後編
前編の続き
「実験成功」
ミミコは百年前の新聞を眺めた。
『未来人、現る』と題された天才投資家の特集記事には腕を見せびらかすような写真と共に、先ほどまで一緒にいた男の名前が載っている。
ジュリアン・ハリスン。剝きたての卵のようにつるりとした若肌と、蛇のように鋭い瞳、そして何より青い薔薇のタトゥ―。
だいぶ小奇麗になってはいるが、この記事の男は間違いなくジュリアンだ。
ミミコの体を歓喜の虫が這いまわる。
苦節十年、祖父の代から挑戦し続けていた時空超越がついに成功したのだ。
今回彼が乗っていた時空超越機は突貫工事で作った試作機で、片道切符ではあったが。
「これでやっと、あの人に会える」
憧れの青年の顔が瞼の裏に浮かんだ。
☆
ミミコは幼少の頃から時空超越の研究をしていた。それも自分の意志ではなく、父にほとんど強いられていた。
(ミミコ、外へ出る暇があったら実験をしなさい)
父は優しく、誠意ある声でミミコを諭した。しかし、それが上辺だけのものであることに頭脳明晰なミミコは気付いていた。
父の目には初めから自分など映っていない。
それは、歪んだ記憶の中の祖父も同じだった。
彼らにはどうしても会わなければならない女性がいたのだ。ミミコよりもずっと大切で、どんな犠牲を払ってでも会いたかった女性が。
それはミミコの祖母に当たる人だった。
祖母は幼い息子を残し、行方も知れないまま戦火に散ったという。国と国との争いの中で、まさに虫けらのように燃やされたのだ。
ミミコは常時瞳孔の開いた目を閉じ、腕の傷痕をなぞりながら回想した。
ミミコ、聞いてくれ。
お父さんの、いや、俺の母さんは優しくて、とても正義感の強い人だった。俺はそんな母さんのことが大好きだった。それなのに、俺も父さんも、母さんを助けてあげられなかった。最後のお別れすら告げることができなかった。あの日からずっと胸が痛いんだ。
お父さん……かわいそう。
よし、それなら私が過去に行っておばあちゃんを助けてあげる!
それで、もう誰も死なない優しい世界を作る!
ありがとう。ああ、俺はなんて良い娘を持ったんだ。
頼んだぞ、ミミコ。
父はそう言い、豆だらけの手でミミコの桜色の頭を撫ぜた。
思い返せばその頃にはもう父の瞳は虚ろだった。
その直後に父は亡くなり、ミミコは本当に一人ぼっちになった。
唯一の家族を失ってから、ミミコは生まれて初めて自分が孤独だったことに気付いた。
沈黙の日々の中で精神は歪んでゆき、その歪みの矛先を自分の身体に向けるようになった。何度も手首を傷つけ、本気で死を考えたこともある。
それでもミミコは挫けずに時空超越の研究を続けた。
それは、ある日ラジオで偶然耳にした不思議な音楽のおかげだった。
「ロックン、ロール?」
心臓を焦がすような速さのビートと、天使の悲鳴のように歪んだギターの音。
憑りつかれたように調べてみれば、それは百年以上も前に亡くなった青年の曲だった。ミミコはすぐにレコードを集め、機械仕掛けの部屋の中で青年の作品に没頭した。
百年前に一世を風靡した素晴らしい音楽。それはミミコの孤独を覆い隠し、まるで天国にでもいるような気分にさせてくれた。
やがて、ミミコが時空超越機を作る理由は変わっていった。
会いたい。この人に会ってみたい。ミミコは頬を上気させる。
もう父も祖父も祖母もどうでもいい。それどころかこの世界自体、自分の存在すらもどうでもいい。戦争なんかで滅びる世界なら、さっさと滅んでしまえばいい。
そんなことより生きた彼の奏でる生音を聞きたい。
ミミコにとって世界は最早幻想だった。とうの昔に夭折した青年の記憶だけが真実だった。
この人に会いたい。この人の声を聞きたい。この人の手に触れたい。
そして、この人の命を救いたい。
そのためにはどんな犠牲も厭わない。他人を巻き込んでも構わない。
ミミコは閉じていた目を開き、禍々しい瞳で宙を睨みつける。
少女はその執念だけで生涯を送ってきたのだ。
☆
ミミコは新聞をたたみ、それを無造作に放り投げた。時空超越が成功したことさえわかれば、もうあの男のことはどうでもいい。
「今すぐ行くからね。待ってて」
お気に入りの白いワンピースに着替え、身支度をする。憧れの青年に会うのだ。普段の魔女みたいなダサい恰好はできない。
