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国境の空  作者: SKYWORD
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廃都編 8章

 ただ生きたいと願うことが、他の誰かの命を奪うことにつながることを実感しながら過ごす日々というのは、酷く重苦しかった。俺は、満足な軍務をこなせない体に苛つきながら、心のどこかで安堵している自分がいるのも感じている。固いベッドの上で横たわりながら、残滓のように残った痛みが過ぎ去っていくのを俺はただ待ち続けていた。


「いっそのこと、戦争終わるまでそのまま寝てりゃいいんだよ。あんな無茶ばっかやってたらいずれ死ぬよ。間違いなく」

ルカが意地悪な表情でそう言いながら、窓を開けた。冷たい空気が部屋に流れ込み、俺は身を震わせる。

「寒い、って言いたいんだろ?」

俺の顔をのぞき込んで、ルカはにやりと笑う。

「たしかに寒い」

俺がそう答えると、ルカはため息をついた。

「この部屋入ると、空気が重いんだよ。あんたのせいかどうかはわかんないけどさ」

「で、空気の入れ換えか」

俺がそう呟くと、そうそう、とルカが笑う。


 クリス大尉たちが出発してから、もう七日が経っていた。俺の回復を待ってから出発したいと大尉は相当ごねたらしいが、結局上層部の指示は変わらず、俺は一人基地に残ることになり、エイジア軍の世話になっている。時折、外に出たいと思うことはあるが、何分カエタナに厳しいお国柄もあって我が儘は言いづらかった。毎日ルカが食事を運んでくる他は訪ねてくる人間も無く、自然、俺は無口になった。

 食事と食事の間の時間、俺はボストの兵隊から渡されたあの手紙を眺める事が多かった。読んで何が変わる訳でもなく、ましてや明るい気持ちになれる類いの物でもないのだが、それでも、ある種の戒めとして、それは俺の胸に沁みていく気がしていた。

 

「先生はいつ来るんだ?」

俺がそう尋ねると、ルカは、知らないよ、と食器を片付けながら答えた。

「大体、毎日来てんじゃないの?」

「毎日、は来ない。二日おきとか三日おきって感じなんだ。先生からOKが出ないと、出発できないしさ」

「……焦んなよ。ろくに治さないで戦場なんていったら、絶対死ぬからな」

ルカは目に力を入れて俺を睨んだ。

「ちゃんと治してから行くよ。でも、もう大分良いような気もしてさ」

俺の言葉が終わると同時に、ルカが、良いわけないだろ、と短く怒鳴った。

「じゃあ、立って歩いてみなよ?走ってみたら?トイレ行く度に手すりに寄りかかってるだろ、あんた」

俺はその言葉に答えることができない。確かに言われる通りで、腫れた足はとても元のようには動いていない。

「……ちょっと、説教してもいいか」

ルカはそう言って、折りたたみ椅子を乱暴に開くと、俺のベッドの横に置いて、そこに座った。

「飛行機の整備ってどんな仕事か解るか?」

いきなり話が飛躍して、俺は答えに詰まる。

「整備、か。調子悪い所をチェックする……」

「ああ、そうだ。じゃあなんであたしらが毎日飛行機をチェックしてるか?」

「もし故障したまま飛んだら、命に関わるから」

「そう。飛行機ってのは簡単に落ちるんだ。ちょっとの不調で。パイロットは脱出できたとしても、落ちた飛行機は何処に突っ込むかわからない。そうだろ?」

「確かに」

「そうなると、誰かが怪我したり、下手したら死んだりする訳だろ」

ルカはそう言って、また俺をぎろりと睨んだ。

「あんたも同じだよ。飛行機で言えばまず無事に帰って来れないような有様なわけ。で、ここは空軍基地で、あたしは整備兵なわけ。そんな状態で外に出せるわけないだろ」

無茶苦茶な論法ではあるが、言いたい事はよく解った。

「……ルカの言う通りだと思う」

俺がそう呟くと、本当にそう思ってる?、とルカは畳み掛ける。

「本当にそう思ってる。身体を治す事に専念するよ」

俺はルカに頭を下げてそう答える。

「別に謝る事じゃないんだ。でもさ、焦っても何にもなんないよ。酷い言い方するけど、今のあんたのそんな身体でついてこられても迷惑なだけ」

ルカは目の力を和らげて、心配そうな表情を浮かべる。


「……迷惑ってのは言い過ぎだね。ごめん」

食器を片付けて、部屋を出る間際、ルカは俺に目を合わせずに、小さく呟いた。俺はその背中に、ルカの言う通りだよ、と答える。ルカはそれには何も答えずに黙ってドアを閉めた。


 先生が来たのはそれから二日後の夕方だった。白髪が目立つ爺さんで、小柄な身体をどこか飄々とした雰囲気で包み、俺の部屋に入ってくるなり、痛むかい、と笑顔で問いかける。

