廃都編 33章
会話が途切れ、雪が積もる静かな音までが聞こえてきそうなほど静まった部屋に、廊下を歩く早足の足音が聞こえてくる。大尉だろう。俺は壁に掛けられた飾り気の無い時計を見上げた。もう日付が変わろうとしている。思わず漏れた溜息が思いのほか大きな音を立てて、目が合ったグリアムが少し笑う。
「大尉、かな」
グリアムがそう呟いて天井を見上げた。
「でしょうね」
グスタフが笑顔を浮かべてそう応じる。この男も大したものだと思う。少しは緊張したそぶりの一つも見せるかと思っていた。
ドアが開き、早足のまま大尉が入ってくる。大尉は険しい顔つきのまま椅子に座り、何故か俺とアキを交互に眺め、ゆっくりと視線をグスタフに移した。
「決定事項から伝えておきたいが、かまわないか?」
「もちろん」
グスタフがそう答えて、優雅な笑みを浮かべる。
「軍事顧問団に我々は参加する。但し、さっきの提案についてはしかるべき時期が来るまで返答を保留させてもらう」
「保留?」
「そうだ。情勢を調査した上で、大佐が判断する。判断の上、受けると決まれば、その時点で首相のみにこの件は通す」
「……まあ、そんなところでしょうね。私もいきなり快諾いただけるとは思っていませんでしたから」
グスタフは、ゆっくりと席を立ち、そう言って微かに目を細めた。
「ボストで、お待ちしています。ぜひその目で見ていただいたいものがたくさんありますし」
「どういうことだ?」
「言ったままの意味ですよ。実際にみていただかないとわからないものがたくさんあります。ボストに限った事ではありませんが」
「……詳細は、あんたと俺でまた後日、と言うところだな」
「それで、かまいません。では、また」
グスタフは僅かに背筋を伸ばす。俺たちに一礼するとドアに向かい、何かに思いついたように立ち止まった。そして、ゆっくりと振り返ると、大尉に視線を向け、ほんのわずかだが険しさの感じられる表情を浮かべる。
「申し訳ない、と思っています。このようなことを頼んでしまったことは」
「……そうでもないさ」
大尉は笑みを浮かべてそう言うと、軽く手を挙げて、崩した敬礼をグスタフに返した。
「俺も期待はしている。あんたには」
「……了解しました。期待に添えるように我々もがんばらなくては」
グスタフは大尉にそう答えて、部屋を出て行く。
誰もが口を閉ざしたままの僅かな時間の後、本日の業務の終了を俺たちは告げられた。残務整理があるという曹長と大尉を残して部屋から出る。目の前をいつも通りの冷静さですたすたと歩いていくアキの後ろに、少し離れて俺が、そのさらに後ろにぼんやりとしたまなざしで歩いているグリアムとルパードが続く。
「とりあえず、俺たちが考えることは何もねえよな」
呟くようにルパードがそう言った。その言葉を遮るようにアキが静かに口を開く。
「……あまり話題にしない方がいい。参謀府とは言っても、防諜体制が完全な訳ではないから」
「なるほど」
俺は感心してそう呟いた。毎度のことながら、アキの冷静さには恐れ入る。
「まあ、いつも通り、命令と業務をこなしていくだけだよ。僕たちは」
グリアムが半ばやけになったようにそう言うと、そのほうがいい、というアキの呟きが聞こえた。
ジープに乗り、俺はエンジンをかける。とりあえず、本日は通常通りの帰宅だ。車を可能な限りのスピードで飛ばして帰ろうと俺は思った。家のあたたかな空気に早く触れたかった。
街道を抜け、淡いブルームの街灯が見え始めるころ、俺はもう何度往復したかもわからないこの道を走りながら、フロントガラスの向こうに不意に違和感を感じた。ほんの僅かな違和感。車を止め、ドアを開けると、寒気が俺を包んでいく。街の景色は、雪と、その雪に薄く反射する月光で僅かに青みがかって見えた。
視線の向こうに見えたのは、人影だった。ゆっくりと足を進めるその人影は淡い雪の光に包まれて、はっきりとは見えない。ただ、そのシルエットに俺は確かに見覚えがあった。
「リオ、か?」
俺は車のドアを閉め、人影が緩やかに歩いていくその方向に足を進める。数歩進んだあたりで、人影は立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。
「……何やってんだ?」
近づいた俺がそう呟くと、リオは睫毛を伏せ、俺から目を逸らす。
