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国境の空  作者: SKYWORD
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廃都編 32章

 もう何時間が経っただろうか。俺は参謀府の殺風景なロビーの飾り気の無い長椅子に腰掛け、ぼんやりと煉瓦の壁を眺めていた。煉瓦の数でも数えてみようかとも思ったが、余計に時間が経つのが遅く感じられそうな気がして止めた。

 俺の隣にはアキが無表情の中に若干の苛立ちを感じさせる様子で腰掛け、向かいの長椅子には退屈さが度を超したのか、居眠りを始めたルパードとグリアムが腰掛けている。指定された十八時に参謀府を訪れた俺たちには、会議終了までの無期限待機命令が出され、それからどう見積もっても数時間は経過していた。

「こんなことなら、遅刻でも良かったな……」

思わずそんな言葉が口をつく。昼過ぎまでリーフと過ごし、帰ってきた両親に手早く挨拶をして、出来うる限り急いで到着したのにこの有様だ。

「……時間厳守」

しばらくの沈黙の後、アキが小声でそう言った。そう言いつつも、俺に対して諌めている様子でもない。自嘲気味に聴こえるのは俺の気のせいでは無いだろう。

「いつまでかかるんだか」

俺がそう呟いて大きく背伸びをすると、アキは、面倒そうに俺の顔を見て、ため息をついた。

「……多分、まだ終わらない」

アキの呟きが耳に痛い。国と国とのそれぞれの代表団の会議だ。確かにそう簡単に終わるものでも無いだろう。


「カイルは、会った事があるんでしょう?」

「グスタフか?」

アキは無言で頷いて、俺の顔を見る。

「会った、っていうよりも待ち伏せに近いな。一方的に情報を投げられて、じゃあ、って感じだ。国境で一回、ブルームで一回。会ったのはそれだけだよ」

「……どんな人?」

暇つぶしには、雑談が一番だろう。無言、無表情で通っているアキでも、この退屈は堪え難いに違いない。

「なんか、いかにもエリートって感じだったな。あと、皮肉屋で、少なくとも善人って感じじゃなかった」

そう話して、自分の言葉ながら酷い言い様だなと俺は思う。

「クーデター政府の外交部代表だと、大尉が言っていた」

「らしいな。まあ、優秀そうではあったし……」

「狙いが、解らない」

「狙い?」

アキが俺の言葉に小さく頷き、俺の目を見据えた。

「正式な援助依頼なら、我々に会う必要は無い。政策についてのアドバイスなら官僚に聞けば良い。大尉にわざわざ会うというのは……」

「物騒な事って言いたいのか?」

肯定するようにアキは俺に向かって頷くと、ほんの少し目を伏せる。

「……考え過ぎだろ。せっかくセルーラまで来て挨拶もなしってのもおかしいから、とかさ。そう言う理由じゃなかったか? 大尉が言ってたろ」

「違うと思う」

はっきりとアキはそう言って、首を振る。

「まあ、会ってみるまで解んないけどさ」

何を言われることやら、と俺は少し憂鬱になる。できれば平和的な話で終わって欲しいと思う。


 ロビーのドアが重々しく開き、伝令役を仰せつかった様子の二等兵が俺たちを呼んだ。どうやら、会議は終了したらしい。

「起きろ」

居眠りをしたままのグリアムとルパードにそう声をかけると、二人は目を擦りながらぼんやりとした様子で立ち上がる。アキは既にドアを抜け、廊下の向こうから俺たちを眺めていた。

「第四会議室に集合するようにとの事です」

伝令の兵士はそれだけを伝えると敬礼して走り去っていく。


 第四会議室のドアを開けると、そこには大尉とラルフ曹長、そして、あの男がいた。グスタフ・ラザフォード。前に会った時と同じ仕立ての良い背広を纏い、余裕に満ちた表情で俺たちを眺めている。

「御待たせしてしまいましたね」

丁寧な口調でグスタフはそう言うと、俺たちに向かって頭を下げた。

「何ぼーっと突っ立てんだ。挨拶しろ、挨拶」

クリス大尉が可笑しそうに笑いながらそう言うと、席に座るよう俺たちを促す。グスタフの相変わらずの様子を眺めながら、俺は心中に穏やかでないものを感じる。不安と期待で胸が騒ぐようなこの感じは、決して気分の良いものではない。


