狂王の終焉
彼は豪華なキャビネットに激しく叩きつけられ、中の高価な磁器を粉々に砕きながら床へ転がり落ちた。
「ひ……ッ、ぐ……ふ、ふううううっ……!」
大量の冷や汗を全身から噴き出し、身体を丸めるカルプルニウス。
彼はもぎ取られた右腕の断面を、残された左手で必死に押さえつけようとしていたが、指の隙間からドロドロとした血が溢れ出し、床に溜まりを作っていく。
私はゆっくりと彼へ視線を戻した。
一歩、また一歩と、靴音を響かせて彼へと近づいていく。
「よ、よせ……来るな! 来るんじゃないっ!!」
カルプルニウスは、鼻水とよだれ、涙を顔中に垂れ流しながら、ブタのような悲鳴を上げた。
彼は残された左手と両足を必死にバタつかせ、後ろへ、後ろへと下がろうと身をよじった。
だが、彼の背後には当然、分厚い壁とキャビネットの残骸があり、これ以上下がるスペースなどどこにも存在しなかった。壁に頭をぶつけ、追い詰められた鼠のように目を泳がせる。
私は彼の前にしゃがみ込むことすら留まった。
上から見下ろす姿勢のまま、彼の頭部に残されたわずかな白髪混じりの髪の毛を、右手で無造作に鷲掴みにした。
「ひぎっ……!?」
そのまま、力任せに床の上を引きずり回す。
「やめろ! もうやめてくれ! 頼む! 離せ、離してくれええっ!」
カルプルニウスはもがいて抵抗しようとした。
だが、私が腕に込めた力は、人間の頭皮が耐えられる限界を遥かに超えていた。
ベキキッ、ペリッ!!
彼の抵抗の勢いが強すぎたせいで、引っ張られた髪の毛が根元から抜けるにとどまらず、頭皮の一部ごとメリメリと抉り毟り取られてしまった。
カルプルニウスの頭頂部から鮮血が吹き出し、彼は頭を抱えてのたうち回った。私の手には、彼の血塗られた頭皮と髪の毛が残っていたが、私はそれを不快そうに床へ投げ捨てた。
私はのたうち回る彼の首の後ろ――襟首を掴み直し、力任せに持ち上げた。
目指すは、部屋の片隅で真っ赤な薪がくべられ、パチパチと音を立てて燃えている暖炉だった。
暖炉の周囲には、堅牢な赤レンガで作られた縁の段差がある。
私はカルプルニウスの首を掴んだまま、彼の顔面をうつ伏せの状態で、そのレンガの角に向かって力任せに押し付けた。
彼の口元が、冷たく固いレンガの角を強制的に噛み開かされるような形になる。
「む、むぐっ!?」
彼の言葉が終わる前に、私は足を上げた。
そして――彼の背中、肩甲骨の間を、上空から一気に全力で踏み下ろした。
ドグアッ!!!!
重厚な破壊音が室内に響き渡った。
レンガの角に強制的に口を押し付けられた状態で、上から絶大な力で踏みつけられたのだ。
カルプルニウスの口内で、上顎と下顎の歯が、レンガの固さに挟まれて一斉に全滅した。
骨と歯がまとめて粉砕される凄惨な音が響く。
――かつて、私があの男に顔面を殴られ、歯を何本も折られた時の屈辱。それを、何倍もの威力で彼自身の口内に叩き返してやったのだ。
「あああああがあああああああっ!!????」
カルプルニウスは顔面を血みどろにし、砕け散った歯の欠片と、口内から溢れ出る黒い血をゴボゴボと吐き出しながら、絶叫を上げた。
彼は暖炉の前で転がり回り、口を押さえて悶絶した。歯茎が破壊され、顎の骨までヒビが入った激痛に、全身体を折り曲げてのたうち回る。
私は、ただ静かに、じっくりと、その惨めな光景を眺めていた。
美しい。実に気分が良い。
この男が撒き散らす苦痛の悲鳴は、私にとってどんな極上の音楽よりも心地よかった。
やがて、カルプルニウスは口から血と泡を垂らしながら、残された左腕と足を使って、必死に泥這いのように床を這い、私から離れようとし始めた。
ズルズルと、自分の血で床に赤い筋を作りながら逃げる。
私は、その後にゆっくりと、一歩一歩ついて行った。
彼が味わっている絶望と、恐怖の時間を、じっくりと噛み締め、味わうように。
彼が数メートル這進んだところで、私は歩みを止めた。
そして――逃げようと動いていた彼の右足の膝裏に向けて、私の足を容赦なく踏み下ろした。
右大腿骨と膝関節が、私の踏みつけによって木切れのように真っ二つに折れ、肉を突き破って粉砕された。
――私があの男に鉄槌で足を砕かれ、歩けなくされたことへの返礼。
もはやまともな言葉すら形をなさず、カルプルニウスの口からは獣のような断末魔しか上がらなくなった。
彼は粉砕された右足を抱えることもできず、顔面を涙と血と唾液で醜く歪ませ、絶望のあまり失禁し、下半身から泥のような不快な尿と便を大量に撒き散らした。かつて帝国の絶対者として君臨した男の、これ以上ない無惨で醜悪な醜態。
私は、冷ややかな視線を彼に注いだ。
「ねえ、カルプルニウス。覚えているかしら?」
私は静かに問いかけた。
「あなたの二番目の妻……リュディア様のこと。彼女がただ下級貴族と喋っただけで『不倫』の濡れ衣を着せられ、あなたが沸騰した熱湯の風呂桶に閉じ込めて、煮殺したことを」
カルプルニウスは、血走った左目で恐怖に怯えながら私を見上げた。言葉は出ない。
「あの時、彼女がどんなに熱く、苦しく、皮膚が煮える恐怖に苛まれていたか……あなたも少しは理解すべきだと思わない?」
私が左手を掲げると、頭上の空気に変化が現れた。
ジジジジ……ッ!