「……また、何か見えたのか?」
俺の問いにリオは僅かに頷いた。
「まあ、いい。とりあえず、俺の家に行こう。明日の朝になったら、観光協会まで送っていく。こんな寒いのに、うろうろしてたら、体壊すぞ?」
リオは、何かに戸惑っているようだったが、俺が手を引いて、車の方に歩き出すと、素直に足を進める。
車に乗り、俺は冷めきったシートに座る。暖房のスイッチを入れ、寒かったろ、と問うと、リオはゆっくりと俺の方を振り向いた。
「あの……逃げようとか、そういうのじゃ……」
「わかってる」
助手席のシートに身を縮めて、リオは僅かに震えている。まるでいま初めて寒さを感じたように。
「何が見えたんだ?」
「……呼ばれたような気がしたのです。外から」
「呼ばれたって、リオがか?」
俺がそう訪ねると、リオは小さく頷いた。
「……兄だったような気がしました」
「でも、リオの兄さんって、いま……」
「わかっています。こんなところに来れるわけが無いことは」
静かにそう答えると、リオはかすかに首を振って、ごめんなさい、と呟く。
「……別に謝らなくてもいいんだけど、でも、そういうときってさ、できれば俺とかリーフにまず連絡をくれないか?」
「はい」
そう呟いて、それっきり黙ってしまったリオを乗せて、俺は家に向かって車を走らせていく。
実家に着くと、リビングには薄く明かりが灯っている。多分、リーフだろう。俺は、インターフォンを押して、ドアの向こうから近づいてくる足音を待った。
「……おかえり」
俺と、その後ろで申し訳なさそうに頭を下げたリオを見て、リーフは驚きと、戸惑いの混ざった表情でそう言った。
「えっと……」
俺がそう口を開くと、リーフはとりあえず家に入るように俺たちを促して、なにやら忙しげにリビングに向かって駆けていく。
リーフは、リオを半ばむりやり風呂場に連れて行き、とりあえず暖まれと言い聞かせているようだった。リビングの向こうから、二人が交わす会話が細々と聞こえ、やがて、リーフが一人でリビングに戻ってくる。
「リオさん、手がものすごく冷たくてびっくりした」
「……帰ってくる途中で見つけて……」
「で、つれて帰ってきたんだ」
「家に帰れば、とりあえず風呂とご飯はリーフが用意してくれてると思ってさ」
リーフはすこし自慢げに微笑むと、それはそうだけど、と呟く。
「でも、びっくりしたよ?」
「だよな。俺もびっくりした」
俺が簡単にあらましを説明すると、リーフは、困ったような笑みを浮かべて、いろいろあったんだね、と呟いた。
「リオも疲れてるんだよ。多分。リーフもそうだと思うけどさ。二人とも何にも考えずにしばらくゆっくりしたらいい。一ヶ月くらいさ」
リーフは俺の言葉を聞いて、少しほおを膨らますと、私は働くのが好きなの、と答える。確かに、リーフの場合は、体を動かしていた方が気がまぎれるのかも知れない。
「まあ、それはそうかもしれないけど」
俺はリーフの入れてくれた紅茶を口に含む。体がゆっくりと暖められていくのがはっきりと解った。今更ながら今日はずいぶんと冷え込む日だと思う。
「リオさん、たぶん寂しかったんだよ」
リーフがそう言って、俺の膝に毛布をかけた。近づいてきたリーフの銀の髪が揺れて、淡い石けんの香りがする。家族と離れて過ごすリーフには、他人事のようには思えないのだろう。
「……夜って、特にそうだもん。私もよくディルの声が聞こえたような気がしたりするよ」
「そっか……」
俺はそう呟いて、そっとリーフの銀の髪を撫でる。リーフは少しためらいがちに俺の肩に頭を乗せて、小さく深呼吸をした。
「一人の夜って、嫌だな。なんだかさ」
俺の言葉にリーフは無言で頷く。俺はエイジア空軍基地の病室でぼんやりと外を眺めていた夜を思い出す。班の連中が誰もいなくなって、一人で残されていた日々には、焦燥感と寂しさがずっとつきまとっていたような気がする。
風呂から上がってきたリオを、リーフはソファーに座らせ、次はカイルの番、と宣言すると俺を風呂場に向かわせた。風呂場に向かいながら、リビングを振り返ると、リーフがリオに紅茶と、焼いたパンを差し出しているのが見える。とりあえず、大丈夫そうだ、と俺は安堵した。あとは、リオの勤め先の観光協会への弁解を考えておけばいい。とりあえず明日、大尉に相談しようと俺は思った。




