廃都編 34章
「ボストへの赴任は、二週間後の火曜日。十三時よりレーダー基地を出発し、エイジア経由でボストに入る。先方が我々軍事顧問団の為に用意した、自称豪華な宿舎があるそうだ」
幾分無理なおどけ方だと思う。大尉のその言葉にどう返していいものか、少しだけ考える。出勤してすぐに始まった早朝ミーティングなので、いまいち頭がきちんと働いていない気がする。
「装備はどうしますか、大尉」
ラルフ曹長が椅子から立ち上がりながらそう尋ねると、大尉は、どうしようか?、と逆質問をした。
「普通に考えれば……顧問団だからな。拳銃、ライフル、銃弾、ナイフくらいのものでいいと思うけどね」
「許可が降りるようであれば、カイルに狙撃銃と対物ライフルを持たせたいと考えているのですが、どうですか」
ラルフ曹長が俺を見ながらそう答えた。その言葉を聞いて、俺は今回の赴任に宿命的につきまとうであろうロシュビッチの顔を思い浮かべる。グスタフの言っていた暗殺という言葉。それをするのに、狙撃くらい便利なものはない。
「言いたいことは、わかる。ただ、それについてはちょっと考えさせて欲しい」
クリス大尉は困ったような笑みを少しだけ浮かべて、ラルフ曹長に答える。ラルフ曹長の了解という言葉で、早朝会議は自然と散会になった。
「あとで大尉のところに行かないか?」
机の並べられた執務室で、俺の隣に座ったルパードがそう言った。つい先刻会議が終わったのにどういうことだろう。皆の前では言いにくいことでもあるのだろうか。
「いいけど、どうして」
「いや、ちょっとさ。気になるって言うか……」
大男の言いよどむ姿というのは、なかなか似合わないものではある。向かいのアキやグリアムに聞こえないように声を潜めているあたりがより一層似合わなさを演出している。
「俺もすこし報告があるから構わないけど、十五時過ぎくらいで構わないか?」
俺がそう答えると、わかったという言葉だけいつも通りの声で返ってくる。なんだか妙な感じだ。ルパードにもいろいろ思うところがあるんだろう。
昼食の包みを取り出して、皆が食堂に行ってしまったあとのガランとした部屋にいると、なんだか少し心細さが増して来る。さっきのラルフ曹長の言葉。あれはいうまでもなく暗殺に狙撃の手段が用いられることを想定している。その場合、使い慣れたものがあるに越したことはなく、事前に準備するものを考えたときにそれは真っ先に思いつくことだ。俺は昼食を食べてしまうと、部屋の隅のロッカーから狙撃銃を取り出し、各部の整備を開始する。一つづつ部品を外し、磨き布で丁寧に磨いていく。狙撃兵になってから何度も繰り返した作業だ。戦場で自分の手の延長として扱うことができるように、一つ一つの部品の僅かな歪みも見落とさないよう俺は整備を続けていく。
「話したいことがある」
いきなり後ろから声をかけられて俺は驚く。誰かが近づいてきたことにも気付かないくらい俺は整備に集中していた。振り返るとそこにはアキが立っていて、冷静さを絵に書いたような表情で俺を見ている。
「なんだか、今日は人気だな。ルパードもさっき声をかけてきたよ」
俺がそう答えると、アキは小さくため息をついて俺の向かいに座った。
「多分、ルパードの用事も同じだと思う。ひょっとしたらグリアムからも声をかけられるかもしれない」
アキが淡々とそう答えた。そして、短い沈黙のあと、また口を開く。
「昨日の晩、私とルパードとグリアムで話し合った。結論から伝えると、狙撃の技術を私たちにも教えてもらっていたほうがよいのではという事になる」
「狙撃を?」
思わぬ提案に俺は驚く。ナイフはともかくとして、狙撃のスキルなんてそんなにたくさん必要なものだろうか。
「例の件をこなすことになって、そのときに狙撃ができるのがあなただけだと、もしあなたに何かがあったときに作戦が行き詰まることになる」
そういうことか、と思う。確かに言われてみればその通りだ。
「でも、狙撃って言ってもそんなに簡単なものじゃないぞ。基本訓練で一年はかかるし」
「分かっている。それでも、出来うる限りのことをやっておきたい」
アキは俺の机の上に置かれた狙撃銃を見て、しばらくの沈黙の後俺に視線を戻した。
「なにかしら、一つでも先につながることを」
「やっておきたいってことか」
俺がそう続けると、アキは、そう、と短く答える。
「そういう事であれば、俺は構わないよ。むしろありがたい。悪いな、気を使わせて」
狙撃銃をケースに戻しながら俺がそう答えると、珍しいことにアキがわずかに微笑む。
「どうしたんだ?」
「なんでもない。終業後に宿舎で待っていることにする。グリアムとルパードには私から伝えておく」
そう答えると、アキは机の上の書類に視線を向け、午後の仕事にいつも通りの集中力で取り掛かり始める。
十五時過ぎになって、ルパードが立ち上がった。
「カイル、十五時だ」
「ああ。……大尉、すいません。少し時間を頂きたいのですがよろしいですか?」
俺が大尉にそう告げると、大尉は書類から顔を上げて、俺とルパードを見た。
「なに?」
「ルパードからすこし相談があるようで」
大尉は訝しげな表情を浮かべて、そのあとでいつもの悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「なんだか珍しい組み合わせだが……まあいい。場所は移したほうがいいか?」