大気中の水分と魔力が圧縮され、頭上に直径一メートルほどの『極大の熱湯の球体』が生成された。グラグラと煮え立ち、蒸気を上げる灼熱の湯の塊。
私はそれを、のたうち回るカルプルニウスの全身に向けて、容赦なく振り下ろした。
バシャアアアアンッ!!
「アギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!! カッ…カッ…カッ…」
沸騰した熱湯が、カルプルニウスの全身を浴びた。
ジュウウウウと、肉が煮える嫌な音が上がり、彼の服が溶け、皮膚が一瞬で真っ赤に腫れ上がった。熱さのあまり、彼は自分の身体を掻きむしろうとするが、触れた端から皮膚がベロりと剥がれ落ちていく。
「足りない」
私は即座に、二つ目、三つ目の熱湯の球体を上空に現出させた。
バシャッ! バシャアアアンッ!!
連続して降り注ぐ煮えたぎる熱湯。
カルプルニウスの身体は、完全に煮え立ち、溶け始めていた。真っ赤だった皮膚は爛れ落ち、その下の黄色い脂肪と、赤黒い筋肉、さらには白々とした骨までが各所で露わになっていく。
彼は声すら上がらなくなり、ただ全身を痙攣させ、湯気と肉の焼ける不快な臭気を撒き散らしていた。
私は、骨が見え始めた彼の凄惨な肉体を、最後まで観察した。
そして――最後の一仕上げのために、私は四つ目の熱湯の球体を作り出した。
今度の球体は、より高温で、煮え滾る蒸気を放っていた。
私は念動で、カルプルニウスの打ち砕かれた顎を強制的に抉り開けさせた。
「これを飲んで、永遠に黙りなさい」
私は熱湯の球体を、彼の開かれた顔面――そして、口の中へと直接、注ぎ込むように浴びせた。
ジュボボボボボボボッ!!
口内、喉奥、そして内臓へと直接流れ込む煮えたぎる熱湯。
カルプルニウスの眼球が、内部からの熱と圧力によってポンッと不快な音を立てて破裂した。
カルプルニウスの身体が、一瞬だけガクガクと大きく跳ね上がった。
顔面を完全に溶かされ、口から白い蒸気を噴き出しながら、彼は極限の絶望と苦痛の表情を顔に張り付けたまま――ピタリと硬直した。
そのまま、二度と動かなくなった。
生命の完全な停止。狂王カルプルニウスの、惨めな死だった。
静寂が、部屋を支配した。
燃える暖炉のパチパチという音だけが虚しく響いている。
床には、爛れ溶けた肉塊と化した皇帝の死体と、石化した二人の少年の像、そして血とワインの海が広がっていた。
私は、ピクリとも動かなくなったカルプルニウスの死体を見下ろした。
カルプルニウスの僅かに魂が浮かび上がり、私は逃さず捕らえる。
「ああ、どこにも行かせない。お前の魂は私が管理する」
思わず恍惚とした声が漏れた。そして自らの体へ、隔離して封印する。
しかし、それらを終えると。
胸の中にあった、抑えきれないほどの焦土の憤怒が、少しずつ、静かな凪へと変わっていくのを感じた。
復讐は終わったのだ。
そう心に響いた気がした。
私を殺し、切り刻み、嘲笑った者たちは、一人残らず私の手によって滅び去った。
私は背中の翼を一度、静かに羽ばたかせた。
二色の光が部屋の血の海を怪しく照らし出す。
私は一度も振り返ることなく、足元に広がる惨劇の痕跡を踏み越え、静かに皇帝の私室を後にした。
────
何年かぶりに帰ってきた、私のお気に入りの場所。それは生まれた家。
私は部屋の中央に配置された、古い上質な革張りの揺り椅子へと近づいた。
長年放置されていたせいで、薄く埃が積もっていたが、私が軽く指を払うと、聖なる風が埃を一瞬で吹き飛ばし、新品のように滑らかな革の質感が蘇った。
私はゆっくりと身体を沈め、その椅子に腰掛けた。
沈み込む革の感触。身体を優しく包み込む懐かしい背もたれの抱擁。
数年間、冷たく固い牢獄の床や、拷問台の上で削られ続けてきた私の身体に、深みのある安らぎがじんと染み渡っていく。
ああ……落ち着く。
ここは、私がかつて最も愛し、そして最も救いを求めていた場所だった。
私は両膝を胸に押しつけ、それを囲むように腕を回した。そして身を委ねて揺り椅子を少しだけ揺らす。
