廃都編 10章
「痛かったらすぐに言えよ。無理なんかしてたら本当に怒るからな」
「解ってる」
暗い闇の中を、俺とルカは二人で歩いていた。雪がちらつき始めて、その仄かな白さだけがまるでほんの少しだけ発光しているようにも思える。
「……悪いな。無理言って」
俺がそう呟くと、ルカは、でも今日しかないだろ、と不機嫌そうな声で答えた。
「明日には迎えが来るんだろ?」
「って言ってたな。ファルク少尉が」
あの忌々しい笑顔を浮かべながら、ファルク少尉が、やっと出発していただけます、と俺に告げたのは昨日の朝だった。別に取り立て腹を立てる訳でもなく、俺はそれを聞き流し、ありがとうございましたとだけ答えたような気がする。
「外出の許可をもらえたのはいいけどさ。夜間のみ、一時間で、人目につくなってのは酷いよな」
ルカが憤った様子でそう言った。
「許可をもらえただけマシだよ。絶対駄目だと思ってた」
そう言った俺の言葉に、ルカは、だよね、と短く答える。
「ファルクの野郎、なんか企んでんじゃねえか?」
上官を野郎と呼ぶその口の悪さに俺は呆れつつも、ルカの後について、基地のはずれの、雑草の生い茂った場所まで歩いていく。
一カ所だけ雑草が無くなっている箇所があって、そこの土だけがほんの少し盛り上がっていた。墓標も、なにかそこが墓だと告げる物も、何一つ見当たらない。
「ここだよ」
ルカがそう言って、盛り土を指差した。
「ここ、か」
俺は三つの盛り土を見ながらそう呟く。敵の死亡者は三名と言う事だろうか。俺は、その盛り土の前に跪き、胸で十字を切る。ルカは俺の横で手持ち無沙汰にしていたが、やがて俺の横に同じように膝をつくと、俺の仕草をまねたのか、不器用な十字を切った。黙祷をする為に目を閉じると、雪の積もる小さな音と、ルカの微かな呼吸の音だけが耳に残る。どんな祈りをささげれば良いのだろうかと俺は思う。
ゆっくりと目を開けて、横を見ると、ルカはまだ目を閉じていた。その口元は微かに動いていて、そこから漏れる小さな歌声に俺は耳を傾ける。
ただ安らかな眠りについて
再び還るその日まで
穏やかに、御手に抱かれて
静かに目を閉じて
赦されるその日まで
ただ安らかに眠りについて
聞いた事のない、物悲しいメロディーだった。俺は、ルカの小さな歌声が、思いのほかとても繊細な声である事に少しだけ驚く。
「良い歌だな。なんか哀しいけど」
俺がそう呟くと、ルカは目を開けて、俺を見上げる。
「……エイジアの葬送曲」
「そうか」
いきなり強い風が吹いて、粉のように積もっていた雪が舞い上がった。顔についた雪を払うと、俺はもう一度盛り土に目を向ける。土の下には、あの兵士がいて、ただ静かに土に還っていく。彼は俺を憎んでいただろうか、と俺は思う。自分の命を断った人間に、あの手紙を託すという行為が、俺には何度考えても理解できなかった。もし、俺が同じように殺されるとして、そのときに、ああいう手紙を持っていたとして、俺はそれを自分の命を絶とうとしている人間に託すだろうか。
「手紙、どうするんだ?」
ルカがそう俺に問いかける。ここに来る時に、俺はあの手紙を軍服のポケットに突っ込んでいた。それをおそらくルカは見ていたのだろう。
「……持っていこうと思う。いつか、渡す機会があるなら、ちゃんと渡したい」
「どう説明する気だよ」
「正直に言うしか無いよな」
俺がそう答えると、ルカは、あたしは止めた方が良いと思う、と小さく呟いた。
「どうして?」
「渡すのは良いけど、拾ったとか、預かったとかそれだけにしといた方がいい。きっと」
ルカはそう言って、まっすぐに俺を見る。
「渡す時に、考えるよ。ルカに言われた事は覚えとく。ちゃんと」
