廃都編 9章
二週間後、俺はやっとベッドから立ち上がって歩く練習をすることを許可された。とは言っても、部屋の中をぐるぐると歩き回る許可が出ただけだ。カエタナは基地内を自由には歩けない。それは、どこまでも変更が無い規則の様だった。俺が会う人間はルカか、先生のどちらかだったから殆ど気付く事はなかったけれど、実際はカエタナに対してエイジアという国は結構シビアな政策を取っているのかもしれない。ルカや先生のような人種の方が、少ないのかもしれなかった。
数週間のブランクは、結構な衰えになっていた。まず体重をかけるとふらついてしまう。痛みは無いが、歩いたり、走ったりという動作の度に、俺の身体は重心を崩した。おそらく、右足を庇い続けた生活の所為で、右足だけが衰えているのだ。左足とのバランスを五分まで持っていかなければ、戦闘は厳しいだろう。狙撃ならともかく、白兵戦では明らかに負ける。運動を許された数時間を、俺は徹底的に動く事に宛てた。昔、良くやったようにラバーナイフを使って、ボクシングで言うシャドーを何度も繰り返す。
「……危ねえっ」
いきなりドアが開いて、ルカがそう短く叫んだ。持っているトレイを落としそうになっている。俺は急いで手を貸すと、トレイを受け取り、それをテーブルの上に置いた。シャドー中にいきなり部屋に入ってこられて、俺も驚いたが、ルカは多分もっと驚いた筈だと思う。
「悪い」
俺がそう謝ると、ルカは、別にいいけどさ、と未だに驚きの抜けない表情で呟く。
「それ、偽物のナイフか?」
ラバーナイフを指差しながら、ルカはそう問いかけた。
「ああ。ラバーナイフっていうんだ。白兵戦の訓練で使う」
俺は汗をタオルで拭き、少し痛みを持ち出した右足を眺める。ひょっとしたら、少し出血したかもしれない。化膿は引いたが、まだ、傷は閉じきってない。
「……まだ、少し遅れる」
「何が?」
「右足の反応が」
俺の言葉に、ルカは小さくため息をついた。思いのほか長い睫毛を伏せて、それから目を大きく開くと、俺を見据える。
「銃弾が貫通してんだぞ。そんな早く治るわけないだろ」
「でも、サイドステップをしなければ大抵の戦闘は大丈夫そうだ。あとは重心移動を出来るレベルまでなんとか持っていかなきゃ……」
そう呟いた俺を、ルカはなんだか少し寂しげな表情で見ていた。
「どうした?」
「あのさ、あんた、やっぱりまた戦いたいとか、そう思ってんのか?」
ルカの声のトーンは、真剣だった。俺は、ルカの顔を見る。ルカは照れているのか、それとも、他に理由があるのか、目を逸らして、テーブルに視線を落とす。
「戦いたいかって言われれば、正直、人殺しは嫌だ、としか言いようがない。でも、さ、仲間に死なれるのはもっと嫌だ」
ルカは黙ったまま、俺の言葉の続きを促すように軽く頷いた。
「多分、敵も一緒だ。誰か殺したい訳じゃなくて、家に帰れば殆どが普通の人だと思う」
「でもさ……」
「だよな。それでも、出会えば、殺し合いになる。躊躇すれば殺される。生き残ろうとすれば殺すしか無くなる。なんでだろうな。俺もよくわかんないよ」
俺は薄汚れた、ボストの兵隊から託された手紙を取り出して、ルカに渡す。
「それ、俺がこの間の戦闘で殺した兵隊から、預かったんだ」
「……手紙?」
「そう。読んでみれば解るよ。でも、強制はしない。あんまりいい気持ちにはならないからさ」
ルカはしばらく躊躇していたが、やがて、意を決したようにその封を開けると、手紙に目を通す。ルカがその手紙を読んでいる間、俺はベッドに横たわり、代わり映えのしないコンクリートの天井を眺めていた。
「……なんか、やりきれないね」
ルカが丁寧に便せんをたたんで、そう呟く。
「その兵隊、多分、戦争とかじゃなかったら、俺ともルカとも、仲良くやれたと思うんだ」
俺のその言葉に、ルカは小さく頷く。
「でも、実際はそいつはルカの同僚を殺しにきて、俺はそいつを殺した。沢山人も死んだ」
ルカは誰かの事を思い出したのだろう。黙って目を拭う。
「原因は、石油の奪い合いだって言ってたろ?ニュースとかではさ」
「うん」
「でも、人殺しまでして、俺たち個人が石油なんか欲しいかっていったらそれはノーなんだ。自転車くらいで我慢できない事も無いし、まあ、多少の不便に目をつぶるくらいって、俺なんかは思うんだけどな」
「あたしも一緒だよ」
「でも、人が集まって、意思が大きくなっていくと、なぜだか、こういう羽目になる。奪い合いになって、互いが互いを排除しようとする。きっと、もとは小さな願いなんだ。もっと電気代安くなんないかな、とか、ガソリン安くなんないかな、とかさ」
「そうだね」
「何万人が抱えてる小さな願い事が集まっていくと、それを叶えるのが大掛かりになる。いつのまにか軍隊が動員されて、殺し合いになる。そんなこと、望んでないのにな」
「……嫌になる」
ルカはそう呟いて、視線を落とす。
「嫌だよな。でも、ここまでくれば、あとは、終わらせる為に俺たちは出来る事をやるしか無いんだ。一刻も早くボストが戦争なんて出来ない状態にしないといけない。そして、俺たちの守れる物を守らないといけない」
俺はルカにそう答えながらも、半分以上は、自分自身にそう言い聞かせているようなものだった。守ると言えば聞こえが良いが、実際には人殺しだ。ボストだって、俺たちの会う末端の兵士達の多くは、きっと何かを守るために向かってきている。
「あたしは、向いてないのかな。もう嫌になるんだ。逃げ出したいよ。エイジアからもボストからも。貧乏でもなんでもいいから、殺し合いとかない所なら、別の国だって良いんだ。殺すのも、殺されんのも、ごめんだよ」
絞り出すようにそう言ったルカを、だれが責められるだろうかと、俺は思う。
「ルカだけが向いてないんじゃない。誰でも同じだと思う。まともな奴なら」
俺の言葉に、ルカは無言で頷く。
部屋を出て行こうとするルカに、俺は一つだけ聞いておきたい事があった。それを聞いた所でどうなるという物でもなかったのだけれど。
「ルカ、一つ聞いていいか」
ドアを半開きにしたまま、ルカは俺を振り返ると、いいよ、と短く答えた。
「ボストの兵隊、死んでた奴らは何処に行ったのかな?」
「……どこに埋葬したかってことか?」
「ああ」
ルカは訝しむような、それでいて何かを悟っているような複雑な視線を俺に向けて、しばらく無言でいた。
「……基地の近くに埋めた」
「場所は解るか?」
「解るけど……」
口ごもったまま、ルカは俺から目を逸らす。
「教えてくれっていったら、教えてくれるか?今じゃなくていい。俺がこの基地を出る時で構わない」
「……解った。でも、他の奴には内緒にしてほしい。変な風に思われるから」
ルカはそう答えて、俺の反応を待たずにドアを閉める。遠ざかっていく足音をベッドの上で聞きながら、俺はため息をつく。それを聞いた所で、どうなるんだともう一度頭の中で俺は呟く。贖罪か、それとも気休めか、そのどちらでもないような気がした。俺はきっともう一度だけ確認したいだけなんだろうと思う。自分が何の為に銃を持つのか、そして、これからもそうしていけるのかを。