慣れない化粧をし、三面鏡に自分の姿を映す。
口紅、髪飾り、猫柄シュシュ。我ながらなかなかの出来栄えだ。
(私の事、気に入ってくれるかな)
生まれてはじめて感じる胸の高鳴り。
ミミコは青年を模した男性マネキンに口づけをし、他愛もない妄想に浸った。
果てしない胸の高鳴りも、溢れでる桃色の妄想も、ミミコにはそれが何という感情から生まれるものなのか理解できなかった。
もう待ちきれない。
ミミコは金庫から鍵を持ち出し、秘密の扉に手をかけた。そして、鍵を開けて部屋へ入る。
部屋の中心には、ミミコの髪の毛と同じ色の物体が佇んでいた。
一見すると巨大な桃色の蜘蛛のようにも見えるそれは、ミミコが全身全霊をかけてつくりあげた時空超越機の完成型だった。
乗る前にミミコは体中を丹念に弄りまわした。ワンピースのポケットにずっしりと重く冷たい感触が感じられる。ミミコはその感触を何度も確かめた。
愛しそうに撫でたそれは、護身用のピストルだった。
「銃、お洒落、時空超越機。準備オッケー」
時空超越機に口づけをし、満を持して乗り込む。重々しいドアはボタン一つでふわりと開き、南瓜の馬車のようにミミコを歓迎してくれる。
「出発進行!」
時空超越機から異様な匂いのガスが噴射され、虹色の靄が部屋全体に漂った。
ぐわりぐわりと視界が回転し、押し潰すような圧力が身体にかかる。
「……」
もうこの世界に対する未練はない。それでも、いざ別れを告げるとなると一抹の寂しさが波のように心に押し寄せた。父との儚い思い出が頭をよぎり、ミミコの涙腺を緩めた。
「ごめんなさい。お父さん」
桃色の蜘蛛型タイムマシンは遥か過去へと姿を消した。
今をちぎり捨て、未来へ向かったのだ。
しかし、ミミコはある見落としに気付いていなかった。
雑然と散らかった銀色の床の上。
『未来から来た投資家、破産』と題された百年前の新聞記事と、地面に転がる宝石に。
☆
「ふう」
月夜の下、ミミコは時空超越機を林に乗り捨て、ついに百年前の大地に踏み入った。
まず最初に目に入った光景は緑の木々と、楽しげに繁茂する花々だった。こんなに美しいものが当たり前に存在しているなんて、やはり過去の世界は素晴らしい。
ミミコは街へ繰り出した。
赤い煉瓦造りの洋風な町は歩くだけで少女の心を躍らせた。夜の闇を突き抜けて瞬く星々は、ミミコの冷めた瞳にさえも光を灯した。
(あれがオリオン座なのかな)
星座を見つめながら、ミミコはハッとした。
「……どうしよう。時間、少しずれちゃったみたい」
急がなきゃ。少し焦らないといけない。あまりにも景色が美しすぎて本来の目的を忘れてしまっていた。
これから行わなければならない大仕事には、寸分の遅れも許されない。
富裕層が密集しているであろう閑静な住宅街をミミコは縦横無尽に走りまわった。
桃色の髪は月夜に照らされて青白く輝きながら、異国の空に桜吹雪を舞い上がらせた。
「見つけた!」
とある豪奢な建物が視界に入ると、ミミコは立ち止まった。
そして、ごくりと息を呑みこんだ。
「本物だ……動いてる」
肩まで伸ばした茶髪、暖かそうな黒のコート、鼈甲色のサングラス。歌うたいの青年は優しげな面持ちで周囲の人々と話をしている。
青年が視界に入った瞬間、ミミコの瞳は熱さを増した。やがて、とどまることのない感情が涙となって溢れだした。
しかし、涙はすぐに引っこんだ。
ミミコは青年を取り囲む人々の中に、見覚えのある男の姿を見つけたのだ。
「あいつ!」
激しい動悸が脳髄を揺らし、全身に寒々とした震えが走る。
その男は屈託のない笑顔で憧れの青年の横顔を見つめ、そしておもむろに懐から何かを取り出した。闇夜に紛れて鈍く輝くそれは、小さな銃だった。
ミミコは咄嗟に我に返り、ワンピースのポケットに手を突っ込んだ。
「あれ? 嘘? そんな! 確かに入れたはずなのに……」
ミミコは絶望した。
ポケットに忍ばせていたはずの護身用の銃がない。街を走り回った時に落としたのだろうか? いや、そもそも時間移動できていたのか? もし失敗だとしたら戻らなければ。いや、そんな時間はない。
ミミコは息を荒げ、途方にくれた。
十年、いや生涯をかけて練った彼の救出計画がこんなミスで無に帰すなんて。