「……恨まれるよ。多分。下手したら、あんたが復讐される。あんたが復讐されたら、また誰かが、その復讐をするよ。そうやって、ずっと続いていくんだ」
ルカは盛り土に視線を落として、そう呟く。
「嫌な連鎖だな」
「嫌なら、あたしが言った通りにしろ。渡すだけ渡して、自分が殺したとか絶対言うな」
降る雪を見上げながら、俺は、そうだな、とだけ呟く。
まだ少しだけ外出の時間は残っている。ルカは俺に、渡したい物があるから、と言った。
「渡したいものって……」
「いいから黙ってついてこいよ。悪いもんじゃないからさ」
なんだか少し楽しげにルカはそう言って、俺の前をどんどんと歩いていく。滑走路を横切り、格納庫につくと、ルカはドアを開け、暗い格納庫の中に手慣れた様子で入っていく。
「暗いから気をつけろよ」
ルカがそう言うが早いか、俺は何かに躓いて転びそうになる。よくみると巨大なスパナが俺の足下に転がっていた。
「言ってる側からさあ……」
「ごめん」
俺がそう言うと、ルカは少し笑った。
「まあ、いいや」
ルカはそう言って、壁際の電源を入れる。明かりが灯り、どこかに飛び立っているのか、飛行機が駐機していないがらんどうの格納庫が隅まで見えた。
「えっと、この辺にあったと思うんだけどなあ……」
なにかを探しているのだろう。ルカは大きな段ボールに手を突っ込んで、中をかき回していた。やがてルカは手を止めると、小さなキーホルダーのような物を取り出す。
「ほら、持っていけよ」
差し出されたそれを俺は受け取る。銀でできた鷹のキーホルダーで、おそらく自分で刻んだのだろう、ルカの名前がそこには刻まれていた。
「エイジア空軍ではさ、パイロットとか整備兵が持ってるんだ。っていっても制式なもんじゃないんだけどね。チーム毎に名前を刻んで、みんな持ってる。お守りみたいなもんだよ」
「でも、これ、ルカのじゃないのか?」
「いいんだよ。あたしは整備兵で、別にお守りなんて必要ないし。あんたの方が危険だろ」
ほんの気休めにしかならなかったとしても、ルカの気持ちが俺は有り難かった。口は悪いけれど、良い娘なんだと改めて思う。
「ありがとう。ちゃんと帰ってこれたら、お礼をしなきゃな」
俺がそう言うと、ルカが微笑む。
「あれがいいよ。なんだったけ、ほら、あんたが来た時にもらったやつ。パンみたいな……」
「スコーンか?」
俺がそう言うと、ルカは、そうそう、と元気よく答えた。弾けるような笑顔で。
「あれは日持ちがするから、半生で送って、こっちでオーブンとかで焼けば出来立てとおんなじ感じになる。多分、こないだの奴よりおいしいと思う」
本当は、基地まで持ってきてやりたかったけれど、俺はカエタナで、自由にエイジアに入れる身分ではない。旅行目的でも、なかなか認可が下りないと聞いた事があった。
「ちゃんと、送れよ」
ルカはそう言って俺を睨む。
「もし俺に何かあっても、ちゃんと送るように実家に頼んどく」
「そうじゃねえよ。ちゃんとあんたが、実家から送れ」
ルカが目を伏せて、そう呟く。
「……解った」
俺がそう答えると、ルカは黙って壁際まで歩いて電源スイッチを落とす。格納庫は真っ暗になり、ルカが開けた扉の向こうの、ほんの僅かな月明かりだけが唯一の明かりになった。
「もう、戻んなきゃな」
そう呟いて出口に向かおうとすると、ルカが俺の袖を強く引いた。俺はバランスを崩して倒れそうになる身体を右足で支える。もう、痛みは走らない。訝しげな眼差しを向けていたであろう俺を尻目に、ルカは拳を握って、軽く俺の左胸を突いた。拳を俺の左胸に押し当てたままで、俯いているルカの表情は、暗い格納庫の中ではよく解らない。
「……死ぬなよ」
小さく呟く声が、聞こえた。
「ルカも、元気で」
そう答えた俺の言葉に対する答えなのか、押し当てられているルカの拳にほんの少しだけ力が増したような気がした。