘の上に出ることができる。

 湖を渡る風が心地よく、読書に最適。今の時間なら人もいない。


 そこの角を曲がって非常口を使えば、学び舎の外に出られる。少し小走りになって、一歩を踏み出そうとした時だった。


「きゃあっ!」


 ──チリン。

 澄んだ鈴の音と同時に、背後で聞こえるドサリという鈍い音。


 振り返ると、蒼紫の髪をした少女が廊下に倒れ込んでいるのが見えた。そのすぐ横には、口を歪めて笑う社交科の学徒が数人。


 一人の足が前に伸びているところを見ると、足を突き出して少女を転ばせたようだ。


「あら嫌だわ。なんでこんな所に、東国のお猿さんがいるのかしらぁ」


「帝国人の為の学院なのに……おかしな事よねぇ」


 社交科の連中のわざとらしい大声に対する、周囲の反応は様々だ。


 同じようにニヤニヤ笑う、やはり社交科らしき学徒。眉をひそめたり、距離を取ろうとする普通科の学徒。


 自然と人垣が割れる中、持ち物を散乱させた少女はゆっくりと顔を上げた。


「う……」


 年下……いや、私と同い年くらいだろうか。

 小柄で髪色の濃い、朔弥人の特徴が色濃く出ている。きっと、混血児なのだろう。


「……」


 長い前髪を降ろした少女は、無言で散らばった荷物を集め始めた。彼女が動くたびに、首元に下げた牙玉(きばたま)鈴が音を立てる。


さざ波のようなひそひそ声に、チリン、チリンという鈴の音が寂しく響いていた。


「……」


 ペンがひとつ、社交科の学徒たちの足元に転がっていく。

 少女は目の前の物を拾うのに必死で、その事に気付いてないみたいだ。


(……仕方ないな)


ため息をついて、私は進路を変更した。野次馬学徒の間を縫って進み出て、まっすぐ社交科連中の方へと向かう。


「あら、あの子。さっきの乞食坊や(・・)じゃない?」


「まぁ! 流れ者の朔弥人と一緒にいるの、お似合いだわねぇ」


 連中がうるさいけど、関わるのは面倒くさい……と。真横を素通りしたのがまずかったのだろうか。 

 連中の向こう側に転がった万年筆を拾って戻ろうとした私の進路を、一本の腕が乱暴に遮った。


「おい小僧。この方々をどなたと心得ているのだ」


 踏ん反り返ったワカメ頭の男子学徒が、私の事を見下ろしている。

 そいつから漂う薔薇(ばら)のにおいは強烈すぎて、鼻が曲がりそうだ。


「初対面の人間の事なんて、知ってるはずがないでしょ。どいてよ」


 私が肩をすくめて、その男の脇をすり抜けようとしたその瞬間。男子学徒は、私の腕を掴んで唸った。


「調子に乗るなよ、汚らしい乞食ごときが!」


 身体が乱暴に引き寄せられる。学徒の腕が振り上げられる。周囲の学徒の驚く顔、嗤い顔、目を逸らす姿。

 驚き叫んだ少女が、緩慢になる時間の中で手を伸ばすのが見える。


(くだらない)


 迫る拳を眺めながら、私は目を細めた。

 顔をほんの少しずらしただけで、空を切る拳。驚く学徒の腕はだらしなく伸びきって、どてっ腹も無防備に晒されている。

 すれ違いざまに軽く軸足を蹴ると、その身体は簡単に地面に伏した。


「ぐぁっ⁈」


 悲鳴とともに、時間の停滞が弾けた。

 遠退いていた音と同時に嗅覚が戻り、強烈な薔薇臭がまた鼻をつく。

 鼻に全力で(しわ)を寄せたまま、私は男子学徒を見下ろした。


「喧嘩を売る相手は、見た目で選ばない方が良いわよ」


「なっ……お、女っ? 小娘ごときが、生意気な」


 顔を醜く歪ませて、男子学徒がまた拳を握りしめようとする──その前に。


「あー、もう。うるさい」


 腰から引き抜いた短刀杖を、鼻先に突き付ける。

 夜空を彷彿とさせる色の刃を見て、貴族学徒の顔から血の気が引いた。


「……放浪者風情が、学徒に手を出していいと思っているのか? この街は」


「学問の街。学院が自治権を握る、学徒優先の街。この街の冒険者なんて、あんた達に雇われるだけの日雇い労働者。はいはい、知ってるわよそんな事」


 苦笑しながら、私は貴族学徒に突き付けた短刀杖を動かした。

 刃ごしに、薄い皮膚の下で脈打つ感触が伝わってくる。


「ひっ……!」


「でもね、私にはそんな事関係ないの。あんたは私の邪魔をした。だから私もあんたを退ける……簡単な構図でしょ? 大人しくどいてくれるなら、何もする気はないのだけれど」