「歩くと、少し」

俺がそう答えると、先生は足の傷を眺めながら、少しねえ、と呟く。

「少しじゃないだろ。化膿して腫れてる。こりゃ毎日消毒だな。やり方教えてやるから、僕が来ない時は自分でやるんだな」

先生はガーゼの束と、エタノールの入った瓶を差し出して、そう言った。

「泥で汚れた身体で怪我するってのは危ないんだ。しかも、あんた、沼に入ってたって言うじゃないか。雑菌の巣窟だからなあれは」

「仕方が無かったんです」

「仕方が無い。うん、まあそうかもしれん。あんたらは命を賭けものにするのが仕事だからな。ただ、女の子に心配かけるのはいかん」

先生は楽しげにそう呟くと、なあ、と俺に言った。

「女の子?」

「髪の短い、元気がいい娘がおるだろ。いっつも整備服着てる……」

おそらくルカの事だ。

「毎日医務室に来ちゃあ、あんたが歩くとき足引きずってるだの、熱がありそうだだの、うるさくてかなわんよ」

「そう、ですか」

そう呟いた俺に、先生は嬉しそうに笑いかけた。

「心配してくれる奴がおるってのは、幸せなことだ。僕なんて、だれもおらん」

手早く処置をしながら、先生はそう呟いて、若いってのは羨ましい限りだ、と付け足す。

「先生は、幾つなんですか」

「今年でもう六十になるよ。あんたの三倍近く生きてる」

俺は三倍という時間をうまく掴めない。酷く長いような気もするし、なんだかあっという間に過ぎてしまうような気もする。

「僕は身体も小さいし、あんたくらいの頃に戦争があってたけど、兵隊にはなれんかった」

「戦争って、エイジアの?」

「そう、あんたセルーラの人間だろ?ちょうど、あんたらの国との戦争が終わった後の頃だな。ラルカスと国境争いがあって、そのときに初めて軍を志願した」

「ラルカス紛争、ですか」

「そう、検査で不適合になって、その後、軍医として徴用された。エイジアってのは、軍医があんまりいなくてな。戦争の度に民間から徴用するのさ。もう、かれこれ、三十年程経つかね。そのまま、ずっと軍医のまんまだ」

先生はそう言うと、薬の束を俺に渡す。

「抗生物質だ。一日三回、毎食後に飲む。ちゃんと飲めば、それなりに効く」

「それなり、ですか」

俺がそう答えると、先生は大きな声で笑った。

「ちゃんと効く。信用しろ」

可笑しそうに笑いながら、先生はそう付け加えると、じゃあまたな、と呟いて、部屋を去っていく。


 言われた通りに薬を飲み、俺は窓の外の滑走路に視線を移す。大きな帚を抱えた整備兵達が滑走路を掃除しているのが見えた。幾人もの整備兵達に混じって、ルカがいるのが解った。ルカは小さな身体に不釣り合いな大きな帚を元気よく動かしている。ルカの吐息は白く色づいていて、寒さが本格的になりつつある事を感じさせた。俺は毛布を被り、ベッドに横になると、目を閉じて、睡眠がすこしでも身体を癒す事を祈りながら意識を眠りの向こうに追いやろうとする。

 

「……おい」

何度か身体を揺らされる感触を感じて、俺は目を覚ます。辺りはすっかり暗くなっていて、部屋の隅のテーブルにおかれた食事からの香ばしい香りが漂ってくる。

「よっく寝てたなあ。食事だけ置いて帰ろうかと思ったよ」

ルカがそう言って呆れ顔でため息をついた。

「何時?」

そう聞いた俺にルカは、八時、と素っ気なく答える。

「今日は滑走路の掃除番で、きつかったよ。あれつらいんだぜ。広いしさ」

「見てたよ」

俺がそう言うと、ルカは、何を、と答えた。

「今日、でっかい帚持って掃除してたろ?窓から見えた」

「寒い中あたしが働いてんのを、あったかいベッドから眺めてたんだ」

ルカは俺を笑顔で睨みながら、そう言う。

「寒そうだった」

「寒いよ。ばんばん風吹いてくるしさ。うちのジャンバーは全然駄目だ。防寒でもなんでもねえよ」

不意に俺は、実家のパン屋の看板を濡れ布巾で拭き掃除しているリーフの姿を思い出す。バケツの水はきっと斬れるように冷たくなっているだろう。リーフの白い小さな手は、冷たさで真っ赤になっていそうだった。帚を抱えていたルカと、雑巾を持っていたリーフの姿がなんとなく重なって見えて、俺はほんの少しだけ実家に帰りたくなった。

「実家に、女の子がいてさ」

俺がそう切り出すと、ルカは食事を用意する手を止めて、俺の方を見た。

「いっつも店の掃除をしてて、看板拭いたり、窓拭いたりって感じでさ。今日、ルカを見てたら、なんかその子を思いだした」

「……妹さんか?」

「いや、いろいろ訳があって預かってる娘なんだ。実家のパン屋で働いてもらってる。働き者でさ、そう言う所は、なんか、ルカに似てる」

「じゃあ、いっつもあんたに怒ってたろ。その娘は」

「結構ね。基本は優しいんだけど」

昔、怪我を隠した俺に、リーフは結構怒っていた。言葉遣いこそ違えど、ルカとリーフは似ているのかもしれない。見た目は全然違うのだけど。

「目の前で無茶ばっかりやってる奴がいたら、そりゃ怒るよ。しかもいっつも怪我して帰ってくるときたらね。あんたは本当に気をつけないと、いつか取り返しのつかない事になるよ?」

話がだんだん説教に向いていきそうになる。俺は、解ってる、と短く答えた。


「……先生はなんて言ってた?」

「毎日消毒して、薬を飲めってさ」

俺はベッド脇の小さなテーブルに置かれたガーゼの束とエタノールを指差してそう答える。

「今日はちゃんと消毒したか?」

ルカが明らかに疑っている表情で俺に問いかける。

「……まだ、やってない」

「ほら、またそれだ。あんなにぐっすり寝ててさ、絶対あたしが起こさなかったら朝まで寝てただろ?」

「多分」

「今すぐ、ご飯食べたら、すぐに消毒しろ。目の前で」

「わかった」

俺は素直に返答する。おそらく嫌だなんて答えれば、百倍くらいの罵声を浴びるだろう。そこには兵士特有の確かな優しさがあるのだけど。

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