廃都編 12章
ヘリのエンジン音と振動が、心地よく身体を揺らし、俺はしばらく寝ていたようだ。最大で二十数名を搭載可能なヘリには、俺とF二五とパイロットしか乗っておらず、空いたスペースには山ほどの荷物が隙間無くきっちりと積み込まれている。ふと向かいの席のF二五を見ると、F二五は用心深げな目で、丸窓の外を伺っていた。日は大分傾き始め、空はゆっくりとオレンジに染まりつつあった。到着は夜になるかもしれない。
「カイルさん、怪我の具合はいいのですか?」
視線を外に向けたまま、F二五が問いかける。
「はい。もうほとんど」
右足をゆっくりと伸ばし、軽く動かしてみる。かつて感じていた違和感や痛みはもうすっかり無くなっていた。
「……ルパードさん、グリアムさんも怪我をしています」
「え?」
「ルパードさんは右腕を撃たれて野戦病院。グリアムさんは砲弾の破片で背中を負傷。アキさんと大尉は無事ですが」
「曹長は?」
「ラルフ曹長は元気です。人手不足もあって、いまは他の部隊の指揮を臨時で執っているそうです」
「そう、ですか」
俺はため息をつく。考えてみればそうだ。俺の周りだけ無傷なんて事はあり得ない。戦争に参加している以上は。
「怪我の具合はどうなんですか?」
F二五はそう尋ねた俺に、笑顔を向ける。
「軽いです。二人とも元気ですよ。多少落ち込んではいましたけれど」
俺は安堵して、背もたれに身を寄りかからせる。少なくとも、また、皆に会えるということは確かだった。ただそれだけの事が、なんだか酷く奇跡的な事のようにも思える。
「F二五さんも前線配備ですか?」
「ええ。連絡役のはずが、人手不足で。ここ数週間は延々往復してますよ。セルディスとこっちを」
F二五は再び窓の外に視線を移す。
「早い所、ケリがつくと良いのですけれどね。なかなか、実戦というのは難しい」
呟くようにそう言ったF二五の言葉が、妙に耳に残り、俺は何度目かのため息をつく。
暗闇の中に、幾つもの小さな明かりが見えて、ヘリポートを示す指示灯が丸窓から見えると、F二五はシートベルトを締め、俺に、つきましたよ、と短く言った。
「みたいですね」
地表には、幾つもの大型テントとプレハブが立ち並んでいる。そのそれぞれから微かな光が漏れ、時折通る人影や、忙しく走り回るジープを照らしていた。広大な駐屯地は、どうみてもかつて俺がいた国境の駐屯地の数倍の規模がありそうだった。ついに、前線まで来たんだという不思議な高揚感と、不安が俺を包んでいく。ヘリポートが近づいてくるにつれ、その周囲に何人かの人影が見えた。大きく手を振っているのは多分大尉だ。その横で腕を組んで突っ立っているのは多分アキだろう。遠くからでも良く解る。
「ようこそ、前線へ」
大尉がおどけたようにそう言って、俺に駆け寄ると、ばんばんと背中を叩く。
「怪我、治してきたか?ハードだからなこっちは」
大声でテンション高く話し続ける大尉の後ろで、アキは俺を眺めていた。なんだか、優しげに見えない事もない無表情で。
「……おかえりなさい」
アキはそう言って、無表情のまま俺を見る。一度も来た事の無い基地で、お帰りなさいというのもおかしなものだとは思ったが、アキからすればそれ以外に言葉が見つけられなかったのだろう。でも、その言葉はなんとなく暖かく感じられて、俺は殆ど無意識に、ただいま、と返事をしていた。
「お前らさあ、お帰り、ただいまって、ここは家じゃないんだぞ?」
大尉がそう言って、微笑む。気がつくと、F二五も俺の横で、笑みを浮かべていた。
「まあ、それだけ仲がいい部隊ということで。諜報部に比べればマシですよ?大尉」
F二五のその言葉に、お前らはみんな暗いんだよ、と大尉が切り返す。
「そうですねえ。どうしてなんでしょうね。私も大尉の部隊に入れて欲しいです。最近セルディスに帰る度に憂鬱になりますから」
冗談のようでいて、冗談に聞こえない口調で、F二五はそう呟く。
「まあ、いいや。とりあえず、テントに戻ろう。ここは寒いし」
大尉の言葉に、皆が頷く。
俺たちの部隊には小規模部隊用のテントが一つ割り当てられていた。テントの中には幾つかの仕切りが設けられ、かつての国境の頃と同じように設けられた共有スペースに大きなテーブルが置かれている。そのテーブルの周りに置かれた折りたたみ式の椅子に大尉は座り、俺とアキ、F二五にも座るように促す。テントの中央に置かれた古いストーブからあたたかな空気が広がっていて、外の寒気にさらされた俺たちを少しずつ暖めていく。
「F二五、カイルにはどこまで話している?」
大尉がそう言って、F二五を見た。表情からはいつもの軽薄さが消えて、参謀としての引き締まった表情が浮かんでいる。
「グリアムさんとルパードさんの負傷と、ラルフ曹長の転任まで、ですね」
「そうか。例の作戦の件は?」
「まだ、話していません」
例の作戦、と言う言葉に俺はほんの少しだけ緊張する。
「カイル、前線が膠着状態にある事は知ってるな?」
「少しは。とりあえず一進一退を繰り返しているとしか聞いていません。エイジア空軍内でのうわさ話の範囲ですけど」
「開戦以来、トライアングルエリアでは散発的な戦闘が続いている。当初こそ、ボストの奇襲でエイジア領が大きく浸食されたが、いまではほぼ元の国境のラインまで押し返している状態だ」
