60.だけど、いつか。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
でも、それも今日で――最後だ。
2学期の終業式。
朝の教室に、彼はまだ登校していない。
今日も仕事なのかもしれない。
本当は、最後に、ひと言、伝えたかった。
『大好きだよ』って。
大好きだった、という過去形ではなく、現在進行形で。
そして、それは未来にも進行し続けるのだという気持ちを込めて。
この2学期、びっくりするほど、幸せな時間がたくさんあった。
文化祭の日、体育館の舞台公演を並んで座って観たことも、そのあとの時間も、最高の思い出だ。
あの日、体育館の演目を2つ見たあと、私たちは2人で部活の展示教室に行った。
初日の反省と来場客の反応についてみんなで話し合いながら、お団子を食べた。もちろん倉内先生が買ってきてくれたものだ。
なんと、その日は、幻の白味噌だれのお団子(数量限定ですぐに売り切れる)も、新作のネギ味噌団子まであった。
「倉内先生、すごい! めちゃくちゃぐっじょぶ」
みんなに褒め称えられて、先生も嬉しそうだ。
「でしょう? 今日は文化祭で、お客さんもいつもより多いだろうからって増産されたみたいです。一番乗りで買いに行って正解でした」
お団子を見つめる琉生の目も輝いている。
嬉しそうに新作のネギ味噌団子を頬張る彼のほっぺをさりげなく横目で見る。白くてすべすべもちもちのほっぺ。
視線に気づいたのか、彼が私の方を見た。すぐに、とろけそうな笑顔になる。
その笑顔が目に入ったのか、三田先輩が笑った。
「ほんとに、お団子食べてる琉生くん、幸せそうだね」
「ほんとほんと」
「僕の、1コわけてあげようか?」大田部長が、かぶりつく前の串を前に琉生に言う。
「え? いや、そんな。申し訳ないです~」と言いながら、琉生が、自分の紙皿をうやうやしく差し出す。
「琉生くん、言葉と行動が合うてへんで~」思わず私が言うと、みんなが声を上げて笑った。
「へへへ……」琉生が照れくさそうにくしゃっと笑い、大田先輩と平澤先輩が、その紙皿に自分の串からネギ味噌団子を1コずつはずしてのせる。三田先輩と城田先輩は、白味噌だれの方を1コずつのせた。
「あざっす!」
琉生が元気いっぱい、くだけた口調で言う。珍しい。それだけ彼にとって、ここのみんながくつろげる相手なのだとわかる。
(よかったね……)
中学のとき、図書館のカウンターでいろいろ話すようになったとき、彼は、学校で自分の居場所を見つけるのが苦手だと言っていた。
それを聞いたとき、私はすごく驚いたのだ。アイドルデビュー前とはいえ、すでに人気も高く、どこに行っても憧れの的の、みんなの熱い眼差しを受けている彼が、学校での居場所に困っているなんて。
彼さえ望めば、誰もがそばにいることを喜んでくれそうなのに。
今、彼は安心した顔で、お団子の串をくわえている。
目が合うと、嬉しそうに笑う。
それにしても、彼はいつもと同じように笑っているつもりかもしれないけど、手に持っているのがお団子だと一気に、バラエティーかホームドラマみたいになる。……ちょっと、可愛い。
テレビの画面越しで見る彼は(役にもよるけど)、ひたすらクールでカッコいい。
でも、こんなふうにホワンとした顔で笑っている彼は、もしかしたら、これが本当の顔なのかもしれないと思えるくらい、ナチュラルだ。
ああ。
こんな時間が持てて。
私はすごくすごく幸せだ。
もし、今、私が子どもじゃなかったら。
自分で独立して生きていけるくらいの力があったら。
そしたら、この笑顔のそばにできるだけ長くいられるよう、努力するのにな。
まだ自分には、親元を離れてやっていけるような力は、全然ない。一切、ない。
だけど、いつか。
いつか自分で生きていけるだけの力を身につけたら。
この人のこんな穏やかな笑顔のそばにいたいな。
いや。それは、無理な願いか。
私ががんばっても、彼はその頃には、もっとずっと遠くを走っていて、この先、私たちの道が交わることはないだろう。
なら、せめて、私は、彼が元気でいてくれることを願おう。
そして、その夢が叶うことを祈っていよう。応援し続けよう。
そう決意する。
その日のあとからは、彼の仕事も忙しさを増して、なかなか会えない日も多かった。
それでも相変わらず、彼はほんの少しの時間でも可能な限り登校していた。
そして、偶然会って私と目が合うと、いつも本当に極上の、優しい笑顔を見せてくれた。
この笑顔の記憶だけで、私はこの先何年も生きて行けそうな気がする。
かつて中学教師だった母親が、以前、話してくれたことがある。
「生徒との、ほんの小さなやりとりでも嬉しいことがあるとね、それだけで、ああ、これでもう2、3年はがんばれそう、なんて思うねん」
仕事がきつくて何度も辞めたくなって、そんなとき、ささやかでもキラリと光るような瞬間に出会ってしまうと、もう少し、あともう少しがんばれる、って思ってしまうねんなぁ。ついうっかりね。そう言って母は笑っていた。
今は、フリーで翻訳やライターの仕事をしている。中学を辞めたのはハードワークで体調を崩したのがきっかけだけど、父の転勤について行けるようにというのも理由の一つのようだ。
もし、父の仕事に転勤がなければ、今もまだ、母は教師をしていたのかもしれないと思う。
2学期の終わりが近づいて、我が家の中は段ボール箱だらけになっていた。
引っ越し荷物を段ボールに詰め込みながらどんどん気持ちが沈んでいく私に、母が話しかけてきた。
「ねえ。空」
「ん~」
「出会うべき人には、必ず出会える。どんなに離れても、出会うべき人には、必ずまた出会える。私はそう信じてる」
母はそう言うと、荷物を詰め終えた箱の蓋をガムテープで閉じると部屋の隅に積み、また次の段ボールを手際よく組み立てる。
「……そやったらいいね」
母の言葉はただの気休めのようにも思えた。だから私は気乗りしない返事で応える。
だって。
私にとって、彼は出会いたい人であっても。
彼にとって、私は出会うべき人ではないかもしれないじゃないか。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもあり、同じ文芸部の部員でもある。
でも、それも今日で――最後だ。
2学期の終業式。
朝の教室に、彼はまだ登校していない。
今日も仕事なのかもしれない。
本当は、最後に、ひと言、伝えたかった。
『大好きだよ』って。
大好きだった、という過去形ではなく、現在進行形で。
そして、それは未来にも進行し続けるのだという気持ちを込めて。




