⑧夢の卵
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもある。
しかも、同じ図書委員という任務?を背負い、週に1~2回、私の隣で図書館のカウンターにいる。
そして、彼は、今、私の隣で全集に載っている短編『芋粥』を読み終えたところだ。
「織田さん?」
隣から琉生の声がした。 なんとなく私がしょんぼりしている気配を察したのか。
わからないけど、顔を上げると、琉生が静かな笑顔で、私を見ていた。
「どうしたの?」
琉生が私に、ほほ笑みかけている。とても美しいほほ笑みだ。
ほんとに、なんでこの人は、こんなに美しいのだろう。笑っても泣いても怒っても、どんな顔をしても、美しい。たとえぼんやり無表情でいても、彼が目元をほんの少し緩めて、かすかに口角を上げるだけで、見ているこちらが泣きそうなくらい美しい笑顔に変わるのだ。
美貌だけじゃなく、あふれるほど才能にも恵まれている彼。
そんな彼が抱く夢は、私よりずっと容易に叶うだろう。
彼の夢は現実味を帯びて、手の届きそうな位置にあり、彼はそれに向けて眩しいほどに活躍しながらまっすぐに進んでいる。
一方、自分、織田 空は、ただの一中学生で、夢を持っていると言いながら、誰にもまだ語れるほどの形も何もなく、心の中で、熱くぐるぐる渦巻いている想いを持て余しているだけだ。
そうやって、ただただ、遠い夢を見ている。
(あかんわ……)
心の中でつぶやく。
(神様。やっぱり、なんか、不公平です。彼の5分の1でも、10分の1でもいいから、自分にも才能が備わっていたら……)
ないものねだりだということはわかっている。
思ってもしかたのないことだとわかっている。
自分は自分。自分の手にした武器で闘っていくしかないのだ、ということも、わかっている。
それでも。
あまりにも、自分には何もない気がするのだ。
(私って……手ぶら、やん。ただ、妄想としか呼べないような夢の卵を抱えているだけで)
彼は切れ長の涼しげな目をほんの少し細めるようにして、私の表情をそっとうかがっている。
「織田さん」
優しい、どことなく気遣うような声だ。
「あ、いや、ごめん。ちょっと一瞬ぼ~っとしてた。へへっ」
私はゆるく笑ってみせた。心の中のぐるぐる渦巻きのような、ナサケナイ気持ちを逃がすようにそっと目をそらす。
「そうか」
琉生が短く応える。
そして、静かに、続けた。
「あのね。先輩が……事務所の先輩が一人、昨日付で、事務所を辞めたんだ」
「え?」
「研修生の中でも、すごく活躍してて、もうすぐデビューかもって言われてた。僕らもそう思ってたし、もちろんその先輩もそうだったと思う。ところが、先月、デビューが発表されたのは、先輩と同じグループの他のメンバーたちと、別のグループのメンバーたちから選抜された人たちで」
「うん」
「新しく作られたそのグループの中に、先輩の名前はなかった」
琉生の瞳の色が切なく揺れた。
「誰より活躍してたんだ。歌でもダンスでも演技でも。なぜはずされたのかわからない。でも、デビュー組の中に彼の名前はなかった」
琉生がうつむく。
「先輩、ずっとがんばってきたんだ。いつかきっと、って。そして、その夢にもう少しで手が届くかもしれない、そう思ってたのに、その直前で、夢は一気に遠のいて」
細長い指を組んだ琉生の手に力が入る。
「もう気持ちが折れた……先輩は、そう言って去って行ったんだ。なぜ自分じゃダメなんだ? 自分に何が足りなかったのか、一生懸命考えたけど、もうわからなくなった、って」
「そんな……」
私まで胸が張り裂けそうになる。
その先輩がどんな思いでそこまでやってきたのか、想像するだけで、涙が出そうになる。自分が挫折した、というより、挫折させられた、ようなもんじゃないか。
「その先輩だけじゃない。今までそうやって辞めていった先輩たちが何人もいる。同期の中にもね。そんなことも当たり前の場所なんだ。そう思うとね、不安でたまらないときがある」
そこで、琉生は少し恥ずかしそうに笑って言った。
「だからさ、情けないけど、さっき、少し奇跡を願ってしまったんだ。ほんとは『自分で叶える!』って言わなきゃいけない夢なのにね。僕ね、織田さんの教えてくれた、全集の棚の不思議な力に頼ろうとしてたんだよ」
「情けないだろ? 」
そう言って、琉生は笑った。
(そんなことない!)
私は、思いっきり首を振る。
「でもね、織田さんの言葉を聞いて、僕は、何、情けないこと思ってんだろうなって……。『自分で必死になって叶えた夢なら、叶ったあとでも、むなしくなったりしない』って言葉を聞いて、弱気になってる場合じゃない、がんばらなきゃ、って思い直した」
……もしかして、私は、優しく励ましたつもりで、逆に彼を叱咤していたのか。
「だからね。ありがとう」
琉生が、滲むような笑顔を浮かべて私を見た。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもある。
しかも、同じ図書委員という任務?を背負い、週に1~2回、私の隣で図書館のカウンターにいる。
彼は、アイドルの卵だ。
デビューの日を夢見て、日々努力を重ねている。
美貌も才能も、すべてを持って生まれてきたような彼だけど、同時に不安やコンプレックスに心が揺れるときもあるらしい。
そんな彼だから、私は推さずにはいられないのかもしれない。
私の王子は、氷の王子じゃない。
ほんの少し弱気になることもあるけど、いつだって、一生懸命に夢に向かっていこうとする、まちがいなく、ココロ熱い人だから。
誰かがココロに抱える夢に、遠いも近いもないのかもしれない。
あきらめずに、ただ進んでいくしか、道はないのかもしれない。
あらためて、私は、妄想にも似た自分の夢の卵を、ちゃんと『夢』として認めることにした。