「どかぬと言ったら」


「鼻を削ぐ」


 淡々と答えを返したら、あっという間に静かになった。

 尻餅をついたまま凍り付いた学徒の横を今度こそ素通りして、私は少女の元に歩み寄った。


「ほら、これ──」


「ひっ……!」


 差し出した手から目を逸らして、少女は頭を抱えた。

 私から逃げるように身体を背け、がくがくと震えている。


「……置いておくわよ」


 少女の目の前にペンを置いて、私は踵を返した。

 私が近付くと、野次馬が自然と隅に寄り道を譲ってくる。


 直接何も言われなくとも、突き刺さる視線が不快だった。

 さっさと廊下を曲がり、喧騒のない学舎の外に出る。斜面をしばらく降りて、お気に入りの岩のそばに来た。直後──


「またやらかした……」


 草地に両手をついて、私は脱力した。

 学徒に喧嘩を売ってしまったのは、これが初めてではない。


 最初は、すれ違いざまに頭をなでてきた学徒を背負い投げしてしまい。

 後日、その報復として二階からごみを落としてきた奴には、晴れた空から雷を落としてしまった。


 今のところ学院には何も言われていないけれど、この街の冒険者の立場は学徒よりも下位に当たる。

 本来なら、下位の私の方が下手に出て、へこへこと頭を下げながら歩かなければならない。それは分かっているのだけれど、どうにも殴られたら殴り返さないと気が済まないたちだからキリがない。


「あの子にも、怖がられちゃったしなぁ……良い事なかったわ、ほんと」


 ため息交じりに見上げた空は青い。風が心地良い。陽の光を反射する湖面が、宝石のように光っている。

 望んでいたその風景がむなしい物のような気がして、私は目を伏せた。


「まぁ、いっか。どうせただの気まぐれよ。何か見返りを求めて、行動したわけじゃないんだから……」


 自分に言い訳をして、草地に寝転がる。

 そのまま目を閉じ眠ろうとした──その時だった。



「あ、あ、あのっ!」



 ──チリン。澄んだ音色と、上ずった叫び声。

 それらの音に顔を上げると、丘の上に蒼紫の髪をした少女が立っているのが見えた。

 どうやら追いかけてきたらしい。ほわほわした見た目の割に、俊敏な子だ。


「……」


 立ち上がって無言で待っていると、少女は勢いよく丘を駆けてきた。

 走って、走って、そのまま草を散らしながら恐ろしい速度になるまで加速し──


「きゃうっ⁈」


 ──私の目の前で、ものの見事にずっこけた。

 俊敏さと運動神経は、必ずしも相関関係にあるわけじゃないらしい。


「え、えうぅ……」


「斜面で走るからでしょ。めそめそしてないで、とりあえず立ちなさいよ」


 手首をつかんで立たせ、少女のケガを確認しようとした……その時だった。


「さっきはごめんなさいっ!」


 少女の顔が、急接近してきた。翡翠色の瞳と、視線が交錯する。


「わっ⁈」


「あの、私びっくりしちゃって。それでつい目を逸らしちゃったんだけど、怖いとかじゃなくて、あの、そのっ!」


「ちょ、近い近い近い!」


「謝らなきゃと思って、それでっ! それと、えっと、その……あのねっ⁈」


 テンパっているとは、まさにこの事を言うんだろう。

 まぁそれは落ち着かせれば良いだけの話なんだろうけど、これだけ接近された状態でこの子が転びでもしたら、たぶん口と口が触れてしまう。


 要するに、百合の花が咲き乱れるような地獄絵図になるという事だ。

 そんな絶望的展開は、全力で回避するに限る。

 

