61.会いたかった。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
でも、それも今日で――最後だ。
今日は2学期の終業式。
朝の教室に、彼はまだ登校していない。
今日も仕事なのかもしれない。
私がこの学校に登校するのは、今日が最後だ。
最後にひと目。
ひと目だけ会いたい。
最後にひと言。
ひと言だけでいいから話したい。
そう願いながら、まだ空いたままの彼の席を見つめる。
仕事のない日は誰より早く登校する彼がまだ来ていないということは、きっと仕事なのだ。
おそらく、今日はもう、会えないんだ。
体育館での終業式にも、とうとう彼は姿を見せなかった。
そして体育館から教室へ戻り、ホームルームの時間になった。
黒板の前で、倉内先生が冬休みの心得や連絡事項などの書かれたプリントを配り、丁寧に話をする。
ついにそれも終わり、次に1人ひとりの名前が呼ばれ、成績表が手渡される時間になった。
全員が受け取り終えたら、ホームルームは概ね終了だ。
それでも、琉生は、まだ来ない。
「先生、藤澤くんは、休みなんですか」佐藤くんが訊く。
「ああ。そうですね。お家の都合で欠席になるかもしれないと連絡がありました。来れると良いのですが」
倉内先生が穏やかに応える。
佐藤くんが、想太の方を振り返る。
想太が首をかしげる。彼も何も知らないらしい。
いや、もしかして知っていたとしても、琉生の家の事情を軽々しく口には出せないのかもしれないが。
ホームルームも終わり、みんなバタバタと帰って行く。
にぎやかな会話が聞こえてくる。今から映画を観に行く子や、ファーストフード店でランチする子たちもいる。ランチと兼ねてカラオケに行く、というリッチな?子たちも。
今日は全ての部活動もないので、教室はあっという間に空っぽになる。
それでも、あきらめきれなくて、私はじっと席に座っていた。
いくらなんでも、琉生は、もう来ない。
欠席するかも、と連絡が入っているのだから。
彼は、来ない。
わかってはいるけれど、もしかして、遠ざかって行く足音たちの中にまざって、こちらに近づいてくる足音がないかと、私は必死で耳を澄ます。
でも――そんな足音はない。
私はのろのろと立ち上がる。
日直の仕事の戸締まりをするためだ。
一つひとつ高いところの窓のカギもきちんと閉める。冬休みで長期の休暇に入るからだ。普段は、カギを閉めるのは下の窓だけだ。
上の窓のカギは、高くて届かないので、私は椅子を持ってきて、その上で少し背伸びをする。
本来は、今日私は日直ではない。
けれど、最後にゆっくり教室とお別れをしたくて、今日の当番の子たちと交代してもらった。
交代を頼むと、彼女たちは、観たい映画の一本早い上映回に間に合うと大喜びして、飛ぶように帰って行った。
普段なら面倒だと思ってしまう作業も、最後だと思うと全然違う気持ちになる。
一つ一つゆっくりと作業していると、遠くから走ってくる足音が聞こえてきた。
(もしかして? でも、そんなはずはないよな……)
そう思いながらも少しドキドキしていると、
「よかった! まだいた!」
教室の入り口で、ホッとしたような声で言ったのは、佐藤くんだった。
「え? 佐藤くんこそ。……まだいてたん?」
潮が引くように帰って行ったみんなの中に紛れ、佐藤くんもいつの間にか帰ったんだと思っていた。
彼には、いろいろお礼を伝えたかったので、いないのに気づいて少し残念にも思っていた。
ただ、彼の場合は、電話番号もSNSのアカウントも知っているので、いつでも連絡は取れるし、とのんきな気持ちもあった。
佐藤くんは、走ってきた直後でまだ荒い息のまま、
「まだ、しばらく、いるよね? 窓、閉めてくれてたんだね。ありがとう。ごくろうさま」と言った。
「いえいえ。どういたしまして。てか……走ってきたん?」
「そう。ちょっと確かめないといけないことがあってさ」
「そうなん?」
私は、頭の中で少し考える。
やはり佐藤くんには、転校のことを今この場で伝えて、ありがとうって言っておこう。
そこで、いったん椅子から降りて佐藤くんの方を向く。
「佐藤くん。実は、私、ずっと内緒にしてたけど、この2学期でこの学校を離れるねん。大阪の学校に転校する。今まで、いっぱいお世話になって本当にありがとう。中3のとき、佐藤くんが同じクラスでいてくれて、いろいろ話しかけてくれて、本当に嬉しかったよ。クラスになかなかなじめなかったときも、佐藤くんのおかげで、いつもすごく救われた。本当にすごく感謝してる。ありがとうをいくら言うても足りへんくらい――ほんとにありがとう」
思いっきり心を込めて頭を下げる。
佐藤くんが、優しいやさしい笑顔になる。その笑顔にホッとなごむ。彼は本当にいい人なのだ。
「こちらこそ。織田さんに出会えて、オレもすごく嬉しかったよ。会えてよかったよ。本当にありがとう」
佐藤くんの目が少しうるうるして見える気がする。
そう思ってから、私はハッと気がついた。
「佐藤くん。……転校すること、ぜんぜん、驚いてないね? もしかして……知ってたん?」
逆に私の方が驚いて訊くと、彼は不敵な笑みを浮かべた。
「……ふふ。オレを誰だと思ってるの。学校中、職員室も校長室も含めて、このオレ、佐藤通貴の情報網の届かないところはないのさ」
「す、すごいね」
「ふふふ。すごいでしょ」
そのとき、彼のスマホから着信音が聞こえた。
彼は手に持っていたスマホの画面をちらりと見ると、
「あ。じゃ、オレそろそろ行かないと。ごめんね。窓閉めるの、手伝えなくて。とにかく、また連絡するから。元気でね」
そう言って、なんだか慌ただしく、佐藤くんは帰って行った。
校舎内の気配も一気に静かになった。
今度こそ、一人きりになった教室で、私は椅子に乗り、作業を再開する。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
でも、それも今日で――最後だ。
今日は2学期の終業式。
とうとう彼は来なかった。
もしかして。
遅れてでも来るかも、なんてかすかな期待は消えてしまった。
でも。
せめて。
いつの間にか好きになっていたこの教室にもお別れの挨拶をしよう。
私は一つ一つの窓のカギを閉める。
高い窓はちょっと背伸びをして。
(ありがとう。お世話になりました)
心でつぶやく。
そして、一番伝えたかった人への言葉をそっと胸の中にしまう。
さよなら。
ありがとう。
ずっとずっと大好きだよ。
とうとう伝えられなかった言葉たちを胸に抱いて、カギを閉める。
まるで想いを自分の中に封じ込めるみたいに。
涙が溢れそうになる。
でも――会いたかった。
会いたかった。
会いたかった。
しばらくして、静かな廊下に、少し急ぐような足音が聞こえてきた。
もしかして、校内にまだ残っている生徒がいないか、見て回っている先生かもしれない。
私は、急いで涙を拭う。
何か言われたら『日直です!』と言えばいい。「おつかれさん。早く帰りなさいよ」くらいの会話ですむだろう。
足音が教室の前で止まった。