「さて、会議の決定事項をまず教えておこうか」

大尉がそう言って、椅子から立ち上がる。第四会議室据え付けの古いホワイトボードに乱暴な文字が書き連ねられていく。

「決定事項は、三点。クーデター政府へのエイジア、セルーラからの軍事顧問団の派遣と、経済援助の実施、そして、ロシュビッチへの早期の降伏勧告」

「降伏勧告?」

アキが怪訝そうな表情でそう呟く。

「ロシュビッチ一派が受け入れる訳が無いのは織り込み済みだよ。一応、ってとこだ」

「……まあ、私たちからすれば、受け入れていただくと非常に助かりますけどね」

グスタフが穏やかな笑顔を崩さずに自嘲気味にそう言った。おそらく、グスタフも相手が降伏する事など考えてもいないのだろう。

「儀礼的、かつ平和的に、事を解決しようとした、というポーズですね。一応、そういうものも必要なのです。外交というのは」

グスタフは肘をついて手を組むと、そう言って深いため息をつく。


「で、グスタフさん。あなたが俺に伝えたい事ってのは、何だろうか?」

大尉が挑戦的な笑顔でグスタフを見る。

「会議の決定事項をわざわざ念押しする理由はない。わざわざ挨拶に来たって訳でもないだろう。俺を名指しした理由をまず聞かせて欲しい」

「挨拶、も理由の一つです。カイル伍長を通じてではありますが、いろいろとお世話にもなりましたしね。ただ本題は別にありますよ。もちろん」

グスタフは大尉の挑戦的な笑顔にひるんだ様子も無く、目元を少し細め、笑顔を崩さずにそう答えた。

「うちの使節団とおたくの幕僚団の皆さんには、少々刺激が強い話になりますのでね」

「どういう話だ?」

「クリス大尉。あなたはこの戦争の終結までのラインを、どう引いていますか」

「ロシュビッチが降伏、もしくは消えない限りは終わらないと考えている。それは、さっきの会議でも再三話したけどな」

「では、もう一つ聞きます。軍事顧問団の派遣と経済援助で、それが達成できると考えていますか?」

グスタフはそう言って不敵に笑う。

「……達成するのが、俺たちと、あんたらの仕事だろうよ」

クリス大尉はそう言って、呆れたような表情でグスタフを見る。

「私は、あれで達成できるとは思わない。ボスト国内を二つに割った状態がそのまま定着してしまうだけです。安定した状態と呼べなくはないでしょう。ただし、連邦はその内部に分裂の火種を抱え込んだまま、ということになる」

「で、どうしたいんだ。ストレートに行こう。持って回ったような言い回しはさっきの会議だけで十分だ」

大尉がグスタフに負けず劣らずの不敵な笑顔でそう言った。グスタフは、話が早くて助かります、と短く呟き、やがて小さくため息をつくと、おもむろに立ち上がり、俺たちを見回した。