「あんたちょっと、落ち着いて……」


 一歩後退、肩を掴んで目を合わせる。

 目線がしっかりあった瞬間は動きが止まるだろうから、その絶妙なタイミングを狙って冷静に話しかける……という完璧な私の計画は。


「あっ」「えっ」


 少女が小石に(つまず)いた事によって、白紙化した。


「ちょっ」


 避けるのは簡単でも、乱暴に押し退けるわけには──その一瞬の迷いが、私の動きを鈍らせた。


 押し倒される身体、下に迫るは若草の地面、上から迫るは……桜色の、可憐な唇。

 その両方に、私の身体は見事に接触してしまった。


「「………… 」」


 強い風に、花びらが舞い上がった。

 樹々が興奮するようにざわめいた。

 ひんやりと冷気を伝えてくる地面と、上にのしかかっている身体の温かさが対照的だった。


「ふ、ふぇ……」


 少女の瞳に、私の姿が映っているのが見えた。


 ボサボサの金髪に、垂れがちの目。やや太めキツめの輪郭を持つ眉に、こめかみに走る傷痕。

 寸前まで不機嫌そうに見えていたであろうその顔は、今まで見たことがないくらいの間抜け面を浮かべていた。

 

「…………」


 自分らの置かれた状況は誰も見ていない。

 だから冷静にこの子を押しのけて立ち上がる事ができれば、それで良かったんだろうけど……



「だぁ……らっしゃあぁああぁあぁあぁああぁあぁあぁああぁあぁあぁああぁっ!」



 ──なんか、まぁ、私の性格的に無理だった。

 要するにこの顛末からして、この現状に至るのを私の側から回避する事はできなかった。

 現状の定義と証明、終わり。


「……って、違う違う!」


 つい投げ飛ばしちゃったけど、今の季節は早春。

 雪解け水がぼつぼつ流れ込んでいる位の水温なわけで、湖に落ちたら寒い。絶対に寒い。


「ご、ごめんなさい大丈夫⁈」


 上着を脱ぎ捨て腰丈くらい水深まで進むと、少女の腕を掴んで立ちあがらせる。

 髪が顔面を覆い隠し、頭に水草が絡まっているその子を岸に上げて、乾いた上着を頭から被せた。


「ふぁう、だ、だいじょぶだから、その」


「うっさいわね、乾くまでは黙ってなさい!」


「聞いてきたのはそっちなのに〜っ!」


 そんなやりとりをしながら、少女の髪を無理やり乾かす。


 足元が濡れただけの私が、これだけ寒いのだ。

 全身びしょ濡れなこの子は、もっと寒いに決まっている。


「っていうか、ここじゃ風が当たるわよね。取り敢えず学舎の中に……」


「だ、だからっ、大丈夫なんだよー!」


 少女の言葉と同時に、風が止まった。

 代わりに、動きを止めた私の……いや。少女の足元に、光の方陣が展開された。


「これは……」


『深き処に住まう者、あわいの世に生きる民よ』


 奇妙な反響を伴った声が、隣から響く。

 それと同時に周囲の空気が暖かさを帯びたかと思うと、蛍のような光がふわりと舞い上がった。


(詠唱による星沁術式……そう。この子、星沁術師だったの


 この世界で人間が認識できる物質の最小単位であり、総ての事象を構成する物質──それが〈星沁(せいしん)〉だ。

 生来の星沁干渉力が強い人間は、一定の媒介を介する事によって、物理法則を歪め事象を改変する事ができる。


 ちょうどこの子が、大気の流れと温度を制御しようとしているように。


「わ、私、風の術式は少し使えるから、その……えいっ!」


 あまり迫力のない気合の声に、ぽふんっと暖気が弾けた。

 さっきまでびしょ濡れだった私の足も、少女の身体も、術式のおかげですっかり乾いている。


 ただ、術の勢いが良すぎたのだろう。

 少女のスカートは、乾いた事が嬉しくて仕方ないとでも言うように、元気に舞い上がった。

 ……ちなみに私は、ズボン着用だ。


「は、はわぁあーーーーっ⁈」


 どや顔から一転、赤面してスカートを押さえにかかった少女。

 その姿があまりに滑稽で、私は思わず吹き出してしまった。


「っ、あはは!」


「わ、笑わないでよー!」


「だってあんた、どや顔しといてそれは……面白すぎるわよ!」


「も、元を言えばあなたが……」


 何か反論を言いかけた少女に向かって、「水色だったわね」とひと言。

 それだけで百面相を繰り広げてくれた少女は、鈴の音を乱発させながら絶叫した。


「うぁあぁあああっ! 言わなくていいよそれはーっ!」


 こんなに笑うのはいつぶりだろう。

 バタバタ振り回される少女の両手を(かわ)しに躱しながら、私は呼吸が苦しくなるまで笑い転げ続けた。

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