男は銃を両手に持ち、片目を閉じて照準を合わせている。
青年は気付かず、やがて男に背を向けて建物へ入ろうとした。
もう間に合わない。
そう思った時、ミミコの足は自然に走りだしていた。
「あ」
銃声が鳴り響いた。これでもかと言わんばかりに、何発も鳴り響いた。鳥たちは羽ばたき、人々は地面にしゃがみこんだ。
茶髪の青年は瞬時に振り向き、そして大きな口を開けて叫んだ。
「撃たれた! 女性が撃たれた!」
少女はアスファルトの上で踊っていた。
桃色の髪は夜風に舞い、赤い鮮血が白いワンピースを紅に染めている。
そのコントラストはとても美しく、見る者全てを魅了した。
彼女に命を救われた青年さえも、少女の最期の美しさに釘づけになっていた。銃を撃った男は薄ら笑みを浮かべたまま、集まった人々に取り押さえられている。
ミミコは力尽き、地面に後ろから倒れこんだ。
「…………綺麗」
仰向けになって見上げた夜空では、流星が泳いでいた。
こんな星空を見れるなんて、やっぱりこの世界は――。
物思いに耽るミミコの視界を、誰かが不意に遮った。
「頑張れ! 今すぐ助けがくる」
その声の主は憧れの青年だった。百年前、ここで凶弾に斃れるはずだった青年。全てのポップミュージックの父として神格化されるはずだった青年。
良かった。私は彼を救ったんだ。過去を変えられたんだ。
ミミコは笑い、目を閉じた。
青年はコートを脱ぎ、ミミコの身体にそれを被せた。出血がひどく、すでにミミコの意識は混濁していた。本当はもっと話したいことがあるのに、声がでない。
青年は濁りゆくミミコの瞳を見つめ、いびつな指で頬を撫でた。
「僕をかばってくれたんだね。ありがとう。でも、どうか君も死なないでくれ」
青年は涙を流した。見知らぬ少女の命が自分のために失われるのがたまらなく辛かったのだ。温かな涙が頬を伝い、少女の血まみれの頬に落ちた。
その熱はミミコを死の淵から再び呼び覚ました。
「わたし……みらい、の……うたを」
喉が熱くて、途切れ途切れにしか言葉がでない。伝えたい言葉を伝えられないのがこんなにも辛いだなんて。ミミコは苦痛に顔を歪めた。
しかし、青年はミミコの気持ちを察したように頷いた。
「歌? 僕の歌だったらいくらでも歌うよ。だから頑張るんだ」
青年はミミコの頭を膝に乗せ、震える声で口ずさんだ。
それはミミコにとって、百年前に発表された往年の名曲で、一番好きな曲だった。
神も仏も信じない、自分や愛するものだけを信じ、未来へ歩んでゆく。青年の決意を示した大切な歌だった。
今、私は彼の腕に抱かれ、彼は私だけのために歌ってくれている。
幸せ。
「……ありがとう」
ミミコは呟き、眠りについた。
ミミコの死から一年が経った。
青年はこの名も知れぬ少女の悲劇を歌にして世にだした。彼が背負うこととなった少女への償いと自責の念を昇華するには、想いを歌に変えるしかなかったのだ。神から音楽の才能を授かった青年にはそれしか術がなかった。
しかし、この事件は自分の音楽に迷いを抱いていた青年の悩みを打ち消し、彼が生涯音楽に没頭し続けるきっかけとなった。
本来、志半ばで倒れるはずだった青年は天寿を全うし、死ぬまで愛と平和の尊さを世界に訴えかける音楽を作り続けたのだ。
そして、青年の寿命が尽きた後もその音楽は鳴りやまない。
――百年後――
「お父さん、この間おばあちゃんがね――」
十代の少女は父と腕を組み、仲睦まじく街を歩いていた。
桃色の髪が風になびき、花のように爽やかな香りをふりまいている。
親子そろって笑顔で家路へ向かう途中、少女はふと歩みをとめた。
「どうした? お腹空いたのか?」
「違うの。お父さん、ちょっと耳を澄ましてみて」
「なんだ? 腹の虫の音か?」
「もう、お父さんったらそればっかり。ほら、いいから静かに」
ぷりぷりと怒る娘をみて、父は苦笑した。
「ごめん、そう怒るなよ。お店のBGMだろう? これ、俺が子供の頃から流れてる曲だよ」
少し焦ったような顔で謝る父を、少女は優しく微笑みながら肘で小突いた。
そしてそっと目を瞑り、街を流れるその歌に耳を傾ける。
「素敵な歌ね」
ミミコが守った未来の歌は時空を超えて世界を変えた。
ありがとうございました。