心地良さと共に、暖炉の方へと視線を向けた。暖炉のすぐ上の壁――豪奢な金縁の額縁が飾られていたはずの石壁には、今、二つの巨大な死体が掲げられていた。
私を売り払った父。そして、私の犠牲の上で贅沢を貪った母。
二人は、胸の真ん中と両手足に打ち込まれた太い鉄杭によって、十字架に張り付けられたように壁へと深々と固定している。
激しい恐怖と痛みに顔を歪ませ、目を見開いたまま絶命した両親の死体。胸からは流れた血がすでに黒く乾き、壁の石目をつたって不気味な模様を描いている。
私を縛り、私を苦しめた過去の亡霊たちは、これで完全に「モノ」へと成り下がったのだ。
私はふと、サイドテーブルの上に視線をやった。
そこには、先ほど私がキッチンから取ってきた、上質な銀のティーセットと、白磁のカップが置かれている。そしてなにより、瘴気で満たした魔瓶に浸しているカルプルニウスの魂。
カルプルニウスは未来永劫、呪いの中で永遠の時を彷徨うことになる。
私は魔法で空中に清水を現出させ、それを小鍋で沸かした。
ポコポコと小さな気泡が立ち上り、澄んだ湯気が立ち上る。
かつて母親が自分専用に隠し持っていた、最高級のハーブと紅茶の茶葉を急須に入れ、沸騰した湯を静かに注ぎ込む。
シュワッという音と共に、鮮やかな深紅の液体が抽出され、甘く甘美な香気が部屋いっぱいに広がった。
私は白磁のカップにその温かいお茶を注ぎ、両手で優しく包み込んだ。
カップを通じて、掌に伝わってくる心地よい熱。
かつて左腕を切り落とされ、右足の骨を粉砕された時、私の全身は氷のように冷たかった。痛みと恐怖で歯を鳴らし、温もりなど二度と手に入らないのだと絶望していた。
だが今、私の手には確かに五本の指が存在し、滑らかな肌が温かいお茶の熱を感じ取っている。
左目の視界も明瞭で、暖炉の火の揺らめきも、壁に掲げられた両親の無惨な顔も、すべての世界が鮮やかに見えている。
ふう、と息を吹きかけ、お茶を一口、口に含んだ。
芳醇な甘みと、微かな酸味が舌の上に広がり、温かい液体が喉を通り抜けて胃へと落ちていく。
全身の細胞が、その温もりを心から喜んでいるのが分かった。
おいしい。
こんなに美味しく、穏やかにお茶を味わったのは、私の人生の中で一体いつ以来だろうか。
私はカップを持ったまま、ゆっくりと椅子を回転させ、大きなアーチ型の窓の方へと向いた。
ガラス窓の向こうには、しんしんと降り積もる白い雪の世界が広がっていた。
庭園の木々も、遠くに見える山々の稜線も、すべてが白い綿のような雪に覆われ、静寂の中に沈んでいる。
王宮で撒き散らされた血の赤も、肉の爛れる不快な臭いも、この純白の雪がすべてを覆い隠し、世界を清らかに塗り替えていくようだった。
外は極寒の冬。
けれど、この部屋の中は暖炉の火で温かく、私を苛む者達はもうどこにもいない。
もう、私に命令を下す者もいない。
私を不当に縛り付け、傷つけ、身体を壊す者はどこにも存在しない。
誰の所有物にもならず。
誰の道具にもならず。
ただフラミニアという一人の者として、自由に、己の意志だけで。
静かな部屋の中で、パチッと薪がはぜる音が響いた。
窓の外で静かに舞い散る雪を見つめながら、私はお茶をもう一口含んだ。
胸の奥から、じんわりと温かいものが込み上げてくる。
それは憎悪でもなく、激しい憤怒でもなく、生まれて初めて味わう純粋な――『幸福』だった。
私は白磁のカップを静かにテーブルへと戻し、窓に映る自分の姿を見た。
そこに映っていたのは、かつて泥の中で這いずり、片目を潰されて絶望していた惨めな令嬢ではない。
光と闇の翼を背負い、美しく滑らかな肌を取り戻し、力強い瞳を輝かせた、新しい私の姿。
私の唇が、ゆっくりと弧を描いた。
何年ぶりだろう。
偽りのない、心からの、穏やかな笑みが私の顔に浮かんでいた。
私は雪降る静寂の世界に向かって、静かに、そして楽しく声を忍ばせて微笑んだ。
自分の心に嘘をついてまで、手に入れる平穏なんて、最初からいらなかった。
私の未来は、私が決める。
暖炉の火が温かく室内を照らす中、私の頬笑みは、白い雪の降る書斎の中にどこまでも穏やかに溶けていった。