「ロシュビッチを、秘密裏に暗殺していただきたい。出来うる限り早急に」


 グスタフの言葉で、会議室に沈黙が走る。暗殺、という重い言葉が会議室の空気を一気に変えた。大尉がゆっくりと顔を上げ、グスタフに鋭く細められた目を向けた。

「……暗殺ってのは言うほど簡単じゃない。それはわかってるのか?」

「現実的、ですよ。このまま顧問団の派遣や、経済援助などでお茶を濁すよりは」

グスタフはそう言って、背もたれに寄りかかり、下唇を少し噛むと、まあ、と話を続けていく。

「だれが殺したのかは、ぼかさなければならない。どうやって世界を欺くかというのは、私の仕事です」

「……どうして、自分たちで手を下さないんだ? わざわざセルーラに頼む理由は何だ?」

「我々、クーデター政府は、内部が一枚岩ではない。相当数のスパイもいるでしょうし、相当数の浮遊層もいる。警察上がりの連中にやらせれば、必ず情報が漏れる」

「だから、セルーラか?」

「私としては、セルーラではなく、あなた方個人個人に頼んでいるつもりなのですが」

「……議会も官邸も通すなということか」

「そう。首相府と参謀府のトップにパイプのあるあなたとケビン大佐であれば可能でしょう。関わる人数を最小限にしておきたい」


「……ケビン大佐に連絡を取る。もう少し時間をもらえるか?」

長い沈黙の後、大尉はそう告げて、早足で部屋を出て行く。


「ずいぶんと、見違えましたね」

大尉が去った後の静まり返った会議室に、不意にグスタフの声が響いた。

「俺、ですか?」

俺がそう答えると、グスタフは唇の端にほんの少しだけ笑みを浮かべて頷く。

「言われませんか? 他の人には?」

「……少し」

「いろいろと苦労していたようですね。F二五からも聞いています。負傷したという話も聞いていましたので、少し、心配していたのですが…… 安心しました」

グスタフは、そう言って立ち上がると、窓のカーテンを開け、その外に広がる闇に目を向ける。

「雪というのは、嫌ですね。私は好きになれません。寒さは、いろんなものを軒並み奪ってしまう気がしませんか?」

俺に対する問いなのだろうか。答えに戸惑っていると、無言のままグスタフを眺めていたラルフ曹長が立ち上がった。

「あんたは、なんというか、わからん人だな」

「……具体的に提案しているつもりですが」

「そういうことを言っているんじゃない。言っている内容は至極わかりやすいさ。ただ、どうにも……」

「真剣さがない」

言葉を探している様子だった曹長を遮って、アキがそう呟く。

「失礼だぞ、アキ」

ラルフ曹長がアキに目配せをしてそう注意すると、アキは軽く頭を下げて、申し訳ありません、と応えた。笑みを絶やさないままその様子を眺めていたグスタフは、真剣さですか、と一言呟き、窓際から自分の椅子に戻る。

「……ある種の真剣さや、誠実さというものが、私には欠けているのでしょうね。そちらのお嬢さんの言う通り」

また、会議室に沈黙が広がる。その沈黙をゆっくりとした口調で再びグスタフが破っていく。

「あなた方は湾岸戦争をご存知ですか? アメリカとイラクがクウェートを巡って戦った戦争です」

「概要程度は」

アキが厳しさの入り交じった目でグスタフを見つめて、そう答える。

「圧倒的軍事力でイラク軍を叩きのめした後、イラク本土への侵攻を止めたのは、当時のアメリカ軍参謀総長です。逆に戦線の拡大を主張していたのは、官僚テクノクラート。つまり私のような官僚連中ですね。多くの戦争において、まともな軍のトップであれば、引き際というものを知っています。兵士同士の、なんといいますか敵味方共通の認識を持っているのでしょうね。ここから先はただの虐殺になる、とその参謀総長は言ったそうです。一方、我々のようなテクノクラートは、戦地をみる訳でもなければ、実際に銃をとる訳でもない。常に数字の比較です。どちらが得か。国益になるか。まあ、それを考えるのが官僚の仕事ですが、無制限に国益の拡大のみを考えると、そこで失われるいろいろな物事に目が向かなくなります。例えば、兵士の命や生活といった所です」

「あなたもそうだと?」

「そうはなりたくないと思っている。自覚もしているつもりです。ただ、テクノクラートは往々にしてそういう結論にたどり着きやすい。一般論ではありますが」

「ロシュビッチを暗殺しろというのは、あんたのテクノクラートとしての意見なのか?」

ラルフ曹長がそう言って、テーブルにおかれた冷めたコーヒーを口に含む。

「テクノクラートとして、では無いですね。如何に少ない損害で、戦争を終わらせるにはという私個人の意見です。ただ、そちらのお嬢さんの言う真剣味が、もしそこに無いのだとしたら……」

「それは、あなたがテクノクラートだから」

アキが言葉を遮ってそう言うと、グスタフは笑みを浮かべて静かに頷く。

「よく言えば、客観的、悪く言えば、高みの見物。多くの国で官僚というのは嫌われます。当たり前ですね。私も嫌だ」


「正直では、あるようだな。あんたは」

ラルフ曹長がそう言うと、グスタフは、まあそうですね、とおどけたように答える。ラルフ曹長はグスタフから目をそらさずに、厳しい表情で言葉をさらに続けていく。

「あんたの依頼を受けると言うことになれば、我々は危険に晒される。そこに死しか無いような作戦であれば、俺は部下を指揮する気はない。例え大尉がやれと言ってもだ」

「……同感ですね。私も、あなた方を殺す気はない。倫理的にもそう考えていますが、戦略的にも、あなた方に死なれては都合が悪い」

「……誰が後ろで糸を引いていたかが分かるからか?」

「正解です。あなたは勘がいい」

グスタフはそう答えた後で、俺たち全員をゆっくりと見回した。

「正直、ロシュビッチをどう暗殺すれば一番効果的かという部分は、まだ検討中です。私としては、あなた方全員に軍事顧問団に参加していただき、一緒にボストで作戦を練っていただければと考えています」


 申し出をどう受け取ったものか、そしてクリス大尉とケビン大佐がそれにどう答えるのか。いくら考えても答えは出なかった。ドアから出て行ったままの大尉の戻りを待つことしか、今の俺たちにできることは無い。グスタフがつい先刻まで眺めていた窓の外に目を向けると、降り積もる雪がさらに勢いを増しているように見えた。




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