俺は返事を促すようにルパートに視線を移す。
「いえ、ここで構いません」
ルパードが何かを決意したような表情で答えた。
「なるほど、言いたいことはわかった」
ひと通りのルパードの提案を聞くと、大尉はそう答えて目を閉じる。ルパードの提案は予想通り、俺が先だってアキから聞いていたものと同じものだった。大尉は口を挟まずに最後までそれを聞いていた。
「お前らの提案はありがたい。アキとグリアムも同様だ。ただ、少し懸念がある」
「懸念?」
大尉は、そう懸念だ、と繰り返した。
「それはどういう……」
ルパードの言葉をそこで遮って、ラルフ曹長が立ち上がる。
「狙撃というのは簡単なようで難しい。カイルには適性があり、長期間の訓練も受けている。短い時間でそれをお前らがやるとすれば必然的に無理が出ざるをえない」
ラルフ曹長はそう言うと、アキとグリアムにも視線を移す。
「無理がでるということは、お前らのコンディションに影響するということだ。激務が予測される今後のことを考えれば、あまり望ましくないとも言える」
大尉はラルフ曹長のその言葉に同意するように頷く。
「まあ、頑張ってくれるのも、士気が高いのも、お前らのいいところなんだがなあ」
椅子から立ち上がった大尉はそう言って皆を見回す。
「アキについてはナイフ、ルパードについては接近戦闘って得意分野がある。グリアムは突出した得意分野は無いが、すべてのスキルが平均的に高いという特徴がある。どっちかといえば、俺はその得意分野を伸ばしておいて欲しいと思っている」
大尉の言葉に皆が沈黙する。言葉を継ぐようにラルフ曹長が続いて口を開いた。
「ご存知のとおり戦闘にはいろいろな局面がある。カイルが狙撃ポイントに達するまでの間、誰がそれを援護する? そして狙撃後、速やかな脱出が必要になるがその時に誰がそれをサポートする? おそらく銃撃戦すら困難な現場にもなりかねないわけだ。そのときには」
「ナイフや、徒手格闘が必要になると」
アキがそう言うと、ラルフ曹長が大きく頷く。
「市街戦を避けながら敵中に到達する場合、確実に潜入任務ということになる。そうなるとあまり派手にドンパチもできまい。銃声自体がひとつの脅威となる」
「あんまり、狙撃前提で話をすすめるなよ」
大尉が困ったような笑顔でそう口を挟む。
「まだ決まったわけじゃないんだ。いろいろ選択肢はあるんだぞ。あんまり思考の幅を狭めるな」
その言葉に、ラルフ曹長が苦笑しながら頭を掻いた。
「そうですな。大尉の言うとおりだ。すこし私も先走っているようです」
「まあ、それぞれが得意分野を伸ばしつつ、というところだ。それで、いいか? ルパード」
大尉がそう言ってルパードの背中を叩くと、ルパードは、はい、と小さく呟く。
終業後、昨日のリオの外出の件などを簡単に報告して部屋を出ると、廊下にはアキとグリアムとルパードが待っていた。俺の姿を見つけたグリアムが手を振って、遅かったね、と声をかけてくる。
「ああ、おつかれ。帰らないのか?」
俺は三人にそう問いかける。よくよく観察してみれば、三人とも微妙に落ち着かない様子ではある。もちろん、俺もはたから見れば同様だろうと思う。みんな、不安なんだろう。
「わかるだろ? なんか不安というかさ……」
ルパードがそう言って、大きなため息をついた。眼を閉じて背中を壁にもたれかからせていたアキが同意するように小さく頷く。
「で、狙撃だのなんだのと言う話になってたわけか」
俺がそう言うと、グリアムが、そういうわけじゃないんだけどね、と呟いた。
「僕達もどうしたものか迷っているんだ。いまのままでは、力不足なのは目に見えているしね。まあ、こんなところで立ち話するのもなんだから、食堂にでも行こうよ」
グリアムがそう提案すると、アキが無言で食堂に向かって歩き出した。俺たちはなんとなく重い足取りでその後に続いていく。
こじんまりとした食堂の古ぼけた椅子に俺達は腰掛ける。アキの淹れてくれた熱いお茶を飲みながら、俺は壁にかけられたカレンダーをぼんやりと眺めて、再来週の火曜日までの日数をなんどもカウントしていた。ちょうど十四日間。
「さっきから、カレンダーばっかり」
アキが俺の様子に気がついたのか、そう言って半ば呆れ気味にそう呟いた。
「悪い。何遍見ても一緒なんだけどな」
俺は残っていたお茶を飲み干し、そう答える。その言葉に同意するような形で、グリアムが、そうだね、と呟いた。
「僕も、部屋に帰ったらカレンダーばかり眺めそうだよ。こう、いままでとは違うプレッシャーがあるよね」
力の抜けたため息。そして苦笑い。ふと顔を上げれば、四人ともそういう表情だった。
「まあ、さ。大尉も曹長もいるんだし。そう悪い方向にはならないと思う。考えるのは参謀の仕事。いつでも求められたときに能力を発揮できるようにするのが兵隊の仕事だ。二週間で自分のコンディションを最良にするように調整しとくのが一番良いような気がする」
俺がそう言い終わるか終わらないかのタイミングで、柱にかけられた時計が六時の鐘を鳴らした。俺達以外は誰もいない食堂にきっちり六回の鐘が続き、そしてまた沈黙が広がっていく。
「……筋トレでもするかあ」
しばらくの沈黙のあと、ルパードがそう呟くと皆の顔に笑みが浮かぶ。単純ではあるが、そういうあまり頭を使わない訓練が一番効果的かもしれなかった。