クリス大尉は、テーブルの上に大きな地図を広げる。地図にはトライアングルエリア付近の地形、国境線が詳細に描かれていて、その中に、手書きで書き込まれたセルーラ、エイジア両軍の部隊配置、移動経路の図形が幾つも並んでいた。
「ボストは、主にエイジア側国境に攻撃をかけている。油田の約七割が集中しているこのエリアだ。ちょうどエイジア、ボスト国境の西端にあたるポイントになる」
大尉の指が地図の一点に移動する。そのポイントの周りには、幾つもの部隊の展開を示す図形が集中して描かれている。
「で、ボストは当初の奇襲をセルーラ、エイジア両空軍に潰された事もあって、いまは周辺に対空軍用の大量の高射砲部隊を展開している。それがおそらくこの辺りと考えられている」
ボスト領の中の高台を大尉は指差す。油田集中ポイントから約三キロと言った所だろう。
「この高射砲部隊のせいもあって、いまはこちらの空軍による大規模攻撃が難しい状態にある。一方ボストもこの高射砲部隊からあまり離れるとこっちの空軍に潰されるのは目に見えているから、深追いはしてこない訳さ」
「で、膠着状態だと」
「その通り。ただ、ボストは、継続してこちらの空軍の無力化と陸上戦力の大幅増強を検討しているものだと思われる。依然として、エイジア国内、セルーラ国内での、空軍基地に対する小規模な破壊工作は続いているし、ボスト国内ではいままで徴兵が実施されていなかった階層まで徴兵対象を広げたとの情報もある」
大尉はそこまで一息で話してしまうと、椅子から立ち上がり、大きくため息をつく。
「で、ここからが、俺たちの仕事の話だ。さっき、膠着状態になっている主な原因が敵高射砲部隊にあるって言ったよな」
「はい」
「諜報部、ならびに、参謀府では特殊作戦群の投入による高射砲部隊の無力化を計画している。作戦の立案担当参謀は俺で、実際に投入される部隊はセルーラ陸軍特殊作戦群と、エイジア軍陸上特別強襲部隊の予定だ。もちろん俺たちも作戦に同行する。現地高射砲部隊を沈黙させ、なおかつ、その状態をボストに悟らせなければベストだ。彼らがそれを知れば、おそらく増強部隊がわんさか来るからな」
「つまりは、高射砲部隊を人知れず無力化させ、そうと気付かないボストの部隊を叩く、と」
「そう。無力化と同時に、周辺のボスト陸軍陣地を空軍が叩き、後をエイジア、セルーラ陸軍で一掃する」
大尉はそう言って、椅子に座り込むと、ということで、と続けた。
「お前とアキはここで敵部隊の展開情報の整理と収集。ルパードとグリアムも一週間程度で復帰する予定だから、戻ってきたら一緒にやってくれ。各部隊からの情報は、基本的には軍用無線で入ってくるけれど、場合によっては各部隊まで直接調査に行ってもいい。ただ、その場合でも実際の戦闘に参加することは禁止する」
「大尉、一つよろしいでしょうか?」
大尉は俺の言葉に頷いて、いいよ、と短く答えた。
「国境での膠着状態を実現させ、ラシュディさんが開発した技術を用いた上で敵の防空網を沈黙させたのちに、ボスト国内でのグスタフらによるクーデターを勃発させるという基本的なラインは変わらないのですか」
「変わらない。今回の作戦は、国境をより膠着させる為のものさ。このままでは、いずれこちら側が押される。有利にあるのはボストだからな。なお、本作戦の際に、並行してラシュディさんの開発したハッキング技術も使用される予定だ。ACDって名前になったらしいけどな。ようやく実用段階になった。うまくいけば、国境地帯でのパワーバランスを大幅に低下させられるってわけさ」
「ボスト国内のクーデターの実施は?」
「それは、俺の直接管轄ではないから、詳しくは解らない。ただ、順調に行っているとは聞いているよ。諜報部からはね」
クリス大尉は、そう言ってF二五を見る。F二五は笑顔でそれに対して頷きを返す。
「ボスト内務省警察局についてはほぼ掌握が完了しているとのことです。あとは、内戦状態になるまでにどれだけボストの陸軍にダメージを与えておけるかという点が重要でしょうね」
「そっちが俺の担当ってわけだよな」
「そうですね。国境での戦闘をなるべく長引かせ、なおかつ、ボスト陸軍を消耗させる。その出来如何で、クーデターの成功率は変わります。諜報部の試算では、現状でクーデターが起きた場合の成功確率を四十%と見ています。この確率をより引き上げるには、国境で陸軍を徹底的に叩く必要があるでしょう」
「と、いうことだ。カイル?理解できたか」
大尉はそう言って、俺の顔を覗き込む。俺が、理解しました、と答えると、大尉は笑顔のまま、アキに視線を向ける。
「アキ、カイルの案内を頼んで良いか?宿舎、食堂、あと、寝床の場所なんかだな」
「了解しました」
立ち上がったアキは、おそらく準備をする為だろう、テントの中の仕切られた区画の一つに向かって歩いていく。
「じゃあ、カイル、今日はもう休んでいい。明日の起床は六時。集合場所はここだ」
「了解」
大尉は、俺の返事を確認すると、椅子から立ち上がり、いつも通りの自信に満ちた顔で頷いた。おそらく明日からは多忙というどころではない忙しさになるだろう。その中で、どれだけのベストを尽くせるのかが試されているようで、俺は改めて身が引き締まるような気がしていた。